67話-2、雰囲気は壊したくないけど、どうしても塩を撒きたい

 知らぬ間に『西の無敗』という二つ名が付いていた花梨が、逃げ場の無い焦りを募らせている中。


 表面上だけは三百戦錬磨の面立ちで、自ら開いていく前列の壁を悠々と歩き、戦場となる河川敷へ下りていく。

 背後から木霊するけたたましい無敗コールが、大気を揺るがす程に増えていき、くすぐられた闘争心と士気が最高潮に達した頃。

 対戦相手である河童の流蔵りゅうぞうが、腕を組んで仁王立ちしている土俵の前に到着した。


 そして、肩に置いていたゴーニャと座敷童子のまといを下ろし、二人に向かって小声で語りかける。


「それじゃあ行ってきますね」


「頑張ってね花梨っ!」

「頑張って。花梨が戦ってる間、ゴーニャは私が守ってる」


「ありがとうございます、纏姉さん。頑張ってくるね、ゴーニャ」


 花梨が二人分の温かな声援を受け取ると、真剣な表情をしながら立ち上がり、精神を集中させるべく、大きな深呼吸をする。

 同時に気持ちも落ち着かせると、大勢のギャラリーが囲む土俵へと上がり、拳を豪快に鳴らしつつ、余裕の表情を浮かべている流蔵の元へ向かって行った。


 両者が互いの目を見据え続け、花梨が仕切り線の前まで歩んで来ると、流蔵の黄色いくちばしがニヤリと笑う。


「なんや花梨、エラい登場の仕方しおって。大人気やないか」


 流蔵が西の無敗の本名を口にするや否や。土俵周りを轟かせていた無敗コールが、カリンコールにすり替わっていく。


「お久しぶりですね、流蔵さん。西の無敗である私が、満を持して帰ってきましたよ」


「ほう、その二つ名で来おったか。ワシと戦うには一番ふさわしいヤツやな。ちなみにワシは、東の無敗やで」


 四股を踏み始めた流蔵の言葉に、眉をひそめた花梨が、えっ? 私の二つ名って、いっぱいあるの……? と気に掛けるも、目の前に居る相手に集中し、負けじと四股を踏む。

 両者揃って土俵を割らんばかりの四股を踏み終えると、流蔵が土俵の隅に移動し、白い物が盛られたますを拾い上げた。


「お前さんの為に、塩を用意しといたで。ぎょーさん撒きい」

 

「塩、ですか。ご丁寧にありがとうございます」


 淡々とした口調で感謝を述べた花梨も、土俵の隅へと向かう。表情は崩さないでいるものの、内心では、やったー! 一度でいいから撒いてみたかったんだよねぇ~。と、人知れず胸を躍らせる。


