82話-7、残っている有給は二千日以上(閑話)

 妖狐のみやびに遊びのなんたるかを学び、秋国に帰ってから永秋えいしゅうへ行き、酒に酔い潰れた花梨のケアを終えた、その日の夜中。


 茨木童子の酒天しゅてんは、閉店した『居酒屋浴び呑み』の三階にある、自室のベッドで寝っ転がりながらニヤニヤしていた。

 抱き枕を目一杯抱き締め、奇声染みた笑い声を発している酒天に、一緒に居る酒呑童子の酒羅凶しゅらきが耐えかねたようで。

 日記を書いていた鉛筆をテーブルに置き、物が吹き飛びかねないため息を鼻から漏らすと、酒天の方へ顔をやった。


「気持ち悪いほど嬉しがってんな。なんかあったのか?」


「んふふっ。聞いて下さいよ、親分!」


 うぐいす色の長いサイドテールを解いた酒天は、ニヤケ面を保ったまま体を起こし、抱き枕を抱きつつベッドのふちに腰を下ろす。


「今日、花梨さんや雅さん達と遊んできたんスけど、嬉しい事ばかりあったんスよ!」


「ああ、そういや今日か。よかったじゃねえか。生涯初めての遊びで、そんな事があって。で、何があったんだ?」


「えっとっスね。花梨さん達が、お昼ご飯を沢山奢ってくれたりとか。また遊ぶ約束をしてくれたり。あと、一緒に永秋えいしゅうの風呂に入る約束もしたっス! それに……」


 『花梨さんが、あたしに甘えてきてくれた』だなんて、口が裂けても言えるはずがなく。正気を取り戻した酒天は、滑りかけた口をヒクつかせ、苦笑いしながら後頭部へ手を回した。


