86話-2、まるで親子みたいだろ?
「あれ? あの背中は、
朝の八時半を過ぎた頃もあり。温泉目的で訪れてきた客の荒波を逆らい、外に出て右側の道へ向かった矢先。
更に近づいていくと、八吉の前には、同じく妻の
「八吉さーん、神音さーん」
「んっ? おお、なんだ。列に並んでねえと思ったら、今来たのか」
「ヤッホー、みんな」
前を見据えていた八吉が、意外な様子で反応を示し。花梨達の存在に気付いた神音も、姉妹達に向けて手をヒラヒラと振る。
「おはようございます。この列、結構長いですけど、なんの列なんですか?」
「なんのって。『のっぺら温泉卵』の開店を待ってる列だぜ」
「えっ、嘘!? この列がそうなの!?」
あっけらかんと言ってきた八吉の言葉に、思わず驚愕して叫んだ花梨が、改めて神音の前に伸びている列を眺めてみた。
先が見えない長蛇の列には、見知った顔が何人も並んでいて、合間合間には、温泉街へ来たであろう妖怪達の姿も
そんな、賑わい合う列を認めた花梨が、
「す、すごい数の妖怪さんが並んでるや」
「ここからだと、『のっぺら温泉卵』が見えないわっ」
「大人気」
花梨の仕草を真似するように、額に手をかざしているゴーニャが呟き。その場で高く跳躍し、空中から戻ってきた纏も後に続く。
「すごいよね。八時半でも早いかなと思ってたのに、かなり後ろに並ばされちゃったよ」
「流石に、在庫が無くなる事はないだろうけど。完全に見誤ったなあ」
後悔が残る二人のボヤキに、花梨は列を見ていた顔を二人へ戻す。
「という事は、ついさっき来たんですね」
「ああ、ほんの二、三分前に来たぜ。ちなみに、前の方に
「よ、夜中から……?」
「そうそう。閉店時間まで、絶対に居るんだって張り切ってたよね」
あの二人であれば仕方ないと、想像に容易い会話が始まり出し、八咫烏の夫婦が談笑を始めた中。
不意に右側から、「なんや、花梨達もおるやんけ」という声が聞こえてきて、その声を耳にした花梨が、顔を右側へ移していく。
すると、そこには河童の
「流蔵さんと莱鈴さんだ。おはようございます」
「おはようさんニャ。例の首輪は、まだ使ってるのかニャ?」
開口一番に、首輪のその後について質問してきた莱鈴が、後ろ足で耳を掻く。
「はい。あの翌日に、纏姉さんが使って黒猫になり。ゴーニャも金色の猫になりました」
「なんや、お前さん。また新しい姿になって遊んどるんか?」
「ええ、まあ。今度は色々と訳がありまして、猫又の姿に」
一応人間である花梨が、姿がよく変わっている事は皆に周知されており。流蔵の質問に、花梨は後頭部に手を回し、苦笑いをしながら答えた。
「知ってるか、流蔵? 花梨の奴、俺と初めて出会ってから二日目で、茨木童子にされちまったんだぜ?」
「その話、花梨が『居酒屋浴び呑み』で働いた時の話やったっけ? 八吉はん、ぎょーさん驚いたらしいやん」
「そうそう、見た目が完全に
「あたしっスか? 八吉さんに、何かしましたっけ?」
花梨の意図せぬ七変化に、花が咲きつつある所。渦中の人物ともいえる、抜けた第三者の声が割って入ってきたせいで、皆して声がした方へ顔をやる。
声がした場所は、花梨の斜め後ろからで。そこには、目をきょとんとさせている酒天と、傷だらけの赤い甲冑を身に纏った酒呑童子の
「おお、酒天。違う違う、お前は何もしてねえ。花梨が、初めて茨木童子になった時の話をしてたんだ」
「ああ、そうだったんスね。何かしちゃったのかと思ったので、安心したっス」
「ありゃあ、
「ええ〜? 飲んだ量で変化時間が長引いちまうんだろ? 怖ぇし遠慮しとくわ」
剛力を得る酒を勧め始めた酒羅凶と、それを断る八吉が会話の中心になると、目で追っていた花梨の横に酒天が付き、「花梨さん花梨さん」と小声で問い掛けてきた。
「はい、なんでしょう?」
「明後日辺り、早く仕事が終わりそうなんスけど。その日、一緒にお風呂に入らないっスか?」
「あっ、いいですね! 入りましょう!」