 花梨も塩が盛られた枡を拾い、土俵に体を向ける。そして、枡の中に入っている塩を全て取らんばかりに掴み、天を仰ぐように大量に撒いた。

 まとめて撒かれた塩は空中でバラけていき、太陽の光を眩く乱反射させつつ、土俵の上に落ちていく。


 ギャラリーがその光景に目を奪われている隙を突き、土俵に塩を撒けた満足感で、ほっこりとした笑顔を一瞬だけ見せる花梨。

 後を追って流蔵も塩を撒き、薄っすらと白く染まった土俵の中央まで来ると、未だに土俵の隅に立っている花梨に顔を移した。


「いつまでボーッと突っ立っとんのや? はよ仕切り線まで来んかい」


「ま、まあ、そう慌てないで下さい。塩はまだあるんです。もう一度ぐらい撒いてもバチは当たらないでしょう?」


 先ほどと口調は変わらぬものの、中身にワンパクさを垣間見せる花梨の言葉に、流蔵が右眉を上げる。


「なんや? 塩を撒くのが、そんなに楽しいんか?」


 挑発のつもりで言い放つも、花梨は周りの目を気にしながら食い気味に、素早く二度うなずいた。

 そんな花梨の行動を見て、臨戦態勢に入っていた流蔵が素に戻り、おどけた苦笑いを飛ばす。


「お前さん、無理にキャラを演じとるやろ? 自然体でええんやで、自然体で」


「……そうしたいのは山々なんですが、一応対決が終わるまでの間だけ、この態度を貫き通させていただきます」


「意地っ張りやなあ。まあしゃーない、どくから満足するまで撒きい」


 そう言った流蔵が後ろを向き、花梨に甲羅を見せつつ隅まで戻ろうとするも、背後から「流蔵さん」という、花梨の呼ぶ声が耳に入り込んできた。

 土俵の隅に戻り切る前に、再び花梨の方を向くと、ポーカーフェイスながらも、若干頬を赤らめている花梨が、恥じらいのある半目で流蔵を睨みつけていた。


「んー? なんや?」


「――さい」


「あー、すまん。周りの野次がうっさくて聞こえんかったわ。もう一回言ってくれへんか?」


 ぼそぼそと話す花梨の声が聞こえず、少しだけ土俵の中央に寄った流蔵が、耳に手を当てて聞く体勢に入る。

 頬の火照りが増し、口を尖らせた花梨も中央へ寄っていき、流蔵だけが聞こえる程度の声で喋り出した。


「だから、流蔵さんが持っている塩も、全部私に下さい」


「はあっ? お前さん、どんだけ塩が撒きたいねん」


「いやぁ~……。土俵に塩を撒ける機会って、一生に何度も無いじゃないですか? なので今の内に、いっぱい撒いておきたいなぁ~、なんて思っちゃいまして」


 花梨も素の状態へ戻り、己の内なる欲望を打ち明けると、頬をポリポリと掻き、腑抜けた明るい笑みを飛ばした。

 普段通りになった花梨を見て、思わず「ぷっ」と噴き出した流蔵が、無邪気な笑顔を返す。


「やっぱ、お前さんはそっちの方がええわ。ちと待ってろ、追加で持ってきたるわ」


「すみません、せっかくの雰囲気を台無しにしちゃいまして……。ありがとうございます!」


「気にせんでええ。おかげさんでワシも、充分にリラックス出来たわ。これで、本気で相撲が取れそうやで」





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 文字通り山盛りの塩を獲得した花梨が、ぎこちない無表情をしつつ、土俵を真っ白に染め上げる勢いで塩を撒き続けた後。


 互いに抜け切った闘争心を湧き立たせ、仕切り線に向かって行く。二人の距離が縮まっていくごとに、熱く滾る闘争心は更に熱を帯び、周りに居るギャラリーの肌をも焦がしていった。

 そして、臨戦態勢に入っている二人が仕切り線の前に立つと、仁王立ちした流蔵が腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。


「待ちわびたでえ、この時を!」


 流蔵と同じ格好を取った花梨も、「ふんっ」と挑発的に鼻で笑う。


「私もですよ。流蔵さん、呆気なく負けないで下さいよ?」


「抜かせ。あの時のワシと一緒やと思ったら、大間違いや。甘く見てると、大火傷だけじゃ済まんで?」


「その言葉、そっくり流蔵さんに返します。負けてショックを受けても、知らないですからね?」


 大口を叩いた花梨は、心臓の鼓動が加速する心境の中、あれから何もしてないけど、私は本当に勝てるんだろうか……?と、思案してしまい、自信を無くしていく。

 花梨の心の内を微塵も感じ取っていない流蔵は、ひたすらに花梨を見据え続けていたが、早く相撲を取りたいが為に、腰をゆっくりと下ろして片手を地面に突いた。


「さあ花梨、はよやろうや。すまんが、誰か行司ぎょうじをやってくれへんか?」


「は、はいっ!!」


 雰囲気作りに拍車をかけるべく、流蔵がギャラリーを見渡しながら問いかけると、花梨に『西の無敗』の二つ名を伝えた鬼が、我先にと手を挙げる。


「おっ、じゃあお前さん頼むわ」


「ぃよっしゃぁああーーッッ!! ……ん?」


 指名された鬼が歓喜に満ちた雄叫びを上げ、土俵に上がろうとした途端。誰かに左肩をトントンと叩かれた。

 眉をひそめて振り向くと、そこには銀髪の妖狐がおり、その妖狐が妖しく微笑すると、己の銀髪を一本抜き、黒い軍配団扇ぐんぱいうちわに変える。

 無言のまま軍配団扇を鬼に差し出すと、受け取った鬼は狂喜により手が震え、銀髪の妖狐に深々と一礼し、土俵へ上がっていく。


 即興の行司という大役を任された鬼は、二人の前に立ち、流蔵と花梨の顔を交互に見て、軍配団扇を水平に掲げた。


「畏れ多きながらも、このわたくしめが立会いをさせて頂きます。よろしくお願い致します!!」


「ほな頼むで。ちなみにやが、ワシはいつでもええで」


「私もです」


 既に仕切りまで終えている二人は、上がってきた鬼の顔を一切見ずに互いの顔を睨み合い、準備万端な事を告げる。

 まだ心の準備がまったく整っていない鬼が、二人の言葉を受け取ると、生唾をゴクンと飲み込み、精神を統一させる為に、長い深呼吸をした。


「……それでは、時間いっぱい!!」


 鬼がそう叫んだ瞬間。野次を飛ばしていたギャラリーが一斉に静まり返り、緊迫とした空気が河川敷内を包み込む。

 川のせせらぎさえ煩わしく思える静寂の中。軍配団扇を持っている手を小刻みに震わせていた鬼が、勝負の刻を口にする。


「はっけよ~い……、のこったぁッ!!」

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