84話-1、やる気に満ちた座敷童子

 まだ眠りから覚めていない温泉街に、闇夜を振り払う朝焼けが差し込み出した、朝の六時二十分頃。


 花梨が昨夜設定した、携帯電話の目覚まし機能より早く起床した座敷童子のまといが、颯爽と上体を起こし、あくびをしながら体を伸ばす。

 まだ眠気がこびり付いた目を擦ると、隣で気持ち良さそうに寝ている花梨の体を揺すり始めた。


「花梨起きて」


「……纏姉さん、その赤飯は青いから罠です。こっちの黄色い赤飯にしましょう……」


「たぶんそっちも罠だよ。ほら起きて」


 二重トラップの赤飯を食べさせまいと、体を揺らし続けるも花梨は起きず、空の口をモグモグと咀嚼そしゃくし出す。


「……しまった。これ、赤飯じゃなくてターメリックライスだ……。纏姉さん、急いでバターチキンカレーの用意を……」


「やだ、赤飯がいい。ほら、ほらっ、ほらーっ」


「あぎゃー……」


 体をいくら揺すっても起きる気配を見せないので、纏は花梨の両頬を掴み、緩急をつけて引き伸ばしていく。

 時には上下に動かし、はたまた押し込んだりしていると、ようやく夢の世界から離れたのか。

 眉間に浅くシワを寄せた花梨の瞳がピクリと反応し、ゆっくりと開き、まだ寝ていたそうなオレンジ色の瞳を見せつけた。


「ふぁ……。みゃといねーはん、おふぁよーごじゃいまふ……」


「おはよう花梨。早く準備して」


 花梨が起きた事を認めると、纏は引っ張っていた頬を離し、反対側で寝ているゴーニャの元へ近づいていく。


「いてて……。この起こされ方、なんだか懐かしさを感じるや。纏姉さん、今日はずいぶん気合いが入ってますね」


「まあね。ほら、ゴーニャも起きて」


「……纏っ、早く味噌煮込みうどんに生卵を落として……。じゃないと、世界がすき焼きうどんに支配されちゃう……」


「なんでゴーニャの夢にも私が出てるの」


 早朝からツッコミばかり強いられる纏に、まだ鳴っていない目覚ましの設定を消した花梨が、「へっ?」と反応する。


「もしかして、私も何か言ってました?」


「うん。青い赤飯は罠だって言ってたし、黄色い赤飯を食べたら、私にバターチキンカレーを用意させようとしてた」


「な、なにそれ……? 一体どういう状況なんですか?」


「私が知りたい」


 互いに情報を共有するも、決して出ない答えに頭を悩ませつつゴーニャを起こし、ベッドから抜け出す三人。

 いそいそと着替えを済ませ、顔を洗っている最中。部屋から「あれ、誰も居ない?」という、第三者の困惑した声が聞こえてきた。

 その声を耳にした花梨が、濡れた顔を拭きながら部屋に戻ると、片手に深い紺色の制服を持っている女天狗のクロが居た。


「クロさん、おはようございます」


「おお、なんだ。もう起きてのか。雹華ひょうかが居ないのに、よく起きれたな」


「えっへへ……。今日は別の方に起こされまして」


「なるほど。まあ、大体の予想はついてるけどな。ほれ」


 そことなく理由を知っていそうで、りんと微笑んだクロが、苦笑いしている花梨に制服を差し出す。

 流れるがままに受け取り、どこか見覚えのある制服を広げてみると、それはかつて駅事務室の見張り番をした時にも着た、駅員の制服であった。


「駅員の制服だ。これを渡してきたってことは……」


「そう。今日の仕事は、駅事務室の見張り番だ」


「やっぱり! ……見張り番か、今日は大丈夫かなぁ?」


 不安そうな声を出した花梨の頭に蘇るは、かつて河童の流蔵りゅうぞうと見張り番をした時の、苦い記憶の数々。

