75話-2、人魚喫茶の手伝い

 カメラのシャッター音が飛び交う朝食が終わると、一行いっこうは支配人室に向かう為、誰も居ない静かな廊下へ出て行く。

 支配人室の扉の前まで来ると、食器類を乗せた丸盆を持っている雪女の雹華ひょうかと、座敷童子のまといが中央階段へ歩み、花梨達が居る方へ振り返った。


「それじゃあ花梨ちゃん、ゴーニャちゃん、お仕事頑張ってね」

「頑張って、二人共」


「うんっ、頑張るわっ」


「はい、ありがとうございます! それと、すみません雹華さん。食器を運んでくれまして」


 手間を掛けさせてしまい、花梨が申し訳なさそうに頭を下げると、雹華は嫌な顔を一つせず華奢な笑みを送る。


「気にしないで。クロちゃんにお礼を言う為に、食事処へ寄るついでよ」


「そうですか、分かりました。ありがとうございます、それでは!」


 そう花梨が告げると、雹華と纏は手を振りながら中央階段を下りていき、姿を消していった。

 二人の背中を見送ると、手を振り返していた花梨が「んじゃ、支配人室に入ろっか」とゴーニャに話し、扉の方へ体を向ける。

 扉を二度ノックすると、中から「どうぞっス!」と、ぬらりひょんの物とは違うハキハキとした声が聞こえ、普段とは異なった返しに、花梨は首をかしげてから扉を開けた。


「失礼しまーす」

「失礼しますっ」


 二人揃って支配人室に入ると、ぬらりひょんが居る書斎机の左側には、腕を組んでいる八咫烏の八吉やきちが。

 右側には茨木童子の酒天しゅてんがおり、珍しい組み合わせの二人を認めた花梨が、目をぱちくりとさせた。


「八吉さんと酒天さんだ。お疲れ様です」

「二人共、お疲れ様ですっ」


「よう二人共、お疲れ」

「花梨さん、ゴーニャちゃん、お疲れっス!」


「来たな二人共、おはようさん」


 八吉、酒天と続き、最後に挨拶を交わしたぬらりひょんが、キセルの白い煙をふかす。


「早速だが、今日の仕事内容を言おう。まずは花梨からだ」


「私から、ですか。はい」


 ぬらりひょんのやや違和感のある言い回しに、花梨は鈍い反応を示しつつ、背筋を正せて聞く体勢に入る。


「お前さん、菓子作りの経験はあるか?」


「お菓子作り……。一応、パティシエの経験があるので、それなりに作れます」


 花梨の説明に、ぬえの会社で働いていた事を知っていたぬらりひょんは、予想通りと言わんばかりにうなずいた。


「やはりな。今日は仕事の手伝いと言うよりも、教授に近い。人魚は知っとるか?」


「人魚って、絵本とかでよく出てきますよね。もちろん知っています」


「なら話は早い。その人魚が今度、『怪域』という海の底で喫茶店を開くんだが。誰も菓子の作り方を知らないらしく、急遽教えてほしいと要望が入ってな」


 人魚という馴染み深いワードに、花梨は「えっ!?」と驚いた様子で声を張り上げ、目を一気に見開いていく。


「ここって人魚がいるんですか!? って事は、私の今日の仕事って……」


「そうだ。酒天と共に怪域へ行き、人魚達に菓子の作り方を教えてやる事だ」


「うわぁ〜っ、人魚に会えるんだ! すごいすごいっ! まるで夢みたいだ!」


 見開いた目を子供のようにキラキラと輝かせ、気分が舞い上がっている花梨の横で、何も知らないゴーニャが「にんぎょ?」と、質問を投げ掛ける。


「え〜っと。下半身が魚のような尾びれが付いていて、上半身が人間みたいな人の事だよ」


「へえ〜。お魚って事は、食べられるのかしら?」


「た、食べるつもりなの? でも、人魚ってどんな味がするんだろ?」


 食欲にまみれたゴーニャの疑問に、触発された花梨も考えようとするも、まったく思いつかなかったようで。思案している顔をぬらりひょんに戻した。


「ぬらりひょん様、人魚って美味しいんですか?」


「知らん。それに、食ったら中途半端な不老不死になってしまうから、絶対に食うんじゃないぞ?」


「げっ、そうなんですね……」


 ゴーニャの疑問により、人魚に会える気持ちよりも味の方が勝ってしまった花梨が、心の中で反省すると、「それと」と付け加える。


「なんで酒天さんと一緒なんですかね?」


「怪域へ行く道中が、相当な危険を伴うからな。護衛として同行してもらうんだ」


「花梨さんの護衛が出来ると聞きまして、仕事を休んですっ飛んできたっス! 必ずや護り通してみせますからね!」


 かつて、第一の満月が出た次の日の夜。十六夜いざよいの月に向かい、花梨達を護る事を胸に誓い、決意の拳をかざした酒天。

 その誰も知らない使命が、ようやく果たせる機会が訪れたお陰か。酒天の獣染みた金色の瞳は熱く燃え、固く握り締めた拳を掲げ、頼り甲斐のあるガッツポーズを花梨に見せつけた。

