82話-4、共感が共感を呼び、新たな約束の切っ掛けを作る

 隠世かくりよで初めて熊と遭遇し、花梨の腰が抜けて小休憩を取ってから、一時間以上が経過した後。

 四人は目的の秘湯を目指し、視界が悪い道無き山中を突き進み、そこから更に三十分が経過した頃。

 視界を狭めていた木々が突然開けて、暖かな太陽の光が差し込んでいる広場へと出た。


「おー、やっと着いたー」


 先行して案内を務めていた妖狐のみやびが、目前にある景色を認めると、次を行っていた茨木童子の酒天しゅてんや花梨達も、広場へ出ていく。


「ここがそうなんスね。やー、気持ち良さそうっス」


「うわぁ〜、炭酸泉だ!」


 遅れて花梨も広がった景色を見て、安堵のこもったため息を吐きつつ、広大な炭酸泉に目を配った。

 紅葉が浮かんだ透明度の高い水面には、プツプツときめ細かな気泡が弾けていて、心地よい音を奏でている。

 広さは縦横十五メートル以上はありそうで、底には大小様々でゴツゴツとした岩が敷き詰められている。

 深さもそれなりにあり、炭酸泉の露天風呂に近づいていったゴーニャが、水面に映る自分の顔を見ながら、底の深さを確認した。


「ちょっと深いけど、私が座れそうな場所もあるわっ」


「おおっ、ちょうどいい温度だ。四十℃ぐらいかな?」


 ゴーニャの後ろに付いた花梨が、温度を確かめるべく、袖を捲った右手を露天風呂に突っ込んでいく。

 すると、腕がみるみる内に気泡だらけになり、細かな泡がひっつき合い、大きな泡となっていった。


「すごいなぁ。永秋えいしゅうの『炭酸泉の湯』よりも泡が多そうだ」


「熱燗と冷酒、両方合いそうな温度っスねぇ。うっし、早速用意せねば!」


 酒天も露天風呂に手を入れ、ウキウキしながら濡れた手をタオルで拭き、背負っていたリュックサックを地面へ降ろす。

 上機嫌に鼻歌を歌い始め、ガスコンロ、小さな鍋、水入りのペットボトルを取り出し。ガスコンロに小さな鍋を設置して、水を注いでいる中。その様を眺めていた花梨が、「あの、酒天さん」と問い掛けた。


超特濃本醸造酒ちょうとくのうほんじょうしゅは、どのぐらいあるんですか?」


「えっとですね、一升瓶が五本あるっス」


 萎んできたリュックサックを覗き、氷水入りの袋と寄り添い、キンキンに冷えている一升瓶を指差し確認する酒天。


「五本もあるんですね。どうしようかな〜? 露天風呂を堪能してから、ちょっとだけ飲んじゃおうかな?」


「本当っスか!? それでは、飲みたくなったら言って下さい! 最高の酒を用意するっス!!」


 花梨に自発的に酒を飲んでもらい、あわよくば酔った勢いで自分に甘えてきてほしいという、欲が満たせそうな気がしてきた酒天が、頬を赤らめながらガッツポーズをする。

 そのガッツポーズの意図を汲み取れなかった花梨は、ひとまず元気が有り余っている酒天に、ふわりと微笑んだ。


「最高の露天風呂に、最高のお酒かぁ。それじゃあ、楽しみにしてますね」


「はいっス!! 楽しみにしてて―――」


「たーっ!」


 気持ちが最高潮に達して、心が昂って叫び上げると、更なる大きな声がかき消し、『ドボン』という、水に重い何かが落ちたような音が後を追う。

 何事かと思い、二人が音のした方へ顔を向けると、映った視界の先には、体にタオルを巻き、大の字で水面に浮かんでいる雅の姿があった。


「あっはぁー、気持ちいいー……」


「あっははは。雅ったら、また飛び込んじゃって」


「雅さん、服を脱ぐのが早いっスねぇ」


 目を離してからものの数十秒で、巫女服を脱いで飛び込んだ雅に、酒天は素直に関心する。


「実はあの巫女服、葉っぱを変化術で変えた物なんですよ」


「へぇ〜、そうなんスね。なら、一瞬でパッと脱げるワケっスか」


 花梨の説明に返事をして、コンロに火を点けた酒天が、花梨に合わせていた顔を雅へ戻す。


「花梨っ、酒天っ。私達も早く入りましょっ!」


「っと、そうだね。それじゃあ酒天さん、私達も入りましょうか」


「そうっスね、了解っス」


 待ちきれない様子のゴーニャに、二人も露天風呂に浸かりたい気持ちが強くなり、いそいそと入る準備を始めた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ぬっはぁ〜……、疲れがお湯に溶けてくぅ〜……」


