75話-3、忘れてしまった夢の内容
各々の仕事や使命を携えた四人は、受付で開店を待っているクロ達に手を振りつつ、
様々な妖怪達が織り成す長蛇の列を横切り、観光客で賑わい始めている丁字路に出た。
まずは焼き鳥屋
「どうしたんですか、酒天さん?」
「短い道中ですが、皆さん同じ方向に行くので、これに乗って下さいっス」
朝からやる気に満ち溢れている酒天が、壁際に置いてある物に両手をかざす。
その手を差す方へ三人が顔を移すと、視線の先には、全体が艶のある黒い漆が塗られていて、座り心地が良さそうな広くて赤い座席。
横殴りの暴雨も凌げそうな屋根が設置された、やや大型の人力車が置かれていた。
「人力車だ。これ、酒天さんが用意したんですか?」
「はいっス!
自前の物かと思いきや。様々な場面で出てくる楓の名を聞いた花梨が、
「人力車っていうのね、これ。初めて見たわっ」
「見る機会がそうそう無いからねぇ。
「流石に俺もねえな。酒天が引いてくれるのか?」
姉妹の会話に続き、八吉が後を追って質問をすると、酒天は「はいっス!」と高らかに宣言し、自分の胸をドスンと叩く。
「力仕事は、この酒天に全てお任せ下さいっス! さあさあ、皆さん乗って下さい!」
最早、拒否する選択肢を与えない酒天の催促に、三人は人力車に乗り込み、奥から花梨、ゴーニャ、八吉の順番で腰を下ろす。
座り心地は非常に良く、尻や腰に負担をかけない低反発で、気に入って体全体を背もたれに預けたゴーニャが、表情をぽやっとさせた。
「ずっと座ってたいかも……」
「ねっ、すごく気持ちいいや」
「確かに。なんかこう、楓の深いこだわりを感じるな」
三人が座り心地の感想を言い合っていると、酒天は人力車から前に突き出している
「さあ、出発するっスよー!」
張り切っている酒天の合図で、人力車がゆっくりと動き出し、人混みの中へ溶け込んでいく。
思ったほど揺れは感じず、見慣れた景色が勝手に後ろへ流れていく中。人力車に乗っている三人は、少しずつ観光気分に浸っていき、秋に囲まれた景色に目を移していく。
チラチラと舞っている、風に運ばれて来たイチョウの葉。浴衣や和服を身に纏っている、観光客の妖怪達。
昔ながらの木造建築の出店で、朝から元気よく客の視線を集める店員達。前から颯爽と流れてくる、清涼な秋の風。
景色を見る余裕もあってか。三人は本来の目的を二の次にし、真新しくて新鮮味すら感じる景色を堪能していった。
「いいなぁ、人力車って。温泉街にはピッタリの乗り物だ」
「そうねっ。なんだかワクワクしてくるわっ」
「今度、
すっかりと人力車の虜になった三人が、
店の前ではずっと待っていたであろう、八咫烏の神音の姿があり。四人の姿を見つけるや否や、注目を集める為に大きく手を振り始める。
「やーきちーっ!」
「おっと、そろそろ旅の終わりか。さーて、気持ちを切り替えねえとな」
「えーっ、もっと乗ってたかったわっ」
旅気分に酔いしれていたゴーニャが、現実に戻されて文句を垂れるも、店の前に着くと酒天にお礼を言いつつ、八吉と共にいそいそと下りていく。
広くなった人力車内に一人残った花梨は、神音と合流した二人に顔を合わせ、別れを惜しみながらもふわりと微笑んだ。
「それじゃあゴーニャ、お仕事頑張ってね。八吉さん、神音さん、ゴーニャをよろしくお願いします」
「うんっ! 花梨もお仕事頑張ってねっ!」
「おう、任せとけ。帰りはちゃんと店に来いよ」
「おっ、秋風君ここに来るんだ。なら、楽しみにして待ってるよ」
四人が別れの話を済ませると、頃合を見た酒天が「じゃあ行くっスよー!」と合図を送る。
人力車が再び動き出すと、花梨と酒天は三人に手を振り続け、遠ざかっていく焼き鳥屋八咫を後にした。
そのまま温泉街を抜け、左右の地平線にぶつかっている広大なススキ畑に出ると、酒天が「花梨さーん」と名前を呼んだ。
「ここから速度を出すので、何かあったら言って下さいっスねー」
「はい、分かりまし、のわっ!?」
酒天に返事を送ろうとする前に、人力車がグンッと急加速し、急激な速度に体が耐えられず、背もたれに押し込まれた花梨。
速度は、車が一般道で走っているような速度に近い、おおよそ五十キロメートル前後。
それを人力車で味わうとなると、体感速度は何倍にも感じるが、花梨はケロッとした表情でいて、激しく揺れる人力車内で姿勢を正していった。
「酒天さん、そんなに飛ばして大丈夫なんですか?」
「体力には自信あるっスよ! なんたって、ほぼ毎日
「なるほど。ならばこの距離と速度は、日常茶判事ってワケですね」
納得してしまった花梨の言葉に、酒天はニッと笑い、ワンパク気味な八重歯を見せつける。
「そうっス! 一時間もあれば着きますから、景色をゆっくり堪能していて下さい!」
