19話-4、あたしがあたしである内に

 居酒屋浴び飲みに向かっている途中にも、満月の青白い光は絶えず降り注ぎ、フラついている酒天しゅてんの自我を蝕んでいく。

 既に何も考えず歩いていた酒天は、血に飢えた自我に抵抗を一切せず受け入れてしまい、疲労困憊としている表情が、再び狂気と殺意を混じえて歪んでいった。


 普通に歩けば十五分程度の帰路を、倍の三十分以上掛けてしまったせいか、本来の自我はほとんど残っておらず、ほぼ満月の光に飲み込まれた状態で居酒屋浴び飲みへと辿り着く。

 気分が荒ぶっている酒天は、室内の黄色い光に染まっている扉を足で思いっきり蹴破り、粉々に破壊してから中へと入る。

 そして、砕けたガラス片や廃木材をわざと踏みつけ、ギラついている獣の瞳で辺りを舐め回すように見渡した。


 そこには、突然の出来事に呆気に取られた取り巻き達数名が、口をポカンとさせながら酒天の姿を見ており、その群がる視線の中には酒羅凶しゅらきの物もあり、現状を察した酒羅凶が、呆気に取られて沈黙した空気を破った。


「おいおい、随分とご機嫌な帰宅じゃねえか。ぶっ飛ばされてえのか?」


親分・・はご機嫌斜めですねぇ。カワイイ子分が帰って来たってのにぃ、『おかえり』すら言えねえんですかぁ?」


 酒天の挑発返しに酒羅凶は口元をヒクつかせ、いつものように憤慨しそうになるも、その怒りをため息に変えて口から吐き出した。


「店にいる時は店長・・と呼べ。あと、今のは聞かなかった事にしてやる。それとてめえ、そのザマはなんだ? 満月の光を浴びたぐらいで堕ちやがって、情けねえ」


「はっ! 人間の前だと緊張して、大声でしか喋れなくなる親分が、なに言ってんですかぁ? そっちの方がよっぽど情けねえですよぉ?」


 未だに挑発を続けてくる酒天に対し、酒羅凶は黙って後頭部をゴリゴリと掻いた。周りに佇んでいた取り巻き達は、二人の殺気溢れた会話で気が気でなくなり、思わず全員逃げるように物陰へと身を潜める。

