86話-1、常人の三人前が、姉妹達の一人前以下

 夜の間に冷えた温泉街の空気を、明るい朝日が暖め出した、朝の七時半頃。

 まだ太陽が昇っていない内に出掛けた、女天狗のクロに変わって花梨達を起こすべく。女天狗の八葉やつはは、朝食が大量に乗ったお盆を片手に、花梨の部屋へと入っていく。


「失礼しまーす」


 今から部屋の主を起こすというのに、小声でこっそりと断りを入れ、音も無く扉を閉める八葉。そのままお盆をテーブルの上に置くと、忍び足で花梨達が寝ているベッドに近付いていった。


「花梨さんの部屋には、何度か泊まった事はあるけど。起こすのは、これが初めてになるな」


 永秋えいしゅうの女将である、クロの代わりともあってか。大役という大袈裟な責任感を背負っている八葉が、花梨達の寝顔を覗き込む。


「……まずい。蓋が逃げ出したせいで、わんこ百ポンドリブステーキが止められなくなった……」


「えっ? リブステーキ?」


「……こうなったら、地球上にあるお肉を全部食べるしかない……」


「あっ、寝言か」


 寝ているはずの花梨が、いきなり不可解な事を口走ったせいで、一瞬怯んだものの。すぐに寝言だと分かり、目をきょとんとさせた八葉が平静を取り戻す。


「わんこそばの、ステーキバージョンかな? うへぇ、私には無理だな。っと、早く起こさないと」


 実行すると早々に胃もたれを起こしそうなわんこステーキに、素直な感想を漏らした八葉は、花梨の肩に手を添え、ゆっくりと揺らし出した。


「花梨さん、起きて下さい。朝ですよ」


「……あの、リブステーキは? ……キッチンが故障したから焼けない? ……仕方ない。私が魔法で焼くので、皆さんは離れてて下さい」


「花梨さん、魔法を使えるんですか!? あいや、違う。これも寝言だ」


「……ふぇ?」


 幻想色の強い寝言に、真に受けてしまった八葉の叫びが功を奏したのか。

 一瞬体をビクンとさせた花梨の瞼が、薄っすらと開き。まだ夢現ゆめうつつを彷徨っていそうなオレンジ色の瞳を、急いで笑顔を作った八葉へ合わせた。


「……あっ、八葉しゃんだぁ。おはよーございましゅ」


「おはようございます、花梨さん」


 腑抜けた声で挨拶を交わすと、花梨は寝っ転がったまま体を伸ばし。体を抱きしめて寝ている、ゴーニャとまといを引き連れつつ上体を起こし、大きなあくびをついた。


「今日は、八葉さんが起こしに来てくれたんですね。すみません、ありがとうございます」


「いえいえ、気にしないで下さい。まあ、クロさんの代わりともあってか、ちょっと緊張しちゃいましたけども」


 ようやく、大袈裟な大役から解放された事もあり。気が緩んできた八葉は、花梨を起こす前の心境を語り、苦笑いしながら頬を指で掻く。


「あっははは、八葉さんらしいですね。それはそうと、クロさんは?」


「クロさんは、今日開店する花梨さんのお店に並ぶと言って、朝五時頃に出掛けちゃいました」


「えっ、朝五時? 確か『のっぺら温泉卵』って、朝十時開店のはずじゃ……?」


「ですです。相当張り切ってましたよ、クロさん。もちろん、私と夜斬やぎりもです。午後から半休を取ってるので、お昼ご飯も兼ねて『のっぺら温泉卵』で入り浸ってきます!」