「と、とにかく、いっぱい嬉しい事があったっス」


「ほーん。また遊ぶ約束をしたって事は、これから仕事をちゃんと休むんだな?」


「はい、休むっス! 休むっスけど……、親分。それについて、ちょっとご相談がありまして」


 急に態度を改めた酒天に、酒羅凶は「相談?」と片目を不機嫌そうに細めた。


「その、遊びについてっス。たぶん、二日前か前日に誘われると思うんスが……。もし、もしっスよ? 当日に誘われた場合、その日に休んでも、大丈夫っスかね?」


「当日? 別に、お前なら仕事中でも構わねえよ」


「はえ? 仕事中でもいいんスか?」


 鉄拳制裁を覚悟して言ってみるも、理想を遥かに超えた即答のせいで、金色の瞳をぱちくりとさせる酒天。


「当たり前だろ。お前の有給、何日残ってると思ってんだ?」


「あたしの有給? ほとんど消化した事ないっスけど、何日あるんスか?」


「お前が休まなかった日を付け加えてあっから、二千日以上あんぞ」


「はあっ!? にっ、ににに、二千日以上っ!?」


 おおよそ五年以上の有給があると知るや否や。驚愕して、窓が割れんばかりに絶叫した酒天が、酒羅凶の元へ駆けていった。


「二千日以上って、五年以上あるじゃないっスか! そんな有給の付け加え方アリなんスか!?」


「普通はねえけど、ここでは俺がルールだ。もし消化し切らねえまま死んでみろ? どんな手を使ってでもお前を生き返らせて、思いっ切りぶん殴ってやっからな」


「怖っ! 安心して死ねないじゃないっスか! ちょっと親分〜、そりゃないっスよぉ〜……」


 ここぞとばかりに店長権限を使われ、八方塞がりとなった酒天が泣きを入れ、酒羅凶の太い足にしがみつく。

 そんな、自分が作ったとも言える窮地に立たされた酒天に、酒羅凶は呆れた様子でため息をつき、酒天の後頭部に手を回した。


「まっ、今まで俺の言う事を聞かなかったお前が悪い。とっとと諦めて、指定された日はちゃんと休むんだな」


「それはそうっスけど……、週に二回も休んだら死んじゃうっスよぉ……」


「まるでマグロみてえな奴だな。止まると死ぬのか?」


「はいっス、死んじゃうっス……」


「そうか。そん時は俺が生き返らせてやるから、安心して死ね」


「あ゙あ゙〜、そうだったぁ〜……」


 おちょくるのが、だんだん楽しくなってきたのか。はたまた、別の感情が芽生えてきたのか。涙で瞳を潤わせている酒天を見て、酒羅凶は硬そうな口角を緩く上げた。


「しっかし。そんなお前が、自発的に有給を使ってくれるようになるだなんてな。誘ってきたのは、確かかえでとよくここに来てる、みやびだったか?」


「そうっス。それとこれから、花梨さんも遊びに誘ってくれるっス。だからあたしも、その内誘ってみようかなあ〜って思ってるんスよ」


 話題が戻った途端。泣いていた酒天が微笑み、今後の予定について嬉々と語り出す。

 今まで言う事をまったく聞かず、仕事に取り組んでいたのに対し。たった半日でここまで変わった酒天に、岩盤を彷彿とさせるゴツゴツとした酒羅凶の顔が、僅かにほころんだ。


「そうか。ならその誘い、ぜってえ断るんじゃねえぞ? 必ず受けて、バテるまで楽しんでこい」


「はいっス! 絶対に断りません、快く受けるっス! えへへっ、今から楽しみでしょうがないっス」


「それとだ。帰って来たら、俺に遊んだ内容を教えてくれ」


「んえっ? 遊んだ内容っスか?」


 よもやの返しに、酒天が抜けた返事をすると、酒羅凶は巨大な顔をうなずかせた。


「お前がどんだけ楽しんできたのか、かなり気になるからな。酒のツマミとして聞きてえから、美味い酒を用意して待ってんぜ」


「おおっ、本当っスか? それなら任せて下さい! 最高の話を聞かせてあげるっス。楽しみにしてて下さいね、親分っ」


 嬉しくなった酒天がニッと笑うと、酒羅凶は酒天の後頭部に回していた手を不器用に動かし、慣れない手つきで撫で始めた。

 新しい楽しみが増えると、酒羅凶は、可愛いこいつが、やっと遊ぶ事を覚えてくれたか。あの二人には、感謝してもし切れねえなあ。と心の中で呟き、半身だけをテーブルに向ける。

 そして鉛筆を持ち、日記に『追伸。今日は、俺にとっても酒天にとっても、記念すべき日となった』と付け加えた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 あれから最高級の酒を用意し、酒天の遊んだ内容を聞き明かした、次の日の朝七時前。


 観光客がまだ少ない大通りで、酒ケースを大量に積んだ荷車を引いている酒羅凶が、大口を開けてあくびをする。

 目に滲んできた涙をぬぐうと、晴れた視界の先に、永秋えいしゅうの前を箒で掃き掃除している、三人の女天狗が映り込んだ。

 その中の一人はクロであり、四階まで上る手間が省けたと思った酒羅凶は、他の女天狗と談笑を始めたクロの元へ歩んでいった。


「朝から元気そうだな、てめえは」


「んっ? ああ、酒羅凶か。おはよう。珍しいな、お前が配達をするだなんて」


 振り向きざまに、酒羅凶と荷車の二つの情報を認めたクロが、物珍しそうにしている顔を酒羅凶に合わせる。


「ちょっとな。秋風は居るか?」


「花梨? 十時に仕事があるから、まだ寝てると思うけど……。用があるなら起こしてこようか?」


「いや、寝てるならいい。すまねえが、これを秋風に渡しといてくれ」


 そう断った酒羅凶は、一升瓶が六本入っている酒ケースを、片手で荷車から黙々と降ろしていく。おおよそ二十ケース分降ろすと、酒羅凶の作業を目で追っていたクロが、黒い瞳を丸くさせた。


