82話-1、雅と花梨の秘湯巡り。その2

 昼食の匂いが本格的に濃くなってきた、午前十二時前。


 花梨とゴーニャは、この前妖狐のみやびから誘われた秘湯巡りに備え、雅と共に定食屋付喪つくもで昼食を取っていた。

 花梨は、大判のカツが二枚乗った特盛のカツ丼。ゴーニャは大人の妖狐に変化へんげし、油揚げがたんまりと入っているきつねそば。

 雅も、妖狐御用達である裏メニューの一つ、油揚げと大根の煮物に舌鼓したつづみを打ち。カツ丼を完食した花梨が、背中に巨大なしゃもじを背負っている飯笥みしげーに「あの、すみません」と声を掛ける。


「カツ丼の特盛、もう一つお願いします」


「カツ丼の特盛ですねー。少々お待ち下さーい」


 慣れた様子で注文を済ませると、花梨は氷が入っているお冷を持ち、一気に飲み干して喉を潤した。


「花梨君? もう少ししたら山中を歩くんだよー? そんなに食べて大丈夫なのー?」


 花梨の右隣で食べていた雅が、三皿目の煮物に箸を伸ばしつつ、説得力が皆無な言葉を放つ。


「だからこそだよ。いっぱい食べて、力をつけなきゃね」


「なるほど、逆の発想かー。じゃあ私も、それに習おっとー。すみませーん、油揚げ煮を二枚下さーい」


「油揚げ煮?」


 聞き慣れない料理名に、花梨はおしんこを摘みながら質問をする。


「妖狐御用達の裏メニューさー。カツ煮ってあるでしょー? それの油揚げバージョンだよー。厚揚げに近いから、食べ応えがあるんだー」


「へえ〜、出汁を吸ってて美味しそうだなぁ。よし、次来た時に頼もっと」


「なら、後で裏メニューを全部教えてあげるよー。紙に書いてあげるねー」


「本当? ありがとう!」


 次回ここへ来る時は、必ず妖狐姿で食べようと決意した花梨が、「そういえばさ」と話を続けた。


「雅が正体を隠してる人、何かトラブルに巻き込まれてるんだよね? あれから結構経つけど、大丈夫なのかな?」


「一応、ちょくちょくメールは入れてるんだけどねー。『もう少しだけ待って下さい!』ってしか返ってこないんだー」


 本来であれば既に合流していて、共に昼食を取っているはずだったものの。『長くなりそうなので、先に食べてて下さい!』とメールで催促されており、三人は仕方なく先に昼食を食べていた。

 心配している花梨に、雅は巫女服の袖から折り畳み式の携帯電話を取り出し、おぼつかない両手で操作をし出す。


「むうー……。かえで様から貰ったけど、操作がまったく慣れないなー。えーと? おっ、『今から向かいます!』だってさー」


「それじゃあ、トラブルは解決したんだね。よかった。いったい誰が来るんだろう?」


「ふふーん、誰だと思うー?」


 ニヤニヤし出した雅が、味が染みている大根を食べると、花梨は右顎に人差し指を添え、予想を浮かべ始めたオレンジ色の瞳を天井へ移す。


「うーん……、まるで予想がつかないんだよねぇ。私も知ってる人?」


「もちろーん。しかも、つい最近会った人だよー」


「つい最近会った人……。雅も知ってるなら、お花見に居た人かな?」


「もしかして、雹華ひょうかかしら?」


 一番左の席に座っているゴーニャが割って入り、油揚げをあむっと頬張る。


「ぶぶー。雹華さんは雪女だから、普通の温泉に入ったら溶けちゃうよー」


「それに、今日は仕事をしてるしね。クロさんも仕事中だし、あと残ってるのは―――」


「遅れてすみませんっス!」


 予想出来る人物が、かなり絞れてきた中。花見に来た人物を思い出していると、不意に背後から、元気活発な第三者の声が飛んできて、花梨の思考を吹き飛ばす。

 声は真後ろから聞こえてきた事もあり。顔をきょとんとさせた花梨が後ろへ振り向くと、視線の先には、両手で膝をつき、呼吸を乱している茨木童子の酒天しゅてんが立っていた。

