72話-3、急かし過ぎたぬら芋様

 花梨はぬえに左頬を引っ張られたままで、奇声に近い悲鳴を上げつつ、永秋えいしゅうの隣にある目的の建物まで近づいていく。

 建物の前まで来ると、ぬらりひょん、ゴーニャ、まといの他に、店の建築に携わっていた鬼の青飛車あおびしゃ赤霧山あかぎりやまとも合流した。


「アイダダダダ……。あっ、青飛車あおびしゃさん、赤霧山あかぎりやまさん。お疲れ様です!」


「やあ、秋風さん」

「お疲れ様、花梨さんよ」


 ようやく鵺の頬つねりから解放された花梨が、丁寧にお辞儀をすると、青飛車、赤霧山の順で挨拶を返してきて、赤くなっている頬を擦っていた花梨が話を続ける。


「ぬらりひょん様から聞きました。お店が予定よりも早く完成したんですね。本当にありがとうございます!」


「ああ。誰とは言わないけど、相当急かされたからね。人数を三倍にして作業を進めていたんだよ」

「そう、誰とは言わんけどな」


 疲れ気味の様子でいる青飛車達が、愚痴に近い形で予定よりも早く完成した理由を明かすと、赤霧山と共に、横目をぬらりひょんへ送る。

 キセルをふかしていたぬらりひょんが、二つの疲弊している視線を感じるや否や。目線を反対方向へ逃し、そのまま顔を後ろに逸らしていった。

 無言でいる三人のやり取りを眺めていた花梨が、ああ、ぬらりひょん様が急かしていたんだ……。と察しがつき、口をヒクつかせていく。

 すると、何とか耐えていた我慢が限界にきたのか。顔を花梨達の元に戻したぬらりひょんが、その場で我が強そうな地団駄を踏み出した。


「ええいっ! ワシはな、花梨が考えたこの店で、一刻も早く温泉卵が食べたいんだ!! 文句あるかっ!?」


 ぬらりひょんの純粋で剥き出しなわがままに、ほぼ全員が唖然としている中。ぬえだけは含み笑いをしており、花梨の前にズイッと現れた。


「すげえんだぜ、ぬらさんの行動力は。朧木おぼろぎ馬之木ばのき幽船寺ゆうせんじに話をつけて、独自の食材ルートをもう確保してんだよ。どんだけ食いたいんだっつうの」


「えっ? そうなんですか?」


 既に蚊帳の外に立たされつつある花梨が、初めて知った事実に驚くと、鵺は辺りを睨み散らかしているぬらりひょんに向かい、親指を差す。


「しかもよ、店内の細かなチェックもぬらさんが全て完璧に終えてるし、店を任す店長まで決めてやがんだ。私達がする事と言ったら、メニュー決めと金額設定。食器類や調理器具の確保。宣伝用のポスター作製、開店日を決めるぐらいじゃねえか?」


「こ、これから色々と打ち合わせをするハズだったのに、やる事がほとんど無いじゃないですか……」


 長丁場になると思っていた手前。ほぼぬらりひょんが先に終えていた事を知ると、花梨のやる気に満ちていた気持ちが少しずつ抜けていく。

 オーナーだと言っても過言ではない花梨をよそに、ぬらりひょんはとある人物がこの場に居ない事に気づき、首をひっきりなしに動かし始めた。


「おい、無古都むことがおらんじゃないか。どこをほっつき歩いとるんだ、あいつは?」


無古都むこと?」


 聞き慣れない名前に花梨が反応すると、ぬらりひょんが「この店の店長を任せた奴だ」と苛立ちながら説明し、袖から携帯電話を取り出す。

 唸りを上げつつ電話を掛け、不機嫌そうにキセルを二回ふかすと、相手が電話に出たようで、ぬらりひょんの右眉が跳ね上がった。


「おい無古都! どこに居るんだ!? ……永秋の食事処だァ? 何を呑気に飯を食っとるんだ! ……むっ、いま何時……。ああ、なるほど。すまんすまん、ゆっくり食っとってくれ」