「ふぇあっ……、気持ちいい〜」


「いいっスねぇ、この自然に溢れた開放感。格別っスぅ……」


「ああ〜……、一生ここにいたーい……」


 各々準備を済ませ、露天風呂に肩まで浸かり。腑抜けた感想を湯けむりに乗せ、紅葉の景色に溶け込ませていく。

 花梨は普通に座り。ゴーニャは、手頃な石を花梨の横へ持ってきて、その上に座り。酒天は、冷酒が入ったおちょこを片手に。雅は顔だけ水面に出し、ぷかぷかと浮かんでいる。


 山深い森林から流れてくる、秋の涼しいそよ風を感じながら黄昏て、さわさわと揺れ動く紅葉を眺める四人。

 呼吸をするのも忘れ、まるで微かに動く絵画を眺めているような感覚に陥っていると、酒天は思い出したかのように、冷酒をくいっと飲み込んだ。


「ん〜っ、美味いっ。いや〜、何もかもが最高っスねぇ」


「ですねぇ。最高の景色に、最高の露天風呂。それに皆さんと入ってるから、余計に気持ちいいですぅ」


「なるほど、確かにそれが一番大きいっスね」


 同じ環境を共有し合えて、共に味わえる喜びを知った酒天が納得し、野鳥が横切っている青空を仰ぐ。

 空を流れるひつじ雲を眺め、最高の景色に、最高の露天風呂。あと、最高の仲間が居るからこそ、こんなに楽しくて気持ちがいいんスね。と、口には出さず、心の中でほくそ笑んだ。


「そういう事ならば、永秋えいしゅうでも花梨さん達と一緒に、風呂に入りたいっスねぇ」


「そういえば、酒天さんとはまったく会わないですね。いつ頃来てるんですか?」


「あたしは、いつも仕事終わりに行ってるんで〜……。大体夜の十一時から十二時ぐらいっスかね?」


「げっ、もう寝てる時間だ……。だから会えなかったんだ」


 仕事があろうと無かろうと、十一時までには寝ている花梨に、酒天は青空に苦笑いを飛ばす。


「花梨さん、寝るのが早いっスね。夜更かしとかしないんスか?」


現世うつしよだと、まあまあしてたんですけど。秋国って、夜になると丁度いい涼しさになるじゃないですか? それが心地よくて、ついウトウトしちゃうんですよね」


「あー、分かるー。それに加えて鈴虫の鳴き声を聴いてると、いつの間にか寝落ちしちゃってるんだよねー」


 共感した雅が反応し、違う要因を付け足すと、ブクブクと水底へ沈んでいった。


「確かに。星を眺めてる時に聴いてると、だんだん眠くなってくるんスよねぇ」


 思い当たる節がある酒天も、雅の耳に届かぬ相槌あいづちを打ち、ぬるくなり始めた冷酒を啜る。


「リーン、リーンって鳴く虫よね。あの鳴き声を聴くと落ち着くから、私も好きよっ」


「ゴーニャさんもっスか。あたしが風呂に入ってる時間は人が少ないので、よーく聴こえるんスよ。鈴虫の鳴き声を聴きながら入る風呂も、なかなか風流があっていいっスよー」


「へぇ〜、そうなのねっ。私達が入ってる時間は人が多いから、ほとんど聴こえないわっ」


 普段、混雑している夕方頃に入っているせいで、酒天の話を聞いたゴーニャが残念そうに言うと、花梨が「なら」と続ける。


「酒天さん。時間を合わせるので、たまに一緒に入りましょうよ」


「えっ、いいんスか?」


「はい。夜遅くのお風呂って、あまり体験した事がないですし。それに、酒天さんともっとお風呂に入ってみたいですからね。ゴーニャもいいでしょ?」


「うんっ! 私も夜中のお風呂に入ってみたいし、酒天ともっとお話してみたいわっ」


 分かり切っていたものの。気持ち良く賛同してくれたゴーニャに、花梨は微笑みで応えた。


「よし、決まり! あとでまとい姉さんにも言っておくので、連絡待ってますね」


 微笑みを保ったまま酒天に約束を交わすと、酒天はそれ以上に明るい笑みを浮かべ、「はいっス!」と返す。


「それじゃあ、日中早めにメールをするっス! いやぁ、今から楽しみでしょうがないっス!」


 そう嬉しい感情を包み隠さず出した酒天が、約束を快諾してから、冷酒をクイッと啜る。

 その味は、今まで飲んできたどの酒よりも美味しく感じ、「ぷはぁっ」という至福の声を空へ放った。

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