59話-2、自爆した女天狗による、仕返しの本音

 目的地である『カタキラ』の店の前まで来た一行いっこうは、ピンク色の暖簾のれんを潜りつつ扉を開け、中へ入っていく。

 入った途端に突き当りになっており、店の軒先のきさきにも装飾されていた、片耳が無い豚の赤い顔の絵が一行いっこうを出迎える。


 左側は壁になっているので右側に進むと、すぐにカウンターになっていて、そこには人間のように二足歩行で立っている片耳の無い豚が、ふくよかな笑顔をしながら立っていた。


 その人間の姿に近い豚は、生地が薄くて黒いTシャツを着ており、気合を入れる為か、頭に白い捻りハチマキを巻いている。

 人当たりが良さそうな糸目であり、時折、鼻をフゴッと鳴らしている店員らしき豚が、店内に入ってきた一行を目にするや否や、軽く会釈をしてから糸目を微笑ます。


「いらっしゃいませー。おさ殿、今日は部下達を率いてのご来店ですか」


「あっ、ああ、そうだ。女天狗三人、座敷童子一人の四人だ。いつもの『翼席』で頼む」


「へぇーっ、座敷童子! こりゃ珍しい客だ! 翼席ですね。それじゃあ二階にご案内します」


 目を丸くして声を上げた店員がそう言うと、カウンターから出て、一行を二階にある席に案内し始める。

 終始キョトンとしていた花梨は、店員とクロの後に続いていきながら、店内の様子を眺めてみた。


 店内の明かりは全体的に、心が安らぐ淡いオレンジ色をしており、主な明かりは提灯が灯しているようであった。

 その明かりが映えるようにか、壁や天井付近にある柱は光沢のある黒に塗られていて、床だけは焦げ茶の木材が使用されている。


 各々のテーブル席や座敷席は全て、壁で仕切られた個室になっており、分けられた空間内では、客である妖怪達が和気あいあいと料理をたしなんでいた。

 足を歩ませながらテーブルの上を見てみると、どの席にも似たような料理が並んでいる。


 テーブルの中央には、ステンレス製の鍋や土鍋。その周りを囲んでいる皿には、一枚が大きい豚肉や各野菜。そして締めで食べるのであろうか、うどんが置かれていた。

 豚肉と野菜、その他食材を見てとある料理を連想すると、花梨の期待度は最高潮を迎え、再び腹の虫を大きく鳴らしつつ二階へと進む。


 二階に着くと、一階と構造が同じである通路を少しだけ歩き、『翼席』と札が貼られた席に案内される。

 店員が「こちらです」と手をかざすと、クロはまといを奥の席に座らせ、花梨も見習うようにゴーニャを奥に座らせると、二人は手前の席に腰を下ろした。


 翼席は、背中に翼が生えている妖怪が楽に座れる作りになっていて、背もたれ部分は翼が当たらないよう細く、その背もたれの奥には、翼を入れられる穴が開いている。

 翼が引っ掛かることなく、ごく自然に座れた事に対して花梨が感心していると、店員が数冊のメニュー表をテーブルの上に並べていった。


「メニューが決まったら、そこにある呼び鈴ボタンを押して店員を呼んでください。いま、お冷とおしぼりをお持ちします」


 そう言い残し、去っていく店員を見送った花梨は、メニュー表を取ろうとしているクロに視線を移す。


「クロさん。このお店って、もしかして……」


「ふっふっふっ、お前が想像してる通りだろう。この店は……」


 不敵に笑ったクロが持っていたメニュー表を開き、とあるページに差し掛かると、花梨達にも見えるようにテーブルに置いた。

 そのメニュー欄には、ここに来る途中にも何度か見た豚肉が載っており、花梨の予想が確たるものへと変わる。


「高級しゃぶしゃぶ専門店、だ」


「やっぱり! うわぁ~、しゃぶしゃぶなんて何年ぶりだろう~」


「しゃぶ、しゃぶ?」


