72話-1、妖怪の総大将、ぬら芋様

 十三夜月が浮かぶ夜空の色を変えていく朝焼けが、すっかりと顔を出した、朝七時半頃。


 永秋えいしゅうの各階から溢れる活気とは打って変わり、静寂が佇んでいる四階の廊下を駆けているぬらりひょんが、花梨の部屋の扉を乱暴に開け、中へと入っていく。

 駆けていた勢いを殺さぬままベッドまで向かうと、そのまま飛び乗り、仰向けで寝ている花梨の体の上に着地した。

 そして、にやけている口からヨダレを垂らしている花梨の胸ぐらを鷲掴み、上体を揺らしながら叫び上げる。


「おい花梨! さっさと起きんか!!」


 これで起きると予想したのか。体を揺するのを止めるも、花梨は首をカクンと後ろに垂らし、眉間にシワを寄せた。


「すみません、山芋さん……。今日はペペロンチーノを作るので、山芋さんの出番は無いんです……」


「ええい! ペペロンチーノはいいから早く起きろ!」


 躍起になっているぬらりひょんは、胸ぐらを掴んでいた手を花梨の両頬に移し、顔を上下左右に激しく揺さぶり始める。

 

「あぶぶえばべべぼばべばぶぼ……」


 奇声を発している花梨に意を介さず、十秒ほど顔を揺さぶり続け、ピタリと止めて手を離すと、花梨の上体がベッドへ落ちていく。

 すると、閉じていた花梨の瞼がピクリと動き、ゆっくりと開いていき、オレンジ色の瞳を半分だけ覗かせた。


「……ありぇ、ぬら芋しゃま? おはよーございましゅ……」


「おい、誰がぬら芋だ」


「ぷっ……」


 未だに夢現ゆめうつつを彷徨っている花梨の失言に、二人の声とはまた違う、噴き出したような声が部屋内を伝う。

 その第三者の噴き出しを耳にし、朧気に意識が戻ってきた花梨が、声がした方へ虚ろな横目を送る。

 視線の先には、扉の前で口を抑えているぬえと、後ろに逸らしている顔を小刻みに震わせつつ、朝食を持っているクロの姿があった。


「あ~、クロさんとぬえさんだぁ~。おはよーございますぅ」


 二人の存在に気づいた花梨が腑抜けた挨拶をすると、ニヤケ面を晒している鵺が、人差し指を前に立てた。


「か、花梨、さっきのもう一回言ってくれねえか?」


「さっきのぉ? なんでしたっけぇ?」


 そうあっけらかんと言った花梨が、ゴーニャと座敷童子のまといの体を引き連れつつ、上体を起こす。


「ほら、寝起きざまに言ったヤツだよ」


「寝起きに? えっと、ぬら芋様」


 何の悪気もなく失言を復唱すると、鵺は途端に下駄笑いし出し、ぬらりひょんの後頭部に向かって指を差した。


「あーっはっはっはっはっ!! ぬら芋様だってよ! ほらクロ、ぬらさんの出っ張った後頭部見てみろよ! 山芋そっくりだぜ、あれ!」


「や、やめろ……、それ以上言うな……。わ、私は、私は決して笑わないぞ……。……ふふっ」


 この前の出来事もあってか。クロは笑うのを必死に堪えようとするも、限界が来てその場にしゃがみ込み、体全体を更に震わせる。

 片や、本能のまま笑い転げ。片や、恩を仇で返さぬべく、笑うのを我慢している二人を認めたぬらりひょんが、「貴様ら、後で覚えていろよ?」とボソッと呟く。

 その間に大きなあくびをし、潤んだ瞳を指で擦った花梨が、眠気を飛ばす為に体をグイッと伸ばした。


「う~ん……。休みの日に起こされたって事は、急な仕事が入ったんですかね?」


「違う。お前さんが考えた店が完成したから、これから開店に向け、全員で打ち合わせをしに行くんだ。もちろん、お前さんにも参加してもらうぞ」


 ぬらりひょんが休日に起こした理由を明かすも、花梨は何も聞かされていなかったようで。目をキョトンとさせながら首をかしげる。


「あれ? もう少し先だと思っていたんですけど、完成したんですか?」


「そうだ。青飛車あおびしゃ赤霧山あかぎりやまが気を利かせ、予定よりも早く完成させたんだ。それはそうと早く準備をせんか! 時間は待ってくれんのだぞ!? ワシは一旦廊下に出ているから、着替えが終わったら呼んでくれ」


