72話-6、嵐の前の日常

 メニューにしても大丈夫そうな物から、奇怪で理解に苦しむ物まで飛び交う打ち合わせが終わった、午後四時頃。


 まだ初日という事もあり、根詰める必要は無いと判断した一行いっこうは解散し、各々の帰路に就いていく。

 その中で、花梨、ゴーニャ、まとい、ぬらりひょん、クロ、ぬえは同行し、客足が絶えない永秋えいしゅうへと入る。

 靴を脱いで受付を通り過ぎると、後頭部に両手を置いていた鵺が、ゴーニャを抱っこしている花梨に真紅の瞳を移した。


「秋風、明日はどこか行く予定はあんのか?」


「えっと、特にはありませんね。明日は夕方まで永秋で入り浸って、その後はずっと自室に居る予定です」


「ふ~ん、そうか」


 明日の花梨の予定を知った鵺は、悪巧みを思いついたような笑みを浮かべ、先を歩いていく。


「そいじゃ、私は自分の部屋に戻るわ~。んじゃな~」


「はい、お疲れ様でした!」

「お疲れ様っ、鵺っ」


 姉妹が鵺の背中を見送ると、落ち着きなくそわそわしていたクロが、一歩後退る。


「花梨、ゴーニャ。夕食は流石にまだ食わんだろ? ちょっと出掛けて来てもいいか?」


「はい。まだ四時過ぎなので、部屋に戻って一休憩しようかな~っと。どこに行くんですか?」


「ちょっとな。何かあったら電話してくれ」


 行き先をはぐらかしたクロは、逸る気持ちを抑えられずに漆黒の翼を大きく広げ、入口を飛び抜けてから自室に向かって飛んで行った。

 その様子を静かに眺めていたぬらりひょんは、特にやる事も無く暇になってしまったので、横を付いてきていた纏に顔をやる。


「纏よ。どうせ今日も、花梨の部屋に泊まるんだろう? ちょっと一緒にお茶でもせんか?」


「する。渋いお茶が飲みたい」


「おお、そうか。なら、とっておきのおはぎも出してやろう」


「本当? わーい」


 大好物のおはぎが出ると聞き、無表情ながらも両腕をピコピコと上下に振り、喜びを全身で表現する纏。

 ぬらりひょんもほがらかな顔をしつつ、「うんうん」とうなずくと、後ろに立っていた姉妹達に半身を向けた。


「花梨、ゴーニャ。明日はなるべく永秋から出るんじゃないぞ? もし用事があって出る場合、必ずワシに連絡をするように」


「分かりました!」

「わかりましたっ」


 念を押してきたぬらりひょんが、袖からキセルを出して歩き出すと、手を小さくヒラヒラ振ってきた纏も「じゃあ後でね」と言い残し、中央階段へと向かっていく。

 先ほどまで大勢居て賑やかだったのに対し、ものの数分で姉妹だけになると、花梨は物寂しくなった辺りを見渡し、抱っこしているゴーニャに顔を合わせた。


「それじゃあ、私達も部屋に戻ろっか」


「うんっ、そうしま……、あっ」


「んっ? どうしたの?」


 ゴーニャが何かを見つけて喋るのを止めると、不思議に思った花梨も、ゴーニャが視線を送っている方向に顔を向ける。

 目線の先には、この前一緒に仕事をした女天狗の八葉やつは夜斬やぎりがおり、小休憩でもしているのか、楽し気に談笑を交わしていた。

 仲良くしている二人を見て、話をかけるチャンスだと思った花梨が、客を避けつつ二人に近づいていく。


八葉やつはさーん! 夜斬やぎりさーん!」


 周りの喧騒を跳ね除ける声で呼ぶと、気がついた八葉が花梨の方を向き、微笑みながら会釈をしてきた。


「秋風様、お疲れ様でございます。私の名前を知っているのですね。とても光栄です」


「あたしの名前も知ってたんですね。嬉しい限りです。誰から聞いたんですか?」


「……あれ?」


 数日前に仕事をし、恐怖心を取り除いて親交を深めたのにも関わらず、かなり距離感のある対応をしてきた二人に、花梨は呆気に取られた声を漏らす。


「あ、あの~……。八葉さんと夜斬さん、ですよね?」


 接し方にあまりの豹変ぶりを見せた二人に、人違いを疑った花梨が再び問い掛ける。すると二人は、花梨の疑心を払拭するかのようにうなずき、八葉がまた穏やかな笑みをした。


「そうですよ。どうかなされましたか?」


「え、え~っとぉ~……。私達の名前は、ご存知でしょうか?」


「はい、存じております。秋風 花梨様。秋風 ゴーニャ様ですよね。……えっ?」


 姉妹のフルネームを口にした途端。八葉もそこでやっと違和感を覚えたのか、眉間に浅いシワを寄せていく。

 隣で聞いていた夜斬も、八葉と同様の表情になり、二人揃って目を細めながら姉妹に詰め寄っていった。


「いや、でも……。一緒に働いた花梨さん達は女天狗だったし……」


「それにしてもさ……、二人共似てない?」


「そう言われてみれば、すごく似てる気が……」


 困惑している二人のヒソヒソ話を耳にし、ようやく花梨にも、違和感と懐かしさを覚えるデジャヴが芽生えてきた。

 二人に距離を詰められている中。確か、この違和感はみやびと初めて働いた次の日、私が人間の姿で再会した時にも感じたっけなぁ……。と、正確に違和感とデジャヴの正体を探り当て、口元をヒクつかせていく。

