★19話-3、交わる二つの自我

 花梨の背中を殺意に溢れた眼差しで見送り、姿を消した事を確認した酒天しゅてんは、逃げるように近くの物陰に隠れ、壁にもたれ込みながら地面に腰を下ろしていった。


「……はっ、はははっ、なぁにが十分程度なら大丈夫だ。なぁにが、大船に乗ったつもりで任せてください、だ……。ものの数秒で意識が吹っ飛ぶかと思ったぜ……」


 目の前から格好の獲物がいなくなり、知らず知らずに内に放っていた殺気が薄れていくのを感じ、満ち溢れた開放感に浸りつつ、青白い満月に目を向ける。


「満月の光、か。温泉街に来てから浴びるのは初めてだが、こりゃヤベェな。全身に死ぬほど力を込め続けてなけりゃあ、花梨さんとゴーニャちゃんを金棒で肉塊にしてたかもしれねぇ……。ふっ、なにが護衛だ。笑えてくるぜ。……しかし」


 地面に向かって頭をガクンと垂らすと、己の顔面を鷲掴み、ギチギチと軋む音を立たせて握り締め、獣地味た瞳に涙を浮かべる。


「花梨さんとゴーニャちゃんに、とんでもねえ事を言っちまったなあ……。一切そんな事を思ってねえのに、あたしの意思とは関係なく口が勝手に喋りやがってよう……。最悪だ、なんて詫びればいいんだよ……。クソッ、クソッ……!」


 やり場の無い怒りを握り拳に変え、罪のない地面へと振りかざす。何度も殴りつけ、小さなクレーターと地割れを作り、辺りに小規模の揺れを起こして怒りを発散させていく。

 その湧き上がる怒りの中に、親愛なる者を殺さずに済んだという安心感を見つけると、地面を殴っていた拳を解き、小さなクレーターに垂らしていった。


 そのまま、護衛は全うしたと自分に言い聞かせつつ、ぼーっと夜空を見上げながら満月の光を浴びていると、再び意識が薄れていくのを感じ始める。

 そして、言う事をまったく聞かない身体を無理やりに動かし、力なく立ち上がる。足と金棒を引きずりながら大通りに出ると、居酒屋浴び飲みを目指して歩き始めた。


「詫びを入れるのは明日にしとこう……。今日行ったら、間違いなく二人を殺しちまう。……ダメだ。こんな状況じゃ、とてもじゃねえが店の後片付けなんぞ出来やしねえ……。親分・・に言って、今日は休ませてもら―――、イダッ」


「クッソ……。おい! どこ見て歩いてやがんだ糞ガキィ!」


 地面を見据えたままフラフラと歩いていた酒天は、前から来ていた二人の妖怪の存在に気がつかず、すれ違いざまに肩と肩がぶつかり合い、足に力が入っていなかった酒天はそのまま尻餅をついた。

 満月の光を存分に浴び、タガが外れて気が高ぶっていた二人の妖怪が、怒り狂いながら叫び始める。


「てめえ、クソ鬼! なんとか言ったらどうなんだ!?」

「ぶっ殺されてえのか、この野郎!? ああっ!?」


「……」


「黙ってねえで何とか言ったらどうなんだ、ゴラァ!?」

「はっ、こいつビビって震えてんぞ」


「……はっ、ははっ……。あっはっはっはっはっはっはっはっはっ……」


 状況を飲み込んだ酒天は、尻餅をついたまま乾いた声で笑い始める。そして、先ほどまで地面に向けていた怒りを、目の前で雑音を鳴り響かせている二人の妖怪へと向け、薄れゆく意識に中、ゆらっと立ち上がった。


「もう、我慢の限界だぁ。抑えきれねぇや。誰だか知らねえが運が悪かったと思って……、死ね」


「ゲッ!? 居酒屋ん所の茨木童子!!」

「い、茨木童子ィ!? す、すみませんでしングッ!?」


 満月の光に身を委ねてしまった酒天の顔は、もはや原型を留めておらず、かつての優しい面影は皆無に等しく、歪みに歪み切っていた。

 口角が限界以上にまで吊り上がり、粘液みたいな糸を引いている牙が剥き出しになっている。瞳孔が完全に開き切っており、満月の光に侵された獣の瞳が、禍々しく金色に発光しながら二人の妖怪を捉えていた。


