69話-7、血が繋がっていなくとも

 力の差が歴然としている枕投げが始まり、闇夜に染まっていた夜空が、淡い白に変わりつつある頃。


 妖狐のみやびの部屋内では、その場から一歩も動かず立ち誇っていた天狐のかえでが、赤い扇子で己の顔を悠々と仰いでいた。

 対戦者である花梨、ゴーニャ、雅、座敷童子のまとい達は、各々が凄惨たる恰好で倒れており、畳の上に出来上がった枕の海に沈んでいた。

 敗者である花梨達をよそに満足気でいる楓は、大量の枕を神通力で一箇所に集め、指を鳴らして元のポップコーンに戻す。

 そして小腹がすいたのか。お菓子の山まで歩み寄ると、その場で腰を下ろしてぐうたら寝をし、小魚を口の中に放り込んだ。


「ほっほっほっ。他愛も無い勝負じゃったのお」


「じ、神通力……、恐る、べし……」

「まったく、当たらなかったわっ……。モフモフゥ……」

「お、おしるこ……」

「が、顔面がいたーい……」


 畳に顔を突っ伏している四人が、掠れ切った声を漏らすと、花梨が畳を這いつくばって楓の元へ近づいていく。

 他の三人も同様に這いつくばり、お菓子の山を囲んで座ると、雅だけは楓に寄り添うように座り、一緒になってビーフジャーキーを口に運んだ。

 そのまま楓が雅の頭を撫で始めると、重い体を起こして女座りをした花梨に、微笑ませている糸目を送り、口元を緩ませた。


「花梨よ。ゴーニャと共に、妖狐寮に引っ越して来ぬか? ここにいれば、こんなバカ騒ぎが毎日のようにできるぞ?」


「私達が、ここにですか?」


 唐突の勧誘に、干し芋を口に咥えた花梨が目を丸くさせると、雅に膝枕をさせた楓が、ゆっくりとうなずく。


「そうじゃ。部屋も用意してやるし、手厚く歓迎してやろう。施設も全て無料で使えるようにしてやる。どうじゃ、来ぬか?」


 最初は冗談だと思っていた花梨だったが、楓の続けた勧誘のせいで本気である察し、返す言葉が見つからず、少しの間だけ黙り込む。

 その間にやり場に困っている目を逸らし、眉間にシワを寄せて瞼を閉じた後。手を後頭部に回し、困惑気味の苦笑いを楓に送った。


「とても有り難いご相談なんですが……。私達は人間ですので、ちょっと」


「ふむ」


 花梨にもっともらしい理由で断られると、楓は面白くない顔をしながら口をへの字に曲げ、肩を落とし、鼻からため息を漏らす。

 しかし諦め切れない様子で、温い酒を自らおちょこに注いで一気に飲み干すと、「なら」と追撃をする。


「別に、人間の姿のままでも構わぬぞ。お主らにはここに住む権利があるし、条件も満たしておる。路頭に迷ったり気が向いたらでよい。いつでも来い」


「条件、ですか。それっていったい何ですかね?」


 断りを受け入れられたものの。疑問が湧いてきた花梨が質問を返すと、楓は潤んでいる唇に手を添え、糸目を天井に向けた。


「う~む……。弱き立場・・・・にいる、とだけ言っておこうかのお」


 疑問が更に深まる説明をされたせいで、頭を余計に悩ませた花梨は、無意識に首をかしげる。


「今は理由わけあって、ちゃんとした説明が出来ぬ。お主はまだ、全てを理解しておらん。語り部がだらしないからのお。さっさと打ち明けてしまえばいいものの、お主が可哀想でしょうがない」


 途中から不可解な愚痴をこぼした楓に、一人置いてけぼりを食らった花梨は、とうとう眉を深くひそめた。


「……どういう意味ですか?」


「言ったじゃろう? まだちゃんとした説明が出来ぬと。来たる日まで待っておれ。いつ来るかは、語り部次第じゃがな」


 薄笑いをしながら焦らされると、かつてぬえと再会した際。露天風呂で味わったモヤモヤを再び募らせた花梨が、諦め気味にこうべを垂らした。


「あ~あ、みんなして変に焦らすんだもんな~。少しぐらい教えてくれたっていいじゃないですか~」


「みんなして……? どういう意味じゃ?」


 花梨の意味深なボヤキに対し、今度は楓が眉間に僅かなシワを寄せる。


ぬえさんにも似た事を言われたんですよ。私が鵺さんと出会ってから、何かと妖怪さん達に縁が出来るようになりましたって言ったんです。そうしたら鵺さんが、私と出会う前よりもずっと前から、妖怪達と深い縁があるんだよって返してきたんですよ。その時もどういう意味だか教えて下さいって言ったんですが、適当にはぐらかされちゃいまして」