突然の誘いを快諾してくれると、酒天は嬉しそうにニッと笑い、八重歯を覗かせる。
「ありがとうっス! 夜の九時ぐらいには終わる予定なので、その時になったら電話かメールをするっスね」
「分かりました。なら、お酒をちょびっとだけ飲んじゃおうかな〜」
「おっ、任せて下さいっス! 熱燗、ぬる燗、日向燗、なんでもご用意するっスよ!」
様々な温度の酒を提供すると豪語した酒天が、自分の胸をドスンと叩く。
「それじゃあ、楽しみにしてますね!」
「はいっス! それはそうと、花梨さん。ここが、『のっぺら温泉卵』の列の最後尾で合ってるっスか?」
八吉の誤解を招く話題から始まり、最初から脱線していた話を戻した酒天の質問に、花梨が「はい、そうです」と答える。
「やっぱりっスか。
鵺という名に、誰にも打ち明けていないもう一つの目的を思い出した花梨が、呟くように「そうだ、鵺さん」と反応を示した。
「そういえば、酒天さん。鵺さんを見ませんでしたか?」
「鵺さんなら、『のっぺら温泉卵』の店前に居るっスよ」
「お店の前ですね、分かりました。すみません。鵺さんに用事があるんで、ちょっと行ってきますね」
「そうっスか。なら、この場所はあたしが守っておきますから、ゆっくり行ってきて下さいっス」
「すみません、ありがとうございます!」
酒天の好意に甘えた花梨が、小さくお辞儀をしてから、ゴーニャ達を残して『のっぺら温泉卵』へ小走りで向かっていく。
途中、ろくろ首の
そして、牛鬼の
ようやく先頭付近まで来れると、列の先頭にはぬらりひょんが仁王立ちしていて、雪女の
先ほど八吉から貰った情報によれば、雹華達は夜中から並んでいたはずなのに対し。更に前に居たぬらりひょんを認めた花梨が、「えっ?」と驚いた声を漏らした。
「ぬらりひょん様が先頭だったんだ」
「むっ? おお、花梨か。当たり前だろう。昨日の夕方から並んでいたからな」
「昨日の夕方? 昨日の夕方って、ぬらりひょん様支配人室に居ましたよね?」
「ああ、居たぞ。お前さん達から報告を受けた後、すぐにここへ来て並んだんだ」
「ま、マジっスか……?」
時間にして十八時間以上並んでいたのに、眠気を一切見せつけず、爽快な顔で返答してきたぬらりひょんに、花梨は唖然として口をヒクつかせていく。
「こうなるんであれば、釜巳ちゃんの言う通り、三日前から有給を取って並んでおくべきだったわね」
「もう〜。だから、あれほど言ったのに〜」
「それは、流石にやり過ぎじゃないっスか……?」
隣で聞いていたであろう、雹華の後悔が残るため息混じりのボヤキに、釜巳がふくよかな笑みをしながらダメ押しし、雹華の項垂れた肩をポンポンと叩く。
花梨の口に、ヒクつきが増していく最中。釜巳の後ろに、腕を組んで立っているクロが目に入り、花梨の口が嬉しそうに「あっ」と開いた。
「クロさん、お疲れ様です」
「よう、花梨。
「はい! とても美味しかったです!」
「そうか、それを聞けて安心した。それはそうと」
口角を緩めて微笑んだクロが、話を続ける前に、辺りをキョロキョロと見渡し始める。
「お前が一人で行動してるだなんて珍しいな。ゴーニャ達はどこに居るんだ?」
「ゴーニャ達は、最後尾に並んでます。私はちょっと、鵺さんに用がありまして」
「私がどうしたって?」
「あっ、鵺さん! あれ?」
一人で行動している事情を説明していると、不意に真横から会いたかった人の声が聞こえてきたので、花梨が横目を流してから、顔を左側へやる。
そこには、『のっぺら温泉卵』と白文字で書かれた紺色のエプロンを着た鵺が立っており。
そのエプロンを真っ先に見てしまった花梨は、鵺よりも先にエプロンに興味がいき、鵺の顔と交互に見返していった。
「鵺さん。このエプロンは、一体?」
「いいだろう? 店員だけが着れる特注のエプロンだ。昨日、ようやく届いてよ。ぶっつけ本番でお披露目って訳さ」
「店員だけ? それじゃあ、まさか?」
