76話、語るは一人の人間に恨まれ、生きる目的を失った者

 んっふふふふ。さて、今日は愛する仲間達から貰った、この油揚げを―――。……お主、今の、見たか? 見てない? ならよろしい。

 お主は、みやびに助けてもらった妖狐じゃったな。ここへ来てから日も浅いし、改めて自己紹介をしてやろうかの。天狐のかえでじゃ。


 今は、はだけてあられもない格好をしているが、これにだって訳がある。昔のワシだって、誰からも崇められるような立派な仙狐を目指すべく。日々、真面目に修行をしていたのだぞ?

 ワシが妖狐として生を受けたのは、今から千年以上も前。『摂関政治』が始まって少ししてからじゃったか。

 隠世かくりよにある妖狐の里で産まれたワシは、とにかくやんちゃでの。よく度を越えたイタズラをしては、仙狐である父上と母上に叱られておった。


 しかし、そのやんちゃな時代はすぐに終わりを迎えた。あれは父上と母上に連れられて、初めて現世うつしよへ行った時の事じゃった。

 人間を化かして興ずるのかと思いきや、まったくの正反対。飢饉ききんで飢え苦しむ民に、ありったけの飯を与え始めての。

 その飯を与えられた民達は、父上と母上に、まるで仏を見たかのような希望に満ちた眼差しを向けていて、泣きながら崇める者まで居た。


 後になって父上達から聞いた話なのじゃが。普段から恵まれぬ民達に善意活動をおこない、信仰や徳を積み続けていたらしいんじゃ。それも、誰に言われたからでもなく、率先しての。