「かなりの量だな。花梨が頼んだのか?」


「んな訳ねえだろ、俺からのお礼だ。それとこれ」


 続け様に酒羅凶は、腰に巻いていた布袋を漁り、二十枚の紙を取り出してクロに差し出す。

 流れるがままに受け取り、紙に書かれている内容を確認してみると、『居酒屋浴び呑み一日食べ放題券』と記されており。

 五枚ずつ『秋風様専用』『ゴーニャ様専用』『クロ様専用』『ぬらりひょん様専用』と名前分けされていた。


「食べ放題券? なんで私の分まであるんだ?」


「いいからとっとけ。それに、秋風やゴーニャに問い詰めても無駄だぞ。あいつらも身に覚えがねえからな」


「はあ……。なんだ? 何かいい事でもあったのか?」


 突然現れ、大量のお礼の酒を渡され。更に食べ放題券までくれた一連の流れが理解出来ず、ただ呆然とする事しか出来ないクロが、理由を知りたそうに質問をする。

 しかし酒羅凶は、既に荷車を引いて立ち去ろうとしており、クロに赤い甲冑の背中を見せていた。


「あった。俺にとって、これ以上に無い事がな」


 話を続けさせまいと一言だけ残した酒羅凶は、クロの返答を聞かぬまま、次の目的地である『妖狐神社』に足を運ぶ。

 秋国の入口がある方面ともあってか。永秋えいしゅうを目指す客足が増えてきていて、歩みを進める度に、静かだった大通りが活気に溢れていった。

 そして、眠気を忘れる喧騒が響き渡り始めた頃。多くの参拝客が行き交う『妖狐神社』に到着。人の流れを崩さぬよう、辺りを目を配りつつ赤い鳥居をくぐっていく。

 境内けいだいに入ると、この時間帯なら、かえでは本殿近くに居るな。と目星をつけ、参拝客の邪魔にならぬ道を選び、威風堂々と佇む本殿へ向かっていった。


「お、いたいた」


 酒羅凶の予想は見事に当たり。本殿へ続く中央階段の左脇に、別の妖狐と会話をしている楓を見つけると、そこから最短距離で詰めていく。


「お前、いつもここに居んな」


「む? お主……、秋国に雪を降らせるつもりか?」


「おい、俺の配達がそんなに珍しいのか?」


 出会い頭に楓の糸目が見開き、信じられない物を見たような言い草に、酒羅凶の目が相反して細まっていった。


「珍しいも何も、少なくともワシは初めて見たぞ」


「だろうな、俺だってここでは初めてやったわ」


「そ、そうか……。で、御神酒おみきを持ってきたんかえ?」


「いや、それは別の奴が後で持ってくる。雅は居るか?」


 まさかの人物の名に、狐の耳をピクンと反応させる楓。


「雅? 今は本殿の奥で掃除をしとる。用があるなら呼んでくるぞ?」


「仕事中なら無理に呼ばなくていい。悪ぃけど、これを雅に渡しといてくれ」


 直接会って渡すのも恥ずかしいので、無難に断った酒羅凶は、楓の前に酒ケースを素早く並べていく。

 普段、御神酒を百本頼んでいるものの。雅宛だけでそれを上回る数の一升瓶の酒に、楓は呆気に取られ、眉間に浅いシワを寄せていった。


「これは、雅が好んで飲んでる酒ではないか。雅から発注が入ったのか?」


「いや、俺からのお礼だ。あと、ほら」


 雅の仕業ではなく、自分の好意である事を自白した酒羅凶は、クロにもあげた『居酒屋浴び呑み一日食べ放題券』を楓に渡す。


「食べ放題券? しかも、ワシと雅専用……。お主、何を企んどるんじゃ?」


「何も企んじゃいねえし、裏もねえ。いつでも好きな時に使ってくれ。んじゃあな」