「そ。なんやかんやあって、ここの副店長をやる事になったんだ。やるからには、温泉街一の売上を目指す。必ず繁盛させるから、期待してろよ?」
気合いのこもった握り拳を作った鵺が、頼り甲斐のある
ある時はデザイナー。ある時は派遣会社を運営し、共に五年間歩んできた上司でもあり。秋国の内装、店の配置をほぼ全て任された、経験と実績が豊富な鵺。
そんな心強い人物が、店の副店長になった事を知るや否や。花梨は呆気に取られていた表情をぱあっと明るくさせ、腕を組んだ鵺の手を掴んだ。
「わあっ、副店長! 鵺さん、副店長をやってくれるんですね!」
「おう。のっぺらぼうや
副店長になった経緯を話し、花梨の頭をわしゃわしゃを撫でていた鵺が、隣に
「お前の考えた店が、永秋の横に建つとはなあ。私は、それだけですげえ嬉しいよ。あと、ちょっとこっちに来い」
感慨深そうでいて、素直な本音が含まれた言葉を言うも、鵺は永秋に背を向け、花梨に手招きしながら遠ざかっていく。
意図の掴めない行動に、花梨は首を
「どうしたんですか?」
「ほれ、ここから永秋を見てみろ。この景色が、また好きなんだ」
何かを目にし、見惚れ出した鵺の催促に、花梨も右足をクルリと回して振り返ってみる。
するとそこには、『のっぺら温泉卵』と『永秋』が見える景色があるものの。花梨には意味が分かっておらず、顔をきょとんとさせるばかりでいた。
「のっぺら温泉卵と、永秋が見えますね」
「そう、その二件が見えるな。どうだ? まるで親子みたいだろ?」
「親子、ですか?」
「ああ。どっしりと構えてる永秋が親。そして、すぐ隣で健気に建ってるのっぺら温泉卵が、その子供さ。たまらなく良い構図だぜ。一生眺めてられる」
腕を組み直し、しみじみとその二件を拝んでいる鵺の表情は、とても穏やかでいながらも、僅かな悲壮感を帯びていた。
しかし、いまいちピンと来ていない花梨は、二件の店の見返してばかりでいて。とりあえず話を合わせるべく、「そうですね」と返した。
「っと、自語りが過ぎちまった。秋風、私になんか用があるんだろ?」
「あっ、そうだった!」
出会い頭に興味がエプロンへ移り、本来の目的が頭から抜けていた花梨が、大袈裟に声を荒らげる。
「鵺さん。今日は、いつ頃自室に戻ります?」
「自室? のっぺら温泉卵の閉店が夜の九時だろ? そこから打ち上げをやっから〜……。たぶん、十一時過ぎぐらいになるか?」
「夜の十一時ですか、かなり遅いですね」
「まあな。で、なんでだ?」
夜の十一時と知り、一旦は視線を逸らして躊躇う花梨。が、どうしても例の件について聞きたいが為に、小さく頷いてから視線を鵺に戻した。
「ちょっと聞きたい事があるので、その時間になったら、鵺さんの部屋にお邪魔してもいいですか?」
「聞きたい事? 今言えばいいじゃねえか」
「今は……。周りに大勢の人が居るので、ちょっと」
「う〜ん?」
ばつが悪そうに言葉を濁した花梨に、鵺は右眉を上げ、唇を尖らせる。が、花梨の様子が何かおかしいと察し。
そのまま思案するように視線を右へ逸らすと、口元を緩め、顔を花梨の耳元へ近づけていった。
「何を企んでるのか知らねえけど。要は、私達だけで密談したいって訳だな?」
「まあ、そうなりますね」
「ふ〜ん、なるほどなぁ」
念を押した確認を済ませると、鵺はいやらしい笑みを浮かべた顔を遠ざけ、花梨の肩に手を回しつつ、共に歩き出した。
「んじゃ、夜の十一時になったら私の部屋に来い。話を聞いてやるよ」
「よかった。すみません、わがままを言っちゃいまして。ありがとうございます」
「可愛い後輩の頼みだからな、全然構わねえよ」
かつての後輩である花梨に何かと甘い鵺が、ニッと笑い、花梨の肩に回していた手を頭に移動させ、ポンポンと叩く。
その懐かしさが込み上げてくるやり取りに、花梨も思わずふわりと微笑み、共にぬらりひょん達居る所へ戻っていった。
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