88話-3、その下戸、止められる者は居らず

 女天狗のクロが、一時的に三姉妹の母親となり。その左隣で、羨ましそうに眺めていたぬらりひょんが、我慢の限界が来てしまい。

 あえて三姉妹に聞こえるよう、「ワシにも、おじいちゃんと言って甘えてきて欲しいなぁ」と呟き。

 その言葉を耳にしたまといが、我先にぬらりひょんの元へ飛び移り、「おじいちゃん」と甘え出した頃。

 母親成分を充電し切った花梨は、ぬえと飲んでいた酒呑童子の酒羅凶しゅらきにターゲットを変え、四つん這いで向かっていた。


「よいしょ、よいしょ」


「でよ〜、その取引先が……、ん? どうした? 秋風」


 すぐ隣でハイハイをしていた花梨を認め、不思議に思った鵺が問い掛けてみるも。花梨は返答せず、胡座をかいた酒羅凶の足を登っていく。

 窪みに近い胡座の中心部分まで来ると、花梨はゴロンと仰向け状態で寝そべり、「ふぃ〜」と満足気に一息ついた。


「お前、わざわざここまで何しに来たんだ?」


「すごいゴツゴツしてりゅ〜。酒羅凶しゃん、モフモフににゃってぇ〜」


「おい鵺。酔ったこいつ、話がまったく通じねえぞ」


 花梨の母親である紅葉もみじも、酒が極端に弱い事を知っていた酒羅凶が、対応に困って遠回しに助けを求める。

 が、助け舟の鵺は出港する雰囲気を見せず。酒羅凶が困惑している様をツマミにして、喉を鳴らしてビールを飲むばかりでいた。


「けどよ? 酔っ払ったそいつ、警戒せずにめちゃくちゃ甘えてくるだろ? お前にとっちゃこんな事、今しか味わえねえと思うぜ」


「まあ、そうだがよ。どうせなら、シラフでも来て欲しいもんだぜ。なんか俺だけ、遠慮されてる気がすんだよ」


「普段のお前は、横暴だかんなあ。たぶん、お前を怖がってんだと思うぜ? 酔ってる時の秋風、本音をバンバン言ってくるから聞いてみたらどうだ?」


「おい、秋風。俺が怖いのか?」


 花梨から本音が聞けると知り、後先を考えず、結果なぞ度外視して質問した酒羅凶が、珍しく固唾を飲む。

 その即座に飛んできた質問に、寝心地がいい場所を探して寝返りを打っていた花梨は、虚ろなオレンジ色の瞳を酒羅凶へやった。


「うん、すごくこわーい」


「グッ……!? ま、マジかよ?」


 ほぼ分かり切っていた返答に、動揺した酒羅凶へ追い討ちを掛けるように、しかめっ面になった花梨が、酒羅凶の顔にビッと指を差す。


「酒羅凶しゃん、酒天しゅてんしゃんを蹴っちゃダメー」


「蹴る? いや、待て秋風。あれは実際には蹴ってねえ。寸止めして、風圧で吹っ飛ばしてるだけだ」


「どっちでもいいきゃら、乱暴しちゃダメー」


「乱暴じゃなくて、一種のパフォーマンスだ。あいつらには言ってねえが、薄々勘付いてやられてる」


 取り巻きや酒天を吹っ飛ばすと、店内が大いに盛り上がり、居酒屋浴び呑みの名物まで昇華したど突きの正体を、うっかり明かしてしまったものの。

 酒が回っている花梨は理解しておらず。頬を大きく膨らませて、据わったジト目で酒羅凶を睨みつけていた。


「でも、ダメなものはダメー。酒天しゃん達に、ちゃんと謝ってー」


「あ、謝る? 分かった、今度謝っておく。だから、俺を怖がらないでくれ」


「今じゃにゃきゃダメー」


「……鵺、助けてくれ」


 紅葉よりも話が通じず、謝る旨を伝えても今だと強要され、為す術が無くなった酒羅凶は、とうとう心が折れて落ち込んでしまい。