「分かりました。それじゃあお言葉に甘えて……」
これ以上話し続けると邪魔になると判断し、花梨は暴れる座席に深く座り直し、左側のススキ畑に目を移す。
下は、銀色の波を立たせた黄金の海。上は、緩やかな波に見える
二つの海に見立てた地と空の間には、決して交わることのない、永遠に続いているとさえ思える境界線。
その地上の海の中で黄昏始めると、前から飛んでくる風切り音、人力車の車輪から発せられるガタガタとした音が遠ざかっていき、やがては自分だけの無音の世界が訪れる。
体の揺れすら感じなくなり、意識が黄金と群青の海のみに集中すると、だんだんと心地よくなってきてしまったか。まどろみを含んだあくびをする。
それでもなお、景色を眺めていると、視界が上下から狭まっていき、明るい闇に染まっていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
旅の途中で寝てしまった花梨は、『座敷童子堂』『建物建築・修繕鬼ヶ島』でも見た、とある夢の続きを見ていた。
視界の主は寝ているらしく、闇が一向に晴れないでいる最中。誰かの明るい会話が聞こえてきて、辺りに反響し出していく。
「でさ、お父さん。初日はどのお店から行く?」
「そりゃお前、決まってんだろ? もちろん『着物レンタルろくろ』で着物を借りてから、『妖狐神社』でお参りよ」
「そういえば、お父さん行きたがってたもんね。じゃあ初日は、大通りのお店から回っていく?」
「七日間もあるし、そうすっか。それだったら午前中は、『
「あっ、いいね! ふふっ、楽しみだなぁ。
「とんでもねえ種類があるもんな。七日間あったとしても、流石に全部は食い切れねえぞ?」
「別に焦る必要はないよ。これからずっと、あっちに居るんだからさ」
「それもそうか。しっかし、俺も総支配人をやんのか。未だに信じられねえぜ」
「ふふっ。応援してるよ、頑張ってね!」
「あんがとよ。お前も女将をやんだろ、
「そこは大丈夫! なんたって私が受け持つ予定の受付の対面には、とても心強いクロさんが居るからね!」
「おいおい、頼る気満々じゃねえか。つっても俺も最初は、ぬらりひょんさんに頼りっぱなしになるだろうなあ」
「でしょ〜? けど、なるべく最初だけにしておこうね。でさでさ、二日目は―――」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……さーん、花梨さーん。着いたっスよー」
「……ふぇっ?」
いつの間にか寝てしまっていたようで。寝息を立てていた花梨が目を覚まし、霞がかった視界を前に持っていく。
そこには一仕事を終えた酒天の姿があり、視線が合うとニッと微笑んだ。
「おはようございます、花梨さん。いい夢でも見てたんスか? 幸せそうな寝顔をしてたっスよ」
「……えっ? 寝てたんですか、私? す、すみません、うっかり寝ちゃいまして……」
「いえいえ! 逆に、眠れるほどの安全運転が出来てた事が分かったので、嬉しい限りっス!」
何事もポジティブに捉える酒天が、未だに疲れを見せない力強いガッツポーズを見せつけ、無邪気な笑みを送る。
そんな酒天に花梨は、何か夢を見ていたような……。それも、かなり大事な夢だった気がする……。う〜ん、思い出せない……。と眉をひそめるも今は忘れ、苦笑いを返した。
そして、酒天の手を借りて人力車から下り、靴底で砂の感触を確かめつつ、辺りを見渡してみる。
目の前にあるは、耳を癒す波の音を奏でている、透明度が高い本物の海。久しぶりに聞く波の音を二回ほど耳にしてから、視線を右側に滑らせていく。
やや遠目にポツンと、かつて当分来ない事を心に誓った魚市場難破船が見え、停船所からは丁度一隻の漁船が、沖に向かって進んでいた。
漁船を追いつつ、左側に視線を向けてみる。不純物が一切無い、雪原を彷彿とさせる白浜が、見える範囲の奥までずっと続いている。
その途中で、透明なさざ波と戯れている影を発見し、目を細めて確認してみると、どうやら海に向かって歌を歌っている人魚だと分かった。
初めて見る人魚の姿に花梨は、表情を目一杯嬉々とさせ、「うわぁ〜!」と弾んだ声を漏らした。
「酒天さんっ、見て見て! あそこに人魚さんが居ますよ!」
「んっ? おお〜、本当っスね。あの人魚がぬらりひょん様が言ってた、
「絶対にそうですよ! 早く行きましょう!」
「了解っス!」
待望の人魚を前にした花梨が、逸る気持ちに身を任せて駆け出すと、酒天も背中を追って走り出す。
その二つの騒がしい足音は、広大な海が生み出すさざ波にかき消され、やがては海に混ざり合い溶け込んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます