73話-3、陥落する温泉街
時は少し
外から見える地獄絵図とは程遠く、平和な空気に満ちている花梨の部屋に居るぬらりひょんは、キセルが吸えないもの寂しい口の中に、クロが用意したお菓子を放り込んでいた。
絶対の安寧が約束されている部屋内には、花梨、ゴーニャ、クロ、座敷童子の
それに呼んでいないはずの
「久々に食うと美味えなあ、これ」
「おい鵺、全部持ってくな。ていうか、なんでお前までここに居るんだ?」
ポテトチップスを食べ損じたクロが、やや不服そうに、招かざる客である鵺に文句を垂れる。
「なんでって、私の可愛い部下を守りにだよ。悪いか?」
既にポテトチップスを食べ終えた鵺が、指に付いているのりを舐め取りつつ、あっけらかんと言う。
「いや、別に悪くないが……、って、お前! のり塩全部食いやがったな!? それ最後の一袋だったんだぞ!?」
「ええーっ!? そんなぁ、私も食べたかったのにぃ~……」
同じくのり塩味が大好物である花梨も、クロの後を追って叫び上げ、残念そうにしている顔をテーブルに落としていく。
「あれ、そうなの? 悪ぃ悪ぃ、すげえ美味かったわ」
悪そびれる様子も無く、鵺が満足気に言うと、楽しみを奪われたクロも、やるせない表情をしながらテーブルに突っ伏していった。
仕方なくうす塩味のポテトチップスで口を誤魔化すも、やはり舌と体は正直なようで。無い物ねだりをする胃袋が、のり塩味を食えと腹を鳴らす。
「ぬらりひょん様……。温泉街にポテトチップスが売ってる店って、ありましたっけ……?」
「阿呆、あるワケなかろう。それに、もう満月が出ているから、外出は絶対にするなよ?」
呆れ返っているぬらりひょんに釘を刺されると、クロは重い頭を上げ、掛け時計を見てから「げっ、本当だ」と声を漏らし、油で汚れている手を布巾で拭いた。
そのまま立ち上がると、平和ボケしている体をグイッと伸ばし、腰に差していたテングノウチワを右手に持つ。
「さて、ここに居れば安全だと思うが……。せっかくだから鵺、お前は扉を見張っててくれ。私は窓と壁を見とく」
「あいよ」
「いや、別に見張らんでもいいぞ」
クロが出した指示を素直に従った鵺が、手を布巾で拭き取ってから立ち上がるも、未だに座っているぬらりひょんが割って入る。
やる気が出てきたというのに対し、花梨を守ろうとする意思を微塵も見せつけないぬらりひょんに、鵺が「あ?」と挑発染みた反応を示した。
「なんでだよ? 万が一の事態を考えてねえのか?」
「安心しろ。ワシが千里眼で辺り一帯を見張っておる。お前さん達は、その万が一の時が来るまで体力を温存しておけ」
終始落ち着いているぬらりひょんが、熱いお茶をすすると、にわかに信じがたいぬらりひょんの返しに、鵺は紅色の瞳を丸くさせる。
「マジかよ? ぬらさん、いつの間に千里眼なんて使えるようになったんだ?」
「つい最近だ。非常に便利だぞ。お前さんも習得してみたら―――」
「ふぇ、ふぇっ、へぷちっ」
二人が会話をしている最中、プリンを食べていたゴーニャが、おもむろにクシャミを放つ。
それとほぼ同時、ぬらりひょんは窓を睨みつけながら立ち上がり、「チッ」と舌打ちをした後、右足で床を思い切り叩く。
すると、全員が一瞬耐え難い耳鳴りに襲われ、顔を歪めるも、不快な耳鳴りはすぐに収まり、部屋内が無音に包まれていった。
「クソッ、なんという早さだ。永秋にしか張れんかったか」
「……あの、ぬらりひょん様? いったい何をしたんですか?」
ぬらりひょんの一連の行動が理解出来ず、目をきょとんとさせた花梨が、恐る恐る質問を投げかける。
