★73話-2、空の母、地の上司

 妖しく囁いた雹華ひょうかが、凍てついた微笑を浮かべ、かざした手に力を込める。

 すると、餓鬼達の足を捕えていた氷が育ち始め、すねから膝、膝から太ももへと登り出していった。


「ヒイッ!?」

「こ、氷が体まで迫ってきやがった! 止めろ、止めてくれぇ!」


「ああ、最高に可愛い声だわぁ。ねえ、もっと聞かせてちょうだい」


 餓鬼の命乞いに聞く耳を持たない雹華は、初めて味わう強者側の余韻に酔いしれ、体をふるっと身震いさせる。

 普段では決して味わう事が出来ない感覚を覚えてしまい、クセになってしまったのか。

 雹華は氷の浸食速度をあえて落とし、じわじわとなぶっていく方法に変え、二人の恐怖心を最大限に煽っていく。


「ほらほら、もうお腹まで来ちゃってるわよ。早く逃げないと、死んじゃうかもしれないわねえ」


「い、嫌だ、嫌だーーーッ!!」

「ご、後生だ! 二度とあんたとは関わらないと約束するから、勘弁してくれえ!」


 心は既に折れ、懇願紛いな絶叫を放っている餓鬼が大粒の涙を流すも、頬を伝った涙が途端に凍りついていく。

 その事に気づいた餓鬼は、腕でがむしゃらに涙を払うも、腕に付着した涙までもが凍りついてしまい、そのまま顔に張り付いてしまった。


「あ、ああっ……! 前が、前が見えねえよお!!」

「氷が、首まで……。し、死ぬぅ……、死んじまうよぉ……」


 足、腰、胴体、腕。そして肩まで這い上がってきた分厚い氷牢。

 為す術もなく頭まで覆い尽くすと察した餓鬼は、全てを諦めようとするも、氷の浸食は肩周りでピタリと止まり、動かなくなる。

 首から下の感覚は無くなっているものの。上は意識がハッキリとしているが身動きが一切取れず、迫り来る雹華を霞んだ視界で捉え続けていた。

 そして、絶対強者の余韻に浸り続けている雹華が、目の前まで来ると立ち止まり、餓鬼の引きつった顔を舐めるように見ながら右側へ回る。


「どう? 今の気分は?」


「助けて……。助けて、下さい……」


 楽しげに問い掛けた雹華は、虚ろな目で切願している餓鬼を無視し、背後まで行く。


「私ね、見てみたい物があるんだけども。何か分かるかしら?」


「見て、みたい物……? な、何なんですかぁ……」


 か細い命乞いすら無視して質問を返した雹華が、左側まで歩む。


「それはね、いっぱい噴き出す噴水っ」


「ふ、噴水……?」


 噴き出す物が何とは言わなかった雹華は、動かせないでいる餓鬼の視界に入り込み、目前で歩みを止める。

 別の方向にやっていた体を餓鬼へ向けると、混じり気の無い純白の頬を赤く火照らせ、妖々しくも子供染みた無邪気な笑みを送った。


「そう。赤い雨をた~っくさん噴き出す、血の噴水っ」


「ちっ、血ィ?」


 嫌な予感が頭に過る言葉を餓鬼が復唱すると、雹華は小さくうなずく。


「今のあなた達は、噴水の土台みたいなものね。何の面白味も変哲もない、ただの噴水」


「俺達が、噴水の土台……? ま、まさか!?」


 答えを導き出してしまったせいか。餓鬼の頭の中に明確な恐怖と死を感じ取り、戦慄した目が限界まで見開いていく。

 顔をガタガタと震わせている餓鬼をよそに、垂れ下がっていた雹華の右手から白いモヤが昇り始め、薄い氷を纏いだす。

 徐々に伸びていく氷の先端部分は鋭利で、一メートル以上伸びた頃には、切れ味が凄まじそうな両刃の剣を彷彿とさせる形になっていた。


 それはかつて、花梨を初めて極寒甘味処ごっかんかんみどころへ呼んだ際、撮影会という名目の研修で生成した氷の剣と、まったく同じ形をしていた。

 生成し終えると、雹華は氷の剣を嬉々とした表情で眺め、その剣越しから餓鬼の顔を見据える。


「その汚らわしい首を刎ねれば、綺麗な血が噴き出すでしょう? まるで噴水みたいにね。その噴き出した血の雨を、たっぷりと浴びてみたいのよお」


 今から叶うであろう剥き出しの欲望を晒すと、雹華は氷の剣を可愛がるように頬ずりし、とろけ切った女々しい視線を餓鬼に見せつけた。


「く、狂ってやがる! 誰か、誰でもいいから助けてくれぇーーッッ!! 殺されちまうよお!!」


「ウフフッ。温泉街に居る人達は全員凍っちゃっているから、いくら助けを呼んでも無駄よ?」


 興奮し出したようで。甘い吐息を漏らし始めた雹華が、氷の剣を後ろへ大きく振りかぶる。


「さあ、私をもっと興奮させて―――」


「やらせっかよ、この変態野郎」


 絶頂寸前の雹華が、氷の剣で餓鬼の首を刎ねようとした瞬間。