 弾ける満面の笑みで、八葉が高らかに宣言すると、未だに寝ていたゴーニャと纏の体がピクンと反応し。

 花梨の体を抱きしめていた力が緩み、二人同時にベッドへずれ落ちていく。


「わぁっ、嬉しいなぁ。私もずっとお店に居る予定なので、午後になったら合流しましょうね!」


「そうなんですね、分かりました! 合流したら、花梨さんオススメのメニューを教えて下さい」


「任せて下さい! ならば、午前中にメニューを網羅せねばなるまいなぁ。ふっふっふっ」


 まだ起きたばかりなのにも関わらず、早々に食欲が滾って花梨が、いやらしい眼差しを横へ流していく。

 が、そんな食欲魔人には、もう慣れっ子になってしまった八葉は「あ、そうだ」と付け加え、左手を背後にあるテーブルへかざした。


「夜斬と一緒に朝食を作ったので、よかったら皆さんで食べて下さい」


「おお、八葉さんと夜斬さんが作った朝食! どれどれ」


 やや照れが見え隠れする八葉の説明に、花梨が体を右側にズラし。意識が覚醒してきたゴーニャと纏も、寝ぼけ眼を擦りつつ、テーブルに注目する。

 それぞれ見た視線の先には、様々な具材が挟まれたサンドウィッチが、山のように積まれており。

 その白い山のふもとには、ガラスの容器に並々と入っている牛乳と、人数分のコップが置かれていた。


「うわぁ〜、サンドウィッチだ」


「あっ、私の好きなタマゴがあるっ!」


「角張った雪山みたい」


「一応、クロさんに言われてあの量にしたんですけども、大丈夫ですかね?」


 そことなく不安のこもった八葉の問いに、花梨はサンドウィッチの山に向けていた顔を八葉にやり、不安を吹き飛ばすような笑みを見せつけた。


「はい! 私達三人なら、全然問題無い量です」


「あの量だったら、二倍は食べられるわっ」


「むしろ足らないまである」


「ああ、なるほどです」


 改めて思い知らされた、温泉街一の食欲魔である姉妹達のやり取りに、安堵のため息をついた八葉が、「よかった〜」と声を漏らす。


「何がですか?」


「ほら。花梨さん達も『のっぺら温泉卵』に行くと思い、朝食は控えめに作ろうとしてたんです。ですが、クロさんに「控えめにすると、あいつらが店へ行く前に餓死するから、最低でも常人の三人前ずつは作っておいてくれ」と言われまして。なので、言付け通りの量して、よかった〜っと」


