87話-4、酒の力を借りて明かす、当時の心境

 天然のプラネタリウムが佳境に入り、温泉街が月夜に照らされながら眠りに就いた、夜の十一時前。

 花梨達と『秋夜の湯』に浸かり、何事も無く別れたクロは、今日起きた出来事や明日の流れを伝えるべく、ぬらりひょんの自室に訪れていた。

 各々コップに異なる酒を注ぎ、静かに乾杯した後。クロはまず、今日あった出来事を大まかに説明し、サラミに爪楊枝を刺して口に運んだ。


「それでなんですが、ぬらりひょん様。明日の夜は空いてますか?」


「特に、これといった用事はないぞ。なんでだ?」


「よかった。えっと、ですね」


 ぬらりひょんの予定が空いている事を知ると、クロは苦笑いしながら指で頬を掻き、安堵した上目遣いをぬらりひょんへ送る。


「ちょっとしたチャンスを作る為に、花梨に嘘をついてしまいまして」


「嘘?」


「ええ。明日、私とぬらりひょん様が『居酒屋浴び呑み』に行くから、お前も一緒に来て飲まないかと、誘ってしまったんです」


「なに? お前さん、ワシの予定を確認せず、そんな約束を花梨と交したのか?」


「まあ、はい……」


 事を急いだクロの行動に、ぬらりひょんが若干の危機感を抱き始め、クロの苦笑いに深みが増していく中。

 やや呆れ気味になったぬらりひょんは、両手を袖に入れて腕を組み、鼻からため息を漏らした。


「で? 花梨からは、どんな返答がきたんだ?」


「それじゃあ、お邪魔させてもらいますねと、返答を貰いました。ゴーニャとまといも誘ってるので、とりあえず皆来ます」


「ふむ、そうか」


 既に約束を交わしてしまったからには、自分も参加せざるを得なくなったぬらりひょんは、だんだん花梨達と飲みたい気持ちが湧いてきて、嬉々とし出した視線を右上へ持っていく。


「それで、酒天しゅてんからの提案なんですが。明日はかえでみやびも夜の十時頃に来るらしく、合流して共に飲む流れになってます」


「ほう、あいつらも来るのか」


「はい。それとついでに、酒天と酒羅凶しゅらきも誘ったので、賑やかな飲み会になるでしょう」


「その二人も誘ったのか。あいつらは羽目を外すと、他者に酒を勧める節があるから、もしかしたら花梨も飲んでくれるかもしれないな」


「それもですが。もう一つだけ、確実に近い線があります」


 よほど自信があるのか。クロは人差し指を得意気に立て、りんとほくそ笑む。


「確実に近い線?」


「はい。私がこよなく愛する『極白きょくはく』に興味を示してるので、花梨が飲んで酔っ払う可能性は大いにあります」


 かつて、クロが父と母から受けていた呪縛から完全に解き放つべく、クロを想って勧めた酒の名が出てきたせいで、思わず目を丸くするぬらりひょん。


「極白って、ワシがお前さんに勧めた酒じゃないか。その酒を花梨に勧めたのか?」


「いえ。気を利かせてくれた酒天が、ボトルキープしてた分を露天風呂まで持ってきてくれたんです。それで、少しだけ極白の話題になり、花梨が興味を持ってくれました」


「なるほど。しかしお前さん、ワシが勧めたその日から、極白ばかり飲んでいるじゃないか。余程気に入っているようだな」


「もちろんです。今だから言っちゃいますけど、ぬらりひょん様に『お前さんの名はクロだが、心はきっと、こんな色をしているはずだ』と言われて勧められた時は、本当に嬉しくなったんです。実はあの後、一人で隠れて泣きながら飲んでました」


 無邪気な笑顔で語るクロに、触発されたぬらりひょんもほがらかに笑い、慈愛に満ちた眼差しをクロに向けた。


「お前さんが、そこまで暴露するなんて珍しいじゃないか。そうかそうか。当時のお前さんは、そんなに喜んでくれていたんだな」


 二十年以上の時を経て、ようやく聞けた酒の感想に、ぬらりひょんの花梨に対する焦りが若干和らぎ、味が戻ってきた酒を飲み込んだ。


「あの時の私は、色々やんちゃでしたからね。人に優しくされた事もあまりなかったので、とにかく心に響きました。ああ、こんな私を、深く想ってくれてる人が居るんだなぁって」


