60話-4、隠し切れなかった本当の感情
「なるほどねえ。そうやってまた隠すつもりだな?」
「えっ……?」
クロが突如として放った言葉に対し、思い当たる節があるのか、花梨の体に小さな波が立ち、表情が困惑したものへと変わる。
が、すぐさまいつもの表情に戻り、即席で作ったような固い笑顔に変わった。
「い、イヤだなぁクロさんってば。私は何も隠してなんかないですよ。さっ、露天風呂に行きましょ!」
花梨が慌てて四人分のタオルを用意し、早足でクロの横を通り過ぎると、鼻で大きく笑ったクロが、その足を止めるべく話を続ける。
「い~や、隠してるね。ゴーニャにプレゼントを貰った時、顔を覆い隠して嬉し泣きしてただろ? 本当の気持ちは、ちゃんと相手に伝えた方がいいぞ」
説教にも取れるクロの追撃に、扉のドアノブを回そうとしていた花梨の手が、ピタリと止まる。
そのままドアノブから手を離し、後頭部に回してポリポリ掻くと、再び固い笑みを浮かべた花梨が、クロのいる方へと振り向いた。
「あれは、パーカーの温かさを顔で確認していたんですよ。このゴーニャがくれたパーカーすごいんですよ? 生地は薄いんですけど、とっても温かいんです」
「そのパーカーには、ゴーニャの想いが沢山詰まってるからな。温かくて当然だ。あと、口に思い切り力を込めてただろ? あれはなんなんだ?」
「あ、あれは、その~……。あ、あくびを我慢していたんです。温かくてつい、眠くなってきちゃいまして」
花梨の挙動が明らかにおかしくなってくると、クロは怪しく口角を上げ、反撃不可能な追撃の弾を増やしていく。
「鼻を何回もすすってたよな。それはどう説明するんだ?」
「それは……、えっと……」
言い訳のネタが尽きたのか、花梨がそこで初めて言葉に詰まる。クロから逃げるように視線を逸らし、何も言わぬまま目を泳がせている中。クロがトドメの一撃を放つ。
「往生際が悪いぞ花梨。目、少し赤くなってんぞ」
「あっ……」
声を漏らした花梨が思わず目の下に手を添えると、もう誤魔化し切れないと悟ったのか、口元が寂しげに緩んでいく。
そして、持っていたタオルを床に全て置くと、後頭部に両手を置き、全てを諦め、口を尖らせながら部屋の中央に足を進めた。
「あ~あ、やっぱクロさんはすごいや。おじいちゃんには隠し通してきたのに、クロさんにはすぐバレちゃった」
不貞腐れ気味に言うと、クロは心の中で、いや、分かっていたけどな。と、今はまだ花梨には伝えられないツッコミを入れる。
花梨が部屋の中央まで来ると、クルリとクロの方へと振り向き、ゴーニャに目を向けてからふわっと微笑んだ。
「本当の気持ち、かぁ。人前で言うのは恥ずかしいですけど……。分かりました、ちゃんと言いますね。でもその前に、保険を掛けさせてください」
覚悟を決めた花梨は、今度は悲しげな表情になり、視線をクロの足元に送る。
「実は私、本当はとても弱虫で泣き虫なんです。だから、それを隠す為にひたすら明るく振る舞って、いつも笑顔でいるように意識していました」
本当の自分を明かし始めた花梨が、
「それで、涙を流すと人に心配されるじゃないですか? 私、人から心配されるのが、ものすごく苦手なんですよね。だから、どうしても泣きたくなったら、必ず隠れて一人で泣いていました」
頬を掻いていた手を後頭部にやると、苦笑いしていた表情に深みが増していく。
「今だから言っちゃいますけど……。『カタキラ』でクロさんが私に、我が子当然の特別な存在って言ってくれたじゃないですか。正直、あの時も泣きそうになっちゃったんですよね。必死になって我慢しましたけども。あの時の言葉、心がキュンッってなって本当に嬉しかったです」
隠していた事も明かした花梨が嬉しそうに微笑むと、クロはその微笑みに応える為に、黙って口角を上げて笑みを返した。
しかし、次に花梨は微笑ましていた表情を崩すと、
「……だけど、もう、限界が来ちゃいました。……だって、だってぇ……」
花梨の声が酷く震えていったと同時に、両目から大粒の涙が流れ始める。その涙は
そして、パーカーを身に纏っている己の体を弱々しく抱きしめ、本当の感情をさらけ出す。
