88話-6、全ては愛娘の為に
酔っ払った花梨に絶縁宣言をされて、一度事切れかけたぬらりひょんが、
昨夜、拭い切れぬ不安に駆られて一睡も出来なかったぬらりひょんは、キセルの煙を蒸気機関車の如くふかし続け、支配人室に濃霧を発生させるも。
耐えかねた女天狗のクロが、激しく咳き込みながら窓を全て全開にして、
「け、煙の海に、溺れるかと思った……」
「まだか? 鵺は、まだ花梨を連れて来ないのか……?」
支配人室から濃い白煙が昇り、それを目撃した客が火事かと見間違えている中。
肺に新鮮な空気を入れ替えたクロは、一心不乱に扉を見据えているぬらりひょんが居る方へ体を戻し、腰に差していたテングノウチワを手に持った。
「ぬらりひょん様、いくらなんでも吸い過ぎですよ? 今吸ってるので最後にして下さい」
文句を垂れたクロが、テングノウチワを下から上に向けて、そっと振り抜く。
すると、漆黒色をした小型のつむじ風が発生し、室内に漂っていた残煙を、残らず器用に窓まで吹き飛ばしていった。
支配人室内に、元の色が戻ってきた矢先。扉からノック音が二度鳴り、「ぬらさーん、入るぞー」という鵺の声が後を追う。
「来た! 入れッ!」
最早、命令にも聞こえる入室許可を放つと、扉がひとりでに開き、私服姿の花梨が「失礼しまーす」と一声掛けながら入ってきた。
鵺も何食わぬ顔で入室し、扉を閉めると、まだ何も知らされていない花梨が、不安を隠し切れていないぬらりひょんの前まで歩み寄って来た。
「おはようございます、ぬらりひょん様」
「……お、おっ、オハヨウ、カリン」
ひとまずは、無い冷静を絞り出したぬらりひょんが、カタカタと震えたキセルを吸い、穏やかな煙を上へ昇らせていく。
「それで、話ってなんでしょうか?」
「そ、それは、だな……」
普段と特に変わった様子もなく、ただ興味本位で問い掛けてきた花梨に対し。挙動不審な動きが増していき、視線が右往左往していくぬらりひょん。
「えと、そのー……、なんだ? 昨日の、飲み会についてなんだが……」
「昨日の飲み会? もしかして私、ぬらりひょん様にも何かやらかしてました……?」
「むっ?」
話を切り出すと、何か思い当たる節があったのか。花梨の顔からみるみる血の気が引いていき、一粒の冷や汗が頬を伝っていった。
「何も、覚えてないのか?」
「は、はい……、まったく覚えてないんです。昨日、飲み会に参加した人達に電話をしたんですが……。
ぬらりひょんが支配人室で待っている間、正気を取り戻した花梨は、寝起き様に皆へ電話をしていたようで。
昨晩、被害者の元へ徘徊しては暴れ倒し、その後日談を隠す事なく語り出した花梨が、書斎机にカタカタと小刻みに震えている両手を置いた。
「それに
「あ、ああー……」
鬼気迫る表情で詰め寄ってきた花梨は、本当に何も覚えていないらしく。その事を確認出来たぬらりひょんは、心の底から安堵してしまい、思わず肩を落としながらか細いため息を漏らした。
そして、全ての不安要素が取り払われると、ぬらりひょんの顔が柔らかくほころび、鼻で小さく笑った。
「まあ、なんだ。ワシは、特にこれといった事はされていない。強いていえば、クロにべったり引っ付いていたぐらいか」
「えっ? クロさんに、ですか?」
「まったく。お前、私をずっとお母さんって呼んでたんだぞ? お陰で、ゴーニャと
やれやれと語り出したクロは、
「すみません、クロさん……。せっかくの飲み会なのに、迷惑をお掛けしちゃいまして……」
「いや、私は全然気にしてないぞ。むしろ、いつもより楽しかったさ。私に甘えてくるお前達は、本当に可愛かった。だから、また一緒に飲もうな、花梨」
「クロさん……」
嫌がられる所か、再度飲みに誘ってきたクロが、むしろ早く飲みたいと催促のウィンクを送る。そんな罪悪感を根こそぎ吹き飛ばすウィンクに、心を救われた花梨は、柔らかい満面の笑みで応えた。
「はい! それじゃあ、また今度よろしくお願いします!」
「おい、抜け駆けは許さねえぞ。私も参加させろ」
「よければ、ワシも……」
後頭部に手を回し、ぶうたれる鵺に、控え気味にこっそりと挙手をするぬらりひょん。
あわよくば、自分らにも甘えてきて欲しいという欲望が見え隠れする反応に、花梨は汲み取れるはずもなく。
ただ一緒に飲みたいのであろうと判断すると、「分かりました! 鵺さんもぬらりひょん様も、よろしくお願いします!」と快くよく返した。
「うむ、ワシらも楽しみにしているぞ。それでだ、花梨。これからお前さんは、どこかへ行く予定はあるのか?」
「えっと。とりあえず『妖狐神社』と『居酒屋浴び呑み』に行って、皆さんに一度謝ってきます」
「なるほど、分かった。今夜は満月が出るから、早めに帰ってくるんだぞ?」
「はい! 午前中に済ませて、お昼までには必ず
ぬらりひょんがやんわり警告するも、全てを把握して予定を組んでいた花梨に、ぬらりひょんは
「よろしい。一応ここへ帰って来たら、ワシに必ず電話かメールをしてくれ」
「分かりました。念の為、支配人室にも伺いますね」
「分かった。それじゃあ、わざわざ呼んですまなかったな。部屋に戻っていいぞ」
「はい! それでは失礼します」
退出の許可が出ると、花梨はクロと鵺に笑顔で手を振りつつ、支配人室を後にする。
扉越しにある気配が遠ざかっていくと、クロとぬらりひょんが同時に重く湿ったため息を吐き、疲れ切った様子で体が項垂れていった。
「な? 私の言った通りだったろ?」
ただ一人だけ気負いせず、余裕の表情で事の流れを見守っていた鵺が、悠々と腕を組む。
「ああ。けど、知っててもドキドキしてたよ。昨日の出来事を、全部覚えてるんじゃないかってな」
「九死に一生を得るとは、正にこの事だな……」
心身共に耐え難い局面から解放され、もう一度重いため息を同時に吐く二人。
「で? 振り出しに戻った訳だが、これからどうするんだ?」
「振り出しに戻った、か」
花梨から最も知り得たかった情報を手に入れ、全てが無かった状態に戻ると、両手を袖に入れたぬらりひょんが、神妙な面立ちをしながら目を瞑る。
呼吸すらせず、黙り込んでから数秒後。静かに瞼を開き、妖怪の総大将たる眼光をクロへやった。
「クロ。明日以降、ワシはちょくちょく出掛けてくる。なので、ワシが居ない間は、また永秋を頼んだぞ」
「出掛けるって、どこへ行くんですか?」
「なに。ちょっと、二人の旧友に会いにな」
「二人の旧友、ですか」
ぬらりひょんのどこか引っ掛かる物言いに、クロは心に言い知れぬざわめきを覚え、そこで質問を止めた。
「ああ。花梨の願いを叶える為には、そやつらに会わねばならん。それで、まずは許可を貰いに行ってくる」
「は? おい、ぬらさん? 秋風の願いを叶えるって、まさか……?」
流れからして察しが付く内容だが、にわかに信じられずにいる鵺が、世の
「そうだ。ほぼ事実上、
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