 その二人の姿を見たワシは、とにかく心を強く打たれての。そして、ワシも決心したんじゃ。

 『万人ばんにんから受け入れられるような、立派で徳の高い仙狐になりたい』と。そこから、ワシの長い長い修行が始まった。


 仙狐になるには、一切の悪事を行わない善狐になり、千年以上生きねばならぬ。それか神通力を習得し、神格化して天狐になる道もあった。

 が、まずは最低でも千年以上生き、徳を積まねば話にならん。なので、とにかく父上や母上と同行し、恵まれぬ民達に飯を配り続け、少なからずの徳を積む所から始めた。

 もちろん、修行も忘れずにおこなっておったぞ。その二つを同時にやっていくのは、とにかく大変でのお。


 これを、後九百年以上も続けねばならぬのかと思ったら、心が早々に折れそうになったわ。しかし父上と母上は、この苦難を乗り越え続け、仙狐になった。

 そう思えば思う程、その背中はより立派で、より遠い存在に見えてきたんじゃ。ああ、ワシの父上と母上は、そこまで偉大な狐じゃったのか、とな。

 ならワシは、その二人を越すような、更に立派な存在になりたいと強く思い。心を折ってる暇なぞないと己を鼓舞し、活動を続けた。


 百年、二百年、三百年、四百年、五百年。そして、父上と母上が大往生した頃。ワシを慕ってくれている民達が、一つの神社を設けてくれての。

 恩返しのつもりだったんじゃろう。仲間も増えたので、ワシらはその恩に応えるべく、拠点をそこへ移した。

 事は綺麗に運び、毎日が順風満帆状態。後は何事もなく、民達の声を平等に聞き、願いを叶えるだけだった。


 が、ワシらが神社に仕えて、更に百年以上が経った時。全てが無に帰す出来事が起こったんじゃ。

 あれは最早、貧乏神と言うべきか。座敷童子であろうとも、たとえ福の神であろうとも。そやつを幸福には決して出来ぬ程の、不幸体質の人間がワシの神社に訪れて来た。

 最初は普通に参拝して来ては、ワシに願いを乞うてきていた。ワシの力でも叶える事が出来ない、常軌を逸した普通の願いをな。


 あやつの願いは、『人並みの幸せを手に入れたい』。ただそれだけだったのに。


 ワシらだって現状出来る限りの事は、全て尽くしたさ。だがの、あらゆる神が匙を投げる様な不幸体質には、流石にワシらもお手上げ状態じゃった。

 そして耳を傾けてくれなく、願いを叶えてくれないと一方的に憤慨したあやつは、そこら中に嘘の噂を流し始めたんじゃ。


 やれ『あの神社には悪霊が出る』だの。

 やれ『あの神社には化け物が出て、人を食い殺す』だの。

 やれ『あの神社の宮司ぐうじは妖怪で、人の目を欺く大悪党』だの。


 まあ、最後の妖怪だけは、あながち間違いではないが。


 最初は、その嘘に民達は一切の反応を示さなかった。しかし、周りの民達は気にはしなかったものの、噂は徐々に外へ流れていっての。

 一里流れれば、嘘は現実味を帯び。十里を過ぎれば、嘘は真になり。百里を超えれば、悪意に染まり。千里を蝕めば、畏れに変わり。

 そのままワシらの元へ帰って来た頃には、参拝客は嘘の真を信じ込んでしまい、ワシらに畏怖し出し、恐怖の眼差しを向け始めていた。


 信じられるか? ものの数年で、ワシらを崇めてくれていた民達が……。罵声を浴びせ、投石をし、神社を破壊していったんじゃ。

 それでも民達の恐怖は収まらず、神社周辺は禁足地にまでされてしまい。民はおろか、旅人までもが来なくなってしまった。


 笑えるじゃろう? 数百年に渡っておこなってきた善意活動が、たった一人の人間から発せられた嘘により、全てが水の泡になったんじゃ。

 じゃが、ワシらの力不足により、その一人の民を救えなかったのも事実。何か打開策は無いかと、必死に考え抜いていったわ。


 そこで一旦、隠世かくりよへ帰る手もあったが。当時のワシは人間の民達だけを救う事しか考えておらず、他の考えなぞ後回し。

 ワシに数多の策を提案してきた仲間達も、だんだんとワシに愛想を尽かして、隠世に帰ったり、他の妖狐が崇められている神社へ逃げていっての。


 そして気付いた時には、ワシは独りになっていた。


 そうなってしまえばもう、何も思い付かなくなっての。あっという間に心が折れてしまったわ。よくあそこで、堕落しなかったもんじゃ。そこだけは己を褒めてやりたい。

 でのお、今までの反動がきてしまったのか。現実から逃げるように、とうとう行ってしまったんじゃよ。


 どこにかって? このだらしない格好を見れば分かるじゃろ? それは、『遊郭』にじゃ。


 もうの、全ての思考を放棄し、遊び倒してやったわ。貢物ではなく、己が持っていた金品でな。流石にそこまでは堕ちんよ。

 夜は、朝日が顔を出すまでどんちゃん騒ぎ。朝になれば、禁足地にある廃墟と化した神社へ帰り、現実に心を蝕まれていく毎日。

 あの時のワシの心の支えは、遊郭だけじゃった。だがの、それも長くは続かなかった。豪遊し過ぎて、瞬く間に金品が無くなってしまってのお。


 心の支えが無くなってしまえば、そこからはもう朽ちて果てていくのみじゃ。ずーっと空を眺めていた。ただひたすらに、何も考えずにな。

 ―――完全に死んだも同義。ならいっそ、本当に死んでしまうか。そう短絡的に死ぬ事を決めたワシは、尼僧にそうに化け、死に場所を探す旅に出る事にした。


 じゃがその前に。数百年前に禁足地に指定されたワシの神社が、どう記録されているか気になっての。適当に資料を漁ってみたんじゃ。

 そうしたらお主よ、どんな資料が残っていたと思う? 答えは『無し』じゃ。何も残ってすらいなかった。ワシの神社の存在ごとな。

 あそこは、どんな理由で禁足地になっているのかすら、現在住んでいる民は分かっていなかったんじゃ。もうの、声すら出なかったぞ? 唖然としたわ。


 じゃがもう、今のワシには関係のない事。何者も恨まず、難しく考えずに切り捨てて、その街を去っていった。

 手ぶらでする旅はいいぞ? 心を無にし、ただ死に場所を探すだけの、当てのない旅は。なんなら遊郭でバカ騒ぎをしていた時よりも楽しかった。

 百里を歩み、千里を踏破し、万里を超えた頃。ワシは気付かぬ内に、夢にまで見た仙狐になっていた。死を迎える前でも仙狐になれるのかと思ったワシは、青天を仰いで笑ったさ。


 こんな形で仙狐になりたくなかった。と、泣き崩れながらな。


 そして、時は冬。人なぞ知らんふうを装っている、見事な雪化粧を纏っている山の山頂。ここじゃ。こここそが、ワシの死に場所じゃ。

 そう悟ったワシは、雪の上に腰を下ろして元の姿に戻り、精神統一を始めた。


 瞼の先にある光具合からして、太陽が三回ほど没した後じゃったか。不意に、辺りを轟く凄まじい妖気を感じ取っての。

 目を開けなくとも、すぐに分かった。今ワシの前には、空狐様がおられると。数日振りに目を開けてみるも、やはりそこには誰も居ない。あるのは、雪を纏っている山々のみ。

 しかし、姿が見えないだけ。圧倒的で、肌を劈く妖気はワシの視界の中にあり、見えない眼光がワシを捉えていた。暫し沈黙を貫いた後、空狐様が語り掛けてきたんじゃ。


 『なぜお前は、死を選ぶ』と。当然ワシは、『この世は、ワシを必要としていませんでしたので』と答えた。

 更に空狐様は、『なぜ、人を助ける事だけに執着した』と続けた。すぐさまワシは『偉大なる父上と母上の姿や活動を見て、ワシもその道を行きたいと思いました』と返した。

 そこからじゃよ。空狐様の怒涛の質問攻めが始まったのは。


『お前は、なんだ?』


『ワシ、ですか?』


 質問を質問で返しても、空狐様は黙ったまま。『お前』と言うからには、その言葉はワシを指す。しかし、『なんだ?』とは、最初はまるで分からなかった。

 言葉の意味するものが曖昧過ぎての。必死になって長考したさ。浮かぶ限りの可能性を並べては、意味の成さない物を消しの繰り返し。

 『なんだ?』の意味を考えてから、二十分ぐらいしたじゃろうか。一番可能性が高いであろう答えを導き出し、口にしてやった。


『ワシは、仙狐です』


『仙狐のお前は、なんだ?』


 答えは合っていたようで、話が先に進んだ。なら、次の答えを導き出せるのは早かった。


『狐です』


『そう、狐だ。お前は人間ではない。人間に裏切られ、一つの道を閉ざされたのであれば、次は、なんだ?』


『……狐を、助けろと?』


『そうだ。弱き狐を助け、そやつの閉ざされた道を切り開き、導き手となれ』


『なぜ、ワシが?』


『それは、お前が強き狐だからだ』


『ワシが、強き狐?』


『そう、強き狐だ。もう一度言おう。仙狐、いや、“天狐”楓よ。お前は、弱き狐を助け、そやつの閉ざされた道を切り開き、導き手となれ』


『て、天狐……? いや、それよりも……』


『―――今から、弱き狐が生まれるぞ』


 まだまだ質問をしたかったが、そこで空狐様が不穏な事を言ってきての。情報を共有すべく、空狐様が千里眼で覗いた先の映像を、ワシの頭の中に流し込んできたんじゃ。

 あれは、今でも忘れはしない。三匹の野狐が、巨大な雪崩に巻き込まれていく光景を。その鮮烈たる光景を見て、『あっ!』と声を出した直後、ワシは走り始めていた。空狐様をそこに置き去りにしての。


 場所にして、約五キロメートル先の急斜面。ただひたすらに、がむしゃらに一直線に走った。雪崩に巻き込まれた野狐を助けてやりたいという一心で。

 その時助けた野狐こそが、みやびなんじゃよ。本当は父と母も助けてやりたかったが、体はもう氷のように冷たくなっていての……。

 当時のワシが、神通力や千里眼を使いこなせていれば、助けてやれたかもしれないのに……。あの時は己の足で走り、己の手で積もった雪を掘っていた。爪が何枚も割れ、辺りの雪が鮮血に染まっていた。


 せめて、この助けてやれた野狐だけでもと思い。呼吸がか弱くなっていき、生命が潰える前に、雅の意見を聞かぬまま妖狐にしてしまったんじゃ。

 そのまま数日が経った朝。意識を取り戻し、最初は酷く困惑していたが。事情を説明してやれば、雅は満面の笑みで『助けてくれて、本当にありがとうございます』と言ってくれた。


 その瞬間じゃった。ワシは、かつて太古の昔、父上と母上の善意活動を見た時よりも、強く心を打たれての。

 同時に、空狐様が言っていた『弱き狐を助け、そやつの閉ざされた道を切り開き、導き手となれ』。これこそが、ワシが本来歩むべき道じゃったと、確信を得られた。


 そしてその活動を雅と、助けた仲間達とやり続けてきた結果、今のワシらがおる訳じゃ。どうじゃ? かなり端折ったが、つまらん過去話じゃったろ?

 そんな事はない? そうかそうか、お主もなかなか優しい奴じゃのう。気に入った。ワシのとっておきの油揚げを分けてやろう。


 それでじゃ。明日、めでたい催しをおこなうのじゃか、そこに花梨とゴーニャを誘っておる。本人達には、何をするかはまだ伝えていないがな。

 午前中は、予行練習を重ね。午後、夕刻に始めるつもりじゃ。お主も見てみるか? 『狐の嫁入り』もとい、『八咫烏の嫁入り』を。

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