87話-3、思い出深い酒

 温泉街に提灯の淡い光が灯り、夜闇に包まれようとも活気に満ち溢れている、夜の七時五十分頃。


 定食屋付喪つくもで夕食を済ませた花梨一行は、茨木童子の酒天しゅてんと合流するべく、永秋えいしゅうにある露天風呂の一つ、『秋夜の湯』に向かっていた。

 各々着替えとバスタオルを携え、数多の妖怪が行き来する廊下を歩きつつ、牛鬼牧場うしおにぼくじょうで食べた物について会話を弾ませていく。

 そのまま『健康の湯』、『美の湯』、『泡の湯』を通り過ぎ、突き当たりを左に曲がった矢先。

 クロは、目的の『秋夜の湯』に続く入口の前で、邪魔にならぬよう立っている酒天を見つけ。ほぼ同時、酒天も花梨達の姿を認め、大きく手を振ってきた。


「みなさーん、お疲れ様っスー!」


 周りの喧騒を跳ね飛ばす酒天の挨拶に、花梨も負けじ手を振り返し、「酒天さーん、お疲れ様でーす!」と喧騒ごと跳ね返しかねない挨拶を交わす。

 そのまま『秋夜の湯』の入口まで行くと、酒天は仕事疲れを見せない元気な笑みを、ニッと浮かべた。


「やあ、酒天。待たせてすまなかったな」


「いえいえ。あたしも色々と準備をしてたので、つい今さっき来たばかりっス」


 その言葉が嘘ではないと証明するかのように、酒天は体ごと後ろに振り向き、背中に背負っていたリュックサックを見せつける。


「これまたパンパンになってますね」


「ギッチギチだわっ」


「ファスナーが悲鳴上げてる」


「花梨さんのリクエストに、なるべく応えられるよう様々な温度の酒を持ってきたっス。もちろん念を入れて、クロさんのボトルキープも持ってきたっスよ」


「おっ、それは嬉しいな。なら今日は、ちょっと羽目を外しちまうか」


 クロ分のボトルキープと聞き、好奇心が湧いてきた花梨が、「へぇ〜」と食い気味に反応した。


「クロさん、『居酒屋浴び呑み』でボトルキープをしてるんですね」


「まあな。ぬらりひょん様が、私を想って勧めてきた酒なんだが、これがまた美味くてよ。つい止まらなくなっちまうんだ」


「そうなんですね。ちょっと気になるなぁ」


 まだ限度を見極めていない下戸の花梨が、クロお気に入りの酒に興味を持ち始めるも、体を前に戻してリュックサックを背負い直した酒天が、やや難しい顔をする。


超特濃本醸造酒ちょうとくのうほんじょうしゅと度数は変わらないんスけど、とても飲みやすい酒なんでグイグイいけちゃうんスよね」


「げっ。じゃあ、今飲むのはまずいか」


 酒天の説明に、一度飲むと歯止めが効かなくなると察したのか。酒天と風呂に入るのが目的であり、酔っ払う為ではないと即座に聞き分け、大人しく諦める花梨。

 しかし、一連の会話で妙案を思い付いたクロは、保険を掛けるチャンスだと確信し、皆と脱衣場に向かいながら話を続ける。


「なら花梨。明日、ぬらりひょん様と居酒屋浴び呑みに行く予定なんだが、お前も一緒に来るか?」


「えっ? いいんですか?」


「ああ、むしろお前なら大歓迎さ。ゴーニャとまといも、どうだ? 私が奢ってやるぞ?」


「いいのっ? じゃあ行くわっ!」


「行く」


「みんな、もう行く気満々だね。それじゃあ、私もお邪魔させてもらいますね!」


「分かった。ぬらりひょん様と一緒になって、楽しみにしてるよ」


 妹達を蔑ろにする訳にもいかないので、とりあえず全員を誘ったクロは、後は、ぬらりひょん様にも事情を説明して、居酒屋浴び呑みに誘っておかないと。と、今後の流れを頭に組み込んでいく。

