70話、語るは人間からあだ名を貰い、本当の居場所を見つけた者

 よう、また泊まりに来てくれたのか。お前ももう、すっかりここの常連だな。嬉しいよ、ありがとう。

 女天狗一族のおさ兼、あやかし温泉街、秋国にある温泉旅館、永秋えいしゅうの女将をやらせてもらってる、女天狗のクロだ。


 私が今こんな普通の生活を送れてるのも、花梨の母親である紅葉もみじが、私にロクでもないあだ名を付けてくれたお陰さ。私のあだ名? クロだ。いいあだ名だろ? すごく気に入ってる。

 それまでの間は、黒四季くろしきという呪われた本名に振り回され、更にロクでもない人生を歩んできた。

 おっと、本名では呼ばないでくれよ? 私がこの世で一番嫌いな言葉だからな。


 産まれも育ちも、隠世かくりよの深い森の奥にある天狗の里。規格外の強さが、圧倒的な力を持つ者が統べる事を許されてる、単純明快に馬鹿げた里だ。

 純粋なる力さえあれば、類い稀なる強さを誇る者が上を行く里なのであれば、必然的にこれから産まれてくる赤ん坊に期待をする。

 私のクソッタレな父と母も例外じゃない。私が産まれたと同時に、あの呪い染みた名前を付けやがったんだ。


 『春の桃を。夏の青を。秋の紅を。冬の白を。我らの象徴である黒に塗り潰し、何者も滅ぼす存在となれ』


 父と母は全てを平等に塗り潰す黒色に魅入られ、季節を代表する各色を強大な力と見なし、この名前を付けたんだと。

 だから『黒四季』。四季を司る神をも、漆黒の暴風で蹂躙し、全ての頂点に立て。とかの意味も含まれてるとかなんとか。


 しかも、その意味の効力とやらを底上げするべく、父と母は己を傷つけて出した血を墨に混ぜ込み、その墨で私の名前を書いたらしい。

 最早、呪術に近い。それ程までに私に期待してたんだろう。しかし効果はあったようで、私はその愚かな期待に応えてしまった。


 あれは物心がついた頃だったか。三歳になると個々の才能を測る為に、一本の太い木に向かってテングノウチワを振り抜くテストがあったんだ。

 三歳ならば、少しでも風が巻き起これば上等。木の葉を揺らす事が出来れば、やや才能あり。木全体を揺るがす程の風ならば、秀才並。そんな曖昧なテストさ。


 そこで私は、初めてのテングノウチワにワクワクしながら振ったら、その年齢では前例が無い暴力的な漆黒の風が巻き起こり、太い木が簡単にへし折れちまってな。

 周りに居た大人達が唖然としてる中。狂気に満ち溢れた歓喜の声を上げた者達が居た。無論、父と母だ。

 その時のあいつらの狂喜で歪んでいる表情は、今でも脳裏に焼きついてる。寒気すら覚える程にな。


 そして二人は、ワケも分からず棒立ちをしてる私の元に駆け寄って来て、異常なまでにもてはやしてきた。「お前は神童だ」とか、「期待以上の娘よ」とかよ。

 今思えば中身が無い言葉だったが、当時の私はまだ物心がついたばかりの三歳児だったせいもあり、一緒になって喜んでた。

 しかし笑顔でいられたのも、それが最初で最後だった。次の日から父と母の態度は急変。私の底知れぬ力を我が物にすべく、限度を軽く超えた訓練三昧の始まりさ。


 早朝から真夜中まで訓練訓練。なにをしても飛んでくるのは、耳をつんざく恫喝のみ。


 巨大な岩を地中深くまで押し込もうが、三日三晩掛けて山を丸裸にしようが、父と母は一向に満足してくれない。

 「お前は全てを黒に塗り潰す黒四季だ。もっともっと強くなれ」とか、「あなたは、四季を司る神をも殺せる程に強くならなければいけないの。まだまだ全然足りないわ」とか。毎日のように聞かされた。まるで洗脳が如く。

