59話-3、料理に飲まれる四人

 クロから特別な愛情を受け取った花梨が、未だに顔中を赤く火照らせ、幸せに満ちた胸の高まりを感じている中。

 片耳が無い豚の店員が宴に備え、テーブルの上に道具を揃えていき、淡々と準備を進めていく。


 席には四人居るという事で、テーブルの中央に大きなコンロが設置される。その上に、茶色く透き通った出汁だしが入っている土鍋が置かれ、コンロの火を点けた。

 土鍋の中にある出汁が、ふつふつと音を立たせて沸いてくると、次に店員は、肉以外の具材が盛られた皿をテーブルに並べていく。


 花のように飾り切りされているニンジン。傘が丸々太ったシイタケ。箸で持つと、崩れてしまいそうな繊細さがあると思わせるエノキ。

 目から入る情報でも、美味しい歯ごたえがあると確信できるネギ。葉が厚く、存在感が際立った白菜。またたく間に出汁が染み込み、甘さを強調させていきそうなイチョウ切りされた大根。

 既に、大豆のほのかな匂いを発している木綿豆腐。透明度が高く、みずみずしさがあるくず切り。しゃぶしゃぶのお供にと、丼ぶりに山のように盛られたご飯。


 四人分の具材を並べ終わったかと思うも、更に前菜として一品料理が姿を現した。


 塩焼きされた大ぶりの車海老。水揚げされたばかりなのかと疑うほど、鮮度が高い各刺身。箸休めにと、お麩が浮いているお吸い物。

 大皿に盛られた、爽やかな匂いが漂ってくるシーザーサラダ。カリカリに揚げられている、細いポテトフライ。

 そして今回の主役である、葉脈のようにきめ細かな白い脂が張り巡らされている、厚く切られたシャトーブリアン。


 テーブルの上に隙間なく皿が敷き詰められると、店員が糸目を微笑ましてから会釈をした。


「まだまだ前菜がありますので、皿が空いたら呼んで下さい。肉も一人三回に分けて持ってきますので、こちらも各々皿が空いたら呼んで下さい」


 店員の説明に、ふと頭に疑問が浮かんだクロが、りんとした顔を店員に向ける。


「なんで肉まで分ける必要があるんだ?」


「室温で脂が溶け出してしまうんですよ。常に新鮮な物を食べてもらいたく、それゆえの対応です。ご了承下さい」


「はあ~……、そりゃすごいな。分かった、ありがとう」


「それでは、ごゆっくりどうぞ」


 説明を終えた店員が再び会釈すると、別のテーブルの対応をする為か、胸ポケットから伝票を取り出しつつ姿を消した。

 ただただひたすらに、料理が出てくるのを黙って呆然と眺めていた花梨が、目をパチクリとさせながら口を開く。 


「はえ~……、全部の料理が高級そうに見えてくるや」


「特に肉がすごいな。一回お前達にもシャトーブリアンを出した事はあるが、それよりも質が高そうだ」


 腹をすかせている四人が、豪華絢爛なテーブルに目が釘付けになっていると、脂が溶け始めたのか、シャトーブリアンに薄っすらと光沢が出来始める。

 他の料理に気を取られていた花梨が、その勿体ない姿を目にした途端「あっ!」と声を上げ、シャトーブリアンに向かって指を差す。


「クロさん、もう脂が溶け始めてますよ!」


「げっ、早いな。それじゃあ食うか、いただきます」


 クロが慌てて宴の号令を唱えると、三人も声を揃えて個性のある号令を唱え、一斉に箸を手に取った。

 四人の目的は、もちろんシャトーブリアンであり、既に脂がしたたっている一枚が大きい肉を持ち上げ、土鍋の中に入れる。


 沸騰している出汁に通した瞬間、みるみる内に色が変わっていき、レアでも食べられると判断した花梨は、すぐさま出汁から引き上げた。

 そして『カタキラ』特製のタレを少しだけ付け、胸の鼓動を弾けんばかりに早めつつ、ゆっくりと口の中へ入れる。 


 一回一回しっかりと、後悔しない為に噛み締めていくと、肉質が柔らかいせいか、歯切れが良過ぎるせいか、雪を口にしたような錯覚さえ起こすほどスッと溶けていった。

 雪が解ければ水に変わるように、シャトーブリアンもまた、旨味を凝縮させた大量の肉汁へと変わる。


 咀嚼そしゃくを繰り返す度に、くどみが一切無いサラサラした肉汁が溢れ出し、その肉汁は止まる事を知らず、飲める量にまで増えていく。

 鼻から呼吸をすれば、今まで味わった事のない上品な風味が顔を出し、儚い思いを残しつつ消えていった。


 そして、その一口目を余すことなく存分に堪能し、苦渋の決断で飲み込んだ花梨は、情けないほどまでに表情が緩み、口を大きくポカンとさせる。