 そして、自我を自ら捨て去った酒天は妖怪達の口の部分を鷲掴み、徐々に力を込めつつ、楽しんでいるような口調で話を続ける。


「その前によぉ……。あたしに向かって生意気な悪い口を叩いたのはぁ、この口かなぁ?」


「ンンッ! ンウッン!? ンンンッ!!」

「ングン! ンングッ!! ……ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ン゛ッッ!!!」


 万力のように締めあげていく酒天の両手は、妖怪達の顔面に溶け込むようにめり込んでいき、容赦なく深く噛みついていった。

 左手で掴まれている妖怪は、酒天の腕を握って虚しく抵抗をしている。が、右手で掴まれている妖怪は、顎関節がくかんせつ部分が粉々に砕け散り、顎がダランと外れる。

 同時に、垂れた顎にも力が加わっていたのか、煎餅を割ったような、軽い音を出しながら細かく砕けて割れていった。


 その湿った砕ける音を聞いた酒天は、上機嫌になり頬が裂けそうなほどニタァと笑みを浮かべ、目の前の惨劇に胸を弾ませながら口を開く。


「おやおやぁ? さっきまでの威勢はどこにいったのかなぁ? 次は、逃げられないように両足を力任せに引っこ抜いてやる。そこからは楽しい楽しい拷問の時間だぁ。残ってる両手の爪をゆっくり剥いで、それを目ん玉に一枚ずつぶっ刺してやんよ。更に、肋骨を一本ずつ下から折り続けて―――」


「しゅ、酒天さん……? まだそんな所にいたんですか?」


「―――ッ!?」


 満月の青白い光に身を委ね、元の自我を放棄して楽しんでいた酒天が、不意に耳に入り込んできた懐かしくも震えている声により、ふと我に返る。

 握っていた両手を反射的に離すと、意識を失いかけている妖怪達が地面へと崩れ落ち、手で砕けた顎を抑えながら出ない悲鳴を上げ始めた。


 気が動転している酒天は、い、今の声は、花梨さんの声……? まさか、何しに戻って来たんだ? ……今の、完全に見られたよなぁ。そうだぁ、丁度いい。こいつらと一緒に拷問にかけて殺すかぁ。……おい、いま何を考えたんだあたしは? やめろ、それだけは絶対にやめろ……!

 と、再び堕ちていく自我を必死に呼び戻し、殺戮と拷問を楽しむ血に飢えたもう一つの自我を、死に物狂いで抑え込んだ。そして、本当の自我が浮き出ている中、酒天が全身に力を込めながら口を開く。


「か、花梨さん……、何しに、戻ってきたんスか……? まだ外は、危ないっスよ……」


「あっ! す、すみません……。部屋には戻ったんですが、窓から外を覗いた時に酒天さんの姿が見えたので、つい……。その二人、苦しんでいるように見えるんですけど、どうかしたんですかね……?」


「ふ、二人……? グッ!?」


 息を荒げている酒天が下に目を向けた瞬間、再び血に飢えた自我に取り込まれ始める。本来の自我が消えぬよう必死に抵抗し、血に飢えた自我と殺し合いを始め、均等に混ざり合っていった。

 そして、半々の自我が混ざった酒天は、花梨に聞こえない小さな声で、地面でもがき苦しんでいる二人に妖怪に、「おい、てめぇら立て」と命令を出した。


 その、熱くも凍てつくようにも感じ取れる命令を聞いた二人の妖怪は、砕けた顎以外につんざくような悪寒が走り、全身から冷や汗と脂汗が同時に出始める。

 すぐさま命令通りに背筋を伸ばして立ち上がると、酒天は、こうべを垂らしつつ二人の間に入ってから振り向き、妖怪達の肩に腕を組んだ。


「こいつらは、ちょっとした知り合いでしてねぇ。久々に会ったんで悪ふざけをコイてた所なんですよぉ。なあ? てめぇら」


 酒天が同意を求めるように尋ねるも、二人の妖怪は茨木童子という妖怪に肩を組まれ、いつ殺されるのか分からない恐怖の状況下にいるせいと、顎に致命的な損傷を受けているせいで、声を発せられず黙って全身を震わせていた。