 一度明かしてしまったからには、語りたい気持ちが止めどなく溢れてきてしまい。クロは酒の力も借りつつ、しみじみとした表情で、語り口を動かしていく。


「だから私は、心を救ってくれたこの酒が、ぬらりひょん様が大好きです。この気持ちは、何があろうとも一生変わりません」


「……お前さん、ちょっと飲み過ぎじゃないか? なんだか、ワシが恥ずかしくなってきたぞ」


「まさか。飲み始めたばかりなので、まだシラフですよ」


「嘘つけ、『秋夜の湯』でも飲んでいたくせに。顔がほんのりと赤いぞ」


 薄笑いしたぬらりひょんの指摘に、クロは空いている手で、自分の頬を触ってみる。

 すると、ぬらりひょんに言われた通り。触った箇所がいつもより熱く、風呂上がりの物ではない熱さだと察したクロが、緩く苦笑した。


「みたいですね」


「ふっふっふっ。お前さんの、そういう所が憎めんのだ。お前さんと飲む酒は、不思議とどれも美味くなる。ワシにとって、最高の酒友だよ」


「ふふっ。ぬらりひょん様も、飲み過ぎてるんじゃないですか?」


「はっはっはっ、かもしれないな」


「おーい、ぬらさーん。入っていいかー?」


 二人して酒が程よく回っており、家族団欒で飲んでいるような雰囲気になり、会話に一区切りついた矢先。

 扉の向こう側から、ノック音と共にぬえの声が聞こえてきたが、ぬらりひょんは掛け時計に目をやり、ほくそ笑んだ顔をクロへやった。


「鵺め、十一時ちょうどに来おったわ」


「あいつも、花梨同様に律儀ですね」


「だな。鍵は開いている、入ってきていいぞ」


 扉越しに入室の許可を与えると、扉がひとりでに開き、両手にトートバックを携えた鵺が部屋に入って来た。

 そのまま扉を足で閉めると、鵺は嬉しそうに口角をニッと上げ、両手に持っていたトークバックを掲げた。


「よう。ぬらさん、クロ。約束通り、美味い酒とつまみをたんまり持ってきたぜ」


「すごい量だな。バックがパンパンじゃないか……、んっ?」


 歩み寄って来た鵺が、右手に持っていたトークバックには、先が飛び出している一升瓶が八本ほど入っており。その中には、クロにとって見慣れた一升瓶が、チラホラと入っていた。


「もしかして、極白を持ってきてくれたのか?」


「おっ! よく分かったな。昔のお前、酒を飲む時は必ず飲んでた銘柄だろ? ぜってえ好きだと思って、二本持ってきてやったぜ」


「よく見てたな。お前の言う通り、私の大好きな酒だよ」


「やっぱりな、持ってきた甲斐があったぜ。それと、ぬらさんにはこれ!」


 クロから理想的な反応を貰えると、酒を飲む前からテンションが上がってきた鵺が、『総大将』とラベルが貼られていて、深緑色をした一升瓶をテーブルに置いた。


「総大将? 聞いた事がない銘柄だな」


「当たり前だろ? 莱鈴らいりんに掛け合って、闇市で見つけてきてもらったんだ。正規のルートじゃ絶対に手に入らない、幻の酒らしいぜ?」


「……ほう? 幻の酒、ねえ」


 幻の酒と聞き、右眉を跳ね上げたぬらりひょんが、総大将の一升瓶を両手で持ち、舐めるように全体を見渡していく。


「後を引く辛さながらも、口当たりはまろやかで喉に引っ掛からず、爽快感のあるスパッとした後味らしいぜ」


「ほうほう。ならばつまみは、油もんか塩辛いもんが合いそうだなぁ」


「おっと、大事に飲んでくれよ? それ、製造にめちゃくちゃ時間が掛かるらしくて、二、三年に一本しか作れねえらしいんだ」


「ほほうっ、そんなに貴重な酒なのかぁ。これは、ちびちびと大事に飲まないとなぁ〜」


 鵺の説明に、すっかり上機嫌になったぬらりひょんは、蓋を丁寧に開け、手を仰いで酒の匂いを確かめてみる。

 そんな、にんまりとしているぬらりひょんをよそに、『極白』を開けようとしていたクロが何かを思い付き、手をポンと叩いた。


「そうだ。ぬらりひょん様、鵺も飲み会に誘わないですか?」


「飲み会?」


 まだ何も知らぬ鵺が、自前のビーフジャーキーを齧りながら反応する。


「おお、そりゃあいい。花梨も喜ぶだろう」


「なんだ? 飲み会に秋風も参加するのか?」


「ああ、色々とあってな。明日の夜十時頃、『居酒屋浴び呑み』で飲み会をする事になったんだ」


「へえ。飲み会っつーからには、結構な人数が来るのか?」


 ビーフジャーキーを食べ終わり、さきいかを手にした鵺が質問を付け足し、焼酎をコクリと飲む。


「参加するのは、私とぬらりひょん様だろ? 花梨、ゴーニャ、纏、楓、雅、酒天、酒羅凶だから、今のところ総勢で九人だな」


「居酒屋浴び呑みで飲むってのに、酒天や酒羅凶も参加するのか。いいねえ、面白い組み合わせじゃねえか。よし! 私も是非入れてくれ」


「分かった。後で、酒天に言っておくよ」


 ついでに鵺も飲み会に誘うと、そこから三人は近況報告も兼ねて、明日に備えて景気付けの飲み会を始めた。

 鵺は、昨日の予告通り、花梨に語り部云々について告げた事を報告し。ぬらりひょんとクロは、飲み会で花梨が酔っ払う前提で話を進め、飲み会後の流れについて鵺に密談し、了承を得る。

 そして軽い近況報告が終わると、三人は本格的に飲み始め、夜中の一時過ぎ頃まで飲み明かしていった。

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