79話-2、給料はゼロが八個分

 ほのぼのと朝食を食べ終えた四人は、食器類を水洗いして支度を整えた後。支配人室は寄らずに活気溢れる一階まで下り、永秋えいしゅうの外へと出ていった。


 柔らかな朝日が降り注ぐ大通りに出て、浴衣や和服を身に纏う妖怪達を認めた花梨が、体をグイッと伸ばして眠気を飛ばしていく。

 空に向けていた両手を下ろすと、現在の時刻を確認するべく、ポケットから携帯電話を取り出した。


「八時二十分か。極寒甘味処ごっかんかんみどころの開店時間って、確か十時でしたよね」


「そうよ。急ぐ必要もないし、まったり歩きましょう」


「ですね、そうしましょう」


 永秋から徒歩で行こうとも、おおよそ二十分前後で着く事もあり。先頭を行く雹華の背中を追い、隣に付く花梨達。

 視界に入る左右に佇む店の中を、じっくり見渡せる速度で歩くも、早々に暇を持て余した花梨は、ややソワソワしている雹華に顔を向けた。


「雹華さん。今日は、私も接客をすればいいですかね?」


「接客? ああ、仕事の話かしら?」


「はい。一応研修も済ませていますし、ちゃんと全部覚えますからね。前回と同じ仕事内容であれば、すぐに出来ます」


「まあ、偉いわね。流石は花梨ちゃん。でも、店に着いたら色々説明するわね」


 話をはぐらかせた雹華が、別の話題にすり替えるように「そういえば」と続ける。


「この前花梨ちゃんが働いた時、丸の形以外のアイスを作っていたでしょ?」


「ああ〜、ありましたね。確か、化け狸さんの親子に、星型とハート型のアイスを作りました」


「そうね。でね、その後に私達もそれを参考にして、お客様に指定された形のバニラアイスを作り始めたのよ」


「あっ、メニュー表に書き加えられていたのは知っていましたけど、あれってそういう事だったんだ」


 過去、花梨が初めて極寒甘味処で働いた時の事。難なく接客をこなしていると、化け狸の子供から無茶な注文を受けた事があり。

 雹華にその旨を伝えたところ、信頼をしているから好きにやっていいと言われ。子供には、星型のバナナアイスを。母親には、ハート型のイチゴアイスを作った事があった。


「そうよ。それで、これがまた大好評でね。バニラアイスの売上が倍増しちゃったのよ」


「倍増ですか!? はえ〜、すごいや。おめでとうございます!」


 売上に多大な貢献をした花梨が、嬉しそうに祝福の言葉を述べると、雹華はニコリと華奢な笑顔を返す。


「ありがとう。でもこの売上は、花梨ちゃんたっての事だから、今日のお給料は期待していてね」


「おおっ、やったー! ……んっ、待てよ?」


 一旦は喜んだものの。雹華から給料を貰おうとした際、百万円入りの封筒を渡された事を思い出した花梨が、眉間にシワ寄せて目を細める。


「雹華さん? 今日はいったい、私にいくら渡すつもりでいます?」


「あら。花梨ちゃん、空を見てみなさい。今日の巻雲けんうん、清流を思わせる形をしているわよ」


 まるで話を合わせようとしない雹華は、いつの間にか空を仰いでいて、現実逃避を図ろうとしている。

 が、それを見逃すワケもなく。花梨は雹華の進行方向を遮るように立ちはだかり、あえて雹華とぶつかった。

 その拍子に、雹華が慌てて顔を前に戻すや否や。花梨は雹華の両頬を両手で挟み、己の顔をずいっと寄せていく。


「雹華さん? 私に、いくら渡すつもりでいるんですか?」


 距離を詰めてくる花梨の威圧感が宿ったジト目に、雹華は口元を微かにヒクつかせ、泳ぎ出したターコイズブルーの瞳を右へずらしていった。


「花梨ちゃん……。知らぬが仏っていう言葉を、知っているかしら?」


「ええ、もちろん知ってますよ。で? いくら渡すつもりですか?」


「い、言わないと、ダメ?」


「ダメですっ」


 最早、逃げ場はないようで。余計な事を口走ってしまった雹華の顔に、焦りの色がじわりと浮かび始める。


「じ、じゅ……」


「じゅ? まさか、十万円もですか?」


「じゅ、ジュラルミンケース分……」


「ジュラルミンケース分?」


 まさか数字ではなく、聞き慣れぬケース単位で例えられたせいで、花梨は思わず真顔に戻り、首をかしげた。

 そのまま雹華の両頬から手を離し、右手を口元に添えて考え出すも答えが出なかったのか、キョトンとしている目を雹華に戻した。


