59話-1、クロと女天狗姉妹の、食いだおれ出張。その1
空の頂点を陣取っていた太陽が、その地位を月に譲る準備を始めた、午後二時頃。
女天狗の
下を覗いてみれば、地平線の彼方まで続く雲海の隙間から、緑が少ない冬の山肌が垣間見える。
青というよりも紺色に近い空を見上げてみると、力強く輝いている太陽がポツンとあり、僅かながらも寂しそうにしていた。
辺り一面に広がっている雲海は、ほぼ途切れる事なく連なっているも、箇所によっては形の個性が激しく、まるで一貫性がない。
穏やかな傾斜があると思えば、すぐ横にデコボコの小さな山が続いている。
更には平坦で歩けそうな場所もあれば、荒波が立っているような地帯もあり、花梨の黒い瞳がひっきりなしに泳いでいく。
飛行機に乗れば見れる景色であるが、己の体のみで空を飛び、三百六十度自由に見渡せるのはまったくもって体験した事がなく、天狗の姿でしか味わえない新しい刺激を、余すことなく堪能していく。
胸が飛び出さんばかりに激しく弾み、絶えず肌で感じている風が熱くなるほど興奮していると、ふと、どこに向かって飛んでいるのか気になった花梨は、
「クロさーん。私達って、いったいどこに向かって飛んでいるんですか?」
「現地に着いたら教えてやるよ。それよりも今は、空の旅を思う存分楽しめ」
無邪気な笑みを送ってきたクロが、焦らすように返答すると、クロの懐で身を隠していた纏が、口をガタガタとさせながら「さ、寒い」と、文句を垂らす。
「ああ、すまん。もう少しで着くから、我慢しててくれ」
「そう言えば、こっちは冬でかなり高い上空を飛んでいるのに、まったく寒さを感じないや」
「天狗の体は便利だろう? どうだ? やっぱり次の
「いやっ、遠慮しときます……」
隙あらば花梨を女天狗一族の次期長として薦め、ことごとく失敗しているクロは、「やはりダメか……」と諦めるように愚痴を零す。
そこから各自は空の旅を楽しみ、様変わりしていく雲海を眺めては色々な食べ物に例え、腹の虫を鳴らしていく。
頭の中が食べ物だらけになった花梨とゴーニャは、共に想像と妄想の世界へ旅立ち、色が白い料理を
雲海の隙間から覗いている色付いた景色を見て、クロが「おっ」と声を出した。
「そろそろ目的地上空だな。お前ら、早く変な世界から帰ってこい。急降下するぞ」
「へっへへへっ……。このラーメンのチャーシュー、無限に増殖す……、ハッ!?」
「うふふふっ……。この味噌煮込みうどん、いくら食べても減らな……、ふえっ?」
ヨダレの雨を降らせていた二人が、現実世界に帰還した事を確認したクロは、翼を半分ほど折り畳み、体を地面に向けて一気に傾け、風を切り裂きながら急降下を開始する。
その姿を目にした二人も、クロを追いかけるように急降下を始め、甲高い風切り音を立たせつつ地上に向かっていった。
凄まじい速度で厚い雲海に突っ込み、視界が白に支配されたかと思うとすぐに抜け、辺り一帯に群生しているビル群が現れる。
真上から見たビル群は、ほぼ灰色一色で個性がまったくなく、雲海に似ている景色ではあったが、こちらの景色はまったく胸が躍らず、つまらなささえ感じてしまった。
先に急降下をしたクロは、既にとあるビルの屋上を目指して降り立つ体勢に入っており、二人もその後を追い、クロが降り立ったビルの屋上を目指していく。
そして、無事にビルの屋上に降り立って合流すると、纏の体を温めるように抱きしめていたクロが、鉄柵に向かい歩み出す。
「よし。あとはこのビルの隙間に下りて、ほんの少し歩けば目的地に到着するぞ」
「おおっ! ……おっ? かなり狭くて入り組んでそうですけど、何があるんですか?」
「ふっふっふっ、それは行ってからのお楽しみってヤツだ。行くぞ」
焦らし続けて楽しんでいるクロは、いやらしく口角を上げると、鉄柵を飛び越えてビルの隙間に下りていった。
花梨とゴーニャは、お互いに顔を見合わせてから首を
陽の光を遮る薄暗いビルの隙間に降り立つと、クロは手招きをしながら奥へと進んでいき、二人は顔をキョトンとさせるも、その背中を追って足を運ぶ。