 トラブルは、人間の子供が駅事務室に迷い込んでから始まり。いざ母親を探し出せたかと思えば、腹を下した乗務員に、電車の運転を代わってくれとせがまれ。

 難なく電車の運転を終え、座敷童子に変化へんげをして事なきを得るも。次に待っていたのは、永遠にも感じた孤独の時間。

 そんな、一時期トラウマまで出来そうになった見張り番に、再度抜擢された花梨は、意気消沈して乗り気になれないでいた。


「そういえば、前回は色々と大変だったらしいじゃないか。人間の子供が入ってきたり。あと、電車も運転したんだったよな?」


「そうなんですよ。運転を代わってくれって言われた時は、死ぬほど焦りました」


「それでもやってのけるお前も、相当すごいけどな。とりあえず、何かあったら私に電話してくれ。文字通りすっ飛んでいって、お前を助けてやるからよ」


 そう頼り甲斐のある助け舟を出したクロが、花梨の頭にポスンと手を起き、安心させるべく優しく撫で始める。

 母の温もりを頭と心で感じ取ると、花梨が抱いていた不安がだんだん和らいでいき、ふわりと笑えるまでに落ち着いていった。


「はい、ありがとうございます! 何かありましたら、すぐに電話しますね」


 元気のある返事を聞くと、クロはうなずき様に「うん、よろしい」とほくそ笑み、そのまま扉に向かって歩き出す。


「朝飯はテーブルに置いといたからな。しっかり食って、今日も頑張ってこいよ」


「あっ、朝早くからすいません! ありがとうございます!」


 活力を分けてもらったクロの背中を見送ると、朝食と聞いて腹がへってきた花梨は、背後にあるテーブルに注目してみる。

 テーブルの中央には、大量のご飯から白い湯気を昇らせている、どんと構えた大型のおひつ。その周りを囲んでいるのは、各皿に分けられた卵や納豆。三皿分ある、ほうれん草とベーコンのソテー。

 そして朝食には欠かせない、長ネギと豆腐の味噌汁。全ての朝食の見終えると、花梨は醤油瓶を認めながら腰を下ろした。


「この卵は、生卵だな。卵かけご飯が食べられるし、納豆ご飯にも加えられる。ほうれん草とベーコンにも混ぜられるし、食の幅が広がっていくなぁ」


「卵かけご飯は、生卵を溶いてからご飯にかければいいのよね?」


「ご飯にくぼみを作って、そこに割った生卵を落とすのもアリだよ」


「私は溶く派」


 既に生卵を溶き終わり、醤油をタラっと垂らした纏が、お椀にご飯を盛っていく。


「私は、気分によって変えるかな〜。ちょっと高い生卵の時は、溶かずに食べてたりしてます」


「なんか分かる。味が濃くて美味しいよね」


「やった! 綺麗に割れたわっ」


 各々朝食の準備を進めていき、姉妹も溶いた生卵をご飯にかけ終えると、「いただきます!」と号令を綺麗に重ね、卵かけご飯を一斉にかき込んでいった。

 最初は、全体に馴染んだ醤油の香ばしさが先行するも。それを力強く押し退ける、生卵の濃厚な甘さを感じ取り、しっかりと味わってから飲み込んだ。


「んっふ〜。サラサラいけちゃうから、何杯でも食べられそうだ。んまいっ」


「生卵だと、こんな味がするのねっ。玉子焼きや目玉焼きとは、また違ったおいしさがあるわっ」


「このほうれん草とベーコン、バターソテーだ」


「バター……。変な事を思い出しちゃうけど、どれどれ」


 起きてから纏に言われた寝言を思い出しつつ、花梨はほうれん草とベーコンのソテーを箸で掴み、口の中へと運ぶ。

 纏が言っていた通り。鼻から呼吸をしてみれば、バターのまろやかな香りが空気と一緒に通っていき。

 いざ噛んでみれば。しんなりとしていながらも、ちゃんと歯ごたえが残っているほうれん草の甘さと、肉肉しいベーコンの脂が湧き出してきて、調和するように混ざり合っていった。


