67話-1、リベンジをする西の無敗

 永秋えいしゅうから昇る湯煙が、群青の青空を彩る巻雲けんうんに混ざり合っていく、午前十時頃。


 朝食を済ませた花梨とゴーニャ、座敷童子のまといは、かつて味わった苦い敗北を返上するべく、秋国山のふもとにある『河童の川釣り流れ』へ向かっていた。

 良きライバルである河童の流蔵りゅうぞうには、事前に連絡を入れており、燃え滾る闘争心の火花を散らせながらぶつけ合い、お互いにこの日を待ちわびていた。

 花梨がやる気に満ち溢れている表情で、歩きつつ入念にストレッチをしていると、寝ぼけ眼を擦った纏が、花梨に顔を向ける。


「花梨、寝起きなのに元気だね」


「そりゃあもう、当たり前です! 流蔵さんに相撲で勝ってリベンジを果たし、無敗伝説に終止符を打ってやるんですからね」


「頑張って花梨っ、応援してるわっ!」


「うん、頑張って。私も応援してる」


 腕を前に交差させて腰を回していた花梨は、二人の士気が高まる声援に「ありがとう、ゴーニャ、纏姉さん」と、微笑んでお礼を返す。

 そのまま体を温めながら歩みを進め、頭の中で考えられる限りの攻め方を模索していると、遠くの方で、秋国山へ続く大きな赤い橋が見えてきた。


 そこで花梨のやる気は更に増していくも、同時に目に入り込んできた情報に違和感を覚え、ふと歩みを止める。

 そして違和感を覚えた箇所を、目を細めてじっと眺めてみた。目線の先には、地面と橋の境界線に巨体な妖怪が立っていて、橋の下に向かい、野太い声援を送っている。


 その熱い声援に嫌な予感がした花梨は、体を少しずつ横にスライドし、巨体な妖怪の先にある景色を確かめてみた。

 すると先には、ズラッと並んでいる妖怪達の列があり、途方にない長蛇の列は、橋の終わりまで続いていた。


「まさか、この長い列は……」


 嫌な予感が確信へと変わりつつある中。花梨は巨体な妖怪の後ろへ着き、恐る恐る橋の下を覗いていく。

 最初は、太陽の光を乱反射させている川が目に入り、眩い光の合間に、紅葉とした葉っぱの船が下流を目指して流れて行っている。

 視線をゆっくり右に移していくと、相撲は既に始まっているようで、土俵の上では流蔵と対戦相手の妖怪が戦っていた。


 更に視線を右に持っていくと、土俵から長い列が伸びていて、その列は後方へと続き、橋と河川敷を繋ぐ緩やかな坂まで続いている。

 最後に視線を上にやると、河川敷の列は橋の列と繋がっており、花梨の目の前に居る巨体な妖怪まで続いていた。


「はえ~……。午前中から来ればすぐに相撲が出来ると思っていたけど、考えが甘かったか」


「すごく長い列だわっ」

「流蔵、大人気」


「だねぇ、私が初めて来た時とは大違いだ。流蔵さん、楽しそうに相撲を取っているなぁ」


 列の長さに目が眩んだ花梨が、視線を再び土俵へ向けていく。その土俵の上ではちょうど、流蔵が対戦相手を投げ飛ばし、空を仰いで勝利の雄叫びを上げていた。

 そこから花梨達は、亀が歩くような遅さで動いていく列に合わせて進み、流蔵の戦い方を目に焼き付け、攻略法を考えていく。


 しかし流蔵の現在の戦い方は、相手の動きを良く観察し、無駄が無い動作で対処し、千差万別の手で仕掛け、確実に勝利をもぎ取っている。

 見て学んでいき、今の流蔵の強さを測ろうとするも、底無しの強さをイヤと言うほど理解してしまい、勝ち筋が見い出せなくなっていった。

 花梨が必死に必勝法を模索して、詰まった唸り声を上げていると、横に居た纏が花梨に「ねえ花梨」と声を掛ける。


「流蔵強すぎ」


「言わないで、纏姉さん……。私もひしひしと感じているので……」


 纏の悪意が無い率直な感想に、花梨の心は戦う前から負けそうになるも、首を強く横に振り、芽生えつつある弱気を振り払う。

 ただ見ているだけでは打開策が浮かばず、考え抜いていた頭が煮詰まると、技術面での勝利への道筋が薄れ、白い濃霧に包まれていく。


 そして、考え方が徐々に脳筋に変わっていくと、ふと違う観点を思いつき、リュックサックからおもむろに、剛力酒ごうりきしゅが入った赤いひょうたんを取り出した。

 ひょうたんの栓をキュポンッと音を立たせて開けると、その音を耳にしたゴーニャが花梨に青い瞳を向け、首をかしげる。


「花梨っ、剛力酒を飲んでどうするつもりなの?」


「えっと、茨木童子になって見てみれば、違う戦い方が浮かんでくるかな~って、思ってね」


 そう説明した花梨は、赤いひょうたんに口をつけ、喉をゴクッと鳴らして剛力酒を飲んだ。すると、すぐに剛力酒の副作用が体に出てきて、花梨の外見に変化が現れ始める。


 オレンジ色だった髪色は、明るいうぐいす色に染まっていき。ややオレンジ色の瞳も、狼を彷彿とさせる金色へ変わっていった。