 煌々こうこうと輝く炎のオーラを身に纏い、最早、全身火だるま状態になっている酒天に、花梨は心の底から頼もしく思い、安心し切った笑みを浮かべる。


「酒天さんが護衛って、この上なく心強いですね。今日はよろしくお願いします!」


「はいっス! 今日だけとは言わず、一生任せて下さいっ!!」


「あっはははは……。必ず天寿を全う出来そうだなぁ、私」


 肌が焼けるような酒天の熱気と決意に、若干苦笑いが混じった微笑みを送る花梨。

 室内の温度が、視覚的に急上昇していく中。灼熱のオーラに照らされているぬらりひょんが、キセルの白い煙を吐き、話を戻すように「うおっほん」と咳払いをする。


「よし。次はゴーニャの仕事内容を言うぞ」


「私の仕事内容? もしかして、花梨とは別行動になっちゃうのかしら?」


 既に話の内容が見えてきたようで。ゴーニャが残念そうに的を射た発言をすると、ぬらりひょんは隠す事なく「そうだ」とキッパリ返す。


「先ほども言った通り、怪域は非常に危険な場所だからな。それでお前さんには、一度働いた経験がある『焼き鳥屋八咫やた』で、仕事の手伝いをしてもらうぞ」


「焼き鳥屋八咫っ! だから八吉が居たのね」


 二人が居た理由と今日の流れを同時に理解したゴーニャが、納得気味に声を上げると、腕を組んでいた八吉が「おうよ!」と割って入る。


「今日はよろしくな、ゴーニャ」


「花梨と離れるのはすごく寂しいけど……。花梨にまた、プレゼントを贈れるチャンスだわっ! よろしくね、八吉っ」


 花梨とはなばなれになる寂しさや心細さよりも、前向きに物事を考えたゴーニャは、八吉の元へ歩み寄り、握手を求めるように右手を差し伸べた。

 その小さな手を見て、即座に右手を伸ばした八吉が、ゴーニャの手をしっかりと握ると、ニッと口角を上げる。


「なるほど、そう来たか。なら、給料をうんと弾んでやらねえとな」


「やった! なら、お仕事いっぱい頑張るわっ!」


「へへっ。また緊張して、初っ端から飛ばすなよ?」


「わ、わかってるわよっ」


 八吉の過去を蒸し返す軽いイジりに、ゴーニャは頬をプクッと膨らませ、青色のジト目で睨みつけた。

 小さな口を尖らせると、何かを思いついたゴーニャが「あっ!」と表情を明るくさせ、花梨が居る方へ体を向けた。


「花梨っ! そっちの仕事が終わったら、焼き鳥屋八咫に来てちょうだい! 私の仕事っぷりを見せてあげるわっ!」


「あっ、すごく見たい! 分かった、絶対に行くね!」


 別れを惜しむどころか。ゴーニャの提案にはしゃぎ出し、固い約束交わし合う姉妹。

 これで、ゴーニャが単独で働くのは二度目であるものの。一度目は花梨にサプライズプレゼントを贈るべく、内緒で働いていたせいで、花梨はゴーニャの働いている姿を見れていなかった。

 そのせいもあって花梨は、楽しみだなぁ。夕方頃には温泉街に帰って来れるだろうから、うんとお腹をすかせておこっと。と、大きな期待に胸を膨らませていく。


「すげえなゴーニャ。教えていねえのに、早速客引きしてらあ」


「八吉さんの所のお酒も、かなり美味いんスよねえ。あたしも同行するっス!」


 妹であるゴーニャのパートナーになった八吉が、ひたすらに感心すると、姉のパートナーとなった酒天が、想像の酒に舌鼓したつづみを打ち始める。

 賑やかになってきた四人のやり取りを静観し、「うんうん」と頷いていたぬらりひょんが、キセルの吸殻を灰皿に入れた。


「話が纏まったみたいだな。じゃあ花梨よ、魚市場難破船うおいちばなんぱせんの隣にある浜辺で、翡翠ひすいという人魚が待っている。まずはそこへ向かい、そいつと合流してくれ」


翡翠ひすいさんですね、分かりました。それでは行ってきます!」


「行ってきますっ!」


 今日一日の仕事内容が分かり、別行動となるもやる気に満ち溢れている姉妹達は、互いのパートナー達と支配人室を後にし、会話をしながら一階へと下りていった。

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