 誰も居ないはずの背後から突然声が聞こえ、同時に氷の剣を纏っている右手に重い衝撃が走り、ガラスが乱暴に割れたような音が後を追う。


「―――は?」


「クロォ! 今だ!」


 不意の出来事に雹華の気分は真っ白に冷め、抜けた表情を後ろに振り向かせようとした直後。首根っこを強く掴まれた感触がし、視線が勝手に夜空を仰いでいく。

 何をされたのか理解出来ないまま、夜空でテングノウチワを振り抜いているクロの姿を眺めつつ、体が後方へ飛んでいった。


 滞空時間がやたらと長く感じる時の中。雹華は無意識の内に体を捻って体勢を整え、両足を揃えて地面に着地する。

 根本まで雑に折れている氷の剣を認めから、顔を上げてみると、視線の先には仁王立ちしているぬえの姿。

 遥か後方には、分厚い氷牢に囚われていたはずの餓鬼達の、脱兎の如く走り去っていく後ろ姿。そして顔を後ろへ流してみると、満月を背にしながら腕を組み、夜空で滞空しているクロが居た。


 永秋えいしゅうへ行く道のりを守る、空の母。現世うつしよへ続く道を阻む、地の上司に挟まれた雹華は、クロに真顔を見せつけた後、顔を鵺に戻す。


「あらぁ、鵺ちゃんじゃないの。こんばんは」


「けっ、白々しい挨拶しやがって。花梨が今のてめえを見たら、落胆して泣き出しちまうだろうなあ」


「その口振りだと、永秋えいしゅうのみんなと花梨ちゃん達は無事みたいね。なーんだ、花梨ちゃん生きているんだ。つまんないの」


「てめえ……!」


 一番効くであろう挑発に雹華は動じず、流れるように挑発返しをされた鵺が、憤慨して奥歯をギリッと噛み締める。

 愉悦に浸った雹華はが「ウフフッ」と微笑むと、体をクルリと回し、空から黒い瞳で見下しているクロに、青い上目遣いを合わせた。


「こんばんは、黒四季・・・ちゃん。あなたも生きていたのね。残念だわ」


 クロにとって最大の地雷をいとも容易く踏み抜くと、クロの目が一瞬細まるも、「ふんっ」と鼻を鳴らし、りんとした表情に戻した。


「よう、雹華。一人で大いに楽しんでるようだが、『雪女の日』はまだ先だぞ? 早く正気に戻れ」


「あら、つれないわねえ。黒四季ちゃんだって幼少期の頃は、相当暴れ散らかしていたくせに。こっちに来なさいよ、すごく楽しいわよ?」


 クロの言葉に耳を微塵も傾ける事無く、空いている左手を上げて手招きをする雹華。

 かつての面影は僅かにも残っていなく、同じ温泉街初期メンバーである仲間が堕ちた事を再度確認したクロは、顔を横に逃がした。


「ぬらりひょん様から聞いたよ。お前、純血の雪女・・・・・なんだってな。何もかもが未知数だから、気をつけろって念を押されたよ」


 逃がしていた顔を雹華に戻したクロが、淡々と話を続ける。


「雹華、お前とは戦いたくないっていうのが本音だ。大人しく店の中に戻ってくれないか?」


 最終警告とも取れるクロの語りに、雹華はただ薄ら笑うのみで、やはり聞く耳を持とうとはしない。


「なにそれ、ふざけているの? するワケないでしょう。それとも、私に怖気づいているの? 黒四季ちゃんらしくないわねえ」


「何とでも言え」


「私は、黒四季ちゃん達と戦ってみたいわあ。生まれてから一度も戦った事が無いから、自分の強さがどれ程のものか分からないのよ。でも、あなた達に勝てる自信はあるわよ」


 口を開けば挑発を繰り返す雹華に、苛立ちを募らせ続け、とうとう痺れを切らした鵺が、怒りで煮え滾っている拳を鳴らした。


「やっぱ我慢ならねえ。さっき百発分殴るとか言ったけど、全然足りそうにねえわ。クロ、これ以上話しても無駄だ。さっさとやっちまおうぜ」


「まあ待て。雹華、これで最後だ。本当にやるっていうのか? 考え直してくれ、今からでも遅くはないぞ」


「やりましょうよ。お遊びじゃなくて、手加減無しのちゃんとした殺し合いをね」


 即答した雹華が両手を大きく広げ、自分なりの戦闘態勢に入り、煌きが宿る凍てついたモヤ状の殺意を辺りにばら撒いていく。

 ハッタリで最後とは言ったものの。本当に雹華とは戦いたくなく、戦闘意欲がまったく湧いていないクロも、一応テングノウチワを前に構えた。


「そうか、なら仕方ない。覚悟しとけよ? 今の私は、この温泉街に居る誰よりも強いぞ」


「あらっ、そうなの? 楽しみだわあ。私をもっと、もっと興奮させてちょうだいね」


 そう声を弾ませた雹華は、数と力の差で不利な状況を心底楽しみつつ、右手にある根本から折れた氷の剣を再生成させた。

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