「……なんて言えばいいんだろう? なんか、もう、美味しいとしか言えないや……」


「確かに。本当に美味いもんを食うと、何も言えないな……」


「おいひっ……」

「……」


 クロもゴーニャも、味の感想を述べようとするも、未知なる風味にただ呆然としてしまい、まといに至っては、虚ろな目で惚けながら天井を見据えていた。

 そこから四人はまともに会話をせず、目の前にある肉や具材を黙々と消化していく。


 心身共に緊張しているせいか、はたまた普段食べ慣れていない物を食べているせいか。

 女天狗三人と、座敷童子一人が囲んでいる翼席は、出汁が沸騰している音だけが鳴っている。

 時折、皿に箸が当たる音や、呼び鈴の音が鳴り響くも、呼び鈴を押した本人以外は、無反応で食べ進めていた。 


 環境音しか聞こえてこない食事風景に、だんだんと痺れを切らしてきたのか、三皿目の肉に手をつけたクロが三人を睨みつける。


「……あのよ、蟹を食ってるワケじゃないんだぞ? なんでこうも、みんな黙ってるんだ?」


「あっはははは……。場の空気に飲まれていたと言うか、料理に圧倒されていたと言うか……」

「なんか、ちゃんとして食べないとダメな気がして……」

「ずっと緊張してた」


 静寂が佇んでいた空気をクロが破ると、便乗するように花梨とゴーニャ、纏が続く。


「まあ、お前達が言ってる事は痛いほど分かる。実際、この私もそうだったからな。なんかこう~、私が思ってたのとは違うんだよなあ……」


 拍を付ける為とかではなく、ただ単純に料理を楽しんでもらいたかったクロにとって、今の状況はまったく予期せぬものであり、肉を食べ進めながら頭を悩ませていく。


 そのまま、流石にこの値段はやり過ぎたか? 美味い物を食わせてやれても、楽しくなけりゃ意味が無い。……だとすると、逆の事ををすればいいのか? と、反省を交えつつ思案する。

 更にクロは、逆の事。いま、高くて美味くて体に良さそうな物を食べた。なら、安くて普通以下で体によろしくない物を食べる。そうすりゃあいいか。と決定づけ、「おいお前ら、ちょっと話がある」と口にし、周りの注目を集めた。


「腹はまだへってるか? へってるなら、この後二件目に行きたいんだが」


「私は大丈夫ですよ」

「私もっ」

「二人に同じく」


 食欲魔である三人が、クロに二件目も行ける意気込みを見せると、先陣を切って口にした花梨が話を続ける。


「二件目は、どこに行くんですか?」


「どうすっかねえ。和気あいあいとしてて、色んな物が食べられる場所がいいな。……駅の近くにある、ショッピングモールのフードコートなんてどうだ?」


「ショッピングモールっ!!」


 クロの提案に対し、過剰なまでの反応を示したゴーニャが、声を張り上げつつ立ち上がるも、驚いた三人の視線によってハッとし、気まずい顔をしつつ席に腰を下ろした。


 三人の中で唯一纏だけは、その反応を意味するものを知っており、ヒヤリとしながらも口元をニヤつかせる。

 同時に、ゴーニャの反応に何か裏があると勘づいたクロが、人知れず眉を跳ね上げ、残っている料理に箸を伸ばした。


「んじゃ、二件目は決まりだな。さっさと食っちまうぞ。だが、味わいつつ楽しんで食ってくれな」


「き、気をつけます……。それにしてもゴーニャ、ショッピングモールで何か欲しい物でもあるの?」


「はにゃっ!?」


 花梨の何気ない問い掛けに、ゴーニャの小さな体が翼ごと大きく波を打つ。

 助けを求める為に纏に顔を向けるも、本人はシャトーブリアンの味に酔いしれ、精神が別世界に旅立っており、窮地に立たされたゴーニャは、焦点が定まらないでいる目を花梨に戻した。

 

「えぁっ、その……。花梨が色々買ってくれた、ショッピングモールにぃ……、また行けるんだなって、思って……、つい……」


「ああ、なるほどねぇ。また何か欲しい物があったらどんどん言ってね。なんでも買ってあげるから」


「わ、わーい……、ありがと花梨っ。でも、今は大丈夫、かも……」


 片や、何も知らずにふわっと微笑み。片や、顔中を引きつらせてぎこちない笑顔を送る。

 その中で、別の意味でショッピングモールに行くのが楽しみになったクロは、二人の会話を聞きながら不敵な笑みを浮かべた。

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