88話-4、誰にも明かさず、隠し通してきた内なる想い
危機を脱した天狐の
各グループが落ち着いて酒を嗜めるようになった、夜中の十二時半頃。
追加の注文もなくなり、酒や料理の皿が綺麗に空いたので、キリがいいと判断したぬらりひょんは各自に声を掛け、色々な意味で騒然とした飲み会はお開きにし。
ぬらりひょん達は、次なる作戦を決行するべく早足で帰路に就き、
明かりの無い入口を抜け、闇が濃い受付を通り過ぎ、口数が少ないまま中央階段まで着き、足元に注意して上がっていく。
静寂が見守る二階、物音一つしない三階を過ぎ。目が闇に慣れ始めると、薄暗さに彩られた支配人室の扉がある四階に到着した。
そこで、強い睡魔に襲われたのか。ゴーニャと纏が同時にあくびをし、眠たそうな口をむにゃむにゃとさせた。
「流石に、一時前となれば眠くなるわなあ。ほれ、ゴーニャ、纏。私が部屋まで連れてってやるよ」
「ん〜……」
「花梨は?」
花梨と引き離す為に、二人を自室まで誘導しようとするも。潤んだ寝ぼけ眼を擦った纏が、鵺に背中を押されながら言う。
「ぬらさん達に用があるから、一回支配人室に寄るんだってよ。いつもの報告をするんじゃねえか?」
「今の花梨、まともに言葉を話せる状態じゃないけど大丈夫?」
「通訳のクロが居るから、たぶん大丈夫だろ」
「クロすごい」
適当に纏を論すると、鵺は顔をクロに合わせ、ニヤリと笑う。その意味のある笑みに、クロは
「お母しゃーん、一緒に寝よー」
「後でな。それよりも、こっちに来てくれ」
纏達と同じく、眠たそうにしている花梨を寝かさまいと、クロは花梨の両肩に手を添えて、支配人室の扉を開けたぬらりひょんを横切っていく。
部屋の明かりを点けると、ぬらりひょんはキセルを持ちながら書斎机まで向かい、椅子に座って一息ついた。
「場は整ったが、どうも罪悪感が芽生えてくるな」
誰の耳にも届かぬ心境を呟いたぬらりひょんが、刻みタバコをキセルへ詰めていく。詰め終わると、マッチで火を点け、迷いが含まれた白い煙を大量に吹いた。
「ああー。おじいちゃん、またキセル吸ってりゅー。体に悪いんだぞー」
「ワシはそう簡単に死なんから大丈夫だ」
花梨の緩い叱りに、うっかり祖父に
「……さてと、そろそろ聞いてみるか」
今度はクロの耳にも届くよう、作戦決行の合図を知らせると、二人だけに通じる緊張感が走り、クロの表情が少しだけ強張った。
「花梨。一つだけ、聞きたい事がある」
「やー、キセル吸うの止めにゃいと聞かにゃーい」
酔っているとはいえ、体を心配してくれている愛娘が出してきた条件に、ぬらりひょんは仕方なく聞き入れ、吸殻を灰皿に落とした。
「これでいいか?」
「いいよー。はにゃしってにゃにー?」
ちゃんと言い付けを守ってくれたぬらりひょんに、花梨は緩いながらも、嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。
その眩し過ぎる笑みに、これから花梨の心を抉りかねない質問をする事に
気まずさが混じった間を数秒置き、ぬらりひょんが瞼を閉じてから更に数秒後。瞼を開き、愛娘には決して向けないであろう、鋭く凍てついた眼差しを花梨へ合わせた。
「お前さんは、実の父や母に会ってみたいと思った事は、あるか?」
「……え?」
花梨から返ってきたのは、失望したようにも取れる、今にも消えてしまいそうで限りなく無色に近い声。
表情も先の明るさは消え失せた真顔で、瞳孔が開き切っており、どの感情に揺さぶられているかすら分からない。
そして、ぬらりひょんを捉えてたオレンジ色の瞳が動揺で泳ぎ出し、顔ごと床へ落ちていった。
「……なんで、そんな事を聞くの?」
「むっ」
怨嗟を吐かれたと勘違いする、花梨の口から出たとは信じ難い暗く沈んだ声に、ぬらりひょんだけではなくクロまでも気圧されてしまい、全身が思わず硬直した。
愛娘の豹変具合に、ぬらりひょんは、酔いが醒めたか? と内心焦り、誤魔化しの咳払いをした。
「いや、すまん。藪から棒な質問だったな。悪いが、聞かなかった事に───」
「……そりゃあ、会いたいよ」
ぬらりひょんの前言撤回を遮る、ポツリと湧いた震え声に、不穏な胸騒ぎを覚えたぬらりひょんが、目を限界まで見張る。
「名前や声や顔も知らないけど、会いたいに決まってるじゃんか。私のおじいちゃんに聞いてみようって、何度も思ったけど……。不快感を与えるかもしれないって思ったら、気が引けて怖くなっちゃって、ずっと聞けず仕舞いだったし……」
火がついたように花梨が語り出すは、二十四年間ずっと溜め込んでいたであろう、日記にすら綴らなかった内なる本音と想い。
