75話-1、更に賑やかになっていく朝食

 柔らかで眩しい朝日が差し込み出し、温泉街に残っている闇夜を払っていく、朝の七時前。


 花梨が設定した目覚ましの設定時間よりも、早く起きた雪女の雹華ひょうかが、重い上体をムクリと起こし、体を大きく伸ばしてから立ち上がる。

 あくびをしながら布団を片付け終えると、未だに眠っている花梨達の元へ行き、枕元にある携帯電話に顔を向けた。


「六時五十五分……。七時に起きると言っていたから、そろそろ起こしてあげないと」


 今日、花梨が仕事に行く事を知っている雹華は、花梨、ゴーニャ、座敷童子のまといの寝顔を拝んだ後、花梨の体を優しく揺すり出す。


「花梨ちゃん、起きなさい。朝よ」


「……雹華さん。そっちの道には炎神ボルシチが居るので、こっちの道から行きましょう……」


「ず、ずいぶんと熱そうなボルシチね。一体、どんな夢を見ているのかしら?」


 初めて聞く不可解な寝言で返答されてしまった雹華が、透き通った青い瞳をぱちくりとさせ、怯んで揺すっていた手を止める。

 が、花梨を目覚ましよりも早く起こすべく、一撃必殺の呪文を唱える為に、雪のように澄んだ白い顔を花梨の耳元へ近づけていく。


「お客さん、終点ですよ」


「……しまった。こっちには炎帝ピッツァが……、終点っ!?」


 夢の世界で危機に瀕していた花梨の耳に、それを上回る絶望の言葉が届き、ゴーニャと纏の体を引きつれてガバッと飛び起き、慌てて辺りを見渡した。

 しかし、遅れて起きた脳が現在場所を理解したのか。微笑んでいる雹華に顔を合わせると、花梨は安堵して強張っていた肩を落とした。


「やってくれましたね? 雹華さん……」


「うふふ、誰もがビックリする魔法の呪文よ。おはよう、花梨ちゃん」


「おはようございます。さて、起きるかなぁ」


 騙されてすっかりと目が覚めた花梨は、体に引っ付いている二人を起こそうとすると、閉じていた扉がひとりでに開き、丸盆を片手に携えた女天狗のクロが入ってきた。

 扉を閉め、体を花梨達のベッドに向けるや否や。目に入った情報で全ての経緯を察したようで、りんとした笑みを浮かべ、丸盆をテーブルの上に置いた。


「悪いな、雹華。花梨を起こしてくれて」


「おはよう、クロちゃん。先に起きちゃったから、ついでにと思ってね」


「そうか、ありがとよ。雹華の分の朝食も作っといたから、一緒に食ってってくれ」


 本当は花梨を起こす事に生き甲斐すら感じていて、やや物足りなさを感じているクロが催促すると、雹華は華奢な笑みをし、「あら」と嬉しそうに両手を合わせる。


「私の分まで用意してくれたのね。ありがとう、クロちゃん。それと、手間を掛けさせてごめんなさいね」


「お前の為を思ってさ。花梨と一緒に飯を食うと、すごく美味く感じるぞ」


「まあ、そうなのね。花梨ちゃんと一緒にご飯を食べるのは、これが初めてだから楽しみだわ」


「そうか、よかったな。んじゃ、ゆっくり食えよ?」


「うん、ありがとう。お仕事頑張ってね」


 やる気が出てくるおしとやかな声援に、クロは「おう」と答えながら手を振り、朝食の匂いに溢れている部屋を後にする。

 やる気に満ちたクロの背中を見送ると、雹華も私服に着替えた花梨達と混ざって歯を磨き、顔を綺麗に洗っていく。

 そのまま全員で部屋に戻り、テーブルの上にある丸盆に注目してみると、朝食には定番の品々が並んでいた。