「大好きなゴーニャが、大変な思いで仕事をして貰ったお金を……、自分の為にじゃなくて、こんな私の為に使ってくれて……。素敵なプレゼントをいっぱい買ってくれたんだもん……。もう頭と心が、温かくて嬉しい気持ちでいっぱいになって……、どんどん溢れ出して……、止まらないよぉ……」
「おいおい、私に向かって言うな。プレゼントをしてくれたゴーニャに言ってやれ」
腕を組んでいたクロが呆れた様子で言うと、花梨は大粒の涙を流したまま、戸惑いが隠せないでいるゴーニャの方へ振り向く。
そのままゆっくりしゃがみ込むと、ゴーニャの小さな体を包み込むように、優しくギュッと抱きしめた。
「ゴーニャ。私の為に、素敵なプレゼントを本当にありがとう……。このパーカーとジーパンは、私のかけがえのない一生の宝物だよ……! ずっとずっと大切にするし、毎日、大事に着るね」
「花梨っ……」
花梨から本当の感情と本音をぶつけられ、初めて見る花梨の嬉し涙と温かな気持ちに触発されたのか、ゴーニャの目にもだんだんと涙が滲んでいく。
普段では絶対に聞けないであろう本当の感想を聞けて、心にポカポカとした物を感じると、頬に涙を伝わせたゴーニャも花梨の体に抱きついた。
「花梨っ……。私のプレゼント、喜んでくれたぁ……?」
「うんっ、うんっ! 何回ありがとうって言っても全然足りないよ! 本当にありがとうゴーニャ……。大好きだよっ……!」
「……よ、よかったぁ」
予想を遥かに超える勢いで喜んでくれて、ゴーニャは花梨以上に嬉しくなってしまい、プレゼントしたばかりのパーカーに顔を
花梨もゴーニャの為に購入した白いワンピースを、全員が見ている前で、初めて見せる嬉し涙でどんどん濡らしていく。
その二つの熱い大粒の涙は、しばらくの間は止まる事無く流れ続け、姉妹共々、目を真っ赤に染め上げていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
花梨とゴーニャが二人揃い、自室で泣き明かして温かな想いを共有し合った後。
いつも通りの調子に戻った花梨が、クロを強引に誘って露天風呂へと向かい、四人で仲良く『秋夜の湯』を満喫していた。
クロが
「ねぇゴーニャ。私にプレゼントを贈るのって、いつから考えていたの?」
「えと……。前に、『妖狐の日』があったでしょ? その前日の夜からよ」
「あっ、そんな前から考えてくれてたんだ! 嬉しいなぁ。でさ、どこで働いたの?」
「焼き鳥屋
「あの時がそうだったの!? はえ~……、全然分からなかったや。じゃああの時は、お昼休憩をしてたんだね」
「うんっ。まさか花梨が来ると思ってなかったから、本当にビックリしちゃったわっ」
「あっははは……、ビックリさせてごめんね。でも、私の為に本当にありがとうね。すごく嬉しかったよ」
「よかったっ、私もプレゼントをした甲斐があったわっ!」
「ふふっ。じゃあ、今度は私がお返しのプレゼントをしないとね」
「ほんとっ!? じゃあそうしたら、お返しのお返しのプレゼントをいっぱいするわっ!」
「ははっ。じゃあ隙を見て、ずっとプレゼントの返しっこしよっか」
「うんっ! 花梨をもっとビックリさせてやるんだから!」
「うん、私も負けないからね!」
姉妹が終わる事のない約束を交わすと、満面の笑顔になったゴーニャが、タオルが巻かれた花梨の体に頬ずりをする。
心が再び温かな幸せで満たされた花梨は、濡れているゴーニャの頭を優しく撫でると、クロの太ももに座っている纏に顔を向けた。
「纏姉さんは、この事をいつから知っていたんですか?」
「ゴーニャが焼き鳥屋八咫で働いた日。様子がおかしかったから、座敷童子ロケットするよって驚かせて全容を聞いた」
「き、聞き方がエグいですね……」
「ゴーニャ、嘘つくのがあまりにも下手。花梨にも言いそうになったし、ずっとハラハラしてた」
「へっ? それっていつの事ですか?」
「同じ日だよ。ゴーニャがおしるこのモノマネを極めるとか言った時。実はあれ、お仕事って言おうとしてた」
「ああ、あれか……。なんとなくおかしいとは思ってたけど、そういう事だったんだ……」
「うん、花梨も鈍いね。でも、クロにはバレた」
「クロさん、洞察力がすごいですからねぇ。私も今日、ずっと隠していた事がバレちゃいました」
「千里眼を持ってるんじゃないかって疑うほど鋭い。それと、プレゼントおめでとう。大事に着てあげてね」
