86話-3、一線を超える暴露
朝の明るい騒がしさを、太陽と共に眠りへ就かせた、夜の十一時前。
『のっぺら温泉卵』初日の開店を大成功に収めた
風呂上がりの火照った体を、ソファーに預け。ようやく一息つけると、脱力しながらため息を吐き、満足気に笑う。
「初日の来客数、約六百人か。掴みは上々、客からの満足度も良し。悪くねえ結果だ。今後の課題は、温泉卵の補充速度とタイミング。それと、かきいれ時の見極めだな」
一日の仕事が終われど、飲食業にあまり馴染みがなく、見通しの予測が付かない鵺が、黒のビジネスバッグからふせん紙だらけの手帳を取り出す。
「温泉卵って、手軽に食えるからな。主食というよりも、小腹を満たす間食感覚に近い。昼晩の客足は、まあ当然として。別の時間帯も、意識して見といた方が―――」
胸ポケットに差していたボールペンを手に取り、空いている僅かなスペースに、今後の課題を描き綴ろうとした直後。
扉から小さなノック音が飛んできたので、細まった真紅の横目を扉へ流した。
「来たか。鍵は開いてっから入ってきていいぞー」
扉をノックした主が、花梨だと確信して入室の許可を与えると、扉がひとりでに開き、パジャマ姿の花梨が部屋に入ってきた。
「お疲れ様です、鵺さん」
「おう、お疲れ。私の会社に居た時もそうだけど。相変わらず時間ピッタリに来るな、お前は」
かつて、同じ会社に勤めていた上司と後輩の名残を見せるやり取りに、花梨は「えへへっ」と笑みで返し、扉を閉める。
その間に鵺は、ソファーに寝かせていた体を起こし、持っていた手帳とボールペンをテーブルへ放り投げた。
「ほれ、私の隣に座れ」
「それじゃあ、失礼しまーす」
上司の催促に甘え、そそくさとソファーに歩み寄ってきた花梨が、背筋を正して静かに座る。
が、初めて鵺の部屋に来た花梨は、興味津々なオレンジ色の眼差しで、おのぼりさん気味に辺りを見渡し始めた。
「ここが鵺さんの部屋かぁ〜。置いてある物がピシッとしてて、綺麗に整えられてますね」
「部屋の乱れは心の乱れって、よく言うだろ? 部屋がごちゃごちゃしてると、なんか落ち着かねえんだよ。それよりもだ」
部屋に注目している花梨の気を逸らそうとした鵺は、花梨の肩に手を回し、グイッと自分の身へ寄せる。
「お前、午前中にはメニューを網羅して、温泉街の奴らにオススメを教えてただろ? あれ、ナイスだったぜ」
「お友達と約束してたので、ちょっと張り切っちゃいました」
「
「本当ですか? いっぱいオススメしちゃいましたけど、どれがなりそうなんです?」
「えっとだな〜」
周りの客までも感化させた花梨の質問に、鵺は放り投げたばかりの手帳を手に持ち、片手で器用に開いていく。
「特に人気が高かったのは、ジェノベーゼソースと野菜、温泉卵を組み合わせたもんだな。どの層にも手応えがあったし、パスタを追加して欲しいっつう声もチラホラあったぞ」
「あーっ! あれ、ものすごく美味しかったです! 温泉卵を加えて混ぜると、とてもまろやかになるんですよ。パスタもいいですね。間違いなく相性抜群ですよ」
「そういう料理もあるし、やっぱお前もそう思うか。なら、
「やった! 楽しみにしてますね」
看板メニューの目星がつき、話に一段落つくと、微笑んでいた花梨の顔が、思わせぶりに下へと落ちていく。
その雰囲気が変わった花梨に、鵺も本題に入る事を察し、真顔になった顔を天井へ向けた。
「で、聞きたい事ってなんだ?」
鵺から話を振ったものの。花梨は何かを躊躇っていて口を開かず、俯いたままでいる。
先ほどまでの和気あいあいとした空気が嘘のように、互いに黙り込み、数秒後。花梨が鼻からため息をつき、静寂を払った。
「勿体ぶるのもアレなんで、単刀直入に言っちゃってもいいですか?」
覚悟の決まった花梨の問い掛けに、鵺は凄まじく嫌な予感がしてしまい。顔色を
「ああ、いいぞ」
「ありがとうございます、では……。鵺さんは、『モミジ』という人をご存知ですか?」
「―――ッ!?」