 ふっくらと焼き上がっている、脂身が多い鮭。焦げ目が一切無い、鮮やかな色をしただし巻き玉子。白い湯気を昇らせている、大盛りのご飯と味噌汁。

 小皿には七枚以上ある味付けのりと、紫の色が濃いしば漬け。そして中央には、味付けのりのお供であろう、容器に並々入っている醤油があった。


「う~ん、定番ながらも嬉しい朝食だ」


「クロちゃんが作っただし巻き玉子って、ご飯とよく合うのよね」


「分かります! ご飯が進む丁度いい味付けなんですよねぇ」


 雹華の弾んだ感想に、花梨が賛同しつつテーブルの前に座ると、左側に雹華、右側にゴーニャ、纏と続いて腰を下ろしていく。

 その間に、花梨が率先して料理が盛られた皿を配っていくと、一つだけラップがされた味噌汁の器を見つけ、思わず首をかしげる。

 違和感のある器をよく見ると、側面に『雹華用』と書かれたふせん紙が貼られていた。


「このお味噌汁だけ、何か違うのかな? 器がやけに冷えてる気がするけど……」


 訳の分からぬまま雹華に差し出すと、雹華は「ありがとう」と感謝を述べ、器を両手で受け取る。

 すると、自分のだけ分けられていた理由が分かったのか。「ふふっ」と嬉々とした笑みをこぼした。


「わざわざ冷ましてくれたのね、本当に嬉しいわ。後でお礼を言いに行かないと」


「もしかして、熱い物が苦手なんですか?」


「そうなのよ。ほら、私って雪女でしょ? あまり熱い物を食べると、体が溶けちゃうのよ」


「な、なるほど……」


 妖怪と人間の体質の違いを、改めて思い知らされた花梨は、雹華さんと一緒にお風呂に入りたかったけど、無理そうだなぁ……。と死に繋がりかねない夢を諦め、人知れず鼻からため息を漏らす。


「だから、花梨ちゃんがまた雪女になる機会があったとしても、無理は禁物よ? 体が溶けちゃうからね」


「しょ、承知しました……。それじゃあ食べましょっか」


「そうね。では、いただきます」


 雹華が朝食の号令を唱えると、三人も声を揃えて「いただきます!」と後を追い、珍しい人物を交えた朝食が始まった。

 各々が違う物を箸でつまんでいる中。一切れのだし巻き玉子を飲み込んだ花梨が、ふと妙な違和感を覚え、オレンジ色の瞳を上に持っていく。

 ご飯を口にかき込み、味噌汁を静かに啜ると、違和感の正体を掴めたようで。雹華に顔を向けて「そういえば」と話を振る。


「雹華さん。体を冷やしていない割には、気だるげに喋ってませんよね。暑くないんですか?」


 花梨の問い掛けに、味付けのりを巻いたご飯に舌鼓したつづみを打っていた雹華が、口に入れていた物をゆっくりと飲み込む。


「最近、体の冷やし方を変えてみたのよ。いつもは全身から強い冷気を放ってキンキンに冷やしていたんだけども。今は力の扱い方のコツを掴んだから、体の内側だけを冷やしているの」


「へぇ〜、そうなんですね」


「うん。だから……」


 語り口を止めて持っていた箸を置くと、立ち膝で花梨の背後へと回り、背中から覆うような形で花梨に抱きつき、右肩に顎を置いた。


「こうやって花梨ちゃんに近づいても大丈夫だし、密着しても寒くないでしょ?」


「本当だ。一瞬だけヒヤッてしましたけど、全然平気で―――」


「へっへへへ……。花梨ちゃんに抱きつけているわぁ〜。ああ〜、幸せぇ〜。いい匂いがするぅ〜。一生こうしてた〜い……。うぇへへへへへへ……」


 普通に話していたかと思いきや。急に不気味な笑い声が聞こえてきたせいで、身動きが取れない花梨は、ヤバッ、スイッチが入っちゃった……。と心の中で呟き、口元をヒクつかせる。

