79話-6、なら、私も一つだけ

 雪女の雹華ひょうかが、小悪魔な役を演じた花梨に腰を抜かして立てなくなり、休憩を初めてから一時間が経過した頃。

 撮影会の事などすっかり忘れていた花梨が、意を決して本題に入るべく。小さくうなずき、冷茶を嗜んでいる雹華へ顔をやった。


「そういえば雹華さん。昨日、八吉やきちさん達の結婚式があったじゃないですか」


「ええ、あったわね。唐突に聞かされたからビックリしちゃったけど、本当に素敵な一日だったわ」


「やっぱり、雹華さんも知らなかったんですね。私も、狐の嫁入りが始まる数時間前に知ったんで、心底驚いちゃいました」


「私どころか、ほとんどの人が知らなかったらしいわよ。唯一知っていたのが、ぬえちゃんとかえでちゃん。それに、ぬらりひょん様ぐらいだったかしら?」


 白熱灯がぶら下がっている天井に視線をやった、雹華の口から出てきた三人の名に、花梨はしめたと言わんばかりの表情になる。


「それでなんですが……。雹華さんに、ちょっと質問がありまして」


「質問? なにかしら?」


「そのー……、鵺さんや楓さんの事に、ついて、なんですけども」


 一度は意を決し、口を開いたものの。急に怖気づいた花梨の顔が、体育座りをしている自分の膝に向き、こうべを下げていく。

 はたから見ると、自信を無くしたようにも見える花梨に、まだ何も知らない雹華は、柔らかくほくそ笑んでから花梨の肩に手を置いた。


「何か悩みがあるなら、不安がらずに私に言ってちょうだい。全部聞いてあげるわよ」


 表情や仕草のせいで、二人について悩みを抱えていると思われたらしく。慌てた花梨が頭を上げ、雹華に向けて両手をわたわたとさせる。


「あいやっ! そういうワケじゃないんですけども、ちょっと非常に言いづらくてですね」


「なら、なおさらよ。みんなには内緒にしてあげるから、心を落ち着かせてから言ってみなさい」


 弁明をするも誤解は解けず。相手への思いやりが深い雹華の温かな言葉に、思わずたじろいでしまう花梨。

 わたわたさせていた両手を垂らし、慈愛がある雹華の笑みを認めると、花梨は顔を自分の膝がある方へ戻し、表情をしゅんとさせた。


「じゃ、じゃあ、言いますね。まずは鵺さんの事についてなんですが……。前に、ちょっと気になる事を言われまして」


「気になる事?」


「はい、露天風呂で言われた事なんですけども。私が鵺さんに、鵺さんと出会ってから、何かと妖怪さん達と縁が出来るようになっちゃいましたって、言ったんです」


「うん、それで?」


「そうしたら、お前は私と出会った時よりもずっと前から、妖怪達と深い縁があるんだよって、返されまして」


「んっ……」


 ようやく花梨が、悩みを打ち明けてくれて安堵するも束の間。雹華には予想外な内容だったらしく、青い唇を薄くつぐんだ。

 この話題はまずいと直感した雹華は、なんとかして話を逸らそうと考え、言葉を慎重に選びつつ口を開いた。


「へ、へぇ〜、そうなのね。けど、秋国に来るまでは、妖怪と会った事はないんでしょ?」


「はい、鵺さんだけでした。最初はそう思っていたんです。ですが、楓さんからも衝撃的な事を教えられまして」


「楓ちゃん、からもなの? いったい、なんて?」


 歯切れが悪い雹華の返しに、花梨は不安が垣間見えるしょぼくれた表情を雹華に見せ、話を続ける。


「お主は温泉街に来る前から、人間に化けたワシに何度か会ってるし、会話も交わしとるぞ、と」


「……はっ?」


 二つ目の暴露話が打ち明けられた途端。話を逸らそうと考えていた雹華の頭の中でプツンと、限界まで張っていた糸が切れたような音が響いた。

 鵺、楓が花梨に教えた内容は、現状断じて語ってはいけないものであり。雹華もまたクロに釘を刺されていて、なんとか我慢している状態であった。

 しかし、先の暴露話で全てが吹っ切れると、真顔で唖然としていた雹華は、顔を自分の膝にうずめ、体全体をふるふると震わせ出した。


「あれ? 雹華さん、どうかしました?」


「……ずるい」


 雹華が地を這う声量でポツリと呟くも、花梨の耳には届いておらず。花梨は目をキョトンとさせるばかり。