 初めて耳にする単語に、ゴーニャが反応して首をかしげると、黒い瞳を輝かせていた花梨が、右手で空中に八の字を描きながら説明をする。


「しゃぶしゃぶって言うのは、豚肉をお湯や出汁だしに通して、色々なタレを付けて食べる料理さ。美味しいよ~」


「へぇ~、おいしそうねっ!」


「今日は私の奢りだ。値段なんか一切気にせず、たーんと食え」


 クロが二人の会話に割って入ると、花梨の目が提灯の明かりよりも眩く煌めき、バッとクロの方へ振り向いた。


「やったー! ありがとうございます、クロさん!」

「ありがとっ、クロっ!」

「ありがとうクロ、いっぱい食べる」


 クロの嬉しい一言により、三人の食に対する士気がうなぎ登りで舞い上がり、一斉にメニュー表を眺めようとした途端。

 いつの間にか、お冷とおしぼりを持ってきていた店員が横におり、テーブルの上におしぼりを並べながらクロに横目を送る。


「長殿、部下の教育がなっちゃいないですよ? さん付けとか、呼び捨てで言ってますが、怒らないんですかい?」


「へっ? あっ、いや、その~、あ、あれだ……」


 店員の至極真っ当な説教に、落ち着きを無くしたクロは、目を泳がしつつ話を続ける。


「こ、こいつらは〜……、私の、娘、なんだ」


「長殿に子供さんがいたんですかっ!? はあ~、こりゃ失礼致しました。お嬢ちゃん達、お母さんとここに来れて嬉しいかい?」


 唐突に、クロの嘘に巻き込まれた花梨とゴーニャは、酷く困惑し「えっ……?」と、同時に掠れた声を漏らす。

 何かを話そうとして必死に考えるも、この場を凌げそうな言葉が思いつかず、焦っている瞳でクロに無言の助けを求めた。


 しかし、当本人も立場上引き下がれないでいるのか、大きな口パクで二人に「は・な・し・を・あ・わ・せ・て・く・れ」と、嘘を真に仕立て上げようとしていた。

 逃げ場が完全に無いと悟った花梨は、口元をヒクつかせて店員に目を戻すと、後頭部に手を当てながら苦笑いをする。


「そ、そうですね~。お母さんとここに来るのは初めてなので、とても楽しみです」


「ぶっ!」


「私もっ! お母さんに、たーんと食べなさいって言われたわっ」


「ぶふぉっ!」


 花梨とゴーニャがお母さんと口にする度に、クロは飲もうとしていた水を盛大に噴き出し、顔をトマトよりも色濃く赤らめ、身震いしながら真っ赤な顔を両手で抑えた。

 クロの子供達から感想を聞けた店員は、糸目をニッコリとさせ「そりゃよかったですね。それでは、ごゆっくり」と嬉々に告げ、その場から立ち去っていく。

 突発的な難を逃れた姉妹は、同時に安堵のため息をつくと、花梨がテーブルに突っ伏しているクロに顔を向ける。

  

「く、クロさん、大丈夫ですか?」


「お、お前ら……。次からはお母さんって、言わなくて、いいぞ……。わ、私には、刺激が強すぎる……」


 その、珍しく悶えて震えているクロの言葉に、花梨のイタズラ心に大きな火がつき、ニタリと不気味に笑う。

 そして、ねっとりと口角を上げている顔を、じりじりとクロに寄せつつ、追い打ちをかけるように口を開いた。


「あれれぇ~、どうしたんですか急に~? お母さんっ」


「グッ!? い、言うなぁ〜……。こう全身が、ムズムズしてくすぐったくなってくるんだよぉ……」


「うぇっへっへっへっ。ゴーニャも何か言ってやりなよ~」


「私も? えと、お母さんっ」


「ぶはっ!」


 既に、顔を上げられない程までに弱っていたクロは、全身に熱を帯びたのか、露出している肌が全て赤く染まっていく。

 そのまま最後の力を振り絞り、小刻みに震えている腕でバツの字を作った後。その腕はテーブルの上に崩れ落ちていった。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