同時に、やはり今まで遠慮されていたと分かってしまった、花梨の育て親であるクロとぬらりひょんは、左胸にチクリとした痛みを感じ、視線を床へ落としていく。
「会いたい気持ちが爆発して、泣いた日だってある。何回もあるよ。布団に潜ってる時とか、お風呂に入ってる時とか、学校の帰り道でとかさ。一人で居ると、いきなり来る時があるんだよね。お父さんやお母さんに逢いたいっていう気持ちが。ここに来てからもあったよ。二、三回ぐらい。その時も、やっぱり泣いちゃった」
語るに連れて、固くなっていく花梨の握り拳。その握り拳と合わせて、ぬらりひょんとクロの心臓も握り潰されるかのように、鋭い痛みが増していく。
「それでさ、おじいちゃん。なんで急に、そんな事を聞いてきたの? 何か意味があるから、わざわざ私を呼んで聞いてきたんだよね? ねえ、なんでなの?」
「うっ……」
普段の花梨であれば、決して詮索せず、前言撤回をした時点で話は終わっていたはずだが。
あまりにも辛辣で素っ気ない詮索に、ぬらりひょんは絶句して瞬く間に追い込まれていき、その場しのぎの言葉すら発せなくなってしまった。
「……もしかして、お父さんとお母さんに、逢わせてくれるの?」
「は?」
「そうだ。妖怪さんの凄い力で、お父さんとお母さんを生き返らせてくれるんだ! きっとそうだ! そうなんだね、おじいちゃん!?」
縋る勢いで迫って来た花梨の瞳は、無垢な輝きに満ち溢れており、希望の活力が滾っている。
だが、考えうる中でも最悪な誤解をされてしまったぬらりひょんは、何も言い出せない口を一文字に噤み、視線を逃がす事しか出来ないでいた。
が、その動作は現時点での最悪手だと即座に気付き。重圧に負けて冒した過ちを後悔しながら、恐る恐る視線を戻す。
その、戻った視線の先には、まるで喜怒哀楽を奪われたかのように無表情で、絶望を宿した光無き瞳をした花梨が居た。
「……おじいちゃん? なんで今、目を逸らしたの? なんで、そうだって、言ってくれないの?」
「い、いや、その……」
「おじいちゃん、言ったじゃんか。実のお父さんとお母さんに逢ってみたい事はあるかって。逢いたいよ、すごく逢いたい。逢いたくて何度も泣いたんだ。私に逢わせてくれるから、わざわざ聞いてきたんでしょ? そうなんだよね!?」
だらしなく開い口は閉ざす事も出来ず、
「……嘘でしょ? お父さんとお母さんに、逢わせて、くれないの?」
「か、花梨。一旦、落ち着いてくれ。ぬらりひょん様の代わりに、私が───」
万策尽きたぬらりひょんを救うべく、クロが静止を試みて手を伸ばそうとした矢先。花梨が両手で書斎机を乱暴に叩きつけ、クロの静止と差し伸ばしてきた手を丸ごと拒絶した。
「じゃあ、なんで聞いてきたの!? お父さんとお母さんに逢いたくないかって!? そんな事言われたから、お父さんとお母さんに逢えるかもって思っちゃったじゃんか!! ……ずっとずっと昔に諦めてたのに、変な希望持っちゃったじゃんかぁ……」
張り裂けんばかり上げた悲痛な本音が、ぬらりひょんの心を容赦なく切り刻み、痛みすら与えぬまま吹き飛ばしていく。
溜まりに溜まった鬱憤を吐き終えると、悔恨に染まった花梨の瞳が潤み出し、冷めた悲涙が頬を伝っていった。
「……おじいちゃんのバカ。もう、いいよ。おじいちゃんなんて知らない」
「な、なにっ?」
愛娘の口から放たれた絶縁を意味する追撃に、ぬらりひょんの思考が完全に停止し、時が止まったかのように体が硬直した。
クロもかける言葉が見つからず、花梨のすすり泣く声が支配人室内を満たしていく最中。
唖然として硬直していたぬらりひょんの唇が、恐怖に蝕まれたように震え出し、花梨に向けていた手先にまで移っていった、
「か、花梨……? 今、なんて───」
「バカ! バカバカバカっ! おじいちゃんなんて大嫌いっ!!」
「へ……? だい、きら……」
先よりも強く、より研ぎ澄まされた絶縁の刃が、再びぬらりひょんの耳を
たとえ妖怪の総大将とも言えど、心を殺すには十分過ぎる一撃に、全身までもが蒼白し。瞬時に気を失ったのか、見るも無惨に白目を剥いた。
「お母さん!」
烈火の如く感情を剥き出しにした花梨が、心の拠り所を求めるように、ただただ呆然していたクロの体に飛びついていく。
しかしクロも、ぬらりひょんと心境が近いものを感じていたのか。胸元で一人泣いている愛娘の体を、抱き返す事が出来なかった。
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