 花梨を赤ん坊の頃から育てていて、胃の許容量を誰よりも知っているクロの判断を頼り、それが間違っていなかったと安心する八葉。

 そして不安要素が無くなると、役目を果たし終えた八葉は扉の方へ体を向け、歩き出しながら顔だけ花梨達へやった。


「それでは、私はこれで失礼します。ごゆっくりどうぞ」


「はい、ありがとうございます!」


 そのまま扉を開けた八葉が廊下へ出て、丁寧に一礼し、扉を閉めて部屋を後にする。


「よし。んじゃ、歯でも磨こうかな〜」


 空気を切り替えるように花梨が呟くと、三人はベッドから抜け出し、各々の私服に着替えてから歯を磨く。

 全ての準備を済ませると、三人はサンドウィッチの山が君臨するテーブルの前に座り、一斉に手を叩いた。


「それじゃあ、いただきます!」


 待ち切れぬ姉の号令に、妹達も声を揃えて「いただきます」と唱え、サンドウィッチに手を伸ばしていく。

 花梨が初めに取ったのは、ふわふわなパンに挟まれた厚めのカツサンドで、出来たてを知らせるように、まだほんのりと温かい。


 大口を開けて噛むと、まずはパンの芳醇な甘みが先行し。次に、千切りされたキャベツのシャキシャキとした食感が追う。

 最後は、カツ全体に馴染んだ濃厚なソースの風味とフルーティーな酸味が、口の中に広がり。パンの隙間から抜け出した匂いが、鼻を撫でるように通っていく。

 やはり、出来たてともあってか。ソースが塗られているカツの衣には、咀嚼そしゃくを楽しませるサクサクとした固さが残っており。

 ふわふわ、シャキシャキ、サクサクとした三段階の食感を一口で味わった花梨は、微笑みながらカツサンドを飲み込んだ。


「んっふ〜。色んな食感が、一度で楽しめるカツサンドよ。時間が経った物だと、全体に水分が行き渡っちゃって味わえないんだよね〜。んまいっ」


「このタマゴサンド。カラシが使われてるから、どんどん食欲が湧いてくるわっ。おいひい〜っ」


「ハムサンドも、マヨネーズやキュウリの量が絶妙」


 妹達も、最初に取ったサンドウィッチを堪能している中。早くも一つ目のカツサンドを食べ終えた花梨が、ターゲットをタマゴサンドへ変えた。

 が、ゴーニャの感想を裏切るように、カラシの風味は一切感じず。代わりにパンやタマゴと合う、ほのかな塩味を感じ取った。


「んっ。こっちは、ゴーニャが言ってたのと違う味がするや」


「そうなの?」


「うん。たぶん、味付けは塩だけかな? けど、タマゴやパンとすごく合うよ」


「へぇ〜、そうなのねっ。タマゴサンドだけ、味付けが二種類あるのかしら? 探してみよっと」


「全部美味しい」


 まだ二つのサンドウィッチしか食べていない、花梨とゴーニャを差し置き。

 他にもあった、ツナマヨ、ポテトサラダ、トマトやレタスといった野菜メインの具材をコンプリートし、コクコクと牛乳を飲む纏。

 その悠々たる纏の姿に、触発された花梨達も、我先にとサンドウィッチの山を食べ進め、約十五分後。

 全員が均等に、全てのサンドウィッチを完食し。満足度の高い余韻に浸り、膨れていない腹を叩きながらため息をつき、天井を仰いだ。


「ふう〜、美味しかった。後で、八葉さんと夜斬さんにお礼を言っておかないと」


「また食べたいなぁ〜。二人が作った、タマゴのサンドウィッチっ」


「クロが作ったサンドウィッチとは、また違う味がして美味しかった」


「確かに不思議ですよね。使ってる具材や調味料は同じなのに、こうも味が違うなんて」


 何気なく言った花梨の感想に、ゴーニャと纏は賛同するかのように、「うんうん」と二度頷く。

 そこから、クロと八葉達の味付けについて会話に花が咲き。違う料理も食べ比べしてみたいという願望を漏らしつつ、後片付けに入る。

 食器類を水洗いした後。今日は遠くに出掛ける予定は無いので、手荷物は持たず、代わりに食器類を乗せたお盆を携え、部屋を後にした。


「さってと、支配人室に寄らないとっと」


「たぶん誰も居ないと思うよ」


「私も、そう思うわっ」


「えっ、なんでですか?」


 いつもであれば、どこかへ行く時は必ず支配人室へ寄り、ぬらりひょんに今日の予定を告げてから出掛けるのに対し。断言とも取れる二人の言葉に、花梨は目をきょとんとさせた。


「クロが、朝五時に花梨のお店に行ったでしょ。ならぬらりひょん様は、昨日の夜から行ってると思って」


「き、昨日の、夜から? まさか、そんなわけ―――」


「花梨っ。支配人室の扉、鍵が掛かってるわっ」


 纏の確信が宿った推測に、花梨が反論しようとした矢先。会話の途中で先を行っていたゴーニャが、扉の取っ手を掴み、ガチャガチャと扉を鳴らしていた。


「ゲッ……、マジで?」


「うんっ。ほら、全然開かないわっ」


「ノックしても反応無し」


 ぬらりひょんが居ない事をいいように、纏が高速で扉をノックするも、ぬらりひょんからの返答は無く。

 扉のガチャガチャ音と、途絶えぬノック音だけが、廊下に響き渡っていくばかりであった。


「お二人さん? それ、楽しんでやってるでしょ?」


「……えへへっ、バレちゃった」


「へいへーい」


 目を細めた花梨に指摘されてしまったせいで、照れ笑いしながら取っ手から手を離すゴーニャに。調子が上がってきて、ノック音にリズムを刻み出す纏。

 しかし、満足したのかすぐに止め。三人は、ぬらりひょんも居るであろう『のっぺら温泉卵』を目指すべく、一階へ下りていった。

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