 その間にも酒羅凶は、指の骨が軋む程の握り拳を作ってはほどき、怒りを雑に沈めていく。

 手の平に感じる痛みで幾分落ち着いてきたのか、口角を限界まで吊り上げて笑っている酒天を、黙らせるような目つきで睨みつけた。


「もういい、店の後片付けをしろ。ぶち壊した扉はてめえで替えろ、分かったな?」


「親分、あんたの目は節穴ですかぁ? こんな楽しい状態で出来るとでも? このボロっちぃ店を潰していいんであれば、話は別ですけどねぇ」


 満月の光に侵されているとはいえ、命令を一切聞かず、更なる挑発を続けてくる酒天に、酒羅凶の無いに等しい堪忍袋の緒がとうとうぶち切れる。

 過度の力で握った拳が手の平に深く食い込み、その握り拳の隙間から血がしたたり始める。

 全身が怒りでわなわなと震え、とうに我慢の限界を超えていた酒羅凶が、目の前にある拭いたばかりのテーブルに向かい、赤い握り拳を振りかざした。


 巨大な握り拳をまともに受けたテーブルは、爆散するように辺りへと爆ぜ飛び、物陰に隠れていた取り巻きに襲いかかる。

 悲鳴を上げた取り巻き達の声を意に介さずに、酒羅凶は怒りで血走った獣の眼光を酒天に向けた。


「てめえ、そろそろいい加減にしろよ? 満月の光を抑え込めねえ雑魚が、主人に向かってワンワン吠えてんじゃあねえぞ?」


「あ~あ、なにテーブル壊してるんですかぁ? それ、自分で直しといてくださいよぉ」


「ああ、てめえを死ぬほど殴ってからな。覚悟しろよ?」


「死ぬほどぉ? 甘い甘い、なんなら殺してくださいよぉ。……だから店長・・、はやく……」


 自ら殺してほしいと願った酒天の言葉は、弱々しく掠れており、先ほどまで放っていた鋭い殺意は、片鱗すら無くなっていた。

 表情は禍々しく歪み、口角は引き裂けそうなほど上がっているも、その黄金色に発光した瞳には力が無く、突如として大粒の涙が零れ落ちる。

 その涙は止まる事を知らずに頬を伝い、破壊された扉とテーブルが散乱している地面へと落ちていった。


「……あたしを、満月の光に侵されているこの体から、助けてくださいっス……」


 不意にいつもの酒天の口調に戻ると、酒羅凶は鳴らしていた血にまみれた握り拳を解き、地面に血を滴らせながらダランと垂らす。

 扉を壊して中に入ってきた時よりも呆気に取られ、狐につままれたように殺意を霧散させていくと、豪快に鼻で笑ってから口を開いた。


「なんだ、まだ自我が残ってたのか。少しはやるじゃねえか。てめえが弱音を吐くなんざ珍しいな」


「もう、もうイヤなんスよ……。大好きな店長や花梨さん達に、心に無い事を言うのも……。見知らぬ誰かを殺そうとするのも……。こんな最悪な気分になるのも……、もう、イヤなんスよぉ……。だから、……あたしがあたしである内にはやく、気絶させるか、殺してくださいっス……」


 酒天に懇願する言葉に多少困惑するも、そのすがるような儚い願いを叶えるため、酒羅凶は赤く血塗れた握り拳を締め直す。

 そして、涙で歪んでいる顔を濡らしている酒天の前まで来ると、その握り拳に更なる力を込めた。


「殺しまではしねえが、今から殺す勢いで腹を殴りつけるぞ。あばら骨が全部逝っても、文句言うなよ?」


「あばら骨ぐらい、全部どうぞっス……。はやく、お願い、し―――」


 酒天が喋り終わる瞬間、店内に大砲を何発も一斉に発射したような轟音が鳴り響く。その音は、酒羅凶の握り拳が酒天の腹に着弾した音で、数秒遅れて店内に衝撃波に似た余波が走る。

 同時に、耳の中にこびりつくような骨の折れる音が後を追い、腹に力を一切込めて無かった酒天が「ガハッ……!?」と、衝撃で込み上げてきた胃液を吐き出しながら、一緒に声を漏らす。


 その巨大な握り拳にもたれ込んだ酒天は、痛みを感じる前に薄れていく意識の中。「あ、ありがとう……、ございま、す……、てん、ちょう……」と、か細い感謝の言葉を述べ、静かに目を閉じた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 満月の猛威が終わり、少しだけ欠けた十六夜いざよいの月が浮かぶ夜。気を失っていた酒天が、「ハッ……!?」と、声を上げながら目を覚ます。

 開いた目に入った初めの景色は、土が剥き出しになっているスタッフルームの天井で、鼻で呼吸をすると酒の匂いで濁った空気が体内へと入り込んできた。


「こ、ここは……、スタッフルーム? あたしは、いったいここで何を……、グッ!?」


 辺りを見渡しながら上体を起こそうとするも、腹部全体に耐えがたい激痛が走り、思わず顔を歪める。

 痛みが走った腹部を見てみると、雑に包帯が何重にも巻かれており、その包帯に手を添えると、ぼんやりとした昨夜の記憶が徐々に蘇り始めた。


「そ、そうだったっス……。昨日、店長に思いっきり腹パンをされて、そのまま……。そうだ、いま何時だろう? ……へっ? よ、夜の八時前ェ!? ヤバッ、遅刻どころの騒ぎじゃないっス! 早く店の手伝いに、アダダダダッ……」


