64話-1、鵺からの誘いの電話

 清涼なそよ風が温泉街を包み込んでいる、午前十時半頃。


 今日は休暇である花梨とゴーニャは、極寒甘味処ごっかんかんみどころの入口付近にある白いテーブル席に腰をかけ、数多の甘味を堪能し合っていた。

 花梨はメロンソーダフロートを。ゴーニャは白玉が沢山入っているあんみつに舌鼓したつづみを打ち、表情を同時に緩ませていく。

 濃厚なバニラアイスを少しだけ溶かし、炭酸が強いメロンソーダと共に口の中に入れた花梨が、にんまりとした笑みをこぼした。


「んっふ~、この甘いシュワシュワがたまらん! んまいっ」


「花梨っ、それってそんなにおいしいのかしら?」


「うん、美味しいよ。ゴーニャも食べてみる?」


「いいのっ? 食べてみたいわっ!」


 ゴーニャが立ち膝をし、興味津々な眼差しを向けながら詰め寄ってくると、微笑んだ花梨が「それじゃあ口を開けて」と指示を出す。

 その指示を聞いたゴーニャは、目を瞑って小さな口を大きく開けると、花梨はスプーンでバニラアイスを多めにすくい、ゴーニャの口の中へと運んだ。

 そして、バニラアイスが乗ったスプーンが舌に当たると、ゴーニャはパクッと口を閉じ、二秒ほど間を置いてから、瞑っていた目をカッと見開いた。


 透き通った青色の瞳がキラキラと輝き出し、口を閉じたまま咀嚼そしゃくし始めると、まばたきをしていない瞳の輝きが更に増していく。

 スプーンごと食べてしまいそうなゴーニャを見て、花梨は、あっ、すごく気に入った顔をしてるや。と、心の中でほくそ笑んだ。


「どう、美味しい?」


「うんっ、とってもおいひいっ! 花梨っ、私もこれを頼んでいいかしら!?」


「ふふっ、いいよ~。好きな物をどんどん頼みな」


「やったっ!」


 許可を得れたゴーニャはすかさず店員を呼び、メロンソーダフロートを注文している中。

 花梨のポケットに入っている携帯電話から、着信を知らせる黒電話のベルの音が鳴り始める。

 その音を耳にした花梨は、ポケットから携帯電話を取り出して画面を見てみると、『ぬえさん』と表示されており、「鵺さんからだ、なんだろう?」と声を漏らしつつ発信ボタンを押し、耳に当てた。


「もしもし、秋風です」


「よう、秋風。今なにしてんだ?」


「今ですか? ゴーニャと一緒に極寒甘味処にいますよ」


「そうか、じゃあ今日は休みなんだな。昼飯はまだ食ってねえだろ?」


「はい、まだですね」


「よしよし。なら昼時になったら牛鬼牧場うしおにぼくじょうに来い。美味いもんをたらふくご馳走してやるよ」


「いいんですかっ? 美味しい物ってなんですかね?」


「そりゃあ来てからのお楽しみだ。ついでに、暇な奴を適当に連れて来い。何人でもいいぞ」


「分かりました! それじゃあ楽しみにしてますね!」


「ああ、んじゃあな」


 話が終わり通話が切れると、鵺からの嬉しい誘いに胸を弾ませた花梨は、携帯電話をポケットの中にしまい込む。

 メロンソーダフロートが来るのを待ちつつ、会話の一部始終を聞いていたゴーニャが、キョトンとしている瞳を花梨に合わせた。


「花梨っ、今の電話は誰からなの?」


「んっ、鵺さんからだよ。お昼になったら牛鬼牧場に来なってさ。なんでも、美味しい物をご馳走してくれるみたいだよ。後でゴーニャも一緒に行こ」


「私もいいのねっ。おいしいものって何かしら? 楽しみだわっ」


「牛鬼牧場だから、バーベキューかなぁ? それともステーキ? もしステーキだったら、コショウとガーリックでうんと味付けしてほしいなぁ……。ああ、想像したらヨダレが……」