 ゴツゴツとした岩場を彷彿とさせる顔を垂らし、自分の膝を叩いてケタケタと笑っている鵺に、本格的に助けを求めた。


「すげえな、酒羅凶をノックダウンさせちまった。お前がここまで打ちのめされた姿を見たら、大嶽丸おおたけまるはどう思うだろうなあ」


「うるせえ……、早くしてくれ。マジで頼む」


「分かった分かった。ほら、秋風。別の場所に行くぞ」


「やー」


 言葉では拒否反応を示しているが、体を動かさずに脱力している花梨は、鵺にお姫様抱っこをされて別の場所に連行されていく。

 手頃な次の獲物は居ないかと、辺りを見渡してみると、かえでみやび、酒天がグループを作って談笑しているのが視界に入り。

 ついでに、酒天の願いも叶えてやろうと考えると、「しゅてーん」と歩み寄っていった。


「んっ? なんスか?」


「ほれ、すっかり出来上がった秋風だ。好き勝手していいぞ」


 まだ状況を把握しておらず、目を丸くさせた酒天の前に、抱っこしていた花梨を座らせる鵺。しかし、新たな人物を目にした花梨は、柔らかなにへら笑いを浮かべ、隙だらけな酒天の頭を撫で始めた。


「酒天しゃん、いい子いい子ー」


「ふおっ!? か、花梨さん!? いきなり、何を……!」


「そうだ秋風、酒天をたっぷりご奉仕してやれ。んじゃ、あばよ」


 獲物に食いついた花梨を尻目にかけ、鵺はそそくさと退散し、すっかり意気消沈している酒羅凶の元へ戻り、慰めつつ酒を注いでいく。

 そんなのはお構い無しにと、突然の事に心の準備が出来ておらず、願ってもないチャンスが訪れた酒天は、まだ狼狽える事しか出来ないでいた。


「か、花梨さん? 目が据わってますけど、かなり飲んだんスか?」


「えー? もっとにゃでてほしいのー? よしよしー」


「ああ、完全に酔っ払ってるっスね……。でも、花梨さんからのなでなで、いいっスねぇ〜。これだけで、当分頑張れそうっスぅ」


 花梨からの奉仕を瞬く間に受け入れてしまった酒天は、当時、花梨に甘えてきて欲しいという欲が再燃したのか。

 顔をほんのりと赤らめ、何かを我慢するかのように体を震わせ、口を一文字に噤んだ後。いきなり両手をバッと広げた。


「か、かかっ、花梨さん! なでなでも最高なんスが、あ、あたしに、甘えてきてくれないっスか!?」


「甘えるぅ〜? 酒天しゃん、甘いのぉー?」


「とっても甘々したいっス! なので、ひゃあっ!?」


 『甘える』を『甘い』と間違えて解釈してしまった花梨が、一旦は酒天に抱きついたが。本当に甘いのか味を確かめるべく、酒天の首筋をカプリと甘噛みし、ゆっくりと吸い始めた。


「うーん、無味ぃー」


「はっ、ほぁっ……。ちょ、きゃ、きゃりんしゃん……。くしゅぐったひ……」


「こっちの方が甘いかにゃー?」


「ほ、ほぁああああーーーっ!?」


 根拠がまるで無い可能性に賭けて、花梨は酒天の右頬に顔を移し、今度は強めに吸い付く。

 しかし、こちらもやはり無味だったようで。鼻血を吹き出し、床に倒れて体をピクピクと痙攣させた酒天に意を介さず。

 手の甲で口元を拭った花梨は、近くで惨劇の一部始終を見ていた楓達に、食欲の火が灯ったジト目を移した。


「楓しゃんは甘いー?」


「わ、ワシ……? ワシは千年以上生きているから、たぶん渋みと苦みが強いと思うぞ。変わりに、まだ百歳にも満たない雅はどうじゃ? 頬を捻って刺激を重ねてきたし、相当甘いと思うんじゃが」


