74話-2、おだてに弱い女天狗

 色濃い静寂が漂っている、三階の宿泊所。日中の活気さとは打って変わり、暗闇と無音が際立つ二階の娯楽施設を通り過ぎ。

 一階の食事処を目指すべく、寄り添い合いながら中央階段を下りていく、クロと花梨。

 無音を振り払う会話を交えつつ一階に着き、業務用冷蔵庫の稼働音が不気味に鳴り響いている、食事処へ向かって行く。


 闇を纏った食事処に着くと、クロが電気を点けたと同時。闇に慣れていた目が眩んだのか、花梨が反射的に目を瞑る。

 そして、瞼越しで感じていた眩しい光に慣れてくると、恐る恐る目を開けた。


「カレーを温め直すから、ちょっと待っててくれな」


 目を瞑っている間に食事処へ入っていたクロが、コンロの火をつけ、流れるように棚から食器類を出し、炊飯器の蓋を開ける。


「あっ、私も手伝うよ」


「遅い遅い、もうやる事は何も無いぞ」


 花梨が小走りで食事処に入るも、クロは既に二つの皿とスプーンを用意しており、皿の上には、白い湯気が昇っている大盛りのご飯が盛られていた。

 あまりの準備の早さと手際の良さに、手伝う前からやる事が無くなってしまった花梨が、思わず「はやっ!」と声を上げる。


「毎日沢山の客を相手してるからな。こういうのはスピードが大事なんだ」


 そう得意げに語るクロが、寸胴の中に入っているであろうカレーを、お玉でかき混ぜていく。


「はえ~、目にも留まらぬ早さだったや。流石はお母さん」


 愛娘の花梨に褒められたせいで、クロは「ふふん」と上機嫌に鼻を鳴らし、ドヤ顔になりながら腰に手を当てる。


「いいぞ。悪い気はしないから、そういうのはもっと言ってくれ」


「よっ、料理上手! お客さんの胃袋を掴む天才! 天下一品のおふくろの味!」


「よーしよーし、お前のカレーは特別に超大盛りにしてやろう」


「やったー!」


 おだてに弱いクロは、今は夜中だという事を知っているのにも関わらず、体によろしくない約束を交わし、クツクツと泡が立ってきたカレーをかき混ぜていく。

 しばらくすると煮えたようで。食欲を刺激するスパイシーな香りが辺りに漂い出し、頃合いだと感じたクロがコンロの火を止める。

 そのまま横に置いていた皿を手に持ち、慣れた手つきでご飯の上にカレーを盛り付けていった。


「ぬっはぁ~……、さっき振りだけといい匂い~。このまま食べちゃいたいや」


「アホ、それだとただのカレーになっちまうだろ。早くコンビーフと温泉卵を添えてくれ」


「そうだった。さてと、どう盛り付けようかな~」


 カレーの匂いに惑わされ、本来の目的を忘れかけていた花梨が、今日のメインである具材を用意する。

 軽く考えた結果。花梨はまず初めに、容器から取り出したコンビーフを綺麗に解していく。

 次に、カレーとご飯の境目に輪っか状に盛り付け、その黄色と白が半々に見えるコンビーフの穴に、白身と黄身が半熟の温泉卵を落とした。


「出来た! どうこれ、たぶん正解でしょ!」


「見た目は完璧だな。だけど、カレーとコンビーフ、温泉卵って一緒に食べた事がないから、味の想像がイマイチ出来ないな」


「もしかしたら、コンビーフとカレーを一緒に煮込んだ方がよかったかな?」


 全て盛り付けてしまった後に、カレーが更に美味しくなるであろう花梨の提案に、クロは「あ~」と納得気味の声を出し、目線を上に持っていく。


「それもアリだな。これが美味かったら、今度試してみるか」


「そうだね。それじゃあ食べよ食べよ」


「よし、食ってみるか。いただきますっと」


「いただきまーす」


 真夜中に間食の号令を唱えた二人は、一斉にスプーンを手に持ち、カレーとご飯、コンビーフをすくって口の中へ運ぶ。

