86話-8、悪ガキへの制裁

 花梨に全てを明かす事は、家族の残酷な死まで伝えなければならないという旨を、ぬえに突きつけ。

 改めて現実を思い知らされた鵺が、耐えかねて涙を流し、クロに抱かれて嗚咽をし続けてから、数分後。

 静かに酒を嗜むぬらりひょんをよそに、すっかりと意気消沈した鵺と、鵺の涙を受け取っていたクロは、棚に寄りかかり天井を仰いでいた。

 そこから誰も言葉を発さず、更に数分後。口を閉じる事すら忘れていた鵺が、胸ポケットからタバコを取り出し、気持ちを落ち着かせるように咥えた。


「……重いな、全てを背負うって」


 泣き疲れ、真紅の瞳をもっと赤くした鵺が、消えそうな声量で呟いた。


「なあ、クロ? もし、この世に神が居るんであれば、性根が腐ってる奴なんだろうな」


「たぶんな」


「たぶんじゃねえよ、ぜってえ腐り切ってやがる。秋風達が、一体何をしたってんだよ? あんまりだろ、こんなの……」


 未だに鷹瑛たかあき紅葉もみじの死を受け入れられず、活力を失った鵺の瞳が、再び潤い出していく。


「……すまねえ、クロ。私には無理だ。言えねえ、言える訳がねえ。たとえ口が裂けても、秋風にはぜってえ言えねえよ……」


「謝る相手は、私じゃないだろ?」


 心に重くのしかかるクロの返しに、鵺は瞳を見開き、謝るべき相手を見誤った事を後悔し、唇を噛み締めてタバコを床に落とした。

 そして、こうべを垂らしながら立ち上がり、テーブルを挟んでぬらりひょんの前まで来ると、その場で正座をし、ひたいを畳に付けた。


「……ぬらさん、本当にすみませんでした」


「いい、謝るな。お前さんは、ワシらに有益な情報を提供してくれた。なので、それで許してやる」


「慈悲や情けは掛けないで下さい。逆に心が痛みます……」


「そうか。なら鵺よ、一旦頭を上げろ」


 ぶっきらぼうなぬらりひょんの指示に従い、床に付けていた頭を上げ、生気の無い萎れた顔を見せた。

 その間にぬらりひょんは、鵺の前まで来ており、見下すように右眉を跳ね上げていた。


「そのまま、頭だけ下げろ」


「は、はい。分かりま、いだぁッ!?」


 ぬらりひょんの意図が掴めぬ命令に、鵺は困惑しながらも頭を下げた瞬間。

 後頭部に鈍くも重い衝撃が走り、勢い余って顔を床にぶつけた鵺が、鈍痛が響く後頭部に、慌てて手を添えて頭を上げる。

 衝撃のせいで焦点が定まらい視界の先。握り拳を振り下ろした素振りをしているぬらりひょんが、鵺の後頭部をぶん殴ったであろう手を開き、ヒラヒラと左右に振った。


「なっ、なな……!?」


「悪ガキの制裁は、こんなもんでいいか?」


「わ、悪がっ……!? ……はい、そうですね。本当にすみませんでした」


かしこまるのもやめろ、そっちの方が癪に障る。普段の貴様に戻れ」


 先ほどの無礼極まる説得よりも、いつもと違う態度で接してくる鵺に、怒りの矛先を向けているぬらりひょん。

 そんな、心がズタボロに折れた今の鵺にとって、酷な命令を与えられると、あからさまに落ち込んでいる鵺は、活力の無い真紅の眼差しを床へ落としていった。


「……せめて、少しぐらいは落ち込ませてくれよ。ぬらさん」


「いいや、駄目だ。ったく。意気揚々と説得しに来たかと思えば、勝手に心を折りおって。普段から気丈に振る舞っている割には、心が繊細過ぎるんだ、お前さんは」


 反論を許さぬ文句を放つと、ぬらりひょんは両手を袖に入れ、鼻をふんっと鳴らす。


「いいか? また前みたいに塞ぎ込んで、部屋に引きこもるなよ?」


「うっ……」


 過去に鵺は、数十年振りに秋国へ戻って来た後。久しぶりに再会したぬらりひょんから、鷹瑛達の死を告げられて酷く落ち込み、一週間以上部屋にこもっていた時期があり。

 それを再びさせまいと、先に釘を刺されてしまった鵺が、しおらしく苦笑いをした。


「それはしねえよ。私はもう、秋風が考えた店の看板を背負った副店長だ。明日も、いつも通り気丈に振舞って部屋から出てやるさ。けど……」


 一旦は空元気を絞り出したものの、何か気掛かりな事でもあるのか。湿ったため息を吐いた鵺の肩が、ストンと落ちる。


「その秋風に、合わせる顔がねえ。あいつに、どう言い訳すっかなあ……」


「それについては安心しろ」


「え?」


 花梨にとって、頼れる者は鵺しか居ない中。その孤独な期待に応えるべく、『任せておけ』と豪語したのにも関わらず、見るも無惨な結果だけが残り。

 もう顔向け出来ないと嘆いていた鵺に、ぬらりひょんは即座に言葉を掛け、呆気に取られた鵺が顔を上げた。