 同時に、私の名前にはそんな恐ろしい意味が込められていたのかと知り、だんだん黒四季という名前が嫌いになっていった。


 それからも血反吐を吐くような訓練は続き。ことある事に、黒四季は黒四季はと、罵詈雑言のそれに近い言葉を浴びせられ続け。

 お陰で十歳になった頃には、名前を耳にするだけでストレスを感じるようになったさ。


 その頃にもなると、私は上から数えた方が早いほど強くなり、七年間に渡る地獄のような訓練は終わりを迎え、解放された。

 ああ、やっと年相応の暮らしが出来る。ようやく私も、周りに居る子供達のように、笑いながら遊ぶ事が出来るんだと思い、胸を静かに撫で下ろした。


 が、狂った父と母は、そんな事をさせてくれるハズもなく。鍛えられた力の強さが存分に発揮されるであろう、争いが絶えない地に駆り出される事になった。

 正気の沙汰じゃない。私はまだ十歳の子供だぞ? ありえない、ふざけんな。と心の底から絶望した。

 もちろん抵抗はしたさ、思いっきりな。そんな物騒な場所には行きくないと泣き叫んで、私の本当の意思を父と母に伝えた。


 だが、父と母はまるで話を聞いてくれず、嫌がる私を争いが絶えない地へと無理やり連行し、「死ぬな。必ず勝って戻って来い」とだけ告げ、私を置いて去ろうとした。

 いくら「待って! 置いていかないで! お父さん! お母さん!」と叫んでも、父と母は振り返る事すらなく、飛び去って行った。

 そこで初めて、私は父と母に殺されると恐怖し、とうとう明確な殺意を覚えた。このままだとあいつらに殺されてしまう。なら、殺される前に殺してやる。とな。


 でも、その時の私は、まだそんな度胸があるハズもなく。憎き父と母の指示に従うしかなかった。

 『勝って戻って来い』という事は、この地に居る妖怪達を殺さなければならない。そんなの無理に決まってるだろう。


 けれども私は、想像の斜めを行く大いなる結果を出してしまった。この場所から逃げ出そうとした直後、背後から突然敵らしき妖怪が襲ってきてな。


 慌てた私は、持っていたテングノウチワを全力で振った。目を瞑って振った。死にたくない、助けてと切に願いながら、無我夢中で振り続けた。

 あの時は、何回振っただろうかな。辺りが急に静まり返ったもんだから、恐る恐る目を開けてみたら、目の前には地平線の彼方まで綺麗サッパリ何も無い、殺風景な更地に変貌してた。

