71話-5、最強の元に居る弟子が故に
眩しい太陽が完全に空へ昇り、冷ややかな秋の風が温まりつつある、七時五十五分頃。
中途半端に研修を終えてしまった花梨とゴーニャは、午前中はクロ達のサポートをするべく、受付内に戻っていた。
サポート内容は受付けで接客対応をしているクロと、もう一人の女天狗の指示に従い、タオルや服が入った袋を二人に渡すだけ。
その間に研修で伝え切れなかった事は見て学び、午後に同じ事をしてほしいという、ぶっつけ本番の形となった。
そして、開店五分前。慌ただしい素振りを見せているクロは、時間ギリギリまで伝えられる事は教えようと、気持ちを整えている姉妹達に最低限の知識を与えていく。
「左右の棚に、タオルと服が入ってる袋があるだろ? 見て分かる通り、段毎に入ってる物の大きさが違うのが分かるな?」
「はい、分かります」
「一番下は極小サイズ。これは、
クロの聞き取りやすい早口な説明に、姉妹はブツブツと小声で復唱し、今言われた事を頭に叩き込んでいく。
花梨に至っては、午後になったらクロのポジションに自分がつくので、いつもより必死になって覚えていった。
「あとは~……、そうだ! 纏と
「へぇ~。温泉街に店を構えている人が、全員そういうワケじゃないんですね」
既に、二人が永秋の施設を自由に使える事を知っていた花梨は、全員そうなのだろうと先だった予想をしていたせいで、やや驚きを含んだ声で返答する。
クロが無言で
「げっ!? 開店しちまったか! 花梨、お前は私のサポート! ゴーニャ、お前は
「よろしくお願い致します、ゴーニャ様!」
クロの横に立っている
おかっぱに近い黒髪で、おっとりとした表情をしている。黒味が強い紫色の瞳をしていて、どこか幼さも垣間見せる面立ちでいた。
八葉が頭を上げると、今度は花梨に「花梨様も、よろしくお願い致します!」と元気よく声を張り上げ、再び頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いしますっ!」
姉妹も釣られて八葉にお辞儀を返すと、頭を上げる前に客が受付まで来たのか。クロの「おはようございます。今日も一番乗りですね」という、会話が耳に入り込んできた。
慌てた花梨が頭を上げ、こっそりと外の様子を覗いてみる。目線の先には、どこか見覚えのある化け狸が二人、ふくよかな笑みを浮かべていた。
その二人の顔を見た花梨は、あれ? あの人達……。駅事務室に一番乗りで入ってきた、化け狸の夫婦さん? と、初めて駅事務室の見張り番をした時の記憶を思い出し、目をぱちくりとさせる。
「ええ~、毎日の楽しみですからねぇ。今日は思い切って、爺さんと一緒にカラオケに行こうかと思ってるんですよ」
「へぇ~、珍しいじゃないですか。なら、部屋の予約をしておきましょうか?」
「ああ~、助かります。それじゃあ午後一時には行きますんで、よろしくお願いします」
「分かりました。花梨、フリーサイズの袋を二つ持ってきてくれ」
「フリーサイズですね、了解です」
親しげなやり取りを終えたクロが指示を出してくると、花梨は二段目の棚から袋を二つ取り出し、クロの元まで持っていく。
そのままクロが受け取ると、「ありがと」とお礼を述べ、化け狸が居る受付の方へと振り向いた。
「お待たせしました。それでは、ごゆっくりどうぞ」
「ゴーニャ様。申し訳ありませんが、特大サイズを一つお願いします!」
花梨が一連の流れを思い返そうとするも、八葉のハキハキとしている声が、遮るように割って入る。
指示を出されたゴーニャは、すぐに翼を広げて宙へ飛び、普段では決して届かない高さにある棚から袋を取り、地面に降りて八葉に渡した。
「ありがとうございます! お待たせしました、ごゆっくりどうぞ!」
「花梨、次は極小サイズを三つ頼む」
棒立ちしている花梨が、ゴーニャの仕事をしている姿を眺めて微笑んでいると、不意にクロの新たな指示が入る。
「……あっ、は、はい! 極小サイズを三つ……」
やや反応が遅れた花梨に対し、クロは鼻から息を漏らしながらほくそ笑み、腰に手を当てた。
「今、ゴーニャを見てただろ? 開店直後は客が集中して入ってくるから、十分程度は我慢しててくれ」
全てを見透かしているクロの注意に、花梨は言い訳が出来ないまま「えへへ……」と苦笑いし、クロに極小サイズの袋を三つ渡す。
「すみません、気をつけます」
クロは何か言いたげな表情でいるも、接客を優先する為か口角を緩く上げ、何も言わずに振り返り、待っている客の対応を再開する。
そこからはクロの言う通り仕事に専念するべく、花梨は自分の両頬を強く叩いて雑念を飛ばし、与えられた仕事をこなしていく。
しかし十分後。クロの予想に反して客足は途絶える事はなく、一時間、二時間が経過しようとも、休める気配は一向に訪れない。
何十往復、何百往復と、クロと棚の間を駆け回り、足に疲労が溜まり始めてきた三時間後。ようやく客足が緩やかになってきた。
そして、クロが入口の様子を
「すまん、予想が見事に外れた。まさか客が、間髪を入れずにここまで来るとは思ってもみなかったんだ」
「いえいえ、全然大丈夫です。お陰で、接客の仕方について大体分かりました!」
「そうか……、ならよかった」
会話すらする暇も無かったせいで。研修をまともに行えず罪悪感を抱いていたクロが、花梨の一言により安堵し、静かに胸を撫で下ろす。
「それじゃあ、昼の間だけ変わりの奴らを呼んであるから、お前らは昼飯を食ってこい。私もそろそろ準備をしないといけないしな」
「分かりました!」
「わかったわっ!」
「了解です!」
三人の女天狗が返答すると、クロは
「花梨、午後は私の代わりを頼んだぞ。ゴーニャは、花梨のサポートに回ってくれ。分からない事があったら八葉に聞いてくれな」
「分かりました。クロさんも頑張ってきて下さいね」
「ああ、色んな意味で頑張ってくるさ。んじゃ、また夜に会おうな」
全てを花梨達に託したクロが受付を後にすると、代わりの女天狗達が受付内に入ってきて、花梨達は挨拶を交わしながら引継ぎをし、受付を後にした。
そのまま
やっとの思いで一息つくと、短いため息をついた八葉が容器に入っている割り箸に手を伸ばし、花梨達に配っていった。
「どうぞ!」
「あっ、ありがとうございます」
「ありがとっ、八葉っ」
二人の弟子に感謝され、固い笑顔を作る八葉。自分の割り箸も取って席に腰を下ろすと、その固い笑みに明るさが増していく。
「クロさんの弟子様方と一緒に食事が出来るなんて、冥利に尽きます! 後でみんなに自慢しないと!」
「あっはははは……」
あまりにも健気に見える八葉に、クロのせいで偽りの弟子にされてしまった花梨は、痛い、心が痛い……。と左胸にチクチクと刺さる痛みに目を背け、割り箸を綺麗に割る。
「あの~、八葉さん。私もクロさんと同じぐらいの距離感で、接してくれませんかね?」
「私もっ、それでお願いしたいわっ」
花梨が現時点で言える精一杯のお願いをすると、ゴーニャも同じ事を思っていたのか、手を挙げつつ便乗した。
すると八葉は突然の申し出に驚き、割り箸を中途半端に割りながら「え、何故でしょうか?」と、困惑気味に理由を聞いてきた。
「その~……。様付けで呼ばれるのに、かなり抵抗があると言うか、なんというか。せめてさん付けか呼び捨てがいいなぁ~、なんて」
「様付けで呼ばれると、すごく緊張しちゃうの」
「ああっ! そう、でしたか……」
今まで逆に迷惑を掛けてきていたと悟った八葉は、しゅんとして顔を下げるも、意を決して右手に握り拳を作り、ひたむきな眼差しを二人に向けた。
「……わ、分かりました。花梨さん、ゴーニャさん! こ、これで、よろしいでしょうか……?」
二人に恐れながら『さん』付けで呼んだものの。途中で後悔でもしたのか、八葉の体がだんだんと萎縮していく。
みるみる縮こまっていく八葉の姿に、花梨もとうとう痺れを切らしてしまい、鼻から小さくため息を漏らした。
「八葉さん、もっと気楽になって下さい。先ほど言った通り、私達とはクロさんと同じ距離感で接してほしいんですよ」
「……い、いいん、ですか?」
「はい、その方が私達も何かと楽ですし。八葉さんも気疲れしないでしょうし。ねっ、ゴーニャ」
とにかく八葉を安心させたいが為に、ゴーニャにも同調を求めると、ゴーニャはさも当然のように大きく
花梨の他人を想う温かな気遣い。ゴーニャの後押しをする反応を認めた八葉は、臆していた表情が一気に崩れ、項垂れた体をテーブルに預けていく。
「クロさんのように……、花梨さんとゴーニャさんも、心お優しいお方で本当によかったぁ~……」
酷く疲弊し、同時に安堵のこもった本音を気兼ねなく吐き出すと、花梨はひとまず安心し、きつねそばを箸で掴んだ。
「なんだか、すごく疲れたようなご様子ですね」
「ふぁい……。心臓が飛び出るほど緊張していたのと、死ぬほど怖くてずっとビクビクしていたので……。両方共無くなった途端にどっと疲れましたぁ……」
心の奥底に閉まっていた本音まで吐き出すと、八葉は突っ伏していた体を起こし、ほがらかな表情を花梨達に送る。
「なんでそんなに怯えていたんですか?」
花梨が疑問を投げかけ、大量のきつねそばをすする。
「いやぁ~。桁外れに強いお方だと認識してしまいますと、反射的に
「天狗の里?」
「はい、私の故郷です。強ければ強いほど偉くなるという、単純明快な方針の里でして。偉ければ偉いほど、見た目も性格も怖い人ばかり。だから、天狗の里で最強であるクロさんと初めて出会った時にも、下手したら殺されるんじゃないかと思い、泣きながらビクビクしてました……。例えば、あんな風に」
先ほどまで花梨達に怯えていた理由を赤裸々に明かすと、八葉は中央階段がある方へ顔を移す。
花梨達も八葉の顔を示す方を追い、視線を持っていく。視線の先には、複数人の女天狗達と、黄色い
そして、腕を組んでいるクロの前には、酷く怯えた様子の若い女天狗の姿があり、黒い瞳には大量の涙を浮かべている。
「あ、あっ、あの……。こんな私の為に、か、歓迎会を、開いて頂き、まして……、本当に、ありがとう、ございます……。うっ、うう……」
若い女天狗がクロの無い威圧感に耐えかねたのか。周りの人目を一切はばからず、大粒の涙を流し始める。
その反応を予想していたようで。若い女天狗を囲っていた一人の女天狗が、「あ~あ」と大袈裟に声を出し、両手を後頭部に回した。
「クロったら、ま~た泣かしてやんの。毎回新人を大泣きさせて、そんなに楽しいか?」
「お前もこれぐらい泣いてただろ? 何もしてないのに、毎回泣かれる身にもなってみろ。心が本当に痛くなってくるんだからな?」
既に諦め気味でいるクロが仲間にボヤくと、大粒の涙を
「ヒッ!?」
「おいおい、そんなに私を怖がらないでくれ。ここは平和に満ち溢れた
相手を気遣う温かみが深い口調でなだめると、クロは懐から一枚の布を取り出し、若い女天狗の涙を拭き取っていく。
あまりにも予想外な行動だったのか。呆気に取られた若い女天狗は泣くのを止め、「あ、ありがとう、ございます……」と震えたお礼を述べた。
「よし、ちょっとは落ち着いてくれたな。さーて、これから美味いもんをたらふく食いに行くぞ。大いに楽しもうな」
「は、はい……」
やや落ち着きを取り戻したものの。根本的な恐怖感がまだ抜けていない若い女天狗は、他の女天狗達に囲まれつつ、入口へ向かっていった。
その心がいたたまれないやり取りを覗いていた三人が、クロ達の背中を追ってから顔を前に戻すと、引きつった表情をしている八葉が、きつねそばを箸で掴んだ。
「とまあ……。私を含め、全員が最初はあんな感じでした」
「ぜ、全員が、ですか……」
クロ達のやり取りを眺めていた隙に、きつねそばを完食していた花梨が、口元をヒクつかせる。
「ですです。だからこそクロさんと初めて出会った時に、まったく臆さないでいた花梨さんとゴーニャさんも、私にとって恐怖の対象になっちゃいまして」
「な、なるほど……。と言うかクロさんって、毎回あんな苦労をしているんですねぇ……」
「そうですね。全ては、天狗の里のせいでもあるんですが……。そのせいで、ただの歓迎会が洗礼みたいになっちゃってます」
苦い経験を語った八葉は、きつねそばの汁を飲むと、「でも」と付け加える。
「半日クロさんと共に居れば、あの子も絶対に笑顔で帰って来ます。夜には帰って来るはずですので、あの子の変わりようを楽しみにしてて下さい」
「……本当かなぁ」
八葉のにわかに信じ難い言葉に、花梨は疑心が宿っている本音を呟くも。夜になった時の事を期待しつつ、きつねそばの汁を飲み干していった。
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