 その慌てて来たであろう酒天が、息を大きく吐くと、花梨達に顔を合わせ、ニッと笑う。


「お疲れ様です、皆さん。お待たせしてすみません」


「酒天さんじゃないですか、お疲れ様です。もしかして、雅が正体を隠してた人って……」


「そー、酒天さんだよー」


 長い間隠し通していて、満を持して言えたお陰か。雅はしがらみが取れた爽やかな笑顔になり、気疲れしたように肩を落とす。

 そんな雅に相反し、花梨は予想すらしていなかった人物の登場に、一度は目を丸くしたが。遅れて理解が追いつき、表情を一気に明るくさせた。


「わぁっ、やっぱり!」


「そうっス! 今日一日よろしくお願いします!」


「よろしくっ、酒天っ」


 まさかの人物に嬉しくなったゴーニャも、微笑みで迎えると、酒天もその微笑みに応えるべく、力強いガッツポーズを送る。


「はいっス! ゴーニャさんもよろしくお願いします!」


「酒天さーん。席を一個ずらすので、ここに座って下さいなー」


 気を利かせた雅が、食べていた料理の皿をずらし、濡れた布巾でカウンターを丁寧に拭き、一つ右隣の席へ移動した。


「いいんスか? ありがとうございます!」


「はい酒天さん、お冷です」


 酒天が席に座るや否や。お冷を用意していた花梨が、酒天に差し出す。


「ああっ、すみません! ありがとうございます!」


 よっぽど喉が乾いていたようで。酒天は大好きな人から差し出されたお冷を、喉を豪快に鳴らしながら一気に飲んでいく。


「っぷはあ! 染みるっスねえー!」


「ふふっ。ささっ、もう一杯どうぞ」


「いいっスねえ、ありがとうございます!」


「飲み屋でよく見る光景のせいで、ただのお冷が冷酒に見えてくるなー」


 飲んでいるのが大酒豪なせいもあり、定食屋の一角が、ありふれた飲み屋と化した最中。ただのお冷を注ぎ終えた花梨が、氷水が入っている容器をテーブルに置いた。


「それにしても、まさか酒天さんだったなんて。私、酒天さんと遊んでみたかったんですよ」


「んえっ!? ほ、本当っスか!?」


 花梨の何気ない本音の言葉に、酒天は大袈裟に反応し、獣染みた金色の瞳を丸くさせる。しかし花梨は、驚いた表情でいる酒天に無垢な笑みを見せ、両手をパンッと合わせた。


「はい! 酒天さんとは、ほぼ仕事でしか会えなかったじゃないですか。だからプライベートでも会って、一度遊んでみたかったんです」


「私もっ! 今日はよろしくね、酒天っ」


「ご、ゴーニャさんまで……」


 よもや、最も知りたかった情報を、来て早々姉妹から聞けるとは思ってもみなかった酒天は、唖然として八重歯を覗かせている口をポカンとさせる。

 そのまま、喜びに震えている両手で握り拳を作ると、嬉しさのあまりに両目から感涙を流し始めた。


「うっ、うう……。今日ここに来て、本当によかったっスぅ……」


「ねえねえー、酒天さーん。なんで来るのが遅れたんですかー?」


 今まで理由が聞けなかったのと、今の嬉々とした感情が溢れ出している酒天のせいで、余計に理由が気になった雅が言う。

 その質問に酒天は、着ているハイカラな白い着物の袖でゴシゴシと涙を拭き取り、雅の方へ体を向けては、苦笑いしつつ頬を掻いた。


「本当は、集合時間の十分前に着く予定だったんスけど……。ここに来てる途中、親とはぐれた子を見つけてですね。先ほどまで、一緒に親を探してたんス」


「んえっ、そうだったんですねー。お疲れ様ですー」


 待ち合わせ時間を厳守しそうな酒天が、ここまで遅れた理由を明かし、まだ水が足りてない喉を潤すべく、お冷を口にする。


「酒天さん、お腹へってますよねー? 私が奢りますよー」


「あっ! なら、私も奢りますよ!」


 せめてもの報いと思い、雅が提案すると、花梨も遅れを取らまいと後を追う。


「えっ? いいんスか? 皆さん、食べ終わってるじゃないっスか。悪いっスよ」


 気を利かせてくれた二人の状況を認めつつ、花梨と雅の顔を交互に見返していく酒天。


「あー、全然大丈夫ですよー。私も花梨も、追加の注文をしたばかりですし、むしろまだまだ食べますよー」


「ええ! ですから、酒天さんもゆっくり食べて下さいね。ゴーニャも、まだ食べたい物はある?」


「いいのっ? それじゃあ、油揚げ丼が食べたいわっ」


「おっ、裏メニューのヤツだね。分かった。それじゃあ酒天さん。酒天さんも、メニューから好きな物を選んで下さい」


「み、皆さん……」


 さり気なくゴーニャも巻き込み、全員料理を待っている状態を作った花梨が、酒天にメニュー表を渡す。そのメニュー表を両手で受け取ると、酒天は呆けた顔をメニュー表へ向け、ふわりとほくそ笑んだ。


「ありがとうございます、花梨さん、雅さん! では、お言葉に甘えまして、ご馳走になるっス!」


 そう言ったものの。やはり、遠慮しがちな酒天はカレーライスを注文すると宣言して、店員を呼ぼうとする。

 が、そうはさせまいと遮った花梨と雅は、カレーライスの注文をキャンセルし、酒天を説得し出す。そして折れた酒天は、カツカレーの大盛りを注文し直した。

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