86話-5、常に先を行く者達

 状況がまったく飲み込めず、ぬえの目が飛び出さんばかりに見開いている中。鵺の顔を見上げていた花梨が、人間の名残を見せる笑みを浮かべた。


「この首輪を付けると、なんと猫又になっちゃうんです。どうですか、鵺さん? 今の私、全身モッフモフでしょ〜?」


 サラサラでふわふわとしたオレンジ色の毛並みを自慢してきた花梨が、呆然としている鵺の太ももまで移動し、前足を揃えてちょこんと座り直す。


「……すっげぇ。今までは、なんとか人間っぽい姿をしてたのに、とうとう本格的な獣になっちまったか」


「あの、鵺さん? 言い方がちょっと……」


 猫又を獣と言い放った鵺が、花梨の両脇に手を添え、ひょいっと持ち上げた。


「ヒゲが生えてるし、目もちゃんとした猫目になってらぁ。髪の毛がねえと、マジでお前だって分からねえな」


「歯も全部牙になってますし、舌もザラザラしてるんですよ。前足に力を込めれば、ちゃんと爪も出せます」


 猫又の体を把握し切っている花梨が、実演するべく、右前足から透明で尖った爪を、ニュッと出してみせた。


「もう完全に猫じゃねえか。そうだ、秋風。前足にある肉球を、私の鼻に当ててくれ」


「肉球を? こうですか?」


 ややそわそわとし出した鵺の指示に、花梨はきょとんとしながらも、前足にある鮮やかピンク色をした肉球を、鵺の鼻に押し当てる。


「ああ〜、そうそう。すっげえ良い感触……、ん?」


 プニプニとした柔らかな感触を堪能しつつ、恍惚が極まった表情で息を大きく吸うも、何か気に食わない事があったのか。急にしかめっ面へ変わる鵺。


「おい、秋風。香ばしい匂いが全然しねえぞ。やる気あんのか?」


「そうなんですよ。クロさんにも、同じ理由で叱られました。猫又歴が浅いからですかね?」


「ちゃんと毛繕いしねえからだよ。罰だ、お前の腹を吸うからパジャマ脱げ」


「クロさんにも吸われた事がありますけど、ボディソープの匂いしかしなかったそうです」


「クロの野郎……、思考が私と似てやがんな」


 やりたい事を全てクロに先を越され、何かと出遅れてしまった鵺が、諦めずに「なら」と続ける。


「猫じゃらしは?」


「それは、まとい姉さんにやられてます。気が付いたら、無我夢中になって猫じゃらしを追ってました」


「精神面まで猫じゃねえか。あと〜……、ブラッシングは?」


「それは、ぬらりひょん様に」


「マジかよ。つか、ブラシはどうしたんだ? まさか、わざわざ買ってきたんじゃねえよな?」


かえでさんに頼んだらしく、高級なブラシを変化術で作ってもらったらしいです」


「ああ、なるほど……?」


 やってみたい事を捻り出していくも、ことごとく皆に先を越された鵺が、露骨に落胆し出していく。

 鼻からため息を漏らすと、持ち上げていた花梨の体を半回転させ、仰向けの状態で太ももの上に置いた。


「頬ずりは?」


「ゴーニャとクロさんに、超高速の頬ずりをされてます」


「やっぱりやられてるよなぁ〜。ええ〜、皆ずりぃ〜。私を差し置いて謳歌しやがって〜」


 とうとう万策尽き、ソファーの背もたれに後頭部を乗せた鵺だったが。何かを思い付き、勢いよく飛び上がる。


「秋風、ふみふみは?」


「ふみふみ?」


「あれだよ、あれ。前足で交互に押すやつ」


「ああ〜。それはまだ、誰にもやってませんね」


「よっしゃ! ならばだ」


 ようやく強い光明が差すと、鵺は花梨を再び持ち上げ。代わりに自分がソファーに寝そべり、花梨を腹の上に座らせた。


「頼む、秋風。私の腹を、思う存分ふみふみしてくれ」


「うわぁ〜。人のお腹の上に座るのって、新鮮な感覚だなぁ」


「まあ、普通の人間だったら、まず出来ねえわな」


「ですね。それじゃあ、ふみふみしますよ。よいしょっ」


 そう言った花梨が、四つん這いで立ち上がり、力加減を確かめつつ、無防備な鵺の腹を両前足で押し始めた。

 が、いくら強く押し込もうとも、猫の力では案外沈まず。力を込めれば込める程、鵺の表情がだらしなく緩んでいった。


「やっばぁ〜……。なんだこれぇ、たまんねぇ〜。前足がほんのりと温けぇし、温泉でも取れなかった疲れがぶっ飛んでくぅ……」


「鵺さん、力加減はどうですか?」


「へっ、へへっ……、しゃいこぅ……」


 瞬く間に虜になった鵺が、にへら笑いまでし出し、体をビクンと波立たせる。


「あきかぜぇ〜。お前をここで飼っちゃ駄目かぁ〜?」


「鵺さん? 私をペットにする気ですか?」


「うん、そう。毎日美味しいおやつをやるし、猫タワーも完備すんぞ?」


「おやつは、ちょっと気になりますけど。この猫又になれる首輪、夜の十二時になったら勝手に外れちゃうんですよね。なので狭い所とかに居ると、大変な事になっちゃうんですよ」