花梨が言った通りに、ビルの隙間はかなり入り組んでいて、人がギリギリすれ違う事が出来るぐらいの狭い道を、淡々と進んでいく。
突き当りの圧迫感がある丁字路に来ても、クロは迷う事なく曲がっていき、二人はクロの姿を見失わないよう、駆け足で追いかけていった。
時折、中身が散乱しているごみ袋を跨ぎ、突如として現れたネズミを目にし、悲鳴を上げつつ進んでいくと、急に開けた空間に出る。
しかし、その空間には店はおろか一切何も無く、外から流れてくる都会の喧騒が反響し、コンクリート製の壁に吸い込まれていっているだけであった。
灰色の壁を伝って見上げてみれば、限りなく狭い正方形の空が見え、周りにある灰色の壁が一緒に目に入っているせいか、流れている青と白の色が、より一層際立っている。
その何も無い空間を見渡していたクロが、小さく
「よし、着いたぞ」
「着いたって……、何もありませんけど?」
「これから出現させるのさ。こっちで営んでる妖怪の店は、何かとクセがあってな。店によって出現させる条件があるんだ」
「出現、させる? いったいどうやってですか?」
首を傾げた花梨が、不思議に思いながら問い掛けると、クロは左右の壁際に目を向けてから説明を続ける。
「ここは、左右の壁際に丸く描かれたシミがあるんだ。そのシミを正面から見て左側からタッチして、次に右側のシミをタッチする。これを三回繰り返せば、この空間の真ん中に店が現れるぞ」
「はえ~。なんか、召喚をする儀式みたいでカッコイイですねぇ」
「あっ、う~ん……、すまん。出現させると言うよりも、別の空間に移動すると言った方が正しいな。人間で言うところの、神隠しみたいなもんだ」
「えっ? な、なんか急に例えが怖いんですけど……」
説明を聞いていた花梨が
「秋国に行ってるのも、一種の神隠しみたいなもんだぞ? 今さらビビるなって。それじゃあ始めるぞ、まずは左側からだ」
三人に向かって指示を出すと、花梨達は慌ててクロの後を追って歩み始める。左側の壁の近くまで来ると、説明通りに高い場所に丸いシミがある。
クロが先行し、丸いシミをタッチして右側の壁に向かうと、花梨がシミをタッチしてからゴーニャと纏を抱え上げ、丸いシミにタッチさせた。
同じ行動を二度繰り返し、三往復目の右側の壁まで来ると、その前で待っていたクロがシミを見上げる。
「最後は四人同時に触るぞ。一緒に移動した方が、なにかと安心するだろ?」
「ですね、そうしましょう」
そう決めたクロは纏を、花梨がゴーニャを抱えると、四人同時に最後の丸いシミをタッチする。
すると、薄暗かった辺りの空気が一変し、薄暗さの中に一瞬だけ濃い紫色が混ざり込んだかと思うと、急に明るいざわめきが聞こえてきた。
都会の喧騒とは、また違うざわめきを耳にした花梨が振り返ってみると、いつの間にか空間の中央に、一件の大きな四階建て以上はあろう店が建っていた。
突如として現れた建物は、和を全面的に強調した屋敷のような外見になっている。
屋根は、城を彷彿とさせる立派な瓦が敷き詰められており、各
店の入口の上に看板があり、カタカナで『カタキラ』と艶のある太い黒文字で記されている。
まるで魔法のような光景を目の当たりにした花梨が、心の底から驚愕し、口を大きくポカンとさせ、その『カタキラ』なる店に目を奪われた。
「本当に店が現れたっ! すごいなぁ〜、どういう原理なんだろ?」
「ここが私が言っていた、とっておきの店だ。さっ、たんまり食うぞ~」
「食べると言う事は、……まかさ、料理店!? おおっ、楽しみだなぁ~」
「やったっ! もうお腹ペコペコだわっ」
「やっと寒くなくなってきた」
旅の全貌が見えてきた三人は、思わず腹の虫を仲良く鳴らし、先に歩み出したクロの後を追いかけていく。
店に近づいていく度に明るいざわめきが大きくなっていき、それと呼応するかのように、三人の胸の高鳴りも大きくなっていった。
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