 薄っすらと湿気を感じる脱衣場に着き、着ていたハイカラな白い和服を脱ぎ始めた酒天が、「クロさん、クロさん」と割って入る。


「んっ、なんだ?」


「実は明日、かえでさんとみやびさんも十時ぐらいに来る予定なんスよ。それでなんですが、皆さんと合流して大部屋で飲み会を開くなんて、どうっスかね?」


 ただ楽しい席を作りたいだけで、よかれと思い提案してきた酒天に、クロは、これは、千載一遇のチャンスじゃないか? と心がざわめき、思わず口角を上げる。

 更に、あいつらが居れば、花梨の羽目も外れるだろうし、ここで断る理由は無いな。と心に決め、上げた口角を隠すようにほくそ笑んだ。


「いいな、それ。なら私から、あいつらに言っておくよ」


「本当っスか? ありがとうございます! では、美味しい酒やつまみを、たんまり用意しておきますね」


「用意だけじゃなくて、たまにはお前も参加したらどうだ?」


「えっ? あたしもっスか?」


 よもやの誘いに、酒天が獣染みた金色の瞳を丸くさせると、クロは当然のようにコクンとうなずいた。


「どうせだ。酒羅凶しゅらきも誘って、皆でどんちゃん騒ぎをしようぜ」


「わあっ、親分もっスか? いいっスねぇ! 分かりました! 親分には、あたしが言っておくっス!」


「ああ、頼んだ。明日は、久々に酒の席が楽しくなりそうだな」


「そうっスね。今から待ち遠しいっス!」


 本当に心待ちにしているようで。酒天が弾けた笑顔になると、隣で耳を傾けていた花梨達に顔をやり、今の話した内容を振り出した。

 そして、皆で盛り上がり始めると、やり取りを静かに見ているクロは、ごめんな、花梨。と心の中で謝罪し、罪悪感を覚えながら体にタオルを巻いた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 止まぬ会話を交わしつつ、一列に並んで頭や体を洗い終えたクロ達は、『秋夜の湯』に浸かり、ライトアップされた紅葉の山々を眺めていた。

 更に夜空では、十三夜月を筆頭に、夜闇を埋め尽くす天然のプラネタリウムが開演しており、目のやり場に困っていた花梨が、長めのため息をついた。


永秋えいしゅうにあるお風呂は、『地獄の湯』以外全部入ってきたけど。やっぱり『秋夜の湯』が一番いいなぁ〜」


「あたしもっスぅ〜。とにかく景色が最高なんスよねぇ〜」


 仕事をしていて体に溜まっていた疲れが、湯に溶け込んでいく感覚を味わっていた酒天は、「さってと!」と気持ちを切り替え、へりに並べていた酒を手に取った。


「風呂といったら、やっぱり熱燗っスよねぇ。はい、クロさんもどうぞっス」


「おっ、ありがとう」


 左隣で黄昏ていたクロに、『極白きょくはく』のラベルが貼られた一升瓶と酒グラスを渡し。右隣でとろけ切った表情で、夜空を仰いでいた花梨の前に、とっくりとおちょこを置いていく酒天。


「花梨さんも、どうぞっス」


「すみません、ありがとうございます」


「中身はもちろん、超特濃本醸造酒っス。熱いので、気を付けて下さいね」


 花梨の笑みを認めた酒天が、ニッと微笑み返すと、自分用のおちょこを手に取り、酒を注いでいく。

 一足先に、酒天が酒を嗜んで「くぅ〜っ!」と唸りを上げている中。花梨は酒をおちょこに注ぎながら、気になっていたクロの酒に注目した。


「クロさん。そのお酒が、ボトルキープしてたお酒ですか?」


「んっ? ああ、そうだ。私にとって、最高の酒さ」


 どこかしみじみとしていて、嬉しそうに一升瓶を眺めていたクロが、持っていた酒グラスをゆらゆらと揺らす。


「確か、ぬらりひょん様が勧めてくれたお酒なんですよね?」


「ああ。ぬらりひょん様と二人で飲んでる時、『お前さんの名はクロだが、心はきっと、こんな色をしているはずだ』って言ってきて勧められたんだ。当時の私はまだ幼かったし、とある揉め事の方が付いたばかりだったから、心が震えるほど嬉しくなったよ」


 ぬらりひょんから『極白』を勧められた経緯を濁して語ったクロが、酒を少しだけ口にし、りんとしていた顔をほころばせる。

 色々と気になるワードが出てきたものの。花梨は特に質問を続けず、おちょこに注いだ酒をクイッと飲んだ。


「それじゃあクロさんにとって、そのお酒は思い出深いお酒なんですね」


「まあな。それでだ花梨。お前は、どれぐらい飲む気でいるんだ?」


「私ですか? そうですね〜……。とりあえず、皆さんと一緒にお風呂を楽しみたいので、おちょこ三杯分ぐらいに抑えておきます」


「そうか。なら、味わって飲まないとだな」


「はい。大事にチビチビ飲みます」


 己の許容量を見極めたい花梨に、柔らかくほくそ笑んだクロは、それぐらいの量じゃ、流石の花梨も酔わないだろうな。と今日は諦め、『秋夜の湯』に身を委ねていく。

 そのまま夜空に視線を移し、気持ち良さそうなため息をつくと、明日の飲み会、楽しみだな。と心を弾ませ、思い出深い酒を口にした。

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