 表情をだらしなく緩ませてヨダレを垂らした花梨は、想像がどんどん膨らんでいき、早々に想像と妄想の世界へと旅立っていく。

 ステーキを知っていたゴーニャも、花梨の後を追うように想像をし始めるも、観光客が行き交う大通りから、その想像を妨げる記憶に真新しい声が流れてきた。

 夢半ばで現実世界に引き戻され、垂れていたヨダレを吸い、視線を大通りに移すゴーニャ。

 するとそこには、八咫烏の八吉やきち神音かぐねの姿があり、二人の姿を目にしたゴーニャが「あっ!」と声を上げた。


八吉やきちっ! 神音かぐねっ!」


「んっ? おー、ゴーニャじゃねえか。それに花梨も一緒か」

「ヤッホー、ゴーニャ」


 先に八吉が反応し、その後に神音がニコッと笑い、ゴーニャに向かって小さく手を振る。

 そのまま、二人が座っている白いテーブル席まで歩み寄って来ると、同じ席に居た花梨を目にした神音が、紫色の瞳をパチクリとさせて花梨に指を差す。


「ゴーニャ。このヨダレを垂らして上の空になってる人、店で何回か見た事あるけど誰なの?」


「私のお姉ちゃんの花梨よっ」


「あっ、ゴーニャのお姉さんなんだ。へぇ~。もしもーし、ゴーニャのお姉さーん」


「ぬっはぁ~……。このステーキの山、標高何メートルあるんだろ……、ハッ!?」


 想像と妄想の世界に入り浸っていた花梨が、呼ばれて気がついたのか体をビクンッとさせ、飛んでいた意識が現実世界へと帰還してきた。

 慌てて声がした方に振り向くと、八吉と初めて目にする女性が立っており、今までの行為を見られて恥ずかしくなったのか、垂れていたヨダレを素早く袖でぬぐった。


「や、八吉さん居たんですね……。それに、隣のお方は?」


 恥ずかしさのあまりに頬を赤く染めている花梨が、八吉の横に立っているボーイッシュ溢れる女性に目を移す。


 少し青みを帯びたツンツンのショートヘアーで、八吉と同じく、頭には白いねじりハチマキを巻いている。

 男勝りな面立ちには、どこかやんちゃそうな印象も受け、祭りで着るような赤いハッピを着ており、背中にはやや青い反射光を放つ、黒い翼が生えていた。

 深い紫色をした瞳で、まじまじと花梨の顔を眺めていた神音が、明るくニカッと笑う。


「初めましてー。焼き鳥屋八咫やたで働いてる、八咫烏の神音でーす。店でたまに見かけてたけど、ゴーニャのお姉さんだったんだね」


「あっ、初めまして! 秋風 花梨と言います。はい、そうです。ゴーニャは私の妹です。いつぞやは、ゴーニャがお世話になりました」


 丁寧に自己紹介を済ませた花梨が、礼儀正しく頭を下げると、神音は何かを思い出したかのように手をポンッと叩き、自慢げに話を続ける。


「そうそう、ゴーニャってばすごいんだよ? 八吉から教えてもらった事を一発で全部覚えて、ミス無く仕事をこなしたんだ」


「えっ、本当ですか? 初めて聞きました」


「なんだよゴーニャ、言ってないの? すごい事なんだから自慢しときゃよかったのに」


「えっへへへへ……」


 唐突に褒められたせいで、メロンソーダフロートを食べていたゴーニャは言葉を返さず、ぽやっとはにかみ、やや赤みを帯びている頬をポリポリと掻く。

 その会話を聞いていた八吉が、腕を組みつつ「うんうん」と賛同するように二度うなずき、神音に向かって親指を差す。


「こいつよお、ゴーニャに看板娘を取られると思って焦ってたんだぜ?」


「あっ、言うなよ八吉! 恥ずかしいじゃんか!」


「あっはははは、そうだったんですね。あっ、そうだ!」


 相槌を挟んでいた花梨が、おもむろに手をパンッと叩き、おちゃらけていた八吉達の注目を集めた。


「八吉さんと神音さん、この後は暇ですか?」


「ああ。特に何もねえし、暇っちゃ暇だな」

「うん、大事な用事も済んだしねー」


 二人の予定が無い事を確認すると、花梨が笑みを浮かべてから提案を口にする。


「それじゃあ、これから一緒に牛鬼牧場に行きませんか? 鵺さんがお昼ご飯をご馳走してくれるみたいでして」


「鵺が? 俺らも行っていいのか?」


「はい、何人でも連れて来ていいみたいです。そこでご飯を食べつつ、ゴーニャの仕事っぷりを聞かせて下さい!」


「ほほう、面白そうじゃんか。行こうぜ八吉。秋風君にたっぷりゴーニャの武勇伝を聞かせてやろうよ」