 首輪に効果について補足を入れている最中。前足で踏むのが疲れてきた花梨が、人間のように二足で立ち上がり、後ろ足で鵺の腹を踏み始めた。


「ああ、そりゃあやべえな。つかお前、普通に立てるんだな。面白え絵面になってんぞ」


「一応、猫又という妖怪ですので。ただ、この姿だと二足歩行がちょっとしづらいんです」


「やっぱ、四足歩行の方が速く走れんのか?」


「はい、すごく速く走れます。それに身軽なので、部屋の中を飛び跳ねて、天井を何回もタッチしました」


「お前もお前で、その姿をめちゃくちゃ楽しんでんだな」


 どんな姿になろうとも、楽しめるモチベーションを持ち合わせている花梨に、鵺はほくそ笑みながら敬意を表す。

 少しすると、満足したのか。鵺は花梨の体を持ち上げ、うつ伏せの状態にして腹の上に置き直し、背中を撫で始めた。


「ああ〜。いいですね、鵺さんの撫で方。とても気持ちいいです」


「お前の体、めっちゃくちゃ暖けえな。マジで猫が飼いたくなってきた」


「ふふっ。なら、夜の十一時ぐらいになったら、私の部屋に来て下さいよ。私、まとい姉さん、ゴーニャの順番で猫又になってるので、毎日触れますよ」


「マジか。だったら、お前が猫又になる時だけ連絡くれ。秒で行く」


「分かりました、必ず連絡しますね」


 鵺にとって至福な約束が交わせると、ふと時間が気になり出し。いつの間にかソファーに落ちていた携帯電話を拾い、時間を確認してみた。

 時刻は十一時三十二分と、予想していたよりも遥か先に行っており。体感速度が当てにならず、花梨との別れを惜しんだ鵺が、携帯電話を持っていた手を雑に落としていった。


「そろそろ、お前を雹華ひょうかに譲るか」


「あっ、そうだったや」


 本来の目的を思い出させる鵺の言葉に、撫でられてぽやっとした表情でリラックスしていた花梨が、垂れていた耳をピンと立たせる。


「秋風。その体じゃ扉を開けられねえだろ? 部屋まで連れてってやるよ」


「そうですね。すみません、ありがとうございます」


「一秒でも長くお前も抱いてたいし、いいって事よ」


 互いに利益がある事を告げると、鵺は軽くなった体を起こして立ち上がり、花梨を大事に抱えながら部屋を後にする。

 十一時半ともあり。廊下には客が人っ子一人居らず、耳鳴りが伴う静寂が漂っていた。

 そんな事はお構い無しと、鵺はいつもより歩幅を狭くして歩き出し、『ここより先、従業員以外立ち入り禁ず』の看板を通り過ぎ、四階に向かっていく。


「そういや秋風。今のお前、猫目だろ? 暗い場所に居ると、やっぱり光るのか?」


「そういえば、試した事がないですね。暗い場所もよく見えると聞きますし、今度やってみます」


 小さな声で猫の特性について会話を挟みつつ、四階に到着する二人。そこでも鵺は、極力小幅でゆっくり歩くも、すぐに花梨の部屋の前まで来てしまった。


「クソ、もう着いちまったか」


 か細く未練を呟くも、猫又と化した花梨の耳には届いていたようで。正面を向いて苦笑いをした。

 まだ花梨の温もりを感じていたかったが、鵺は不貞腐れながら扉を二度ノックし、中から返事が来る前に扉を開ける。

 すると、急に明るくなった視界の先には、こちらに顔を合わせているゴーニャ、纏、雹華の姿があった。