 唇の右側から尖った八重歯がピョコンと顔を出し、短かった丸い爪も鋭く鋭利に伸びていく。

 最早、花梨も慣れた様子で茨木童子に変化へんげすると、体の変化に意を介さぬまま流蔵の観察を続けた。


 だが、やはり結果は変わらなかったのか。眉間に深いシワを寄せ、「う~~ん……」八方塞がりな唸り声を上げる。


「やっぱり、一回戦ってみないと分からないや」


変化へんげ損だね」


 纏が橋の下を覗きながらトドメを刺すと、横に居た花梨が、土俵を見据えたままコクンとうなずく。


「ですねぇ。あ~あ、いっぱい飲んじゃったや。半日以上はこの姿のままだなぁ。一滴だけにしとけば―――」


「お、おい、そこのあんた……。もしかして……」


 軽い後悔の念に駆られた花梨が、無念の独り言を呟いている途中。その呟きを遮るように、聞き知れぬ声が割って入ってきた。

 声は左側から聞こえてきたようで、自分に向かって言われた事だと思った花梨が、キョトンとさせている顔を左に移す。

 そこには、花梨の後ろに並んでいた身長二メートル前後の鬼がおり、驚愕したような目で花梨の姿を捉えていた。


「人違いだったらすまん。あんた、流蔵とタッグを組んで、交代制で相撲をした事はあるか?」


「タッグ……? ああっ、ありますよ」


「じゃあ、じゃあっ! その時は、流蔵と合わせて何百人ぐらい倒したんだ?」


「え~っと……。あの時は確か、三百人ぐらいだったハズです」


 戸惑いを見せている鬼の質問に、花梨が答えた途端。疑心が宿っていた鬼の表情が、希望に溢れた表情に変わり、「うおおおおーーッッ!!」と歓喜に震えた咆哮を上げた。


「帰って来た……! 『西の無敗』が、とうとう帰って来たあああーーーッッ!!」


「えっ? に、西の、無敗?」


 大気を揺るがす鬼の咆哮に驚き、体を波立たせた花梨が唐突に言われた二つ名を復唱すると、橋の下を覗いていたギャラリー達が、一斉に花梨達に顔を向ける。

 そして流蔵の相撲をそっちのけにし、辺りがだんだんとざわめき出し、またたく間に花梨達を囲っていった。


「マジだ! この顔は間違いねえ!」

「こいつが噂の三百戦錬磨か……。初めて見た」

「俺はこいつと相撲を取った事あるが、信じられねえ程に強えぞ」

「なんかこう……。俺達とオーラが違うな、オーラが」


「……え? えっ? ええっ!?」


 逃げ場の無いむさ苦しい壁に囲まれた花梨が、ゴーニャと纏を体で覆いつつ、困惑しながら辺りをひっきりなしに見渡している中。

 先ほど咆哮を上げた鬼が、興奮気味に鼻を何度も鳴らし、状況をまったく理解していない花梨に詰め寄っていく。


「なあ、あんた! なんで今まで姿をくらましていたんだ!? 修行か? 修行をしてたのか!? 列に並んだって事は、流蔵と戦うんだよなあ? なあっ!?」


「あえっ、え~っと……」


 頬をポリポリと掻いた花梨が、どう誤魔化そうか悩んでいると、……ここは、自分の士気を高める為にも、それ相応の態度にした方がいいかな? と、思案する。

 そう決めると、右往左往していた目を閉じ、焦っている気持ちを落ち着かせ、「ふっ、バレちゃいましたか」と、雰囲気のある口調で喋り始めた。

 

「そうですよ。かつては流蔵さんとタッグを組みましたが、今日は対戦をする為に、ここへ舞い戻って来ました」


「や、やっぱり! ……失礼極まりない質問なんだが、勝てる見込みはあるのか?」


「勝てる見込み、ですか? 愚問ですね。無論、勝つつもりでいますよ。流蔵さんの無敗伝説に、泥を塗ってやろうじゃないですか」


「お、おおっ、おおおっ!! 流石は西の無敗! 期待してますぜ!!」


 すっかりと子分肌を見せつけている鬼が、絶対強者の風貌でいる花梨に激励を送ると、前方を塞いでいる野次馬に向かい、鋭い眼光を飛ばす。


「オラァッ! 西の無敗が流蔵と戦うんだ! どけどけえ! 道を開けろ!!」


 鬼が右に向かって手を仰ぐと、それと呼応するかのように、前方に居る野次馬が、慌てて右に流れていく。

 大量に居る野次馬達と鬼が、花梨に期待の眼差しを送っていると、悪ノリが最高潮に達した花梨は、ゴーニャと纏を肩に乗せ、ニヤリと口角を上げる。


「ありがとうございます、皆さん。さあ、流蔵さんを倒しに行きましょうかねえ」


 周りの期待に応える為に花梨がそう言うと、野次馬達と鬼が、天を穿うがつ勝ちどきを上げ、歩き出した花梨の後ろを付いていく。

 背中を押してくる無敗コールに花梨は、……マズい、後に引けなくなっちゃったや……。これからどうしよう……。と、重すぎる勝利の重圧を背中に抱きつつ、堂々とした態度で河川敷に向かって行った。

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