「それって、どういう……?」


「お前さんの言っている事が正しければ、こちらとて、もうあまり猶予がない。なので、花梨にはこう言っておけ」


 どこか諦めた様子でいるぬらりひょんが、一呼吸置く。


「語り部が、そろそろ喉を温めておくとな」


 鵺や温泉街に居る者達にとって、待ちわびていた言葉を告げるも。鵺は目をパチクリとさせており、硬直したままでいた。


「……もしかして、それって?」


「言った通りだ。最低でも冬を越す前には、花梨に全てを明かす」


 『時が来たら』や『善処する』よりも、明確な答えがぬらりひょんの口から出た途端。

 鵺の瞳に、光明が差したかのように光が宿っていくも、何かを察したのか。表情がまた曇り出し、元の光を取り戻した瞳に、今度は不安の色が浮かび上がっていった。


「ぬらさんは、本当に大丈夫なのか? 無理をしてるなら、まだやめといた方がいいと思うぜ?」


「ワシの心配をするなぞ、百年早いわ。それよりも、そろそろ寝たらどうだ? お前さんだって、明日は早いだろう?」


「ん……」


 話をぶった切るぬらりひょんの催促に、鵺は言葉を詰まらせ、掛け時計に目をやってみる。

 現在の時刻は、夜中の一時を指していて、時間を確認した鵺は、色々と不燃焼気味に頬をポリポリと掻いた。


「もうこんな時間か。相変わらずはええな、時が経つのって。……なあ、ぬらさん。明日、またこの部屋に来てもいいか?」


「別に構わんが、今度は何を言いに来るんだ?」


「説得をしにじゃねえよ。私は、秋風とぬらさん、二人の置かれてる立場を知っちまった。私はもう、とやかく言える権利はねえし、元から無かったんだと思い知らされちまった」


 鵺が最後に言い始めたのは、ただ花梨の事だけを想い、ぬらりひょんの置かれてる立場を蔑ろにし、改めて思い知らされた遅すぎる懺悔。


「私ってさ、思い立ったらすぐ行動に移しちまうだろ? 温泉街が始まる前も、そして、今日も心が折れちまうような後悔をしちまった。ほんと、私って馬鹿だよな」


「そうだな、類まれなる大馬鹿者だ」


「ふっ。そう言ってくれる方が、何かと気が楽になるぜ」


 先ほどまで心が折れていて、萎れていた鵺の表情が打って変わり、柔らかく苦笑いが出来るようにまでなると、鵺は落ち着いたため息を鼻から吐いた。


「でよ、ぬらさん。明日は、あんたと普通に酒を交わしたい」


「酒?」


「そ。私は、ここを去った後の秋風をあまり知らねえんだ。だからよ、色々と教えてくれねえか? もちろん先の事は、ちゃんと秋風に言っておくからよ」


 穏やかな口調で酒を飲む約束を交わそうとしている鵺が、隣で静かに話を聞いていたクロに、横顔を移す。


「クロ、お前も一緒に飲もうぜ。今日は散々迷惑を掛けちまったから、美味い酒とつまみを沢山用意しとくぞ?」


「お前が用意する酒か、確かに美味そうだな。まだ飲み足りないし、私は構わないぞ」


 既にその気になってしまったクロが、鵺の用意する酒やつまみを想像しつつ、ぬらりひょんに顔をやった。


「ぬらりひょん様も、いいですよね?」


「お前さんら、切り替えが早いにも程があるぞ? まあどうせ、断った所で来るんだろ? 夜の十一時頃にはここに居るから、勝手にせい」


「夜の十一時だな、分かった。必ず待ってろよ? ぬらさん達が唸るような、最高の酒とつまみを用意しとくぜ」


 酒を飲む約束を交わせて、すっかり元気を取り戻した鵺が、拳と手の平を合わせてパシッと音を鳴らす。

 そのままほくそ笑むと、ここに居る用事が無くなった鵺は立ち上がり、扉がある方へ歩き出し、ドアノブに手を掛けた。


「っと、そうだ」


 扉を開けようとした矢先。ふと思い出しかのように呟いた鵺が、二人が居る方へ顔をやる。


「ぬらさん、クロ。今日は色々とすまなかったな。秋風を、私の愛する後輩を、頼んだぜ」


 もう自分では、花梨の力になれないと痛感させられた鵺は、育ての親である二人に全てを託し、廊下に出てから扉を閉める。

 孤独を強く感じる静寂の中。鵺は漆黒色に染まった天井を見上げ、ぬらりひょんに殴られた後頭部に手を添えた。


「生まれて初めて、あんな風に叱られちまったなぁ。ぬらさんにぶん殴られたとこ、まだ痛えや」


 後頭部にタンコブが出来ている事を認めるも、鵺は嬉しそうに微笑み、ぬらりひょんの自室を後にする。

 中央階段まで来ると、胸ポケットからタバコを取り出し、咥えながら階段を下りていった。

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