「温泉街全体に結界を張ろうとしたんだが、間に合わんかったわ」
「結界、ですか」
未だに現状を把握していない花梨が、オウム返しで返答すると、異変を察した肌が主である花梨に知らせるべく、体をブルッと身震いさせた。
「な、なんだか急に、すごく寒くなってきたような……?」
「原因はこいつのせいだ。クロ、鵺、ちょっとこっちに来い」
辺りを警戒している二人を呼んだぬらりひょんが、花梨のベッドに飛び乗り、カーテンが掛かっている窓まで歩いていく。
呼ばれた二人も窓の近くまで来ると、ぬらりひょんはカーテンを両手で掴み、一気に開いた。
窓が
「おい、なんだよこれ……。誰の仕業だ?」
氷壁を認めた鵺が言うと、大体の見当がついているのか。クロは腕を組み、鼻から息を漏らす。
「この氷……、もしかして」
「クロ、千里眼は使えるか?」
クロの嫌な予感が過ぎる言葉を遮り、ぬらりひょんが問い掛ける。その問い掛けにクロは、首を横に振った。
「いえ、まだ使えません。そろそろいけそうな気がするんですが……」
「そうか。なら二人共、心して聞け」
態度を改めたぬらりひょんが、左右に居る二人へ横目を送り、氷に覆われた窓に戻す。
「
「じゃあやっぱり、この氷は雹華の仕業か……」
「……おいぬらさん、マジで言ってんのか? それ」
ぬらりひょんが言い放った言葉を疑っている鵺が、驚愕のこもった質問返しをする。
「本当だ。経緯までは分からんが……。目を離した隙に、いつの間にか雹華が大通りのど真ん中で倒れとったよ」
現状を把握し始めると、ぬらりひょんは倒れている雹華を中心とし、千里眼で秋国の被害状況を確認し出す。
永秋の前にある大通りは言うまでもなく、家屋、店、道で暴れている妖怪共々、分厚い氷に飲み込まれている。
左側へ続く道も、秋国山まで綺麗に氷の下に沈んでおり。右側の道は、
「まずいな、ほぼ壊滅状態じゃないか。『雪女の日』に天候を雪模様にしていたが……。まさか、純血の力がこれ程までとはな」
「純血?」
初めて耳にする雹華の情報に、クロが反応して目を細める。
「ああ、雹華は『雪化粧村』出身だろう? 雪女は人間の混血も多いが、あの村の奴らは全員純血でな。代々、その由緒正しき血を守っとるワケだ。しかも、純血の雪女についての情報はあまりにも少ない」
ばつが悪そうに説明を始めると、ぬらりひょんは
「故に、戦闘面、能力、全てにおいて未知数だ。これを見る限り、
「私よりも強いって……。そうしたら雹華を止められるのは、
己の実力を認め、冷静を保ちつつクロが答えると、ぬらりひょんの袖から、一本の着信を知らせる音が鳴り出した。
ぬらりひょんが袖から携帯電話を取り出し、画面を見てみると、『楓』と表示されており、発信ボタンを押した携帯電話を耳に当てた。
「楓、無事だったか」
「事前に結界を張っておるからのお。こっちは仲間全員無事じゃ。どうする? ワシが雹華を止めに行こうか?」
開口早々、状況を全て把握している口振りで楓が言うも、ぬらりひょんは「いや」と引き留める。
「お前さんはまだ動くな。ワシとお前さんが動く時は、温泉街が本当の危機に晒された時だ。先にクロを向かわせる」
「なるほど。お主も昨日、ススキ畑に居たクロを千里眼で覗いておったな?」
「お前さんも見ておったか、なら話は早い。今のクロは、お前さんよりも強いぞ」
「流石にそれは言い過ぎじゃ。しかし、『
「確かに。一応お前さんも千里眼で状況を見極めつつ、待機しといてくれ」
「心得た。じゃが最悪、勝手に動くぞ。よいな?」
