79話-8、小さい頃の私

「まさか……。隠世かくりよ釜巳かまみさんと私が、出会っていただなんて……」


 化け狸の釜巳かまみから隠世かくりよで会った事があると告白されて、唖然としていた花梨が、更に肩を落とす。

 まだ頭の中がごちゃごちゃにこんがらがり、混乱している中。それが起爆剤となり、好奇心が湯水の如く湧き上がってきた。


「あの、釜巳さん。隠世って事は、もしかして?」


「さっき言ったでしょ、一つだけってぇ〜。だから、これ以上は言えないわ」


「ぐっ……、やっぱりか〜」


 あわよくばと思ったものの、釜巳の意思もそれなりに固いようで。行き場を失った好奇心を捨て切れぬ花梨が、テーブルに突っ伏していく。

 しかし、新たな情報を断片的に得られると、花梨は起こした体を椅子の背もたれに預け、天井に向けて大きなため息をついた。


「って事は私、物心がつく前から隠世に来た事があったんだ。だから初めてここへ来た時、どこか懐かしいって思っちゃったのかなぁ?」


「懐かしい?」


 雹華ひょうかのオウム返しに、花梨は天井に向けていた顔を前へ戻し、「はい」と答える。


「なんだか、前にも来たよう事がある懐かしさを感じまして。それに隠世って、現世に居る時よりもすごく落ち着くんですよね。まるで、我が家に居るような安心感があるというか」


「へ、へぇ〜。そうなのね」


 思い当たる節があり過ぎるせいで、ばつが悪そうに返答する雹華と、口元を僅かにヒクつかせて、誤魔化すようにぎこちない笑みを作る釜巳。

 元々花梨は、隠世で建設途中の秋国で産まれ、雹華と釜巳が助産婦をするべく名乗りを上げ、産まれたばかりの花梨を受け取った。

 そのせいもあってか。花梨が口にした疑問に思い当たる節があり、余計な口出しが出来なくなっていた。


「たぶんですが私、現世よりも隠世の空気の方が肌に合ってると思うんですよね。今までどうしてか分からなかったんですが、釜巳さんが教えてくれたお陰で、謎がちょっと解けたような気がします」