 ボヤいた原因に楓は驚いたのか。糸目を大きく見開き、獣に近い金色の瞳を花梨に見せつけ、唖然とする。

 瞳はすぐにいつもの糸目に戻るも、表情にはどこか羨ましそうな感情が乗っており、「鵺め、我慢できなくなったな」と、雅にも聞こえないような声量で呟いた。

 しかしそれを聞いてしまい、楓も我慢が出来なくなってきたようで。口角を妖々しくつり上げ、鼻で小さく笑う。


「なるほど、確かにそうじゃな」


「えっ?」


 返答に期待をしていなかった花梨が、呆気に取られた声を漏らす。


「特別にワシからも、一つだけ教えてやろう。花梨よ。お主は初めてこの温泉街に来る前から、何度か人間に化けたワシに会っとるし、会話も交わしとるぞ」


「えっ、そうなんですか!?」


「うむ。だがどこで会ったか、どんな会話を交わしたかまでは教えぬぞ。時が来るまで待っとれ」


「えぇ~、そんなぁ~……」


 質問を続けようにも先に太い釘を刺されたせいで、酷く落胆した花梨は、暗くて重いため息を吐き、再びこうべを深く垂らしていく。

 その狐の耳も垂れている頭は畳まで落ちていき、流れるがままにだらしなく寝そべると、口をとんがらせ、ジト目で楓を睨みつけて無言の訴えをかける。

 だが当の本人は、膝枕をさせている雅に夢中になっていて、柔らかい頬を突っついて遊んでいた。


 微笑ましささえ感じる二人のやり取りを見て、これ以上訴えるのは無駄だと悟り、花梨は落とした肩をもっと落とし、湿り気があるポテトチップスを口に入れる。

 そんな不貞腐れている花梨をよそに、楓の頬触りはだんだんとエスカレートしていき、ついには両手を駆使して引っ張り出し、雅の頬を優しく伸ばしていく。


「やめてよお母さーん。何も悪い事してないじゃんかー」


「痛くない様にしとるじゃろ? 頬が伸びている時のお主の顔が、面白くてしょうがないんじゃ」


「なにそれー? ちょっと酷くな、んがー」


 満足に発言出来ずもてあそばれると、黙って眺めていた花梨が「ふふっ」と静かに笑い、ほくそ笑む。


「楓さんと雅って、本当に仲がいい家族なんだね」


「家族ー? いやー、私とお母さんは本当のかぞ、あがー……」


 花梨のズレた言葉を雅が訂正しようとするも、その前に楓が雅の頬を限界まで引っ張り、「花梨よ」と割って入る。


「お主にはゴーニャと祖父以外に、家族のように接する事が出来る人物はおるか?」


「ゴーニャとおじいちゃん以外に、ですか?」


 先ほど、花梨と過去に出会った事があると明かしたが故か。花梨について全てを知っているていで質問すると、花梨は違和感を持たぬまま微笑んでみせて、コクンとうなずいた。


「はいっ、いますよ」


「ほうっ、それは誰じゃ? 男か? 女か? 人間か? それとも妖怪か?」


 まさか、居るとは思ってみなかったようで。楓が食い気に質問攻めを始めるも、花梨はプイッとそっぽを向く。


「楓さんが教えてくれないから、私も絶対に教えませんっ」


「なんじゃと!? そんな殺生な……。ヒントでもいいか教えてはくれんか? もしかしてワシか? ワシなのか? そうなんじゃろう? ほれ、言ってみい」


「イヤですっ。楓さんが全てを教えてくれたら、私も教えてあげます」


「グッ……! 語り部め、後でキツいお灸を据えてやろうかのお……」


 気になる答えを聞けなかったせいで、やり場の無い怒りが湧いてきた楓は、右手にけたたましく燃え盛る紫色の狐火を出し、顔をわなわなと震わせる。


「でも、なんでそんな質問をしてきたんですか?」


 端から無駄だと理解しているも、質問の意図を知りたかった花梨が、更に質問を返す。

 その質問返しに楓は、火柱を彷彿とさせる狐火をふっと消し、安堵のこもった糸目を花梨に向けた。


「ただの興味本位じゃ。お主の家族は、祖父とゴーニャしゃおらん事を知っておる。だから、それ以外に家族と呼べる人物がおるか気になっての」


「興味本位、ですか」


「そうじゃ。しかし、居るなら安心した。そやつが男か女かは知らぬ。人間か妖怪かも知らぬ。だが、お互いに心を深く通わせていれば、そやつはお主の父か母と言えよう」


「お父さんか、お母さん……」


「たとえ血が繋がっていなくとも、赤の他人だろうとも関係無い。遥か太古の昔に、名も知らぬ人間共が決定付けた決まり事なぞ以ての外じゃ。お主がそやつを家族、父か母と強く想えば、そやつはお主の本当の家族じゃ」


 説教とも取れる語りを始めた楓は、一呼吸置き「だから」と続ける。


「そやつから家族の愛を、温もりを、優しさを。頭で、肌で、心で感じ、ありったけ受け取ってくるがよい。もしそやつがそこまでの人物でないのであれば、ワシが代わりにお主の母親となり、無償の愛を与えてやるぞ? さあ、どんどん甘えてくるがよい」


 両手を大らかに広げた楓がさり気なくアピールするも、花梨は今まで並べられた言葉に心を強く打たれており、体の中で熱く火照っている想いを噛み締めていた。

 そのままうつむくと、何を思ったか、やんわりと笑みを浮かべる。そして、頭を上げて楓の顔を見据えると、首を横に振った。


「とても嬉しい言葉なんですが……、たぶん大丈夫です。その人は一夜だけ私のお母さんになってくれましたし、私もその人が大好きですので」


 花梨の返してきた言葉に、ヒントとも言えるワードを聞き逃さなかった楓が、口角をいやらしく上げる。


「お母さんという事は女じゃな!? 誰じゃ? まさか、この温泉街に居る奴か? 雹華ひょうかか? 釜巳かまみか? もしかしてぬえじゃなかろうな!? ほれ、言ってみい! さあっ!」


「恥ずかしいから言いませんっ」


「ぬう~っ、誰なんじゃ一体! 気になるのお~……」


「ふっふーん、時が来たら教えてあげますね」


 だんだんと答えが絞られてくるも、花梨はそれ以降の話題については一切話さず、腕を上下に振ってやきもきしている楓に、イジワルそうな笑みを送る。

 その中で花梨の頭に浮かび上がっていたのは、露天風呂で一夜限りの母親をしてくれた、女天狗のクロの顔であった。

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