 既に行きたがっている神音が、隣に居る八吉を肘で軽く小突くと、体を小さく揺らした八吉が、神音に向かって口角をニッと上げ、花梨に視線を戻した。


「おう、いいぜ! 聞いて驚くんじゃねえぞ?」


「そ、そこまでなんですか? 楽しみだなぁ。それじゃあ行きましょう! 雹華ひょうかさーん、お会計お願いします!」


 花梨が雹華を呼びながら立ち上がると、メロンソーダーフロートを食べ終えていたゴーニャも、席から地面に飛び下りる。

 そして、一万円札を雹華に渡した花梨が、ほんの僅かなおつりを受け取ると、二人を待っていた八吉が大通りに顔を移した。


「牛鬼牧場まではどうやって行くよ? 徒歩でゆっくり歩いて行くか、一反木綿タクシーを使って空から行くか」


「あっ、なら一緒に空を飛んで行きましょう」


「そうか。なら、一反木綿タクシーを使うか」


「いえいえ、使う必要はありませんよ。ちょっと待ってて下さい。ゴーニャ、兜巾ときんをかぶるよー」


「はっ?」


 思わず眉をひそめた八吉をよそに、花梨はリュックサックから。ゴーニャは赤いショルダーポーチから紫色の兜巾ときんを取り出す。

 取り出した兜巾を頭にかぶり、兜巾から伸びている紐を顎に結わいた途端。二人の背中から大きな漆黒の翼が出現した。

 いきなり現れた翼は一斉に分散し、二人の身体を覆い隠すように舞い落ちていくと、今度は二人の周りを凄まじいスピードで周り始める。


 十秒ほど突風を巻き起こしつつ回転が続くと、その羽は突然弾け飛び、辺りに散っていく。

 黒い羽が音も無く完全に消え去ると、中から花梨とゴーニャの顔をした、黄色い修験装束しゅげんしょうぞくを身に纏っている二人の天狗が姿を現し、八吉達に微笑ました顔を見せつけた。


「お待たせしました、それじゃあ行きましょう!」


「ま、待て待て待てっ! 花梨とゴーニャ、だよな? なんだってお前ら、天狗の姿なんかに……?」


「クロさんから貰ったこの兜巾をかぶると、どうやら天狗の姿になれるみたいでして。もちろん、ちゃんと空だって飛べるようになるんですよ」


「はあ~……」


 天狗の姿になった花梨が、頭にかぶっている兜巾に指を差すと、呆気に取られた八吉が、その兜巾に唖然としている目を送る。

 八吉と同じく目を大きく見開いていた神音が、半開きにしていた口を閉じ、兜巾を眺めていた目線を花梨へ戻した。


「君達、確か人間、だったよね? 実は化け狸とかじゃないよね?」


「えっと、一応ちゃんとした人間ですけども……。他にも妖狐や茨木童子、座敷童子と雪女にもなれます」


「……本当に人間なの?」


「そ、そこはあまり突っ込まないで下さい……。最近私も、あまり自信が無くなってきているので……」


 通常の人間では有り得ない変化へんげレパートリーに、二人の八咫烏は更に目を丸くする。

 天狗に変化へんげした花梨も苦笑いすると、右手に持っていた黒いテングノウチワを腰に差し、準備万端と言わんばかりの眼差しを二人にやった。


「それじゃあ気を取り直して、牛鬼牧場に―――」


「キャァァアアアアーーーッッ!! 堕天使が二人もいるうううーーーッッ!!」


「―――……へっ?」


 改めて牛鬼牧場に行こうと催促するも、不意に背後から、花梨の声を掻き消すくうを裂く絶叫が上がる。

 その聞き覚えがあり過ぎる絶叫に花梨は、イヤな予感を抱き、恐る恐る背後を振り返ってみた。

 するとそこには、大量の鼻血を垂れ流している雹華の姿があり、花梨と目が合ったと同時に、右手に持っていた布巾が地面に落ちていった。


「……花梨ちゃん達、もう言わなくても、分かっているわよね……?」


「あの、せめて血を凍らせてから喋って下さい……。私、大量の血を見るのもダメ……、あっ、カメラ取りに行っちゃったや……」


 体を身震いさせている花梨が、己の苦手な物を告白しようとする前に、雹華は既に店内の奥へと駆けこんでおり、花梨の会話は独り言に格下げされた。

 そこから五秒後。最新型のカメラを携えた雹華の暴走が始まり、二人の八咫烏も巻き込むように撮影会が繰り広げられ、無情にも午前の時間が過ぎていった。

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