 やはり誤解を解きたいが為に、花梨は諦めのこもった小さなため息をつき、話を続ける。


「すみません。ちょっと後ろを向いててもらっても~、いいですか?」


「後ろ、ですか? はい、分かりました」


 花梨の指示に従い、二人が背中に生えている黒い翼を見せつけると、花梨はその場にしゃがみ込み、顔をゴーニャの耳に寄せていった。


「ゴーニャ、急いで兜巾ときんをかぶろ」


「兜巾を? うん、わかったわっ」


 花梨に言われるがまま、ゴーニャがショルダーポーチから天狗になれる兜巾を取り出すと、花梨も背負っていたリュックサックから、兜巾を素早く取り出す。

 周囲に他の女天狗が居ない事を確認し、姉妹は同時に兜巾を頭にかぶり、黄色い修験装束しゅげんしょうぞくを身に纏った天狗の姿へと変化へんげしていった。

 変化へんげが完全に終わると、驚いている何人かの客と目が合い、花梨は誤魔化しの効かない苦笑いで場を凌ぎ、気まずそうに頬を掻く。


「八葉さん、夜斬さん。もういいですよ」


 花梨の声が耳に入ったようで。二人がゆっくりと振り向き返り、天狗姿の姉妹を認めた瞬間。

 二人は「あーーーっ!!」と綺麗に叫び声を重ね、姉妹に向かってビッと指を差した。


「やっぱり花梨さんとゴーニャさんだ!」


「なんで!? さっきまで人間だったじゃんかっ! あっ、もしかして……。それも修行の一環、なんですか?」


 夜斬の修行という言葉に、天狗姿の時の設定をすっかりと忘れていた花梨は、ヤバッ……。そういや、クロさんの弟子っていう設定だったや……。と思い出し、話の辻褄を合わせる口述を頭の中に並べていく。


「え~っと……。ま、まあ、そんな感じ、ですかね?」


「そうなの?」


 何もかも忘れている様子で、ゴーニャがあっけらかんと言うと、花梨は慌ててその場にしゃがみ込み、ゴーニャの目前に迫っていった。


「ゴーニャ、いいから私の話に合わせてっ!」


「わ、わかったわっ」


 ゼロ距離まで迫る花梨の焦っている表情に、何かを察したゴーニャが、目を丸くしながらコクンと頷く。

 クロの嘘を守り通そうとしている花梨は、ゴーニャの理解の良さに感謝しつつ立ち上がり、作り笑いしている顔と体を八葉達の方へ戻した。


「と、いうワケでして……。今は訳ありで人間の姿をしつつ、修行に励んでいます」


「いますっ」


 話を合わせろと言われたものの、何を喋ればいいのかまったく分かっていないゴーニャが、花梨の後を無難に追う。


「はあ~、知りませんでした……。言ってくれればよかったですのに」


「なんの修行かは分からないですけど、クロさんの考えてる事だから、熾烈を極めるてるんだろうなあ」


 夜斬の飛躍していく想像に、花梨は、やっぱり、心がすごく痛い……。と、二人を騙している事に再度罪悪感を覚え、表情を濁していく。

 その心を密かに痛めている花梨をよそに、夜斬は「そうだ!」と声を出し、黒い瞳にワンパクさを宿していった。


「花梨さん。花梨さん達の部屋って、確か支配人室を正面に見て、一番右奥の部屋でしたよね? 今度遊びに行ってもいいですか?」

「あっ、ズルい! 私も行きたいです!」


「私達の部屋に、ですか?」


 唐突の誘いに花梨は目をきょとんとさせると、隣に居るゴーニャが、「私も八葉達と遊んでみたいわっ!」と、声を弾ませてる。

 やや置いてけぼりになった花梨も、一度ゴーニャに黒い瞳を向けると、微笑みながら八葉達に視線を戻した。


「いいですねぇ。それじゃあいつでも連絡が取れるように、携帯電話の番号を交換しましょうよ」


「あっ、じゃあ私の番号も教えておくわっ!」


「おおっ、やったー! 是非ともお願いします!」


 よもや、携帯電話の番号まで交換出来るとは思ってもみなかった夜斬は、嬉々とバンザイし、ポケットから携帯電話を取り出す。

 三人のやり取りに後れを取らまいとした八葉も、「あっ、あっ、私のもお願いします!」と狼狽うろたえつつ、携帯電話を取り出していく。

 そして、全員で携帯電話の番号を交換し終えると、今後の休日について話し合い、遊ぶ約束を交わしていった。

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