 一向に花梨から離れる様子を見せず、とろけ切った表情で花梨の頬に頬ずりまでし出した雹華が、「そうだわっ!」と声を荒らげ、着物の袖に手を入れた。


「ゴーニャちゃん。食事中に悪いんだけども、お願いを聞いてくれないかしら?」


「ふぇっ? なにかしら?」


 そう雹華が問い掛けると、鮭を綺麗に食べ終えたゴーニャに、袖から取り出したデジタルカメラを差し出した。


「これで、私と花梨ちゃんを撮ってほしいんだけども。いいかしら?」


「これは、雹華がいつも使ってるやつよね。いいわよっ」


「ありがとう。使い方は知ってる?」


「うんっ。このボタンを押せばいいのよね」


 普段、隙あらば雹華が使用していたお陰で、操作の仕方をなんとなく把握しているゴーニャが、電源ボタンに指を差す。


「そうよ、合ってるわ。それじゃあお願いね」


「わかったわっ!」


 初めて使うデジタルカメラに、ゴーニャはワクワクしながらテーブルの向かい側に歩いていき、雹華の真似をするようにカメラを構える。


「えと……。二人が真ん中にくればいいのよね?」


「そうよ。撮る時になったら合図をちょうだい」


「う〜んと、二人を真ん中にして……。できたっ! 撮るわよっ」


 準備が整った事をゴーニャが告げると、雹華はすかさずピースをし、花梨も無意識の内にピースサインを作った。


「はいっ、チーズっ!」


 合図と同時に、カメラからパシャリと音が鳴る。それ以降の操作を知らないゴーニャは、二人の元へ戻ってくると、待ち切れない様子でいる雹華にカメラを返した。


「どうかしら?」


「……うん、うんっ! よく撮れているわ。ありがとうね、ゴーニャちゃん。うふふっ、家宝がまた増えちゃったわ」


「どれどれ? 私にも見せて下さいよ」


 妹であるゴーニャが、どう撮ったのか気になり出した花梨も、雹華に身を寄せ、カメラの画面を覗いてみる。

 その画面には、窓から差し込む暖かな陽の光よりも温かそうに笑い、しっかりとピースサインを送っている花梨と雹華の姿があった。


「うわぁ〜、すごく綺麗に撮れてるじゃんか。ゴーニャ、カメラの才能があるんじゃないの?」


「ほんとっ!? じゃあ私も、花梨をいっぱい撮るわっ!」


「あっははは、雹華さんが二人に増えちゃったや。それじゃあ携帯電話にカメラの機能があるから、後で教えてあげるね」


「うんっ、ありがとっ!」


 姉妹の日常的で微笑ましいやり取りに、傍で聞いていた雹華が静かにほくそ笑むと、次に何を思ったのか。口元に人差し指を添え、瞳を天井へ移していく。

 そのまま固まると、「あっ」と閃いたような声を発し、三人の注目を集めた。


「どうしたんですか、雹華さん?」


「ふふっ。いい事を思いついたのよ」


「いい事?」


「そう。これから私達、日常でも接する機会が増えるでしょ? だから、撮った写真をアルバムに挟んで、皆にプレゼントしてあげるわね」


 それはかつて、建築途中だった頃の温泉街で、雹華が毎日のようにおこなっていた事でもあり。

 撮った写真を全てファイルに挟んでは、花梨の父と母である鷹瑛たかあき紅葉もみじ、仲間達に必ず配り、形となったその時の思い出を共有し、楽しみ合っていた。


「本当ですか? 嬉しいなぁ。どのくらいの頻度で撮ってくれるんですか?」


「どのくらいの頻度って、もちろん決まっているでしょう? ことごとくよ!」


「ああ、やっぱり……?」


 さも当然の如く言い切った雹華が、鼻を豪快にふんすと鳴らし、右手に気合いの入った熱い握り拳を作る。


「でもまあ、皆が気にならない方法で撮るから、私のカメラを意識しなくて大丈夫よ。っと、そうだわ。記念すべき一枚目を撮るから、皆は食事を再開してちょうだい」


「あっ、そうだった。朝食を食べてたんだったや」


「ごめんなさいね、お邪魔しちゃって」


「いえいえ、全然大丈夫ですよ。それじゃあ改めて、いただきまーす!」


 花梨の気を取り直した号令と共に、ゴーニャと纏が置いていた箸を手に持ち直し、いつの間にか止まってしまっていた朝食が再開する。

 そして三人が食べ始めると、雹華はこっそりと立ち上がり、三人の食事風景を邪魔する事無く撮り続け、何気ない日常風景を形に残していった。

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