67話-3、ニセモノの第二形態と、鋼の第三形態

 鬼が気迫に満ちた声で叫び上げ、持っていた黒い軍配団扇ぐんぱいうちわを、土俵に叩きつける勢いで振り下げた瞬間。

 その叫び声をかき消す凄まじい衝突音が、土俵の上で鳴り響き、静寂を破る熱気に包まれた声援が上がり始める。


 体がよろめく衝突音に意表を突かれた鬼が、遅れて「のこったのこった!」と、己の仕事を遂行している中。

 土俵の中央で、河童の流蔵りゅうぞうと力任せに取っ組み合いをしていた花梨が、僅かながらに押され始めていく。

 両足に、これ以上ないまでに踏ん張りをきかせているものの。茨木童子の力を持ってしても、今の流蔵には純粋に力が劣っているのか、花梨の足元に深い電車道が築かれていった。


「お前さん、弱くなったとちゃうか?」


「んぎっ……! ぐぬおおおおっ!!」


 余裕を見せている流蔵が挑発するも、花梨には言葉を返す余裕すらなく、奥歯を砕けんばかりに噛み締め、取っ組み合いを続けようとする。

 しかし力の差は、築かれていく電車道が語ってしまい、全身に限界まで力を込めるも虚しく、土俵際まで追いやられていった。


「どうしたんや、もう後がないで?」


「な、なんのぉ……、これ、しきぃ!」


「どうやら、力比べはワシの勝ちみたいやな。……ん?」


 為す術がない花梨に、流蔵が勝利を確信した途端。徐々にではあるが、流蔵の体が後ろへ下がり出す。

 それと同時に、とうに変化へんげを終えたはずの花梨の体に、再び新たな変化が現れた。


 うぐいす色の頭髪に隠れていた角が、鮮血を思わせる色を帯びながら長くなり。狼のように鋭く輝いていた金色の瞳が、龍を彷彿とさせる龍眼へと変わっていく。

 ギザギザに尖っていた牙はより鋭利に。茨木童子になっても変化がなかった表情は、凶暴さが増し、花梨の面影を薄くしていった。


 そして、流蔵に酷く劣っていた力は際限なく上がっていき、流蔵が築かせた電車道を逆走させていく。

 その中で、自分の体の変化に気づいていない花梨は、流蔵さんの力が弱まった……? なら、今がチャンスだ! と躍起になり、腕と足に力を集中させた。


「ぬっ……!? お前さん、本気を出してなかったな!?」


「い、いきなり勝負を決めては、つまらないでしょう? 今度は私の番で―――」


「イヤーーーーッ!!」


 二回目の変化により形勢逆転となり、花梨が勝負に出ようとすると、周りを乱雑に飛び交う声援よりも、一際大きな悲鳴が上がる。

 突然の悲鳴に花梨と流蔵は力を緩め、悲鳴が聞こえた方に顔を向けると、そこには顔が真っ青になっているゴーニャがおり、今にも泣き出しそうになっていた。


 錯乱しているゴーニャを目にし、眉をひそめた花梨が「すみません流蔵さん、ちょっと待ってて下さい」と断りを入れ、慌ててゴーニャの元へ駆け寄っていく。

 そのままゴーニャの前まで来て、ゆっくりしゃがみ込むと、パニックに陥っているゴーニャが、長くて鋭利な爪が生えている花梨の手を握りしめた。


「ど、どうしたのゴーニャ? 何かあったの?」


「花梨っ、花梨よね!? ニセモノ・・・・なんかじゃないわよね!?」


「ニセモノ……?」


 ニセモノじゃないかと疑われた花梨が、龍眼をキョトンとさせて首をかしげると、横に居た座敷童子のまといが、花梨のいかつい顔をしげしげと眺めながら口を開く。


「花梨の顔、すごい事になってるよ」


「えっ、どういう事ですか? 今の私、どんな顔をしてます?」


「なんだろう。さっきまでは酒天しゅてんに似てたけど、今は龍みたいになってる」


「龍!? なにそれ、すごく見てみたい……。あの、纏姉さん、鏡とか持ってないですか?」


「手鏡ならある」


 そう言った纏は、袖から折りたたみ式の黒い手鏡を取り出し、差し伸べていた花梨の手の平に乗せる。

 「ありがとうございます」とお礼を述べた花梨が、手鏡を壊さぬようそっと開き、自分の顔を鏡に映した直後、龍眼をギョッとさせた。


「怖っ! 何この顔!? 私の面影がほとんど残ってないじゃん! うわぁ~、とうとう角まで生えちゃったや。目もすごい事になってるなぁ……。だからゴーニャが、こんなに驚いちゃったんだ……」


 筋違いの理解をすると、手鏡を纏に返し、涙で青い瞳を滲ませているゴーニャの頭に、手をふわりと乗せる。


「大丈夫だよゴーニャ、心配しないで。いつもの私だよ」


「……ほ、ほんとっ?」


 優しさに溢れている花梨の説得に、気持ちが落ち着いてきたゴーニャの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。