 開幕に怒号を放ったかと思えば、みるみる声が穏やかになっていき、最終的には、普段と変わりない様子にまで落ち着いたぬらりひょん。

 何食わぬ表情で電話を切り、袖の中にしまい込むと、全員が居る方へ体を向け、「ゴホン」とわざとらしい咳払いをした。


「さて、時間が余った事だし……。花梨よ」


「あっ、は、はい」


「少し、長めに店内の見学でもしようじゃないか。なっ?」


「へっ?」


 これまで急かしに急かしてきたのに対し、今までの行為をないがしろにするぬらりひょんの発言に、花梨は呆気に取られた返事をする。

 その何かを隠しているぬらりひょんは、キセルの灰を携帯灰皿に入れると、右手にキセルを持ったまま、一人店内へ向かって行く。

 しかし、先の発言に納得がいっていない鵺とクロが、ぬらりひょんの両横へと付き、鵺が左肩を。クロがぬらりひょんの右肩を鷲掴み、その場にしゃがみ込んだ。


「ぬらりひょん様? さっきの発言は一体どういう事なのか、説明してくれませんか?」


「よう、ぬらさん。いや、ぬら芋さん? 朝飯をもっとゆ~っくり食いたかったんだけどよお。返答次第じゃその後頭部、収穫すんぞ?」


「ゔっ……」


 左側から圧と純度の高い殺気。右側から静かながらも、必殺の匂いを漂わせる殺気。そして、その質が異なる殺気に挟まれたぬらりひょんは、顔を歪めて大量の汗を流し出す。

 あまりにも急かし過ぎたせいで、下手な嘘は死に直結しかねないと悟ったぬらりひょんは、顔中をヒクつかせ、左右に焦点が合っていない横目を送った。


「と、とりあえずだ……。お前さん達よ、ワシの肩から、手を離してくれんか……? 信じられないほど痛いんだが……?」


「いえいえ。ぬらりひょん様は常に多忙の身じゃないですか? 日頃の気持ちを込めて、マッサージをしてあげているんです。あまり動かない方が身の為ですよ?」


「逃がさねえよ? とっとと吐いちまった方が楽になるぜ? おい」


 逃げるつもりは毛頭なかったものの。別の意味に捕らえられてしまい、両肩にある万力を彷彿とさせる手が、じわじわと肩にめり込んでいく。


「ぎっ……! い、いやな? 全ては我を失っていたワシが悪いんだが……。打ち合わせ、九時半から開始だったのを、すっかり忘れとった……」


「はっ?」

「あっ?」


 震えているぬらりひょんの弁解に、クロと鵺がドスの効いた低い声を発し、一斉にポケットから携帯電話を取り出す。

 眉間に深いシワを寄せながら現在時刻を確認してみると、八時二十分とあり、目を細めたクロと鵺は、しどろもどろになっているぬらりひょんに画面を見せつけた。


「ぬらりひょん様、今の時間が分かりますか? 予定よりも大分早く到着したようですが」


「おいジジイ、一時間以上も余ってんぞ。どうすんだこれ、なあ?」


「あうっ……。それは、その、だなぁ~……」


 言い訳を並べようとするも、両肩から伝わってくる骨を粉砕しかねない握力と痛みに、思考を邪魔され、更に顔を歪めていくぬらりひょん。

 逃げる事が出来ず、言い訳すら思いつかず、殺気まみれな背水の陣に立たされると、ついに観念したのか、短いため息を吐いた。


「すまん、ワシが悪かった……。許してくれ……」


 全ての罪を認めたぬらりひょんが、心の底から申し訳なさそうに謝罪し、汗だらけのこうべを垂らしていく。

 その深く反省していそうな謝罪を認め、クロは許したように鼻からため息を漏らすも、鵺は悪巧みを思いついたようで、邪悪な笑みを浮かべていた。


「こう言ってるが、どうする? 鵺」


「さぁ~て、どうすっかねえ? なあ、秋風?」


「私、ですか?」


 不意に話を振られた花梨が、目をきょとんとさせながら自分に指を差す。


「ああ、お前も被害者の一人だろ? なんかやってやりてえ事とかねえか?」


「私は~、特に何もありませんね」


「おいおい、いい子ぶってんじゃねえよ。なんか一つぐらいあんだろ? 例えば、ぬらさんの後頭部をこねくり回したいとかよお」


 鵺が引かずに提案を出した途端。花梨はピクリと反応し、口角をいやらしく上げていく。


「ああ~、そういえば! 私、初めてぬらりひょん様と出会った時、その後頭部を触ってみたいと思っていたんですよねぇ~」


「いいっ!?」


 花梨が叶わないでいた欲望を再燃させた瞬間。鵺とクロが同時にニヤリと笑い、掴んでいたぬらりひょんの肩を掴み直す。

 再びぬらりひょんの身動きを封じると、鵺がぬらりひょんの後頭部の下に手を添え、トントンと叩き出した。


「この後頭部よ、思ったよりずっと柔らけえぞ。私とクロが捕まえておくから、思う存分触っちまえ」


「やったー! それじゃあお言葉に甘えて、触らせていただきまーす!」


「ちょっ、貴様ら! 離せ! 離さんか! 花梨もだ! 無闇やたらと触るんじゃない!」


 じたばたと暴れ始めたぬらりひょんを差し置き、花梨は恐る恐る手を伸ばし、ぬらりひょんの柔らかい後頭部を握っていく。


「うわっ! 本当だ、ものすごく柔らかいや。ああ~、なんだかクセになりそう~」


「花梨だけずるいわっ! 私も触るっ!」


「じゃあ私も」


「あひゃっ!? や、やめっ……! やめ、ひぇ、くりぇ……!」


 羨ましく思ったのか。ゴーニャと纏も加わり、無抵抗でいるぬらりひょんの後頭部を、三人で縦横無尽にこねくり回していく。

 そこから数十分の間、ぬらりひょんは力の無い抜けた叫び声を上げ続け、為す術もなく三人に後頭部を触られていった。

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