「あら、鵺ちゃん。こんばんは」

「こんばんはっ、鵺っ」

「こんばんは」


「よう。雹華、お前にお届け物だ」


「お届け物?」


 三人に挨拶をし返すと、鵺は扉を閉めずに中へと入り、ずっと抱き締めていた花梨を床へ降ろす。

 床へ着地するや否や。花梨は二本の尻尾を立たせ、トコトコと雹華の元に歩み寄り、正座している太ももに両前足を乗せた。


「あら。花梨ちゃんみたいに、可愛い猫又ちゃんね。お名前は、なんて言うのかしら?」


「ニャーン」


「ふふっ、どうやら緊張しているようね」


「ぶふっ……! ふっ、ふふっふっ……」


 雹華には正体がバレていない事をいいように、猫の演技を徹底している花梨を見て、耐えかねて吹き出した鵺が、体を小刻みに震わせる。


「じゃ、じゃあ、私はこれで失礼するわ」


「あら、もう少し居ればいいのに。たぶん、もう五分ぐらいしたら花梨ちゃんが帰ってくると思うわよ」


「い、いや、充分堪能させてもらったから大丈夫だ。あばよ」


 雹華の背後に居る、同じく笑いを堪えているゴーニャと纏を認めつつ、ニヤケ面を直せない鵺が、扉を閉めて部屋を後にした。


「秋風の野郎、とんでもねえ策士だな。流石は、私の後輩だぜ」


 誰の耳にも届かない褒め言葉を放つと、鵺は軽くなった足取りで歩き出し、ポケットから携帯電話を取り出した。

 やけに眩しく感じる画面を見て、目を細めた鵺は、連絡帳を開いて『ぬらさん』を選択すると、コール音が鳴り出した携帯電話を耳に当てる。

 聞き慣れたニコール目、三コール目を過ぎると、四コール目が鳴り出す前に途切れた。


『もしもし、ぬらりひょんだ』


「よう、ぬらさん。夜分にいきなり電話して、すまねえな」


『珍しいな。お前さんが、こんな時間に電話をしてくるだなんて』


「まあな。でよ、ぬらさん。今どこに居るんだ?」


『自室でクロと飲んどるぞ』


「自室? へえ。ぬらさん、自分の部屋があったのか。初めて知ったぜ。どこにあるんだ?」


『支配人室を正面から見て、左隣にあるぞ』


 電話をしながら歩いていて、ちょうど支配人室の前まで来ていた鵺は、横目でぬらりひょんの自室を確認し、ここか。と心の中で呟き、扉を睨みつける。

 しかし鵺は、そこへは向かわず、薄暗さが一層際立つ中央階段を下りていった。


「そうか、クロと飲んでるのか。ちょうどいいぜ」


『なんだ? ワシとクロに用があるのか?』


「ああ、ちょっとな。めちゃくちゃ大事な話があるから、十分ぐらいしたらそっちに行くわ」


『ふむ。大事な話、ねえ。分かった、クロと共に待っていよう』


「ありがとよ。んじゃ、十分後にまた」


 三階へ着いた頃に会話が終わると、鵺は握り締めた携帯電話をポケットにしまい、胸ポケットからタバコとライターを取り出した。


「秋風をほったらかしにして、酒を飲むとはいい度胸してんじゃねえか。どこまで日和ってやがんだ、あのクソジジイは」


 誰も居ない廊下に苛立ちを募らせ、怒りを乗せた短い舌打ちをする鵺。そのままタバコを咥えると、娯楽施設にある喫煙所を目指すべく、二階まで下りていった。

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