「あのー……。数字にすると、どれぐらいになるんですかね?」


「……ゼロが、八個ぐらいあると思うわ」


「ゼロが八個。一、十、百……、ああ、違う。一はゼロが無いから十から始めないと。十、百、千、万、十万、百万、千万、一億、一億ぅっ!?」


 指を折りながら数え、ようやく答えにたどり着くも。指から導き出された天文学的数字に驚き、温泉街に叫び声を轟かせていく花梨。

 『一億ぅっ!?』という轟きが、やまびことなって帰ってきた頃。立っている小指、中指、薬指を丸くなった目で凝視していた花梨が、顔をバッと雹華へ向けるも、雹華もすぐさま明後日の方向へ顔を逃した。


「ひょ、雹華さん? 流石に冗談、ですよね?」


 震えた声で問い掛けようとも、首を限界まで後ろへ向けている雹華からの返答はない。


「……もしかして、マジモンですか?」


「……マジよ。スタッフルームに、一億円が入っているジュラルミンケースがあるわ」


「ま、マジか……」


 嘘偽りが無さそうな掠れた返事に、花梨は、この人なら、マジでやりかねないから怖いなぁ……。と戦慄し、口元をヒクつかせる。


「あのー、雹華さん? どうせならそのお金で、極寒甘味処二号店とか出してみたら、どうですか?」


 なんとかして己の懐に入りそうな一億円を、別の用途で使わせたい花梨がダメ元で言ってみると、雹華が「あら」と口にし、花梨に顔を戻した。


「悪くないわね、その案。店員も飽和状態だし、ちょっとみんなに相談してみようかしら?」


 やや乗り気な雹華の反応に、花梨は安堵して胸を撫で下ろすも、新たな疑問が頭に浮かんでしまい、話を続けようとする。


「極寒甘味処の店員さんて、何人ぐらい居るんですか?」


「え〜っと、百人以上居るわよ」


「そんなにいるんですか? へぇ〜、知らなかったや。かなり多いなぁ」


「ほぼ村総出でやっているからね。日に交代交代でやって、なんとか全員に出番を回している状態なのよ」


 そう語り出した雹華が歩み始めたので、花梨達も止めていた足を前へ運び出す。


「村総出、ですか」


「そう。私、『雪化粧村』っていう村の出身なんだけども、その村に店員の募集をかけてみたのよ。そうしたら、みんながやりたいって言っちゃってね。結果、店員が百人以上になっちゃったワケ」


「そうだったんですね、すごいなぁ。それにしても、雪化粧村か。素敵な名前の村ですね」


 村の名前を褒められようとも、内情までは詳しく言えない雹華は、ただ無難な笑みを返した。

 極寒甘味処が出来てからというものの。特別な事情が無ければ、外出もままならないでいた過去に比べると、状況が遥かにマシになった雪化粧村。

 猛吹雪が来る者を拒み、村から出たいという願いを無情にも断ち。限りなく閉鎖的で、隠世かくりよからも分断されていた。全ては、純血を守る為だけに。


「ちなみに、どういう感じの村なんですか?」


「どういう? ……そうね。強いて言うなら、白だけの世界かしら」


「白だけの世界?」


 花梨が質問を同じ言葉で返すと、雹華は小さくうなずいた。


「二十四時間、三百六十五日、止まない猛吹雪に覆われているからね。白以外の色なんて皆無な村よ」


「猛吹雪……」


 猛吹雪という単語に強く反応を示した花梨が、口を残念そうに尖らせ、冷たいため息を漏らす。


「じゃあ、私は行けないなぁ」


「花梨ちゃん、雪が降っている景色がダメだものね」


「ですね。あーあ、なーんでダメなんだろうなぁ」


 理由も分からぬまま、雪が降る景色に拒絶反応を起こす体に、嫌気すら覚えてきた花梨が、両手を後頭部に当てて顔を仰ぐ。

 そんな花梨を横目で見て、気の毒になってきた雹華も、巻雲が流れている空に顔を向け、花梨の方へ戻す。


「原因は分からないけども……。稀に猛吹雪を止める時があるから、その瞬間の村の写真を撮って、花梨ちゃんに見せてあげるわね」


「本当ですか? 嬉しいなぁ、楽しみにしていますね!」


「ええ、いっぱい撮るから楽しみにしていてね」


 そう約束を交わした雹華が柔らかい笑みを見せると、花梨も温かな笑顔を送る。そして、二人は再び空を眺め、今日の目的地である極寒甘味処へ向かっていった。

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