あまりにも想定外で、予想すらしていなかった花梨の問いに、鵺は声を押し殺すのが精一杯で、ポーカーフェイスを装う事すら出来ず、目を限界まで見開いていく。
同時に鼓動が早まり、花梨に密着しながら質問の許可を与えた事を心底後悔し。息を吸うのも忘れ、体を硬直させていった。
今喋れば、声色で花梨に感付かれる。振り向けば強張った表情で、『モミジ』という人物を知っている事が悟られる。
しかし、己の早合点である可能性もあると思案した鵺は、とりあえず声色だけでも落ち着かせるべく、なるべく音を出さずに息を吐いた。
「その、モミジ……、だったか? 性別は?」
「性別は女性です。赤が濃いポニーテールで、顔が私と似てました」
「……はっ?」
一つの問い返しに、より鮮明で確信を得るには充分過ぎる情報に、鵺は声を裏返し、真紅の目を丸くさせている顔を花梨へ戻した。
「お前どこで……、『
最早、突然の出来事に包み隠さず聞き返した鵺に、花梨はしおらしくなった顔を床へやった。
「私が見た、夢の中でです」
「夢の、中?」
ただ聞き返す事しか出来ない鵺に対し、花梨は無言の
「秋国へ来てからなんですが、とある夢を連続で見るようになったんです。内容は主に、カーキ色のジャンパーを着た男性と、私の顔に似た女性の会話なんですが。モミジと呼ばれた女性と男性が、色々気になる事を言ってたんです」
夢で見た内容を断片的に語り出すと、鵺は、カーキ色のジャンパー? それって、よく
「はい。最近、骨董店招き猫で見た夢なんですけども。モミジが『牛鬼牧場』で、ピクニック大会をやりたいだとか。男性が、秋国が本格的に始動したら、出来る機会が減るだとか。更にその男性が、鵺さんの名前を口にしてたんです」
「はぁ……。私の名前、ねえ……」
逃げ道を封じる決定打に、鵺は諦め気味に呆然とし。せめてもと思い、花梨に合わせていた顔を前へやり、そのまま雑に天井を仰いだ。
「その反応、やっぱり知ってるんですね?」
確信を持った花梨の追い打ちに、鵺は口を一文字にして黙ったまま。
下手に嘘をつけず、本来であれば伝えたい真実も言えず、いっそ全部暴露してしまおうかとヤケになっていく鵺。
しかし、頭にぬらりひょんの想いと言葉が過ぎると、鵺は悪い方向に冷静さを取り戻し。胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけぬまま口に咥えた。
「すまねえ、秋風。私からは、まだ何も言えねんだ」
これまでの態度や反応から、期待の出来る鵺の返答はないだろうと踏んでいた花梨は、あからさまに肩を落としたものの。
この件について、これ以上の情報を得られないと悟ると、気持ちだけが軽くなり。変わりに重くなった頭を、ソファーの背もたれに添えていった。
「あ〜あ、これも語り部さん絡みだったかぁ〜。またお預けじゃんか〜」
「あ? 語り部?」
思わせ振りが続く花梨の爆弾発言に、呆気に取られた鵺の口から、タバコがポロリと落ちていく。
「そうですよー。
花梨にしては、珍しく感情のこもった愚痴をこぼすと、鵺の肩に頭を置き、鼻から不貞腐れたため息を吐いた。
鵺ですら、子供のように立腹している花梨は見た事はなく。張り詰めていた緊張の糸がプツンと切れると、途端に鵺の唇がほころんでいった。
「……ふっ、ふふっ。はっはっはっはっはっ」
「鵺さ〜ん、何がそんなにおかしいんですか〜?」
「いや、すまねえ。温泉街の奴らも、とうとう我慢出来なくなってきたんだなと分かっちまったもんだから、耐えらなくなっちまった」
真紅の瞳に涙を滲ますほど笑った鵺が、指で涙を
「そういや楓の奴。
「鵺さん、夢中になって聞いてましたもんね。まさか、私に告白してきた男子の名前も知ってただなんて……」
「だな、我を忘れて質問攻めしてたわ。つか、雹華と釜巳の名前も出てたけど、あいつらも何か言ったのか?」
「雹華さんは、私が一歳半の頃の写真を見せてくれて。釜巳さんは、私と
「ははっ。結構ギリギリな所を攻めてんな、あいつら」