「う〜ん! これは間違いなく白いご飯と合うな。後で試してみよっと」


「バターとほうれん草って、こんなに合うのね。好きになりそうっ」


「ほおっ……」


 バターとほうれん草のソテーに舌鼓したつづみを打つ姉妹と、豆腐と長ネギの味噌汁を飲み、口を休ませて一息つく纏。

 そんな、常に先を行く纏を逃がさまいと、姉妹も味噌汁を飲んでため息をつき。残っている納豆をご飯に添えたりして、まだ試していない食べ方で朝食を消化していく。

 試せる方法を全て試して食べ終えると、満足度の高い余韻を全員で浸り、そそくさと後片付けを進めていく。

 食器類を水洗いした後。花梨はクロから貰った制服に着替え、金色の刺繍が施された帽子をかぶると、帽子の中にポニーテールをしまい込んだ。


「よし、完了っと」


「見るのは二回目だけど、やっぱりすごくカッコイイわっ!」


「花梨、ゴーニャ、早く行こう」


 花梨が着替え終わるや否や。初仕事の時は『似合ってる』と賞賛した纏が、制服姿の花梨に目もくれず、扉を開けて二人を催促する。


「纏姉さん、今日は本当に気合いが入ってますね。一体どうしたんですか?」


「いいから。早く、早く」


 待ち切れない気持ちを抑えられず、その場で飛び跳ねる纏に、姉妹は顔を見合わせてから首をかしげた。

 理由が気になるものの。聞く雰囲気じゃないと察した姉妹も部屋を出て、先を行く纏の背中を見ながら支配人室を目指していく。

 支配人室の扉の前まで来ると、纏はノックをせずに扉を開け、早々に中へ入っていった。


「ぬらりひょん様、来たよ」


「むっ? おお、纏か。おはようさん」


「失礼しまーす」

「失礼しますっ」


 花梨達も遅れて中に入り、開けた扉を閉じ、ぬらりひょんの方へ体を向ける。


「二人共もおはようさん。予定より早く来たって事は、纏に引っ張られてきたな?」


「あっははは……。まあ、そんな感じです」


 想像するに容易かったのか。見事言い当てられると、花梨はばつが悪そうに頬を掻く。

 そんな、早朝から振り回されっぱなしの花梨を見て、ぬらりひょんは口角を緩く上げた。


「まあ、そんな事だと思っていた。なんせ今日は……」


 意味深な発言をしたぬらりひょんが、ニヤついている横目を、隣まで来た纏に送る。それを合図に、纏の足元から螺旋を描く白い煙が発生し、瞬く間に小さな体を覆い隠していく。

 その円状で留まっていた煙は、徐々に高くなっていき。花梨の身長をやや追い越す高さまで育つと、白い煙の回転が緩やかになり、やがては音も無く霧散していった。


 そして晴れた視界の中。纏の姿はどこにもなく、代わりに物静かそうで、どこか纏と似た大人の女性が立っていた。

 容姿は秀麗な小顔ながらも、纏特有の黒いジト目。艶やかな長髪は腰まで伸びていて、窓から差し込む光を浴び、妖しく輝いている。

 そんな、どこか纏の雰囲気が隠し切れていない妖麗な女性は、花梨と同じ駅員の制服を身に纏っていた。


「……あれ? 纏姉さん、ですよね? その制服を着てるって事は、もしかして?」


「うん。今日のパートナーは私」


 少し疑いを持っている花梨が問い掛けると、纏と同じ声を発した女性が、誇らしげにブイサインを送る。


「……わあっ! 纏姉さんと一緒に仕事が出来るんだ! というか大人姿の纏姉さん、すごく綺麗!」


「本当?」


「うんっ! とっても素敵だわっ!」


 ゴーニャまで興奮気味に割って入ってくると、纏は無表情でいる顔で姉妹を見返していく。が、内心は嬉しかったようで。腰に両手を当て、「むっふー」と全身で静かに喜びを表した。


「喜び方も、どこか大人っぽい! うわぁ〜、これが大人姿の纏姉さんかぁ。あの、仕事が終わったら写真を撮らせて下さい!」


「あっ、私も撮るっ!」


「いいよ」


 そう言った花梨達であるが、やはり我慢が出来ず。すぐさまお互いに携帯電話を取り出しては、連射機能を駆使して纏を撮り、全員で確認し合っていく。

 そのやり取りにぬらりひょんも加わると、途端に姉妹の歯止めが効かなくなり、残り少ない時間が許す限りまで続いていった。

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