82話-6、不器用な鬼は、遊びのなんたるかを学ぶ

 今日の目的を全て達成出来た酒天しゅてんが、時間の流れを忘れる温かさを全身で噛み締めてから、二時間が経過した頃。

 露天風呂から上がった一行いっこうは、大型の一反木綿に変化へんげしたみやびに乗り、茜色に染まる帰路に就いていた。


 帰り際に、何とかして花梨を起こしたものの。酒が抜けていない花梨は、再び寝落ちしており。ゴーニャも遊び疲れたようで、花梨と寄り添い寝息を立てていた。

 そんな、寝ている時も仲の良い姉妹を見て、やんわりほくそ笑んだ酒天は、地平線の彼方に沈みゆく夕日に顔をやる。


「いやぁ、綺麗な夕日っスねぇ」


「ですねー。酒天さん、今日は楽しかったですかー?」


 風に乗って流れてきた雅の相槌あいづちと質問に、酒天は当然のように「はいっス!」と答えた。


「今日は、かけがえのない思い出がいっぱい出来ましたし。これからも、気兼ねなく遊べる約束も交わせるようになりましたし、至れり尽くせりっス。誘ってくれまして、本当にありがとうございました!」


「いえいえー、酒天さんが楽しんでくれたようで何よりですー。それと、すみませーん。護衛も兼ねてくれましてー」


「全然問題ないっス! 本来の目的が護衛でしたからね。楽しく遊ぶ事も出来ましたし、あたしにとって一石百鳥っス!」


 酒天の剛腕なら、本当にやりかねない例えに、雅はマイペースな笑いを返す。


「それならよかったですー。しかし、花見をしてる時は驚きましたよー。私の所に飛ぶ勢いで来たかと思えば、訳も分からぬまま攫われましたからねー」


「そ、それはそのー……。誰にも聞かれたくない話をしたかったので、つい……」


 花見でしでかした行為を蒸し返され、ばつが悪そうに答えた酒天が、苦笑いしている頬を指で掻く。


「まあ、内容が内容ですからねー。遠くから見てましたけど、結構いい感じだったじゃないですかー」


 実は、花見の時から口裏合わせをしており、酒天に加担していた雅は、姉妹が寝ている事をいいように、作戦は成功だというていで話を進める。


「予想より遥かに刺激が強かった事を除けば、最高に良かったっス。でも、これっきりっス。もう二度とやりません」


 名残惜しそうでいる右手を、まだ温もりが残っている左胸に当て、気持ち良さそうに寝ている花梨に顔をやる酒天。


「んー? どうしてですかー?」


「酒の力を借りたからこそ叶った願いであり、全て花梨さんの意思ではないっスからね。こう冷静になってきたら、なんだか罪悪感が湧いてきちゃいました」


「あっ、あー……」


 人一倍正義感が強い酒天にとって、初めて完遂したわがままですら悪事となってしまい、温まっている心に冷めた後悔が芽生え始めていた。

 一旦は、かける言葉が浮かばず詰まったものの。軽く思案した雅は、しゅんとした酒天を励ますべく、状況証拠を集める為に口を開いた。


「酒天さーん。お酒って、無理やり飲ませましたー?」


「いえ。河川敷と露天風呂で一回ずつ勧めたぐらいで、無理やりは飲ませてません」


「ほうほうー。それじゃあ、花梨が飲みたいと言って飲んで、酔っ払った結果がアレなんですねー」


「まあ、流れはそうっス。花見の時はコップ一杯でベロンベロンになってたので、とっくり一本だけなら大丈夫かと思いましたが……。どうやら駄目だったようです」


「花見の時ですかー。あの時の花梨も、なかなか凄まじかったですよねー」


 ある程度の情報を得られた雅は、酒天の言い分に同調し、「なら」と切り出す。


「酒天さんは悪くないですよー。お酒は花梨の意思で飲んだー。それで酒に酔ったら、たまたま理想に近い流れになったー。それだけですー」


「そうっスか? でも……」


「でもじゃないでーす。酒天さんは、結果を悪いように見すぎですよー。そもそも今回の流れは、酒天さんのわがままで叶ったのではなく、遊びの中で叶ったんですからねー」


「遊びの、中で?」


 困惑気味に返すと、雅は「そうでーす」とキッパリ言う。


「わがままっていうのは、その願いをどうしても叶えたくて、無理やりにとか強引にお酒を飲ませた時に、初めてわがままとなりますー。けど、今回は花梨が自分の意思でお酒を飲み、酔っ払ったら酒天さんに甘えてきたんですよねー?」


 雅なりの理に適っていそうな説明に、わがままで願いが叶ったと決めつけている酒天は、金色の瞳に右へ逸らし、口を軽く尖らせる。


「結果的には、そうかもしれないっスけど……。でもほら、河川敷であたしが酒を勧めたじゃないっスか。かなり深く考えてましたし、飲まないと悪いと思った可能性も……」


「それは、遅かれ早かれの話ですよー。秘湯ひとうに着いたら、どちらにせよお酒を出すじゃないですかー。きっと花梨なら、お酒を見て興味を持ち、必ず同じ流れになってたはずですー」