 返答が無く気に食わなかったのか、酒天は舌打ちをしながら「相槌ぐらいしたらどうだ? 今すぐ殺されてえのなら、話は別だがよ」と、怒り込めながら耳元でボソッと呟く。

 その死の宣告を受けた妖怪達は、体の震えが更に加速し、鈍痛が鳴り響く顎を傷めつけながら口を開いた。


「あうっあっ……。そ、そうです! い、いいいい茨木童子様とは、ちょっ、ちょっとした知り合いでででして! はいっ!」

「ンンンッ! ンンッンッ!」


 顎関節部分が粉々に砕け散り、割れた顎が垂れ下がっていた妖怪も、顎を手で押さえつつ、喉から出ない声を発し、酒天に殺されないように何度も力強くうなずいた。

 その二人の異常である反応を見て、これ以上ここにいるのはマズイと再認識した花梨は、納得したような振る舞いをしながら後ずさりをする。


「そ、そうだったんですね。外に出てきてすみませんでした。それでは……」


「もう外に出てきちゃダメですよぉ~。窓からも絶対に外の様子を伺わないように……」


 逃げるように立ち去る花梨を見送り、永秋えいしゅうの中に姿を消していくと、酒天は安堵のため息を大きくつき、こうべを深く垂らした。

 肩を組まれている妖怪達も、なんとかこの場を誤魔化せた事に対し、申し訳ない程度の安堵がこもったため息を漏らすも、ドスの効いた酒天の「おい、てめぇら」という言葉に、再び身を凍らせる。


「一応念を押しとくがよぉ。いま目の前にいた奴を、襲おうとか考えてたりしねえよなぁ?」


 酒天はそう言いながら、肩を組んで垂らしていた手を、妖怪達の首元へと突き立てた。そして、鋭利に尖った長い爪が、薄い首の皮をプッと音を立たせながら入り込んでいく。

 その爪が、頸動脈の手前ギリギリにまでゆっくりとスライドすると、動いた爪を追い、首の皮が切れて滑らかに開いていく。

 切れた首の皮から現れた、切り裂かれた筋肉から鮮血が滲み出し、首を伝って服へと染み込み、じわじわと服の色を染め上げながら広がっていった。


 微動だ出来ず、言葉も発せられず、勝手に震え立つ体を必死になり抑えつけている二人の妖怪は、両手の指でバツの印を作り、襲わないという意思表示を酒天へと伝える。

 その小さなバツ印をチラッと見た酒天は、不敵に笑い出し、とぼけた口調をしながら話を続ける。


「本当かなぁ? ちょ~っと、信用できねえなぁ~」


 血に飢えた自我に飲み込まれたのか、現状を楽しみ始めた酒天が爪を更に奥へと押し込む。それに応じて深く傷ついた首からは、流れる血の量が溢れんばかり増えていく。

 焦った二人の妖怪は目に涙を浮かべつつ、指のバツを強調するように何度も酒天の前で作り直し、命乞いも含めて救いを求めた。


 あまりに必死な二人の行動を見て、本当の自我が舞い戻ってきた酒天が、最後の力を振り絞りながら口を開く。


「お、お前ら……、早くあたしの目の前から、消えるっス……。あたしがまた飲み込まれる前に、早く……、視界から消えてくれっス……!」


 懇願するように酒天がそう言うと、首に食い込ませていた爪を、赤い糸を引かせながら離していった。

 急に解放された二人の妖怪は、声を上げることなく一目散に駅の方へと走り始め、赤い点々とした道標を残して酒天の前から姿を消した。


 二人の妖怪が目の前からいなくなると、酒天は爪に付着した血を勢いのみで振り払い、忌々しい青白い光を放っている満月を睨みつけた。


「……もう、こんな最悪な気分を味わうのは……、二度とゴメンっス……。……何もかもが中途半端で不完全燃焼だ。ったく、余計にイライラしてきた。満月、てめえのツラは二度と拝みたくねえぜ……」


 二つの混合した自我の意見が合うと、道端に落ちていた石を拾い上げ、青白い満月に向かい全力で投げつけ、「ぶっ壊れちまえ」と、捨て台詞を吐く。

 そして、舌打ちを二回鳴らしてから金棒を拾い上げ、引きずりながら居酒屋浴び飲みへと帰っていった。

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