「はいっ、もちろんです! ずっとずっと、大切に着ますっ!」
話が終わって互いに微笑み合うと、次に花梨は、人間の姿に
「クロさん。今日一日、本当にありがとうございました」
「ああ、こちらこそさ。色々と忘れられない思い出が出来て、楽しかったよ」
「それで、クロさんはいつから知っていたんですか?」
「今日さ。『カタキラ』で、ゴーニャがショッピングモールって声を上げてただろ? その時に、こいつ何か隠してるって思ってな。それで、ショッピングモールに着いてお前がトイレに行ってる時、ゴーニャがやたらとソワソワしてたから、ちょっと突っついたんだ。そうしたら、纏と一緒になってボロを出したってワケさ」
「あ~、なるほど。だから、ゴーニャを連れて行ったんですね」
「ああ。途中で隠してた事を全て聞いたんだが……。まさか、花梨へのプレゼントだとまでは予想してなかった。金も自分で調達してたし、正直驚いたよ。……でだ花梨、さっきの話の続きなんだが」
「続き、ですか。なんでしょうか?」
「お前、人から心配されるのが苦手だから、人前で泣きたくないんだよな?」
「ああ~……。はい、そう、ですね」
花梨が歯切れを悪くして返答すると、クロは夜空を眺めていた目を花梨にやり、緩く口角を上げた。
「涙ってのは、色々な意味と種類があるもんなんだ。それは、時や場合によって更に増えていく。怒った時、困った時、苦しい時、悲しい時、寂しい時。楽しい時、嬉しい時……。前者の五つはお前が言った通り、相手は心配するだろうさ。だが、楽しい時や嬉しい時ぐらい、隠れて泣かなくてもいいんじゃないか?」
クロの説教染みた発言に、花梨は言葉を返さずに黙ったまま、困り顔をしながら
一向に何も喋らない花梨に対し、クロはニヤリと悪どい笑みを浮かべ、花梨の頭に目掛けて重いチョップをかます。
「イダッ!?」
「いいか? 涙を隠すって行為は、本当の感情や気持ちすら隠しちまうもんなのさ。今日がそうだっただろ? 私が深く追求しなかったら、本当の嬉しい感情すら隠す所だったんだからな」
「……そうですね。よくよく思うと、相手にとても失礼な事なのかもしれません」
「だろ? だから、嬉しい時や楽しい時の涙は、ちゃんと相手に見せてやれ。それ以外の涙の時は、私の前で見せろ」
「えっ? それって、どういう……?」
「さっき言っただろ。怒った時、困った時、苦しい時、悲しい時、寂しい時の涙さ。お前は、何でもかんでも一人で背負い込もうとする節がある。負の感情は私にぶつけろ。私はその感情に応じて、全力でお前を助けてやるからよ」
「……クロさん」
クロの全てを見透かしている言葉に、花梨は再び目に涙を滲ませるも、涙を流したくないが為か
「クロさんは本当にすごいなぁ。私の事をなんでも知ってるんですもん。まるで、お母さんみたいです」
「たまたまさ。しかし、私がお前の母親、ねえ」
「ええ。お母さんと会話をするのって、こんな感じなのかなぁって思っちゃいました」
「そう思うのは勝手だが……。私は妖怪で、お前は人間だ。私がお前の母親の代わりをするなんざ、おこがましくて出来やしないさ」
「妖怪だろうと、人間だろうと私には関係ありません。クロさんにとって私が、我が子当然の特別な存在ならば、私にとってクロさんは、母親当然の特別な存在です」
「んっ……」
花梨の本音である告白を耳にすると、クロは
しかし、すぐにその火照りを収めて元の表情に戻すと、怪しく笑ったクロが花梨の首の後ろに手を回し、強引にグイッと自分の体に寄せつけた。
「わっ!?」
「なら、今夜だけ特別にお前の母親になってやろう」
「く、クロさん!? 流石にこれは恥ずかしいですよ……!」
「誰も見ちゃいないさ、ぞんぶんに私に甘えてろ。ただし、今日だけだがな」
「ああ~……、ううっ……。ひゃ、ひゃいっ……」
「また照れてんのか? ったく、可愛い愛娘め」
顔をこれ以上にないほど真っ赤にさせた花梨は、初めは力の無い抵抗を試みるも、だんだんとクロの温かい身体に身を委ねていく。
そして最終的には、初めて味わう一夜限りの母の温もりを感じつつ、安心し切った表情で一滴の涙を零した。
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