 一部の記憶を忘れたまま、寝過ぎて遅刻してしまったと勘違いして慌てて立ち上がるも、腹部全体に先ほどよりも鋭く尖った痛みが走る。

 激痛で歩く事もままならず、壁に手を伝い薄暗い廊下をヨタヨタと歩き、派手な馬鹿騒ぎをしている店内へと向かっていった。


 店内では、満月が過ぎ去った事を祝福するように、あちらこちらで踊って飲み明かしている客がおり、その中に接客対応をしている酒羅凶を見つけると、足を引きずりながら歩み寄っていった。

 酒羅凶の接客対応は長引いているようで、酒天は終わるまで邪魔にならないよう背後で静かに待機をした。

 そして、接客対応が終わったのを確認すると、酒羅凶の赤い甲冑を申し訳なさそうに引っ張り、恐る恐る口を開く。


「て、店長ぉ~……」


「あっ? どうした酒天」


「あのっ、だ、大寝坊して、すみませんっス……」


「寝坊だあ? てめえは今日、休日だ。邪魔だから店内に入ってくんじゃねえ」


 強烈な怒号か凄まじい蹴りが飛んでくると予想し、臆していた酒天が予想外の言葉に唖然とし、目をパチクリとさせる。


「きゅ、休日……?」


「そうだ、忘れてんじゃねえ。それと、てめえはこれから満月が出ている夜は外出禁止だ。俺が忘れて外に出ろと言っても、殺される覚悟で必死に抵抗しろ。いいな?」


「えっ、えっ? あっ、は、はいっス。了解しました……」


 イマイチ現状を把握していない酒天が指示に従うと、酒羅凶は甲冑をカチャッと音を立たせながらうなずいた。

 更に酒羅凶が「あと」と言いつつ、甲冑の隙間から一枚の茶封筒を取り出し、酒天に差し出した。その、いきなり差し出された茶封筒を受け取ると、酒天が首をかしげながら話を続ける。


「店長、これは?」


「昨日、人間共にも何かしたんだろ? そん中には、この店の一日無料食べ放題券が三十枚入ってる。それを渡して詫びを入れてこい」


「人間、共……、花梨さん達のことっスか?」


「なんだ、昨日の事なにも覚えてねえのか? おめでてえ頭してんな」


「昨日の事、っスか……? ……あっ」


 『昨日の事』と言う言葉に対し、酒天のぼやけていた頭の中が一気にざわつき始める。満月の光に侵され、親愛なる者を殺しかけた事。心に無い言葉を言い放ち、花梨の心に大きな傷をつけた事。

 満月の光に身を任せてしまい、名の知らぬ妖怪達の顎を砕いた事。そして、目の前にいる酒羅凶に、かつてない程までに反抗し、最終的に助けられた事の内容が、鮮明な映像になり酒天の頭を駆け巡る。

 昨日の地獄にまみれた内容を、全てハッキリと思い出した酒天は、みるみるうちに顔から血の気が引き、突然「ああああーーーーッッ!!」と、大口を上げて叫び上げ、激痛が走る腹部に鞭を打ちつつ、慌ててその場で土下座をした。


「てっ、ててて店長っ! 昨日の多大なるご無礼、本当にすみませんでしたっス!!」


「俺の事はいい、全部忘れてやる。それよりも、人間共に詫び入れてきた方がいいんじゃねえか?」


「あっ! 花梨さんとゴーニャちゃん! す、すみません店長っ、行ってくるっス! ……イテテッ」


 そう言った酒天が茶封筒を和服の袖にしまい、駆け足で入口に向かう。誰かが入れ替えたのであろう扉を開けて外に出ると、扉を閉めるの忘れて永秋えいしゅうを目指して走り始めた。

 足が地面に着くたびに、振動で腹部全体に鈍い痛みが走るも、それよりももっと痛む左胸を鷲掴み、目に涙を溜めながら走り続ける。


 慣れない痛みに耐えつつ永秋まで来ると、受付にいた女天狗のクロに、花梨がいる部屋の場所を教えてもらい、赤いふわふわの絨毯が敷いてある中央階段の前まで来ると、四階を目指して一気に駆け上っていく。