「ああ、分かった」
話を終え、ぬらりひょんが神妙な面立ちで通話を切った途端。隣から「おい、ぬらさん」と鵺が呼び、ぬらりひょんに詰め寄る。
「私も行く」
「なに? お前さんも?」
想像すらしていなかった言葉に、ぬらりひょんが驚いた表情を鵺に見せつける。
そのぬらりひょんをよそに、鵺は不安そうにして座っている花梨に横目を送った後。やり場のない怒りに満ちている拳を鳴らした。
「当たり前だ。ぬらさんが居なかったら、何も出来ないまま花梨達が死んでたかもしんねぇんだぞ? そう考えたら許せなくてよ。ちょっと雹華を百発ぐらいぶん殴ってくるわ」
骨が折れんばかりに音を鳴らしている中。花梨達を守りたいが為に、ここからどうしても離れたくないクロも、愛娘である花梨を横目で見つめる。
その気持ちをヒシヒシと感じ取っていたぬらりひょんは、「ゴホン」と咳払いをし、花梨達に顔を送った。
「楓には、ああ言ってしまったが……。やはり雹華とは戦いたくないよな」
「……ええ、親友ですからね。なるべくでしたら……」
「本来ならワシが行くべき場面なんだが。生憎、結界を張ってしまったから動けんのだ。もし結界を解いた瞬間、永秋も氷に飲み込まれてしまうだろう」
既に意を決しているぬらりひょんは、クロに顔を戻しつつ話を続ける。
「今動けるのは、お前さん、鵺、楓。温泉街から離れた山奥に居る、
「酒羅凶まで!? という事は、
『まさか』という心の声を表情に浮かべたクロが、信じられない様子で問い返すと、ぬらりひょんは黙ったまま小さく
「酒天もそうだが。温泉街に残っておった
「そ、そんな……」
温泉街初期メンバーを含め、そう易々と倒されないはずの仲間達が、知らぬ間に呆気なくやられていた事実を知り、戸惑いが隠せないでいるクロ。
まだ心に大きな迷いがある中。本音は楓と鵺を行かせたいが、このままでは
そんな危機感までも芽生えてきてしまったクロは、こちらをじっと見据えている花梨と目を合わせ、ぬらりひょんに戻していった。
「……分かりました、私も行きます」
「そうか、行ってくれるか。本当にすまんな、クロよ」
「四の五の言ってる場合じゃないですからね。それでは行ってきます」
「ああ、気をつけろよ。さっきも言ったが、純血の雪女の力は未知数だ。決して油断をするなよ?」
ぬらりひょんの念を押す言葉に、クロは気を引き締めて
隣まで来るとその場にしゃがみ込み、気が気でない様子でいる花梨の頭の上に、自分の手をポスンと置いた。
「ちょっと、こうなった原因を探ってくる。お前は絶対にこの部屋から出るなよ?」
「あの、さっき酒羅凶さんがどうとか言ってましたけど……。温泉街の皆さんは、大丈夫なんですか?」
会話の全容は聞かれなかったものの。思わず叫んでしまった名前だけは聞かれていたようで、クロの口元が一瞬だけ強張る。
「ああ、それか。安心しろ。先に原因を探るべく、外に出て暴れてるだけさ」
「そ、そうなんですね。酒羅凶さんらしいというか、なんというか……」
これ以上、不安がらせないよう嘘をついたクロは、愛娘の苦笑いに
「というワケだ。何事も無くすぐに帰ってくるさ。ゴーニャ、
「わかったわっ」
「分かった」
数少ない生き残りである二人にも言い聞かせると、クロは目線で鵺に合図を送り、同時に小さく頷く。
そして、扉を開けて花梨の部屋を後にし、ざわめきが絶えない一階へと下りていった。
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