 味を確かめるように咀嚼そしゃくすると、初めにコンビーフのやや甘い肉肉しい旨味を感じるも、瞬く間にカレーが包み込み、風味を一色単に染め上げていく。

 その後も、カレーの中にコンビーフの固い食感を認めるも、風味は変わることなく、飲み込むまでカレーの味だけしかしなかった。


「食感は面白いけど、カレーの味が強くて、コンビーフの味が最初しかしなかったや」


 一口目を飲み込んだ花梨が、率直な意見を言うと、クロも同じ事を思っていたのか。「そうだな」と相槌を入れ、二口目を食べ進める。


「やっぱり、一緒に煮込んだ方が正解っぽいな。来週の夕食にでも出してやるよ」


「ありがとう! さて、温泉卵を加えたらどうなるかな~」


 来週の楽しみが出来た花梨は、スプーンで温泉卵を崩し、コンビーフと馴染んだ部分をすくい、再び口に持っていった。

 食感自体はあまり変わらぬものの。カレーの尖った辛さが薄れて全体的にまろやかになり、一口目とはまた違った風味が口の中に広がっていく。

 温泉卵がカレーの強い辛さを抑えてくれたお陰で、隠れていたコンビーフの味が蘇り、時折、ご飯の甘さまで合間合間に顔を覗かせてきた。

 温泉卵を加えただけで、ご飯、カレー、コンビーフ、温泉卵全ての風味を味わえた花梨は、ゴクンと飲み込むと、満足気味に笑みを浮かべる。


「すごいや。温泉卵を足しただけで、ここまで味が変わるなんてなぁ。んまいっ」


「温泉卵とコンビーフだけ食べると、ユッケみたいな味になるな。一皿で二度も三度も楽しめるカレーって、なかなか面白いじゃないか。美味い美味い」


「へぇ~、そうなんだ。じゃあ私も―――」


 クロの美味しそうな感想にあやかり、花梨も試そうとした直後。誰かにジーパンを引っ張られたので、不思議に思いながら視線を下へ滑らせていく。

 するとそこには、羨ましそうなジト目を向けてきている座敷童子のまといとゴーニャがおり、居るハズのない第三者を目にした花梨が、体全体に大きな波を立たせた。


「ぬわっ!? ま、纏姉さん!? それにゴーニャまで! ……なんで、ここに?」


「なんでって。目が覚めたら居なくなってたから、探しに来た」


「もうっ! 急に居なくなったから心配したんだからねっ!」


「あっ、ごめんね……、急に居なくなったりして。いやぁ~、とうとうバレちゃいましたねぇ」


 言い訳なんて出来るハズもなく。花梨が苦笑いをしながら頬を掻くと、共犯者であるクロも何も言わず、ただ肩をすくめるばかり。

 そんな罪深い二人を睨みつけている中。辺りを漂うカレーの匂いを嗅ぎつけた纏のジト目が、更に細まっていく。


「二人共、カレー食べてるの? ずるい」


「ずるいわっ! 私も食べたいっ」


「分かった分かった。まだ余ってるから、二人にも出してやるよ」


「わーい」


「やったっ!」


 諦めた様子のクロが、新たに二つの皿とスプーンを用意し出すと、花梨も余っていたコンビーフと温泉卵を取り出し、その場にしゃがみ込んだ。


「一応、この二つをトッピングして食べていたんだけど、ゴーニャと纏姉さんもやります?」


「へぇ~、すごい組み合わせね。するっ」


「美味しそう、私もする」


「分かりました。それじゃあ準備しますね」


 二人も乗り気で了承すると、花梨は微笑みながらうなずき、クロが用意したカレーに盛り付けていく。

 そして間食仲間が増えると、全員は二杯ずつ大盛りのカレーをおかわりし、背徳感がこの上なく強い真夜中の時間を堪能し合っていった。

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