 支配人室が目の前にある四階まで着くと、右側の通路を全速力で走り、突き当りの左側にある扉をノックをしないで開け、目を瞑りながら声を上げた。


「花梨さぁぁーーーーーんっ!!」


「ぬわぁぁあああーーーーっ!? しゅ、酒天さん!? び、ビックリしたぁ……」


 酒天が瞑っていた目を開けると、花梨とゴーニャは夜飯を食べていたようで、二人はいきなり訪れてきた酒天を見ており、驚いて目を丸くしていた。

 その事をお構いなしに酒天が部屋内に入り、昨日の事もあってか、若干臆しているようにも見える花梨の前まで来ると、涙を堪えつつお手本のような綺麗な土下座をした。


「花梨さん、ゴーニャちゃん……。昨日は、本当にすみませんでしたっス……」


「あっ、いやっ、土下座なんてそんなっ。それよりも、酒天さんはもう大丈夫なんですか?」


 花梨の心配する言葉を耳にすると、酒天は頭を上げながら話を続ける。


「はい、あたしはもう大丈夫っス……。本当に、本当にっ……、すみませんでしたっス……」


 酒天が改めて頭を深々と下げて謝ると、花梨は震えている酒天の手に自分の手を添え、安心したようにふわっと微笑んだ。


「いえっ、全ては満月の光が悪いんですよ。もう私は全然気にしていないですし、ゴーニャはずっと寝てたので、昨日の事は何も覚えてないハズですし……。だから、お互いに忘れちゃいましょう」


「か、花梨さん……」


「それよりも、酒天さんが元に戻ってくれて本当に安心しました。また今度、酒天さんに会いに居酒屋浴び飲みに食べに行きますね」


 花梨が励ましの言葉を掛けると、酒天の心にこびりついているわだかまりを全て吹き飛ばすように、再び明るく笑みを浮かべる。

 その言葉と笑みに心を救われた酒天は、わだかまりを大粒の涙や鼻水へと変え、我慢が出来ずに、花梨の目の前で嗚咽おえつをし始めた。


 昨日のあるまじき行為を全て無かった事にしてくれて、いつも通りのように振る舞ってくれて、店にも来てくれると言われ、心地よい温かな気持ちに包まれた酒天は、更に涙と鼻水の量を増やしていった。


「ううっ、花梨さぁん……。なんて優しいお方なんスかぁ……、本当にありがとうございます……。こ、これ、お詫びの印として受け取って下さいっス……」


 泣きながらそう言い、和服の袖から酒羅凶から貰った茶封筒を取り出すと、両手を添えて花梨へと差し出した。

 キョトンとした花梨が茶封筒の中身を確認してみると、驚愕したのか「えっ!?」と声を上げる。


「居酒屋浴び飲み一日無料食べ放題券!? しかも、三十枚も入ってる! こ、こんなに受け取れませんよ!」


「いえっ! それは、店長の気持ちも含まれていますので、是非受け取って下さいっス!」


「しゅ、酒羅凶さんの気持ちも、ですか。受け取らないと後が怖いなぁ……。それじゃあ、お言葉に甘えて貰っておきますね」


 花梨が、背後にある酒羅凶の気持ちにおののき、素直に受け取ると、酒天は大量の涙と鼻水を和服の袖でぬぐいつつ立ち上がり、新たなる決意を表明するように、右手を力強く握りしめた。


「花梨さん! ゴーニャちゃん! 何か困った事があったら、この酒天に気兼ねなく相談して下さいっス! 今度こそ全力で、御二方をお助けしますからね!」


「す、すごく頼もしい……! ありがとうございます、酒天さん。これからもよろしくお願いしますね」


「はいっス! 改めてよろしくお願いします! それじゃあ、失礼するっス!」


 腹部の痛みを忘れて丁寧にお辞儀をすると、改めて二人を守る事を誓った酒天は、夜飯の匂いが漂っている花梨達の部屋を後にする。

 一階の受付にいたクロにも元気よく挨拶を済ませ、人通りがまばらになっている大通りに出て、居酒屋浴び飲みの帰路へと就く。


 そして、十六夜の月に向かって殴るように誓いの拳をかざし、自信に満ち溢れた笑みを浮かべた。

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