79話-7、会長と副会長の告白
騒がしかったスタッフルーム内が、無音の静寂に包まれてから五分ほど経過した頃。
色褪せた写真を通し、初めて見た一歳半の自分に釘付けとなっていた花梨が、思い出したかのように大きなため息をついた。
どうやら呼吸をするのを忘れていたようで。軽い運動後のような呼吸を始めると、深く息を吸い込み、吸い込んだ以上に吐き出した。
「あの、
久々にも感じる花梨の神妙な声に、静かに見守っていた雹華が「なにかしら?」と答える。
「この写真があるって事は、やっぱり……」
「もちろん、私が撮ったのよ」
「ですよね!? はえ〜……。雹華さんも、温泉街に来る前から私の事を知ってたんだ。しかも、こんなに前から」
「そうよ。
もう隠す必要もなくなったので、どこか自慢気に明かした雹華が、ニコリと微笑みながらピースサインを送った。
「私と会ったのは、この一回だけですか?」
「いや、もう一回あるわよ。この時とー、確か、花梨ちゃんが二歳ぐらいの時にね」
「二歳かぁ。物心がついてないだろうし、どう頑張っても思い出せないだろうなぁ。その後は、私と会ってないんですか?」
「そうよ、一回もね。だから、花梨ちゃんが初めて
過去の過ちを告白する前に、一呼吸置く雹華。
「“大きくなったわね”ってね」
数ヶ月の時の経て、心の内に留めていた想いをようやく伝えられると、雹華は一つの
その答え合わせのような告白に、花梨は一旦きょとんとしてしまい、思考を鈍らせる。
が、すぐに思い出したのか。はたまた過去のモヤモヤが蘇り、全てに合点がいったのか、突然「あーーっ!!」と叫び上げた。
「あの時、何を言ってたのか聞き取れなかったんですが、まさかそんな事を言っていたんですか!?」
「そうなのよ〜。いやぁ、本当に危なかったわ」
荒ぶる花梨の言動に、やや危機感を抱いたものの。笑い話へ変えてしまった雹華が、右手を純白の頬に添え、左手を上下にヒラヒラと振る。
「そうだったんだ……。でも、あの時聞き取れたとしても、絶対に分からなかった……、あれ? 待てよ?」
雹華に告白されてもなお、頭のモヤモヤは未だ健在で。視線を膝に持っていった花梨が、握った手を口に添え、眉間にシワを寄せていく。
急に黙り込んでしまい、何か考えているかのように視線を泳がせている花梨を見て、雹華が「どうしたの、花梨ちゃん?」と問い掛けた。
「いやですね。
「同じような事?」
「はい。『こんなに大きくなっちゃって』、と」
「げっ、モロじゃないの……」
よもや、自分より衝動が抑え切れなかった者が居たとは知らず。誤魔化しが効かない花梨の話に、雹華の口元はヒクつくばかり。
「という事は、やっぱり釜巳さんも私が温泉街に来る前から、会っていた事になりますよね?」
「え〜っと、それは〜……」
核心を突く花梨の追撃に為す術が無く、ばつが悪い返事をした雹華が、視線を横へ逃がしていく。
最初から打開策は無いに等しい状況で、雹華は、……もう、本人をここに呼ぶしかないわね。という結論に至り、着物の袖から携帯電話を取り出した。
「ちょっと待っててね」
花梨に一言入れると、おぼつかない指さばきで携帯電話を操作し出し、連絡先の中にある釜巳を選択した後、携帯電話を耳に当てる。
一コール目、応答無し。二コール目も同じ。そして、三コール目にしてコール音が途切れた。
『もしもーし』
「もしもし釜巳ちゃん、こんにちは。雹華よ」
『あらぁ、雹華ちゃん。こんな時間に電話をしてくるなんて珍しいじゃない〜。どうしたの〜?』
「ちょっと、ね。釜巳ちゃん、今、暇かしら?」
『今? ええ、お客さんが来なくて退屈してるわよぉ〜』
「そう。なら悪いんだけども、今から極寒甘味処のスタッフルームに来てくれない?」
『極寒甘味処に? ええ、いいけども、メニューの開発でもするの?』
「ありがとう。それは、来てから説明するわね。店の入口からだとまずいから、裏口から入って来てちょうだい」
『分かったわぁ〜、それじゃあねぇ〜』
「うん。ばいばい、釜巳ちゃん」
後ろめたい会話を終え、釜巳が通話を切ると、雹華は耳から携帯電話を離し、小さなため息をついて肩を落とした。
「今の相手は、釜巳さんですか?」
「ええ、そうよ。私の口からだと何も言えないから、本人をここへ直接呼んじゃったわ。だから、もう少し待っててね」
頃合を見て声を掛けてきた花梨に、雹華は袖に携帯電話をしまい込みながら言葉を返す。
「分かりました。なら一回、人間の姿に戻っちゃおうかな」
最早、撮影会をやる空気ではなくなると、花梨は座らせていた体を立ち上がらせ、頭にかぶっていた
雹華も釜巳を迎えるべく、フラフラとした足取りで立ち上がると、