 早足で話を進めていくぬらりひょんが、ベッドから飛び降りると、そそくさと扉に向かって行き、部屋を後にした。

 熱意とやる気に満ちている背中を見送ると、花梨は体に抱きついて寝ているゴーニャと纏を起こし、ベッドから抜け出す。

 待たせるのは悪いと思い、私服に着替えてからぬらりひょんを呼び戻し、素早く歯を磨いていく。


 そして三人揃って部屋に戻ると、ぬらりひょん、クロ、鵺はテーブルを囲いながら座っており、花梨達も空いてる所に腰を下ろした。

 テーブルの上を覗いてみると、山盛りのそうめんが人数分用意されており、中に入っている氷が器にぶつかり、カランと透き通った音を立たせる。

 そうめんの他に、水でやや希釈されている麺つゆ。別皿には刻まれたネギとのり、ワサビが添えられており、朝食の全容を確認した花梨が「そうめんだっ」と弾んだ声を漏らした。


「夏場だと嬉しい朝食だ。ツルって食べられるから、何束でもいけちゃうんだよねぇ」


「色が違うけど、おそばに似てるわねっ」

「使ってる粉が違う」


 ゴーニャが初めて見たそうめんに感想を述べ、纏がうんちくを挟むと、花梨も「そうそう」と相槌を打つ。


「おそばはそば粉で、そうめんは小麦粉だったかな? 作り方を変えると、名前がひやむぎになったりするんだ」


「へぇ~、色んな種類があるのね」


「確か定食屋付喪つくもに各種類の物があったハズだから、今度食べ比べしてみよっか」


「うんっ! 楽しみにしてるわね」


 他の四人を差し置き、今後の計画を立てると、待ちきれない様子でいるぬらりひょんが「早く食うぞ」と茶々を入れる。


「あっ、すみません。それじゃあ、いただきます!」


 慌てた花梨が朝食の号令を唱えると、五人も声を揃えて後を追い、いつも以上に賑やかな朝食が幕を開けた。

 各々が目の前にある箸を手に取っている中。花梨は隣に座っているクロに体を寄せ、「あの、クロさん」と小声で問い掛ける。


「んっ? どうした?」


「今日のぬらりひょん様、やけに張り切っていますね」


「あ~」


 視線を天井に向けたクロがそうめんをすすると、花梨も大量のそうめんをすすった。


「お前が考えた店が、やっと完成したんだ。ずっと楽しみにしてたし、早く食べたくてうずうずしてるのさ」


「そ、そこまで楽しみにしてくれていたんですね」


 ぬらりひょんが事あるごとに急かしてきた理由が分かると、花梨は驚きながらそうめんを麺つゆに浸し、クロが小さくうなずく。


「もちろん私だってそうさ。開店したら毎日通うつもりだから、食材を切らすなよ?」


「本当ですかっ? クロさんも楽しみにしてくれていたなんて、嬉しいなぁ~」


 母親になってくれたクロの嬉しい返答に対し、娘となった花梨が満面の笑顔を見せると、クロも無邪気な笑みを返す。

 その後に、鵺が「お、色付きの麺見っけ。最後に食おっと」と口にすると、花梨は鵺が居る方へ顔を向けた。


「色付きって、なんだか特別感がありますよね」


「だろ? 味は普通のと変わんねえけど、なんだか最後に食いたくなるよな」


 そう言った鵺が、緑色とピンク色のそうめんを端へ寄せ、白い普通のそうめんをすすっていく。花梨も鵺の真似がしたくなり、色付きのそうめんを分けつつ話を続けた。


「そう言えば、鵺さんも打ち合わせに参加するんですか?」


「ああ。一応私も、建築に携わってた関係者だからな」


「えっ、そうなんですか?」


 初めて聞く内容に、花梨が無意識に質問を増やすと、鵺は咀嚼そしゃくしていたそうめんを飲み込んだ。


「主に内装だがな。こう見えて私、派遣会社を設立する前はデザイナーをやってたんだぜ?」


「何それっ!? 初めて聞きましたよ、そんなの!」


 四年以上同じ会社に勤めていたのにも関わらず、鵺の新たな一面を知った花梨が、仰天して声を荒げる。

 その大袈裟な反応が楽しかったようで。麺つゆに刻みネギを入れた鵺が、口角をニタリと上げた。


「聞かれた事がねえからな。この温泉街だってそうさ。大体の建物の内装は、私が決めたもんだぞ」


「はえ~……、知らなかったや。鵺さんって、かなりすごい人だったんですね」


「おう。そういうのは悪い気がしねえから、どんどん言ってけ」


 褒められて得意げな表情になった鵺が、色付きのそうめんをすすり、「う~ん、うめえ!」と至福の唸り声を上げ、薄まった麺つゆを飲み込んでいく。

 そして、残りの五人もそうめんを完食すると、余韻に浸る暇も無く食器類をお盆にかき集めていき、クロがお盆を持ち上げた。

 全ての片付けが住むと、貧乏揺すりをし、火がついていないキセルを口に咥えていたぬらりひょんが、早足で扉に向かって行く。


「ほれ、ぼさっとするな! 早く行くぞ!」


「い、忙しいなぁ」


 怒りすら覚えるぬらりひょんの催促に、クロ、鵺、纏が続くと、苦笑いした花梨がゴーニャを抱っこし、全員の背中を追っていった。

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