「そ、そうなん、スかね?」


「間違いないですねー。だから今回は、酒天さんのわがままで願いが叶ったのではなく、遊んでる最中に叶った事になりますー。なので、酒天さんは気に病まないで下さいー」


「……う〜ん」


 悪い方へ自己解釈している考えを改めさせるべく、あくまで遊びの一環として行き着いた結果だと教えるも、酒天は一向に納得せず。

 ついには腕を組み、深く考え込んでしまう始末。が、もう一押しだと感じた雅は、茜色の空にから笑いを飛ばした。


「酒天さんって、案外不器用なんですねー」


「へっ? あたしが、不器用?」


「ええー、考え方がかなり不器用ですー。もし遊んでる最中にお酒を飲んだ花梨が、酔っ払って酒天さんに甘えてきたら、罪悪感は湧きますかー?」


「遊んでる最中? それって、あたしが酒を勧めてない場合っスか?」


「そうでーす」


「その場合でしたら、たぶん湧いてこないっスね。それよりも、二日酔いにならないようケアをするっス」


 酒天が真面目に即答すると、雅は平べったい口角を緩く上げた。


「なら次でーす。遊んでる最中に、酒天さんがみんなを居酒屋に誘ったとしましょー。で、オススメの酒を花梨に教えて、それを飲んで酔っ払い、酒天さんに甘えてきたらどうですかー?」


「オススメの酒を教えて、っスか。なんだか、今日の流れに似てますけど……。う〜ん……」


 似て非なる例えでも、酒天は再び長考し出してしまい、しかめっ面を夕日から逃がしていく。

 冷ややかな風切り音の中に、絶えない唸り声が混ざり始めてから、約一分後。ようやく答えが出たのか、酒天のしかめっ面が夕日に戻った。


「たぶん、たぶんっスけど……。罪悪感は湧いてこなくて、嬉しいと思っちゃう、かもっス」


「なるほどー。要は、そこの違いなんですねー」


「違い? どう違うんスか?」


「花梨に甘えてきてほしいから酒を勧めたか、花梨に飲んでほしいから酒を勧めたか、この違いだけですー」


 微々たる違いを言い聞かせるも、やはり酒天は納得しておらず、口が更に尖っていく。


「雅さん、それだいぶ違うじゃないっスか。前者はわがままという悪意があって、後者にはそれが無いっスもん」


「あー、わがままを悪意って言っちゃうんですねー。そうしたら、花梨と遊びたくなっていきなり誘ったら、それもわがままになっちゃいますけど、いいんですかー?」


「えっ? ……あっ」


 正義感が強すぎる故に、己のわがままですら許せないでいた酒天は、雅のトドメに言葉を詰まらせ、尖らせていた口をポカンと開いた。

 その反応に、雅は確かな手応えを感じ。夕日に向けている平面な顔を、いやらしくニヤニヤとさせた。


「……み、雅さんの言う通り、あたしって、相当不器用だったかもしれないっス……」


「不器用極まりすぎですよー。これはちょっと、荒療治が必要ですねー」


「あ、荒療治!?」


「ええー、それも一回だけじゃありませんー。何度も何度も必要な荒療治ですー」


 荒療治と聞き、おののいて体を退けた酒天が、身震いして固唾をゴクンと飲み込む。


「い、一体……、どんな荒療治、っスか?」


「ふふーん。酒天さーん、今度はいつ空いてますー?」


「今度? 何かお誘いがあれば、その日は空けときますけど……」


「おーっ、それならよかったー。それじゃあ、花梨にも空いてる日を聞いて、また遊びのお誘いをしますねー」


「えっ? ああ、はい。分かりました……、へっ?」


 荒療治の内容ではなく、遊ぶ約束を交わされた酒天は、理解出来ぬまま困惑し、抜けた声を漏らす。


「あ、あの〜、雅さん? 荒療治は……?」


「今言いましたよー。荒療治の内容は、これから何度も私達と遊ぶ事ですー」


「そ、それが、荒療治なんスか?」


「そうでーす。沢山遊んで、沢山馬鹿騒ぎをして、沢山わがままを言い合うー。要は、遊びを気ままに楽しめばいいんですよー。そうすれば、罪悪感なんて湧いてこなくなるんじゃないですかー?」


 荒療治というよりも、ただ単純に遊びを楽しむだけ。そんな適当な遊びのなんたるかを聞くと、酒天はひとまず安心して肩を落とす。

 そして、口をむにゃむにゃとさせている花梨を眺めてから、ススキ畑の地平線に落ちていく夕日に顔を移し、そっと微笑んだ。


「遊びを楽しみながら、わがままを言い合う、か。あたしには、相当厳しい荒療治っスねぇ」


「ええー。なのでこれからビシバシやるので、覚悟してて下さいねー」


「うへぇ……、怖いっスねぇ。けど、分かりました。これから、荒療治の方をよろしくお願いします!」


「はいー、まっかせて下さいー!」


 いつ終わるか分からない、荒療治という名の遊ぶ約束を交わすと、酒天は罪悪感を少しだけため息に乗せ、黄昏の帰路に流していく。

 残りの罪悪感を心の内に留めると、夜の帳が降りてきた空を仰ぎ、意気込んだ気持ちを右手に集め、グッと握り拳を作った。

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