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
釜巳が来るのを待つべく、スタッフルームの中央にテーブルと椅子を設置してから、約二十分後。
防音氷のせいで静寂が色濃く佇んでいる部屋内に、扉のノック音が二度響いては、防音氷に吸い込まれていった。
「来たわね。待ってて、今開けるわ」
ノック音で釜巳が来たと察した雹華が、椅子から立ち上がって扉の前まで向かい、静かに扉を開ける。
「ありがとう〜、雹華ちゃん。あら? 花梨ちゃんも居たのね」
部屋の中に入り、雹華にお礼を述べた釜巳が、椅子に座っている花梨の姿を認め、顔をきょとんとさせた。
「こんにちは、釜巳さん。ささ、椅子に座って下さい」
「椅子に? うん、分かったわ」
挨拶返しをさせぬ催促に、釜巳は素直に従い、花梨の対面にある椅子に腰を下ろす。その隣に雹華も座ると、釜巳は花梨と雹華の顔を交互に見返した。
「もしかして今からぁ〜、真面目なお話をする感じ?」
「その通りです、釜巳さん」
おちゃらける空気ではないと読んだ釜巳に、花梨は肯定しながらテーブルに両肘を突き、前に手を組んで口元を隠す。
この場の空気を制している花梨へ、ぽやっとしている釜巳の顔が向いた。
「率直に言わせてもらいます。釜巳さんは、私が温泉街に来る前から、どこかでお会いをした事がありますか?」
「へっ? 私が、花梨ちゃんと……? あ〜……」
唐突過ぎる花梨の質問に、予想だにしていなかった釜巳は言い逃れする言葉が思いつかず、泳ぎ始めた視線を雹華へ逃した。
が、その雹華は微塵も危機感を抱いていない様子で、クスリと微笑んでみせた。
「大丈夫よ、釜巳ちゃん。私はもう、花梨ちゃんに言っちゃったから」
「ええ〜っ!? 言っちゃったのぉ〜!? ど、どこまで話したの……?」
「花梨ちゃんが一歳半と二歳の時に、人間に化けた私と会っているってね。ついでに、この写真も見せちゃったわ」
そうあっけらかんと言った雹華が、懐から先ほど花梨に見せた写真を取り出し、釜巳に差し出す。
その古ぼけた一枚の写真を右手で受け取り、写っている花梨の姿を目にすると、釜巳は「まあっ」と声を弾ませて、左手を頬に添えた。
「また懐かしい写真じゃないのぉ〜。これは確か、一歳半頃の花梨ちゃんね。可愛い〜」
写真の情報を正確に言い当てた釜巳が、デレデレとした表情を浮かべる。
「でしょう? 今も昔も、天使のような愛おしさは健在よね」
「ねぇ〜。目に入れ続けても、まったく痛がらない自信があるわぁ〜」
「ああ、分かる分かる。両目に手を突っ込まれても、全然平気よね」
「あ、あの〜、お二方さん? たぶん絶対に痛いと思うので、やめた方がいいかと……。それよりもっ」
このまま放っておくと、二人の目に手を突っ込みかねない状況になると臆した花梨が、話を戻そうとする。
「釜巳さん。さっきの反応を見ると、やっぱり釜巳さんも私とどこかで会った事があるんですか?」
「う〜ん、そうねぇ〜」
脱線していた話が戻ると、釜巳は花梨の質問に答える前に、雹華の耳に顔を寄せていき、小声で「ねえ、雹華ちゃん」と口にした。
「どうする? 私、
「なら、
「
「それだけを言えばいいのよ。私も一つだけしか言ってないしね。先に一つだけしか言わないって釘を刺しておけば、花梨ちゃんも諦めるでしょう」
「なるほどぉ〜、そういう事ね。なら、そうしましょっと」
ヒソヒソと話を纏め終えると、釜巳は楽し気にニヤリと笑い、花梨の方へ顔を向ける。
「それじゃあ花梨ちゃん。私からも、一つだけ教えてあげるわね」
「は、はいっ」
「花梨ちゃんは、
「現世と隠世について、ですか? はい。この前、
理想から程遠いながらも、一言二言の説明の手間が省けそうな返しに、釜巳は「うん」と口にしながら
「多少でもいいわ。なら、このまま言っちゃうわね。私は、その隠世で花梨ちゃんと会った事があるわよ」
「嘘っ、隠世でぇっ!? ……本当に言ってます? それ?」
「ええ、本当よ。あの時の花梨ちゃんは、この写真ぐらい小さかったから、覚えてないでしょうけどねぇ〜」
「は、はぁ……」
会っている事は先の反応で分かっていたものの。隠世でという範疇を超えた告白に、呆けてしまった花梨の肩がストンと落ちる。
そのまま二人の顔を交互に見返していくも、釜巳と雹華は緩ませている口元に手を添えて、ただクスクスと微笑むばかり。
そして未だに信じられない様子でいる花梨は、見返し続けていた顔を止め、声の混じったため息を漏らし、落とした肩をもっと落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます