71話-3、閉ざされたもう一つの受付

 まだ宿泊客が居ない静かな三階を下り、電気が半分しか点いていなく薄暗い二階を認めつつ、一階まで下りていく三人。

 一階へ着くと、辺りでは永秋えいしゅうの店員である女天狗達が、開店に向けて慌ただしく準備を進めていた。


 漆が塗られた艶やかなお盆を大量に抱え、目の前を走り抜けて行く者。数人で並び、掃除機で赤い絨毯を掃除している者達。

 食事処では、テーブルを素早く拭いていたり、お品書きを並べている者。厨房で仕込みの料理を作っている者や、食材の数を確認している者。


 眠気が吹き飛ぶ活気が充満しており、様々な環境音が入り乱れ、二階、三階、四階の静けさが嘘のような一階を眺めた後、受付がある入口へと向かって行く。

 そして今日一日働く受付まで来ると、クロは横に設置されている茶色のカウンター扉を通り、花梨達の対面に立った。


「さてと、それじゃあちゃっちゃと研修を始めるとするか」


「はいっ、よろしくお願いします!」

「よろしくお願いしますっ!」


 姉妹がやる気に満ちた返事をすると、クロはほくそ笑んでから話を続ける。


「とは言っても、簡単なものだがな。とりあえず初めに、ここの値段設定は知ってるか?」


 腕を組んだクロの質問に対し、花梨は顎に指を添え、視線を天井に向けた。


「え~っと……。銭湯、露天風呂に入るだけなら七百円でしたよね」


「正解だ、次。金を受け取った後、リストバンドみたいな物を渡すんだが、色は分かるか?」


「確か、腕に巻くやつよね。青色っ」


 二つ目の質問は、ゴーニャが手を挙げて答えると、クロは大きくうなずいた。


「基本は分かってるようだな、よしよし。だが、流石に次は分からんだろ。永秋えいしゅうには百五十の宿泊部屋があるんだが、客の身長によって振り分ける部屋番が変わってくるんだ。それは分かるか?」


「そうだったんですか!? それはちょっと……」

「私もわからないわっ……」


 宣言通りに二人が言葉を詰まらせると、クロはしてやったりの表情を浮かべ、「コホン」と咳払いをする。


「やはりな、じゃあ説明するぞ。部屋番の振り分け方は、客の身長に応じて変わってくるんだ。三メートル以下なら、一号室から九十号室まで。三メートル以上七メートル以下なら、九十一号室から百二十号室まで。それ以上は、百二十一号室から百五十号室までって感じだな」


「ふむふむ……。んっ? クロさん、ちょっと質問いいですか?」


 クロの説明にとある違和感を覚えたのか。花梨が合間を縫って問い掛けると、クロは「なんだ?」と言葉を返す。


「私が初めてここに来て、クロさんの仕事の手伝いをした時、青飛車あおびしゃさんを部屋に案内したじゃないですか。青飛車さんの身長って三メートル以上ありましたけど、あの時は百三十一号室に案内しましたよね?」


「花梨が初めてここに来て、青飛車を案内した時? あ~……」


 数ヶ月前の出来事ともあってか、いきなり言われても当時の記憶が朧気であったクロは、眉間に浅くシワを寄せ、必死に記憶を探っていく。

 黒い瞳を上下左右に泳がし、全体の状況ではなく、空き部屋の数だけに絞って記憶を掘り起こすと、途端に「ああ」と短く声を上げた。


「やっと思い出した。あの時は九十一号室から百二十号室の部屋が全て埋まってたから、仕方なく青飛車をその部屋に案内したんだ」


「ああ~、なるほどです! 状況に応じて、割り振る部屋番を変えたワケですね」


「そっ。割り振り方は逆も出来るぞ」


「えっ? どうやってですか?」


 身長を縮ませる事は出来ないので、クロの返しに大きな疑問を持った花梨が、早く答えを知りたいが為に思考を放棄し、更に質問を投げかける。

 すると、クロは何も言わずに手招きをしてきたので、花梨とゴーニャは互いに顔を見合わせ、首をかしげてから受付内へと入っていった。


 永秋を出入りする際、何度も目にしてきた受付であるが、二人が受付内に入るのはこれが初めてで、クロの元へ行く前に、真新しい景色を見渡していく。

 受付内は約八畳程の広さで、部屋の左右には貸し出し用のタオル、服が詰められた袋が入っている焦げ茶色の棚がある。

 その棚の奥には別の部屋が見え、そこでは作業員である女天狗達が、タオルを畳んだり洗濯している姿がうかがえた。


 奥の部屋で作業している女天狗と目が合うと、やや気まずい空気ながらも相手が軽く会釈をしてきて、花梨も咄嗟に頭を軽く下げる。

 逃げるように手前にある服やタオルに視線を戻すと、段毎に大きさが異なっていて、全ての段を確認し終えた花梨は、妖怪さんの身長によって、段毎に分けているんだな。と推測し、頭の片隅に焼け付けていく。

 まだ辺りを確認してみたかったものの。後で沢山見れると自分に言い聞かせ、名残惜しみながらクロの元へ歩んでいった。


 待っていたクロの横まで来ると、受付の中には物を入れるスペースがあり、そこには先ほど話題に上がった青色のリストバンド。

 百五十ある内、ほとんどの鍵が持っていかれている部屋の鍵置き場。小さな観賞植物。間食用にか、様々なお菓子の袋。

 更には、妖狐神社の店で売られている、葉っぱの髪飾りが綺麗に並べられていた。


「あっ、葉っぱの髪飾りがある。って事は」


「そうだ。葉っぱの髪飾りを客に身に付けてもらい、どの部屋にも入れるよう身長を変えてもらうんだ」


「なるほどっ。葉っぱの髪飾りって、色んな所で活躍しているんだなぁ」


 駅事務室の見張り番。変化へんげが出来ない妖怪達が、人間に化けて現世うつしよで生活する時にも。そして、今回は永秋でも活躍している葉っぱの髪飾り。

 所構わず使用されている葉っぱの髪飾りに、花梨が感心していると、普段ではほとんど意識が向いていない、受付の対面にある景色に視線を移した。


 そこにはここと同じような作りの受付があるも、ベニヤ板で入口は固く閉ざされており、木の板でバツ印を描いて補強されている。

 ほぼ毎日のように受付の前を通っているが、大体はクロが居る受付に顔をやっていて、もう一つの閉ざされた受付の存在には、今日の今日まで知らないでいた。

 数ヶ月の時を経て、ようやく二つ目の受付の存在に気がついた花梨は、目をパチクリとさせ、横に居るクロへ顔をやった。


「クロさん。あっちにも受付がありますけど、使ってないんですか?」


「あっちは……」


 花梨の好奇心に囚われた何気ない質問に、クロは言葉を濁し、閉ざされた受付に向かい、寂しさを含んだ視線を送る。

 質問に答えぬまま黙り込み、正面にある受付を細目で見据え続けていたクロに、不思議に思った花梨は「……クロさん?」と再び呼んだ。


「……ん? あっ、ああ、すまん。あっちの受付は、どうしても使えない理由があるんだ」


「使えない理由、ですか。何か不備でもあるんですかね?」


「いや、そういうワケでもないんだが……。すまん、詳しい事情はまだ言えないんだ。時が来たら教えてやる」


「時が来たら……」


 『時が来たら』。もう質問をさせないが為に返された言葉には、二日前。天狐のかえでにも言われたばかりなせいもあり、花梨のモヤモヤと謎がだんだんと深まっていく。

 閉ざされた受付に顔を戻した花梨は、まだ私には言えない何かが、あそこにもある。いったい何なんだろうなぁ……。と、頭を悩ませていった。


 もうこれ以上クロからはヒントは得られず、今のままでは決して出ない答えを探ろうとし、思考を張り巡らせようとした途端。

 食事処がある方面から、複数人の賑やかでいる声が近づいてきて、その明るい声を耳にしたクロが「あっ、やば。もう来たか!」と焦りを募らせた声を上げる。


「花梨、ゴーニャ! もうすぐ、お前達の下に付く私の仲間達が来る。そいつらには、今日は私の愛弟子の下に付いてくれと伝えてあるから、また話を合わせてくれ!」


 慌て出したクロの早口で大雑把な説明に、思考を強制的に中断させられた花梨が、黒い瞳をギョッとさせた。


「えーっ!? こ、今度は、弟子ですか?」


「じゃあクロは、私と花梨の先生になるのかしら?」


 近づいて来る仲間達の距離を測るべく、受付内からこっそりと顔を出していたクロが、ゴーニャに顔を向け、正解だと言わんばかりに頷く。


「そんな感じだ、頼むぞ。あくまで設定だけだから、自然に振る舞っても大丈夫だからな」


「弟子、弟子……。わ、分かりました」

「わかったわっ」


 唐突にクロの愛弟子となった姉妹は、いきなり与えられた設定のせいで緊張し出し、ギクシャクしながらクロと共に受付から出ていった。

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