「あ、あらぁ〜! それはよかったわぁ〜」


「でもなぁ〜。その時は、どれぐらい隠世に居たんだろ?」


 新たな疑問が湧いてきた花梨をよそに、釜巳は雹華に顔をずいっと寄せ、口元に手を添える。


「雹華ちゃん。やっぱ隠世は、すごくまずかったんじゃない……?」


「かもね……。まさか花梨ちゃんが、そんな事を思っていただなんて予想だにしていなかったわ」


「まあ、ここで産まれて、そのまま一年間暮らしてたからねぇ〜。懐かしいと思ったり……、でも、ちょっとおかしいわね」


 耳を通して聞こえてきた釜巳の疑問がこもった声色に、雹華は思わず目をぱちくりとさせた。


「どうしたの?」


「隠世の空気が、肌に合ってるっていうのが分からないのよ。花梨ちゃんって、普通の人間よね?」


「そうね、それは間違いないわ。だって鷹瑛たかあきちゃんと紅葉もみじちゃんも、正真正銘人間だもの」


「そうよねぇ〜……。いや、待って雹華ちゃん」


 花梨の父と母の名を改めて聞き、何かに感付いたのか。釜巳が雹華との距離を更に詰めていく。


「確か、鷹瑛たかあきちゃんの髪色は茶色で、瞳の色は黒。紅葉もみじちゃんの髪色は赤で、瞳は薄っすらと茶色だったわよね?」


「そうよ。でも紅葉ちゃんは、髪の毛を赤に染めて……、あれ?」


「そう。花梨ちゃんは髪の毛と瞳の色、共にオレンジ色でしょ? しかも、産まれた時から」


「そ、そうね。そう言われると、ちょっとおかしい、かも……」


 当時、浮かれ過ぎていた二人を含め、実の親子すら気付かず触れていなかった問題点に直面し、言葉を失った雹華が、唖然とした顔を釜巳へやる。

 視線の先に居る釜巳も困惑した表情をしており、二人は同時に、難しい顔をして考えている花梨に顔を移した。

 花梨の髪色や瞳は釜巳が話した通り、秋の色を代表とする一つである、鮮やかなオレンジ色。今のやり取りが正しければ、人間として有り得ない色をしている。

 そのまま二人が呆けて眺めていると、鈍く刺してくる視線に気づいた花梨が、あちこちに泳がせていた目を二人へ合わせた。


「あの、どうかしましたか?」


「ふおっ!? あいやっ! ななななっ、なんでもないわよ!?」


「そうそう〜! ただ花梨ちゃんが、可愛いなぁ〜って思ってねぇ〜」


 明らかに後ろめたい反応をし、前に突き出した両手をぶんぶんと左右に激しく揺らして、慌てて誤魔化そうとする雹華と釜巳。

 が、花梨には二人の行動が通常運転に見えたようで。特に気にしないまま「そうだ、釜巳さん。雹華さん」と続けた。


「な、なにかしらぁ〜?」

「な、なに?」


「小さい頃の私って、いったいどんな感じでした?」


「小さい頃の、花梨ちゃん?」


「はい。私、おじいちゃんが居るんですけども、そういう話ってまったくしなかったんですよ。だから、ちょっと気になっちゃいまして」


 そう家族構成の一部を明かし、後頭部に右手を回して苦笑いする花梨。もうこれ以上は、ヒントを得られないと諦めがついた花梨の無難な質問に、雹華達も花梨の心境を悟り。

 互いに顔を見合わせた二人は、先のやり取りの事を一旦置き、クスリと笑ってから顔を花梨へ戻した。


「さっき見せた写真の通りよ。常に太陽のように明るく笑い、誰もが愛でたくなるほど可愛い子だったわ」


「そうそう〜。花梨ちゃんったら抱っこしてる間は、ずっと無邪気に笑ってたのよぉ〜。本当に可愛いかったから、私もだらしなくにやけてたのよねぇ〜」


 やや危ない発言ながらも、花梨は深く詮索をせず「はえ〜」と相槌を打つ。


「そこまで言われると、ちょっと恥ずかしいなぁ。それにしても釜巳さん、私を抱っこした事もあるんですね」


「えぇ〜、そりゃあもちろんっ。四六時中してても飽きなかったわぁ〜。今は大きくなっちゃったし、ちょっと無理かもねぇ〜」


「私はやって下さいって言われたら、是非ともやるわよ」


 むしろやらせてくれと言わんばかりのアピールをした雹華が、白魚を彷彿とさせる親指を力強く立てる。


「あっはははは……。もしされるとしても、お姫様抱っこ以外は無理じゃないですかね?」


「お姫様抱っこっ!! いや、それだったら私がされたいわっ! こう花梨ちゃんにお姫様抱っこをされて、『雹華、結婚しよう』って言われた日にはぁ……。でへへへへへ……」


 まだ男性的魅力の強い花梨を忘れられていない雹華が、赤く火照り出した両頬に手を添え、伸びた鼻下に鼻血を伝わらせていく。

 再び危ない妄想を始めた雹華に、花梨は顔中をヒクつかせ、釜巳は「あらあら」と仕方ない様子で声を漏らした。


「もし結婚する時が来たら、ぜひ私も呼んでねぇ〜」


「あっ、じゃあ今日にでも―――」


「しませんからね?」


 付き合う前から破局宣言を投げると、雹華は途端に頬を膨らませて、口を尖らせる。


「もう、花梨ちゃんったら。こんなに愛しているのに、いけずなんだから」


「そんな事を言われても、結婚はしませんからね。でも」


 念を押した花梨が、ふわりとほくそ笑む。


「雹華さん、釜巳さん。こんな私を愛してくれて、本当にありがとうございます。心の底から嬉しいです」


 不意を突く感謝の言葉を耳にするも、構えていなかった雹華と釜巳は反応すら出来ず、真顔になった顔をきょとんとさせるばかり。

 しかし、数秒すると二人の心に届いたのか。悪ふざけをしていた雹華の表情が、普段通りの華奢なものへと変わっていった。


「急にどうしたの? 改まっちゃって」


「少しだけですが、色々と新たな事を知れて嬉しくなっちゃったんです。私がすごく小さい時から雹華さんと釜巳さんと出会っていて、その時からずっと私の事を愛してくれていたんですもん。だから私って、けっこう幸せ者なんだなぁって、思っちゃいまして」


 真実の欠片を貰えたお陰で、ぬえの言葉の意味も理解出来てきた花梨が、やや恥らいながらも本音の気持ちを二人に伝える。

 その気持ちは二人の心を掴んだものの。二人の心に湧いてきたのは、今はまだ全ての真実を伝えられないという、なんとももどかしい罪悪感であった。

 温まってきた心を、罪悪感がチクチクと刺してくる最中。複雑な表情をしていた雹華が、鼻からため息をついた。


「ごめんなさい、花梨ちゃん」


「えっ? どうして謝るんですか?」


「本当はね、もっと沢山色々な事を教えてあげたいんだけども……。まだ言えない事情があるのよ。だから―――」


「知ってますよ」


「えっ?」


 懺悔も兼ねて、真実を明かせない理由を言おうとするも、花梨が割って入る。


「知って、いるの?」


「はい、かえでさんが言ってましたからね。誰だか分からないですが、どうやら語り部さんが居るらしいじゃないですか。だから私、その語り部さんが教えてくれる“時が来るまで”待ってますよ」


 “時が来るまで”。鵺やクロ、楓からさんざん聞かされてきた言葉をあやかり、半ば諦め気味に微笑む花梨。

 湧いてきたばかりの罪悪感を払われ、全てを許されたような気がした釜巳が、寂しげな笑みを花梨へ送る。


「本当にごめんなさいねぇ、花梨ちゃん。後で語り部さんに、うんとキツく言っておくわ。早く言わないと、百鬼夜行を毎晩送るわよってね」


 優しい表情をしているも、右手で固い握り拳を作る釜巳。


「こわっ! あの、どうか穏便にお願いします……」


「うふふっ。冗談よ、じょーだん。それよりも、さっきの話の続きをしない〜? 小さい時の花梨ちゃんなら、たっぷり教えてあげるわよぉ〜」


「あっ! じゃあ、ぜひお願いします!」


「あら、いいわね。それじゃあ、お茶とお菓子を用意するからちょっと待っててちょうだい」


 ここから長丁場になると確信した雹華が、率先して椅子から立ち上がり、厨房へ向かう為にスタッフルームを後にする。

 数分して、テーブルの上に様々なスイーツで溢れ返ると、まずは小腹を満たすべく、軽い雑談が始まり。

 そして、本題である花梨の昔話が開幕すると、二人の口は途端に止まらなくなり、その語りは夕方頃まで続いていった。

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