 特に理由も言わず、謎を残したまま立ち去ろうとした酒羅凶に、楓は「待て、酒羅凶」と呼び止めようとする。が、酒羅凶は歩みを止めず、楓との距離を少しずつ離していった。


「そことなく嬉しそうにしているが、一体何があったんじゃ?」


「言いたくねえ。が、雅にこれだけ伝えといてくれ。『ありがとよ』ってな」


 あえて『酒天と遊んでくれて』を言わず、短いお礼の言葉を楓に伝え、妖狐神社を後にする酒羅凶。

 大通りに出ると、酒羅凶の鬼を宿す仏頂面が柔らかくほころび、上機嫌に鼻歌を歌いながら帰路に就いた。







 ―――雅達と遊び、酔いが覚めてから書いた花梨の日記




 今日は、雅とまた秘湯巡りをしてきた! 前回から結構空いちゃったから、楽しみにしていたんだよね。

 本当はもう一人来るはずだったんだけど、何かトラブルがあったらしく。仕方ないから先に『定食屋付喪つくも』で、雅達とお昼ご飯を食べたんだ。

 その間ずっと、誰が来るんだろう? って考えながら食べてたよね。雅の部屋に泊まった時から焦らされてたし、相当考えてたよ。


 それで、食べ始めて三十分ぐらいしてからかな? ようやくもう一人の人が到着したんだけど、なんと酒天さんだったんだ!

 まったく予想してなかったから、あの時は本当に驚いたや。けどすぐに、すごく嬉しくなっちゃった。

 だって、酒天さんって毎日忙しそうに働いていたから、一緒に遊べるだなんて思ってもみなかったんだもん。


 その後、雅と私で酒天さんにお昼ご飯を奢って、みんなでたっぷり食べた後。楽しく会話をしながら秘湯ひとうに行ったんだ。

 なんでも雅いわく、今回の秘湯は前に行った場所よりも更に山深い所にあるようで、当然のように熊と遭遇するらしくてね……。

 まあ案の定、バッタリと鉢合わせちゃったよね……。いやぁ、流石にあの時は久々に死ぬかと思ったよ……。

 いや、久々と言っても、そんなに前じゃないか。その前は、ホオジロザメに襲われた時だしね。(割と定期的に死ぬ思いをしているなぁ、私……)


 一応、熊と目が合っちゃったんだけども、気がついたら居なくなっていたんだ。(気がついたらというか、気が遠のいていたというか……)

 で、助かったのが分かったら、腰が抜けて立てなくなっちゃったんだよね。海とはまた一味違う、身の毛がよだつような恐怖体験だったなぁ……。

 雅や酒天さんは、よく平然としていられたなぁ。もしかして、私が驚きすぎていただけ? 本当に? 嘘でしょ……?


 とりあえず、熊と鉢合わせたのは一回だけだった。そして、肝心の露天風呂はというと。また、お酒に酔っちゃって、ね?

 後半部分から永秋えいしゅうに帰って来た間の記憶が、全部すっ飛んでてね……。こっちも気が付いたら、私の部屋に居ました……。


 うーん、とっくり一本でも駄目なのか。ギリギリ記憶が残っているのは、おちょこ五杯目ぐらいかな? となると、私のお酒の許容量は、おちょこ二杯ぐらいか。そんなにお酒が弱いの、私……?

 飲んでいく内に強くなるらしいけど、私には無理だろうなぁ。大人しく、おちょこ二杯で我慢しておこう。

 これ以上、記憶が無いまま楽しい時間を過ごすのは嫌だからね。これからは、もっと自分に厳しくしていかねば!


 さてと、次にお酒を飲む機会があるとすれば、永秋で酒天さんと一緒にお風呂に入る時かな?

 それまでは、お酒を一切飲まないでおこっと。酒天さんと一緒に飲む時が、一番美味しく感じるからね。

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