 もちろん、私に襲い掛かってきた妖怪の姿も消えてた。どうなったかまでは知らないが、たぶん、粉微塵になるまで切り裂かれたんだろう。


 しばらく呆然としてて、この地に居た奴ら全員お構い無しに殺してしまったんだと、頭で理解した瞬間。脳が激しく揺れたような感覚が襲ってきて、吐いた。

 胃に入ってた物を全て吐いた。いや、それ以上に吐いたかもしれない。とにかく夜が更けるまで、ずっと吐き続けてた。


 そして、フラフラになりながら一人で里に凱旋すれば、結果を既に知ってた父と母が真っ先に私の元へ来て、抱きついてきた。

 あいつらは、また狂喜で歪んだ顔をしつつ「お前は里の英雄だ!」とか、「黒四季なら、本当に神すら殺す存在になり得るわ!」とか、戯言を抜かしてな。

 約七年振りに父と母に激励されたが、まったく嬉しくなかった。逆に殺意の純度が高まり、こいつらを絶対に殺すという決心が固まっただけだった。


 その後からはもう、私の力によって地位を確たる物にした父と母を、どうやって殺すかだけを考えてた。

 十年以上考えた末。四季に執着してる二人を、四季の風で殺してやろうという結論に至り。四季に模した四つの風と、その過程で生まれた副産物である一つの風を編み出した。


 『黒春くろはる』。淡い桃色の風。この風に少しでも触れた者は、最低でも一週間以上眠りに就く。どんな事をしようが、決して起きる事はない。


 『黒夏くろなつ』。何者をも焼き尽くす、灼熱の風。温度調節も可能だ。ギリギリ死なない程度の温度から、鉄を一瞬で溶かす温度まで出せる。


 『黒秋くろあき』。簡単に言えば、木枯らしみたいなもんだ。身動きが一切取れない程の強烈な暴風の中に、小さな風の塊を無数に混ぜ込んである。

 もちろん、切り裂く事だって出来るぞ。数多の銃弾に近い石つぶてで延々と殴られ続け、同時に相手を切り刻んでいく。

 じわじわと嬲られていく感じだな。四つの風の中だと、黒秋が一番タチが悪い。恨みを持ってる奴に放つにはうってつけだが。


 『黒冬くろふゆ』。この風は使いたくないな。相手が瞬時に凍りついちまう。父と母を一瞬で殺すだなんて、あまりにも勿体ない。


 『黒風くろかぜ』。試しに二回使ってみたが、こいつも使う事は無いだろう。浸食が速すぎるから、里のみんなも殺しかねない。

 下手したら、隠世かくりよ全土はおろか、現世うつしよまで黒風に食われちまう。この風は封印しよう。惨すぎる。本当に神をも殺しかねない風だ。


 後は機会をうかがい、最高のタイミングで父と母を殺してやろうと思ってた矢先。ぬらりひょん様と出会い、ワシの右腕にならないかと話を持ち掛けられた。

 当然父と母はその話に食いつき、話は即座に決まったさ。相変わらず、私の意思とは関係無くな。

 妖怪の総大将である、ぬらりひょん様の右腕だ。妖怪の世界の中では、これ以上にない名誉ある立ち位置だったからな。


 しかし、理由がまったく分からなかった。なぜ私なんかが、ぬらりひょん様の右腕に抜擢されたのかと。

 その理由は、ぬらりひょん様がすぐに教えてくれた。耳打ちで「お前さんを家族の元から引き離す為に、ワシが保護しに来た」と言ってきてな。

 どうやら私の現状を見かねた奴が、こっそりと情報を流してくれてたらしい。そして、その情報が莱鈴らいりんの元へ届き、ぬらりひょん様が動いてくれたんだと。


 嬉しかった反面、来るのがあまりにも遅すぎた。その時の私はもう、父と母を殺す事しか考えてなかったし、それだけに囚われてた。

 だから、ぬらりひょん様に保護されてからも、ただただタイミングをうかがってた。いつ、どこで、どの瞬間で殺すか、と。


 考え抜いた結果。もう少ししたら私は、父と母の推薦で女天狗一族のおさにされる事になったので、私が長になったその日の夜に殺してやると決めた。

 約束された絶対的な安寧。実の娘は、ぬらりひょん様の右腕。そして、その偉大なる娘は満を持して長になる。父と母にとっては最高の瞬間だろう。

 だからこそ、あいつらにとって絶頂である日に殺す。黒四季という呪われた名前をくれたあいつらを、四季に模した風を駆使し、じわじわと嬲り殺してやると。


 だが、それを実行する二日前。私にとって、今までの全てがどうでもよくなる様な出来事が起きてな。その時の私は、たまには来いというぬらりひょん様の指示で、建築途中のあやかし温泉街に居た。

 ここでも、どいつもこいつも私を黒四季と呼んでくるから、居心地は最高に悪かったさ。


 しかし、私を唯一黒四季と呼ばない奴が現れてな。そいつこそが、酒でベロンベロンに酔ってた紅葉もみじだ。

 ヘラヘラして顔で私に寄ってきて、「ねえ『クロ』さぁ~ん。クロさんは、どうすれば笑ってくれるんですかぁ~?」って、アホみたいな声で私に言ってきたんだ。

 当然、私は「は? クロ? 誰だそれ? 寝ぼけてんのか?」とぶっきらぼうに返す。だけども紅葉は「黒四季さんの事ですよぉ~。黒四季だからクロ。どうですか、このあだ名ぁ~? いいでしょ~」って、何の悪気もなく言葉を返してきた。


 その瞬間だった。私の中で、ドス黒い何かが弾けたような気がした。黒四季という名のぶっとい鎖で、がんじがらめになってた頭と心が、解き放たれたようにさえ感じた。

 そのまま少しだけ呆けた後、涙が出るほど笑ったさ。「……そうか。お前は、お前だけは……、私をそんな風に呼んでくれるんだな」って、笑いで誤魔化しつつ大泣きしながらな。


 そうしたらもう、何もかもがどうでもよくなってよ。今まで味わってきた辛い事も。父と母に向けてた憎しみや恨み、殺意までも、全てがどうでもよくなった。

 で、その次の日からさ。温泉街に居る奴らが、みんなして私をクロと呼ぶようになったのは。最初は呆気に取られたけど、本当に居心地が良かった。

 ここに居れば、誰も私の事を黒四季とは呼ばない。『クロ』という、ロクでもない最高のあだ名で呼んでくれる。


 そのせいもあってか。長の地位に就いてからというものの、私は一度も天狗の里に帰ってない。あそこへ帰ったら、また黒四季と呼ばれちまうからな。

 あやかし温泉街、秋国。ここは、私が私でいれる唯一の場所。本当の居場所だ。だから私は、この温泉街とぬらりひょん様、紅葉の事が大好きだ。

 もちろん、鷹瑛たかあき、花梨、ゴーニャ、温泉街に居る仲間達もな。全員が全員、大好きだ。


 さて、明日は色々と用事がある。花梨には、私の代わりをやってもらわないとな。永秋えいしゅうの女将である、私の代わりを。

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