 ゴーニャが錯乱した理由は、脳の最果てに追いやっていた記憶である、第二の満月が顔を出した日の事。

 二人組の鬼にゴーニャがさらわれた際、満月の光に侵され、復讐の茨木童子と化したニセモノの花梨の姿を見たせいであった。


 当時の忘れたい忌々しい記憶が今と重なり、ニセモノの姿をした花梨が、流蔵を殺めてしまうのでは思ってしまい、余計に焦りを募らせていた。

 しかし、思わず悲鳴を上げるや否や。大事な試合を中断してまで、駆け寄って来てくれて声を掛けてきた花梨に、少しだけ安堵して胸を撫で下ろす。


「うん。かなり怖い顔になっちゃったけど、安心しな」


 ゴーニャの頬を傷つけないように、空いている手で頬を伝う涙をぬぐった花梨が、温かな笑みを送る。

 いつも通りである花梨の様子や振る舞いに、心身共に落ち着きを取り戻したゴーニャは、今度は試合を止めてしまった罪悪感に駆られ、しゅんとした表情になっていく。


「……よかった。ごめんなさい花梨っ、相撲を中断させちゃって……」


「いいのいいの、気にしないで。相撲は何回でも出来るから、ねっ?」


「……うんっ」


 励ますもゴーニャの表情は変わらず、厚い暗雲すら立ち込めてくると、花梨はその暗雲を振り払うかのように、湿ったゴーニャの頬にキスをする。

 不意の嬉しいキスにゴーニャが目を丸くさせると、花梨は明るい無邪気な笑みを浮かべ、おもむろに立ち上がった。


「それじゃあ行ってくるね! 応援よろしく!」


「……わかったわっ! 頑張ってね、花梨っ!」


「うんっ!」


 元気を取り戻したゴーニャに、温かな笑みをしながら手を振ると、体を冷やさないようストレッチをしている流蔵に、闘争心溢れる龍眼を向ける。

 そして心の中で、よし、キャラを変えよう。ものすごく怖い顔になっちゃったから、喋り方も変えたら面白くなりそうだなぁ。と楽しみつつ思案し、土俵の中央へ足を運ぶ。

 そのまま仕切り線の前に立つと、土俵が砕けんばかりに四股を踏み、周りを飛び交っているけたたましい声援を黙らせた。


「悪いな、試合を中断させちまってよ。さあ、続きをやろうぜ」


「な、なんや、その喋り方は……? またキャラを変えたんかいな?」


「姿が変われば喋り方も変わるさ。俺様を早々第二形態にするとはな、やるじゃねえか。流石は俺様のライバルだぜ」


 一人称を俺様に変えた花梨は、……やっぱり、ちょっと恥ずかしいな、これ。とやや後悔し、頬を赤らめる。


「第二形態? ああ確かに、今のお前さんは威圧感が半端ないわ。ならワシも、後悔せえへんように本気を出すかぁ!」


 声を上げた流蔵が全身に力を込めるも、体には特に大きな変化は現れず、また巨体にでもなると予想して身構えていた花梨が、呆気に取られた。


「なんだ、何も起きねえじゃねえか。ハッタリか?」


「ふんっ、よく見てみい」


「……ん?」


 そう言われた花梨が目を細め、代わり映えしていない流蔵の体を凝視する。すると、細かながらも変化が垣間見えてきた。


 筋肉量はまったく増えていないように見えていたが、限界まで引き締まっており、これ以上鍛えようが無く、無駄が一切無い肉体美に変わっている。

 他にも、膨れ上がった大胸筋。鋼のように硬そうに思える、幾多の太い血管が脈を打っている上腕二頭筋。

 鉄バットで殴りつけようとも、ビクともしなさそうな大腿四頭筋。目に見える全ての筋肉を舐めるように確認すると、おののいた花梨は、生唾をゴクンと飲み込んだ。


「……な、なるほどな。まったく無駄がねえを筋肉をしてやがる」


「せやろ? 前回は体が無駄に大きくなったが、今日までに調整したんや。これでワシは、第三形態になったワケやな」


「ったく、ズリいぜあんた。いつも俺様の上を行きやがってよお。一生追いつけねえじゃねえか」


 なんとか素に戻らず耐えた花梨は、焦りが渦巻く心の中で、やばっ……。鋼の肉体じゃん、あれ。ぶつかったらすごく痛そうだなぁ……。と自らを劣勢の立場に追いやり、口元を僅かにヒクつかせる。


「なら、必死になって追いかけて来いや。んじゃ―――」


 挑発染みた発破をかけた流蔵が、光沢が増した体をしゃがみ込ませ、片方の握り拳を仕切り線に置いた。


「気ぃ取り直して、互いの本気をぶつけ合おうや」


「……いいぜ。あんたの無敗伝説、粉々に打ち砕いてやるよ」


 挑発を挑発で返した花梨もしゃがみ込み、仕切り線に握り拳を置く。

 その後に、常人には耐え難い闘争心に当てられて臆していた鬼が、恐る恐る中央へにじり寄り、恐怖で震えている軍配団扇を水平にかざす。


「……お、御二方。よろしい、でしょう、か?」


「ええで」


「ああ」


 二人が短い宣言を放つと、河川敷の空気は一変、畏れを含んだ静寂が訪れる。

 妖怪ですら体が微塵も動かせなくなるような、時間の流れすら金縛りにあったような遅さを感じる、あまりにも不気味な静寂。


 その静寂の中心に居る二人の無敗が、飢えた獣の眼光で互いの精神力を削り合っている中。時間の流れに取り残された鬼が、静寂を打ち破る。


「は、はっけよ〜い、のこったぁ!!」

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