しかし話を聞く限り、花梨の親である鷹瑛と紅葉には極力触れないよう、共通の配慮がされている事に気付き。
落ちたタバコを拾った鵺は、私も、そこだけ気を付けりゃあいいか。と思案し、タバコを咥え直す。
「ギリギリなのかどうか、まだ私には分かりませんけどもね。それでなんですが、鵺さん」
まだ若干すねている花梨が、座らせていた体をクルリと半回転させ、鵺を逃がさないと太ももの上に跨り、両手を鵺の肩に添えた。
「皆さんは、私に一つずつ隠してる事を教えてくれました。なので鵺さんも、私に隠してる事を一つ教えて下さい」
普段であれば、有り得ない行動で問い詰めてくる花梨に、鵺は至極冷静でいて、余裕の表情で口角をニヤリと上げた。
「やっぱり、そう来たか。お前も言うようになったじゃねえか」
「誰のせいだと思ってるんですか? よくよく思えば、鵺さんが露天風呂で言ったあの一言から、全部始まったんですからね?」
「マジか。はっ、余計な事を言っちまったなあ、私も」
全ての責任まで押し付けられた鵺は、確か『お前は私と出会った時よりもずっと前から、妖怪達と深い縁がある』とか言ったよな。あの時は、久々に花梨と再会したから、私も舞い上がってたっけ。としみじみと思いを馳せていく。
更に、隠してる事を一つ、ねえ。ここはいっちょ、私も暴れちまうか。と悪巧みを纏め、いやらしく笑った。
「そうさなぁ。そろそろ、一線超えちまうか?」
「おっ、これは期待出来そうだ。何を教えてくれるんですか?」
「その前に、一つ約束しろ」
念には念をと、先に釘を刺してきた鵺が、間近に迫る花梨の鼻を指で軽く押す。
「約束、ですか?」
「そ、約束。私の暴露は、ぜってえ誰にも言うんじゃねえぞ? タガが外れて、全部話しちまうだろうからな」
「そ、そんなにまずそうな事を、教えてくれるんですか?」
「ああ。とりあえず、先に約束を破らないと誓え。暴露はそれからだ」
唐突に、気迫と肌を刺す威圧感が宿り出した鵺の警告に、花梨は一瞬耐えかね、喉をゴクリを鳴らして生唾を飲み込む。
しかし、自分なりに色々と考えた結果、決心を固めたのか。長めの息を吐いてから、「分かりました、誓います」と約束し、真剣な眼差しで鵺を捉えた。
「よし、言ったな? ぜってえだぞ?」
鋭くも妖々しい眼光で、鵺が最終確認をすると、花梨は迷うこと無く、しっかりと頷き返した。
「オッケー。なら、言うぞ。秋風。お前が初めて秋国に来たのは、いつ頃だ?」
「秋国にですか? えっと〜、確か〜……。あっ、そうそう。今年の九月の半ばぐらいです」
「へえ、九月の半ばねえ。つー事は、割と最近なんだな。秋国にまた戻って来たのは」
「えっ? 戻って、来た?」
遠回しに暴露を始めるや否や、鵺は口角を楽し気に吊り上げていく。
「今年になって初めて秋国に来たってんなら、そりゃ間違いだ。人生で二回目になる」
「……嘘? 本当に言ってます? それ」
未だに信じられない様子で、目を見開いている花梨に、鵺は「ああ」と軽く即答した。
「そ、それじゃあ……。初めて来たのは、いつ、なんですか?
「あー、来たっつうか、“居た”っつうか。なーんか、イマイチしっくりくる言葉が思い付かねえな」
建設途中の秋国で産まれたと言えば、一発でアウト。住んでいたとも告げれば、花梨の親の影がチラついてくる。
一線は超えてしまったが、流れ任せにも出来ず、もう少し言い方を纏めてから暴露を始めればよかったと、遅れて後悔し出す鵺。
「ま、なんだ? お前が初めて秋国に居たのは、まだ物心すらついてねえ時だ」
雑に言い包めてしまうも、花梨にはよほど衝撃的な内容だったようで。口をポカンと開け、目をまん丸くして鵺を見据えたままでいた。
体までも硬直し、真実を聞かされてから数秒。硬直が解けて肩をストンと落とすと、そのまま体を捻り、鵺の太ももからソファーに落ちていった。
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