★19話-2、かつての面影は、どこにも無く

★付きのサブタイは主に、激しいキャラ崩壊・残酷描写ありです。

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 入口への警戒を強めている花梨による、仮初かりそめの明るい宴は止まる事なく続き、日付が変わった真夜中の一時頃。


 この時間まで起きていた事がなかったゴーニャに、抗うことの出来ない強い睡魔が襲い始める。目は既に開いておらず、ウトウトと頭を上下にカクンと揺らしていた。

 しばらくすると完全に睡魔に取り込まれたのか、腕を枕にしてカウンター席で眠りに落ち、静かに寝息を立て始める。


 その赤ん坊のような寝顔を見て、ずっとゴーニャを見守っていた花梨は温いウーロン茶を口にし、入口の警戒を解いてふわっと微笑んだ。 


「とうとう寝ちゃったか、カワイイ寝顔だなぁ。う~ん、もう夜中の一時か。外の物騒な騒ぎは落ち着いたみたいだけど、どうしよっかな?」


 気疲れした花梨が携帯電話で時間を確認し、悩んでいる中。入口をずっと見張っていた酒天しゅてんが、体を伸ばしながら花梨の元へと歩み寄ってきて、ニッと笑みを浮かべる。


「お疲れっスー。いやー、花梨さんの鋭い警戒心をずっと背中に浴びてましたよー。本当にただの人間っスか? 訓練でも積まないと、あんな警戒心出せないっスよー」


「あっ、ごめんなさい! ゴーニャを守る事で頭がいっぱいになってまして……」


「いえいえ、大丈夫っス。あっ、二階を仮の宿泊所にしてるんスけど、泊まっていきますか?」


「あ~……。そうですね、そうします。ありがとうございます」


 提案を受け入れた花梨が席から立ち上がろうとすると、二階へと続く階段から、取り巻きの一人が慌てて下りてきて、命乞いでも始めるような表情をしつつ、酒天に向かって何度も頭を下げながら謝り始めた。


「す、スンマセン酒天様! 今さっき上に行った客で、二階が全部埋まっちゃいました!」


「んえっ!? てめえ、なにやってんだ! あれほど二人分は必ず空けておけって言ったのに!!」


「ヒィッ……! す、スンマセンッ! スンマセンッ!!」


 初めて激怒している酒天を、目の当たりにした花梨が、体をビクッと波立たせるも「ま、まあまあ……」と、恐る恐る止めに入る。

 花梨の不安そうにしている声が耳に入り、落ち着きを取り戻した酒天が頭をポリポリと掻き、店員以外誰もいない一階を見渡した。


「お見苦しい姿を見せて申し訳ないっス……。ん~、一階で花梨さんやゴーニャちゃんを寝かせるワケにもいかないですし、参ったっスねぇ……」


「外もだいぶ落ち着いてきたみたいですし、パパッと永秋えいしゅうに帰っちゃいますよ」


「いや、まだまだ妖怪は出歩いてますよ? とてもじゃないっスけど、外に出るのは危険っス」


「大丈夫ですって。こう見えても私、護身術や格闘術にも精通しているん―――」


「酒天!! てめぇなら満月の光ぐらいワケねぇだろ!! その二人を護衛して永秋に連れて帰ってやれ!!」


 二人の話が進まない会話に痺れを切らしたのか、厨房で盗み聞ぎしていた酒羅凶しゅらきが突然に怒号を上げ、店全体を激しく揺さぶった。

 ケロッとした表情で怒号を全身に浴びた酒天が、その怒号の内容に驚き「ええっ!? あたしがっスか!?」と、怒号の十分の一にも満たない声を上げた。


 不意の酒羅凶の怒号に畏怖した花梨が、耳を塞ぎつつ、「よ、妖怪が満月の光を浴びたら、大変な事になるんですよね? すぐに帰れるので、一人でも大丈夫ですよ……」と、震えた声で意見を申し立てる。

 その花梨をよそに、酒天は苦い顔で天井を見上げ「……まあ、十分程度ならなんとかなるっスかねぇ?」と、当てにならない予想をつけると、持っていた金棒を肩に置き直し、にんまりと笑みを浮かべた。


「うっし、分かりました! それじゃあ花梨さん、永秋まで護衛するんでパパッと行きましょー」


「えっ!? だ、大丈夫なんですか?」


「ええっ、大船に乗ったつもりで任せて下さいっス!」


「そ、そこまで言うんでしたら……。すみません、よろしくお願いします」


 酒天の熱意に負けた花梨がお礼を言うと、いそいそと帰りの準備を始めた。飲む事の無かった剛力酒ごうりきしゅをリュックサックにしまし、二万円ギリギリに足りた会計を済ませる。

 一緒になり怒号を浴びたのにも関わらず、すやすやと眠っているゴーニャを起こさぬよう抱き上げ、酒天と共に、満月の光が支配している温泉街へと出ていった。


 夜空に佇んでいる満月の青白い光で、妖々しく照らされている大通りに、妖怪の姿は微塵の欠けらも無い。

 数時間前に聞こえてきていた、地獄を思わせる罵詈ばり雑言ぞうごん阿鼻叫喚あびきょうかんは嘘ように、不気味に静まり返っていた。


 その不気味の静寂の中。花梨が先頭を行き、背後から酒天が周りを警戒しつつ、早足で永秋へと向かい始める。

 しかし、外を出て十秒もしない内に、花梨の背後から「ングゥゥッッ!?」と酒天の声と思われる、重苦しくも掠れた呻き声が聞こえてきた。


 花梨は慌てて後ろを振り向くと、金棒を地面に突き立てながら寄りかかり、垂れているこうべを血管が大量に浮き上がっている手で覆い隠し、背中から薄っすらと湯気を発している酒天の姿があった。