「んぎゃぁああああーーーッッ!!」


 姉妹がクロをいじり倒した三分後。


 全身の震えが止まって落ち着いてきたクロは、ニヤついている花梨の柔らかい頬を、限界まで引き延ばして逆襲を始めていた。

 様々な環境音が飛び交っている店内に、花梨の悲痛な断末魔が数分間加わり、だんだんと力なく消えていくと、再び賑やかな店内に戻っていく。

 断末魔の発信源である花梨は、テーブルに突っ伏しながらピクピクと痙攣しており、肩で呼吸をしていたクロが席に腰を下ろした。


「ったく、調子に乗りやがって」


「ほ、本当に、申し訳ございません、でした……」


 未だに頬を赤らめているクロが、腕を組みつつ鼻をフンッと鳴らし、小さなため息をつく。


「まあ、私がついた嘘が原因なのも事実だ。これぐらいで勘弁しといてやろう」


「あ、ありがたき……、幸せ……」


「さてとだ。気を取り直して、さっさとメニューを決めちまうぞ」


 頬をつんざく痛みが引いていない花梨が、両頬が赤く腫れている顔を上げると、全員揃ってメニュー表に目を通す。

 メインメニューは『松・竹・梅』とランク付けされていて、更にそこから『特松・特竹・特梅』、最上級ランクに『豚松・豚竹・豚梅』とあった。


 他にもサイドメニューに、小腹に嬉しいおつまみ。メインメニューのバラ売りで、一品料理などが選べるようになっている。

 追加料金でドリンク、酒飲み放題、サラダバー食べ放題も選べ、目が高速に動いている花梨が、豪快に腹の虫を鳴らした。


「一番最低ランクの梅はっと、……一万円っ!? はえ~、流石は高級店だなぁ」

「とく、って読むのよね。特梅でも三万円するのね。すごく高いわっ」

「豚松は十万円。内容が豪華だけど金額もすごい」


 三人は破格の金額におののいてしまい、奢りというワケで手が出せるハズもなく、一品料理が載っているページを捲ろうとすると、黙っていたクロがおもむろに呼び鈴を押した。

 すると、すぐさま店員がテーブルの元へ訪れ、胸ポケットに入れていた伝票を開き、糸目をクロにやる。


「ご注文をどうぞ」


「豚松四人前、全部大盛りで頼む」


「ええっ!? ちょ、クロさん!? わ、私はただの梅でいいです!」

「わ、私もっ!」

「私も」


 花梨の慌てて訂正する叫び声に、ゴーニャと纏も後を追うも、それらを遮るようにクロが注文を続ける。


「いや、いま私が言ったのでいい。頼んだぞ」


「豚松四人前、全て大盛りですね。かしこまりました、少々お待ちください」


「あっ、ちょっ! ……えぇ~」


 花梨が手を伸ばして店員を止めようとするも、その店員はそそくさと一階に下りていき、あっという間に姿を消した。

 唖然としていた花梨が、脱力するように席に座ると、あんぐりと開いている目と口を、りんとした表情をしているクロに移す。


「く、クロさん、本当にいいんですか? 大盛りにすると、ごっ、五十万円以上になっちゃいますよ……?」


「だからどうした?」


「いやっ、その~……。わ、私は払いま、イダッ!」


 腰を抜かす金額に戦慄している花梨が、一緒になって支払うと宣言しようとするも、クロの鋭いデコピンが先に、花梨のひたいを襲う。

 思わず顔が仰け反った花梨は、目に涙を浮かべながら額を擦ると、クロは凛とした表情を崩し、ふわっと微笑んだ。


「いいか? 今日はお前らに美味い物を食ってほしくて、私が一方的にここに誘ったんだ。言わば、私の幼稚なワガママであり、大きな願望でもある」


「はぁ……」


「だから、お前らは金額も何も気にしないで、美味しく料理を食ってくれればそれでいい。それが、今日の私の幸せだ」


「で、でも~……」


 まったく腑に落ちず、納得していない花梨が口を開こうとするも、クロは言い包めるように花梨の頭に手をポンッと置き、優しく撫で始める。


「お前は私にとって、大切な愛娘のようで、我が子当然の特別な存在なんだ。いいから黙って食え。なっ?」


「はぇっ!?」


 クロの突然の告白に驚愕した花梨は、自分でも恥ずかしく思うような甲高い声を漏らし、頬を赤らめながらこうべを垂らしていく。

 例え相手が妖怪であろうとも、目上の人から特別な愛情を貰う機会は、田舎で一緒に暮らしていた祖父ぐらいなものであり、花梨の心がくすぐられたようにムズ痒くなっていった。


 温かみのある手で撫でられている頭が、だんだんと心地よくなっていき、顔の火照りが更に増していく中。

 目に薄っすらと涙を溜めている花梨が、モジモジとしながら潤んだ上目遣いをクロに向ける。


「ず、ズルいですよぉクロさん……。さっきの仕返しに、そんな事を言うなんて……」


「仕返しだぁ~? 違う違う。これは、ちゃんとした私の本音だぞ」


「ふぇゃっ……。うっ、うう~っ……」


「ゴーニャと纏もそうだぞ? お前らも臆さず、たーんと食ってけな」


 本音だと言い切ったクロの言葉に、今まで感じた事のない嬉しさが全身を駆け巡り、花梨の体がふるっと震える。

 その複雑な嬉しさを存分に噛み締めてしまい、最終的に観念した花梨は「ひゃっ、ひゃい、分かりまひた……」と、ろれつの回っていない小さな返答をした。


「はっはっはっ。なにいっちょ前に照れてんだよ、可愛い奴め」


 クロが母性のある温かな笑みを浮かべると、調子を完全に狂わされた花梨は恥じらいつつも、ぎこちない満面の笑みをクロに返した。

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