「すみません、よく聞こえませんでした。もう一度言ってもらっても、いいですか?」


「ずるいっ」


「ずるい?」


「ずるいずるいずるいっ! ずるーーーいっ!!」


「わっ!?」


 歯を食いしばり、半泣きしている顔をあらわにさせた雹華が、わがままのこもった咆哮を上げる。

 その、握った両手を上下に激しく揺さぶる雹華に、花梨はただ呆然と眺める事しか出来ず。

 数秒してから、思わず仰け反らせてしまった体を戻し、手を恐る恐る伸ばしていく。


「あ、あの〜、雹華、さん?」


「私だって言うのを必死に我慢しているのにっ! なのに鵺ちゃんと楓ちゃんったら! 先に言っちゃうんだもんっ! ずるいにも程があるじゃないのっ!!」


 先の話を聞いてしまったからには、抑制なぞ効くはずもなく。溜まりに溜まっていた不満が爆発してしまい、己も隠している物があると、遠回しに叫び散らかす雹華。


「ふーんだっ、いいもーん! みんなが一つずつ言っているなら、私だって言っちゃうもんねー!」


 天井に向かって自暴自棄な駄々をこねると、雹華は部屋の右奥にある机を目指し、四つん這いでシャカシャカと移動する。

 机の前まで来ると、女座りをして一番下の引き出しを漁り出し、古びたアルバムを引っ張り出した。


「どれを言っちゃおうかなー、これかしら? ああー、こっちもいいわねー。でも、この時の花梨ちゃんも、凄まじい天使っぷりじゃないのぉ〜……。でへへへへへ……」


 鼻の下を限界まで伸ばし、七福神の布袋を彷彿とさせる笑みを浮かべている雹華が、恍惚が極まった顔でアルバムのページを捲っていく。


「花梨ちゃんっ!!」


「ふおっ!? は、はいっ!」


「楓ちゃんとは、いつ頃から会っているの!?」


「いつ頃から? え、えと……。たぶん、子供の頃ぐらい、でしょうか?」


 臆した曖昧な返事ながらも、ある程度の情報を得られた雹華は口角をニタリを上げ、アルバムから一枚の写真を引き抜いた。


「子供の頃ぉ〜? ふんっ。甘いわね、楓ちゃん」


 何かと対抗心を燃やし、一人勝負の勝ちを確信すると、立ち膝で高速移動を始めた雹華が、花梨の横まで戻る。

 そして、何事も無かったかのように座り直すと、手に持っていた写真を花梨に差し出した。


「はい花梨ちゃん、この写真を見てちょうだい」


 説明のないまま言われると、花梨は雹華の華奢な顔を認めた後。写真に顔を移し、ゆっくりと手に取る。

 色褪せた写真の中に居るは、こちらに向かって両手を伸ばしている、明るく笑った幼い子供の姿。

 生え揃っている髪の毛、瞳の色は共にオレンジ色であり、どこか既視感のある幼子を目にした花梨が、目を細めて写真を凝視した。


「ちっちゃい子供、ですね。……あれ? この部屋、どこか見覚えがあるぞ?」


「ウフフッ。その子、誰だと思う?」


「う〜ん……。誰と言われてもなぁ、まったく分からないや。いったい誰なんですか、この子?」


「なんとその子はね。花梨ちゃん、あなたよ」


「えっ、私ぃっ!? じゃあ、この部屋って!」


 まさかの答えに仰天した花梨の顔が、破りかねない勢いで写真に寄っていく。


「そっ。一歳半頃の花梨ちゃんと、花梨ちゃんのお部屋よ」


「一歳半の、私……」


 父と母を火事で失ったのは、花梨がまだ一歳を過ぎた時の事。なので雹華は、その父と母について問われないであろうと踏み、ギリギリを突いた写真を選んでいた。

 撮った場所は、花梨の祖父の家の一角。当時はまだ急遽建てたばかりともあってか、家具類は全て真新しく、部屋内も目立つ汚れは一切無い。


「どう、驚いた?」


「驚いたも何も……。小学生以下の私を見たのは、これが初めてなので、もう、なんて言えばいいのやら……」


 雹華が感想を聞こうとするも、半ば錯乱気味になっている花梨の顔は、写真に釘付けになっていて、一向に離そうとはしない。

 静かに返答を待ってみるも、花梨の口から出てくるのは、消えそうな声が混じったため息ばかり。

 そんな花梨を見続けていた雹華は、これ以上声を掛けるのは野暮だと悟り、ふわりと微笑んだ顔を天井にやった。

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