「ちょっとー!? お母さん、何言ってるのー!?」


 魔の吸引から逃れたいが為に、悩む事無く雅を生贄に差し出した楓が、そそくさと花梨の背後に周り、「さあ、花梨や」とトドメを促す。


「雅ぃー。雅はぁ、どんにゃ甘さにゃのー?」


「たぶん、焼き芋や油揚げのような甘さじゃぞ」


「そーにゃんだー、それじゃあー」


「なっ……!?」


 頭に浮かんだ甘い物を適当に羅列し、雅の元へ向かうのかと思いきや。花梨は背後に居る楓の方に振り向き、全力で飛びかかった。

 予想外の行動に、楓の反応がやや遅れるも。間近まで迫ってきた花梨の頬を両手で挟み、腕力と握力のみで受け止めた。


「か、花梨や? ワシの話を、聞いてなかったのか? ワシは甘くないぞ?」


「まーぼーどーふぅー」


「ま、麻婆豆腐?」


 両頬を押され、突き出して尖った口から出てきた花梨の料理名に、「そ、そうか。麻婆豆腐が食べたいんじゃな?」と楓が希望の光を見出し、離れた場所で身を隠し、顔を覗かせていた雅に顔をやった。


「み、雅。先の裏切りは謝るから、麻婆豆腐を注文してくれぬか?」


「居酒屋浴び呑みのメニューに、麻婆豆腐は無いよー」


「なにぃっ!? な、なら、豆腐とキムチじゃ! 今の花梨は酔っとるから、それでなんとか誤魔化せるじゃ───」


「あーんにーんどーふぅー」


 絶望的な雅の返しに、崖っぷちに立たされるも。なけなしの案を振り絞り、花梨からの甘噛みを回避しようした矢先。

 楓の握力に抗い、徐々に距離を詰めてくる花梨から新たな注文が入り、切羽詰まった楓が「なんじゃと!?」と声を荒げた。


「雅! 杏仁豆腐じゃ! それならメニューにあるじゃろ!?」


「あったかなー? ちょっと確認してみるねー」


「早くしとくれ! 花梨の力が思ったより強くて、長くは持ちそうにないんじゃ!」


 切なる願いを叫ぶも、雅は四つん這いでもそもそとテーブルに近づいていき、メニュー表に手を伸ばすも、届く前に体をフルっと震わせた。


「ごめん、お母さーん。かわやに行きたくなってきちゃったー」


「へっ、かわや……?」


「うん。だから、もう少しだけ待っててー」


「雅? 待て、待っとくれ! 厠に行く途中に注文をすればいいじゃろ!? 雅、後生じゃ! 頼むから注文しといてくれぇっ!」


 至極真っ当な仕返しをされた楓は、引き止める事もままならず、ゆっくりと遠ざかっていく雅の背中を見送るだけしか出来なかった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 人間である花梨の、食欲と好奇心が原動力の怪力に押され、楓の握力に限界が来た頃。とうとう神通力を駆使した楓が、花梨の体をふわりと浮かせて場を引っくり返し。

 それを見ていたゴーニャと纏も羨ましがり、楓に催促して体を浮かせてもらい、三姉妹が縦横無尽に飛んでいる最中。

 意識を取り戻した酒天と鵺が交代し、三姉妹の高速飛行を酒のツマミにして飲んでいる、ぬらりひょんとクロの元へ行った鵺が、二人の背後に座った。


「よう、二人共。ここまで予定通りだけど、どうする? 支配人室に連れて行くのか?」


「無論だ。この機を逃したら、もう次は当分無いだろう」


「ですね。鵺、やってくれるか?」


 妖狐の楓や雅の聴力でも聞き取れぬよう、小声で密談を始めると、次なる作戦を決行するべく、クロが鵺に合図を送る。


「もちろんだ。ゴーニャと纏だけ、先に自室へ連れて行きゃあいいんだったよな?」


「そうだ。ワシとクロで、酔った花梨の心境を聞く。結果次第では、花梨にすぐ全てを明そう」


「いいねえ。酔った秋風は、本音をバンバン言ってくるぜ。けど、いつもより感情を剥き出しにしてくるから、そこだけは気を付けてくれな」


「分かっとる」


 短い密談を終えると、三人は持っていたコップに酒を注ぎ足し、決意を込めた静かな乾杯をする。

 そして、芽生えてきた緊張感を丸ごと飲み込むように、三人は酒を一気に飲み干していった。

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