 只事ではないと察した花梨が足を止め、苦しんでいる酒天の元に慌てて駆け寄り、その場にしゃがみ込んだ。


「だ、大丈夫ですか酒天さん!?」


「あぁっ? ……あっ。ああ……、大丈夫、ですよ。今のは……、腹の虫かなんかです。気にしないで、ください……」


「は、腹の虫? いや、今のは明らかに酒天の声―――」


「いいから、黙って前を向いて、歩いてください。いいですか? 絶対・・に後ろを・・・・振り向かず・・・・・……、黙って・・・前だけを・・・・向いて・・・歩いて・・・ください・・・・


「うっ……。は、はい……、分かり、ました……」


 思わず言葉を失った花梨は、忠告とも警告とも取れる酒天の言葉の中に、強烈で純粋なる殺意が含まれている事に感づいた。

 そして、その底知れる殺意は花梨に向けられているようで、苦しんでいる酒天が必死になり、抑え込もうとしているのも同時に感じ取っていた。


 これ以上声を掛けると、迷惑を掛けるだけだと察して黙って立ち上がり、酒天の言う通りに前を向く。そして、背中を一秒ごとに突き刺してくる殺意に耐えながら、ゆっくりと歩き始める。

 背中が殺意でズタズタに引き裂かれ、流血しているような錯覚を起こしている中。花梨は、これが、これが満月の光の恐ろしさ……。甘かった、軽く見過ぎていた……。早く永秋に帰らないと酒天さんが危ない……。と、己に迫っている身の危険よりも酒天の身を案じ、歩く速度を早めていく。


 時折背後から、唸り声を思わせる殺意のこもった呼吸音の他に、何かを力強く握り締めているようなギチギチッという、身の毛がよだつ鈍い音が耳に入り込んでくる。

 それが、金棒を握り締めている音なのか、己の顔を握り締めて発せられている頭蓋骨の悲鳴なのか、後ろを振り向けない花梨には知る術はなかった。


 背中を襲う殺意と、不穏な音で精神を擦り減らしている花梨が、ゴーニャが寝ていてくれて本当によかった……。いまゴーニャが起きていて、後ろにいる酒天さんの状況を見ていたら、印象がものすごく悪くなるだろうし、何より泣くほど怯えていたに違いない……。と、あくまで己の身ではなく、酒天やゴーニャの事を思いつつ足を進める。


 この温泉街に来てから何度も通り、歩き慣れつつある十五分程度の帰路が、永遠と思えるほど果てしなく長く感じてしまい、有り余っている体力と弱っている精神力が、一歩足を進めるたびに容赦なく削れていく。

 そして気がつかないうちに、誰かに水をかけられたのかと疑うほど全身から汗が吹き出しており、はち切れんばかりに暴れている心臓の鼓動が、酒天を刺激しないか不安になるほど轟音で鳴り響き、頭が朦朧としていった。


 先ほどまで、なんの気兼ねもなく普通に会話が出来た妖怪を、見るも無惨な姿に変貌させた満月の光は、容赦無くかつ絶え間なく、酒天を照らして蝕み続けていく。

 幸いにも、他の妖怪と鉢合わせることなく永秋に辿り着く事が出来て、体力と精神力が限界を迎えていた花梨が入口前で立ち止まり、酒天よりも乱れていた呼吸を整えつつ、そのまま口を開いた。


「しゅ、酒天さん……。やっぱり、後ろを振り向かない方がいい、ですよね……?」


「あたしがさっき言った言葉を、もう忘れたんですか? 何回も同じ事を言わせないでくださいよ」


「あうっ……。そ、そうでしたよね。すみませんでした……」


 背後から聞こえてきた怒りを含んだ返答は、先ほどと打って変わり不気味な程に落ち着いていた。しかし、安直な質問を投げかけたせいか、怒りが追加された殺意はより色濃く、より鋭利な物へと変わり、体を舐めるように切り刻んでいった。

 花梨が酷く困惑している中。余計な事を言えば間違いなく殺されると確信し、汗まみれの顔を歪めつつ話を続ける。


「ご、護衛……、本当にありがとうございました。酒天さんも、早めにお帰りになられてくださいね?」


「お気遣いどうも。それでは、お気をつけて。そのちっこいガキにも、よろしくと伝えといてください」


 ゴーニャをガキと言い放った酒天の言葉に、胸に今まで感じた事のない痛みが走った花梨は、ああ……、いまの酒天さんはもう、私の知っている酒天さんじゃない……。あのまま無理にでも、居酒屋浴びに泊まっておくべきだった……。と、奥歯をギリッと噛み締め、深い自己嫌悪と後悔の念の駆られた。

 これ以上ここにいると、別の意味で身が持たないと思い、震えたため息をついた後。花梨が別れの言葉を告げる。


「……はい、起きたら伝えておきますね。酒天さんも、お気をつけてお帰りくださ―――」


「そんなのはいらねえんだよ。ウゼェからさっさと中に入って、早くあたしの視界から消えろ」


「―――ッ……。……はい、分かりました……」


 遮ってきた酒天の拒絶の言葉により、花梨は別れ際にトドメを刺され、頭が真っ白になり何も考えられなくなる。

 そして、思わず滲んできた涙を堪えつつ、酒天に顔を合わせぬまま、こうべを垂らして薄暗い永秋の中へと入っていった。

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