58話-3、女天狗による飛行講習

 冗談半分で花梨を次期おさにしようとし、断られたせいで暴走が収まってきた女天狗のクロは、飛べない天狗である花梨とゴーニャを目の前に整列させると、咳払いをしてから二人に顔を向けた。


「よし、それじゃあ始めるか。まずはお前ら、翼は動かせるか?」


「翼、ですか。やってみます」


 クロの注文に二人は、背中に生えている漆黒の翼に横目を送り、自分達なりに考えつつ翼を動かそうと試みる。

 背中に力を込めてみたり、「動け!」と叫んで命令してみたり、その場で何度もジャンプをしてみるも、たたまれている翼はうんともすんとも言わず、万策尽きた花梨がしょぼくれた目をクロにやった。


「ダメです、まったく動きません……」

「私も……」


「なるほど、飛ぶ以前の問題か。そうだな、両手を広げてみろ」


「両手……。こう、ですか?」

「広げたわっ」


 二人はキョトンとしながらも、指示通りに両手を大きく広げると、確認したクロが小さくうなずく。


「いま、何を考えて両手を広げた?」


「何も考えずに広げました」

「私もっ」


「そう、その感覚だ。さっきからお前らは、翼を動かすのを意識し過ぎて、知らず知らず別の箇所に力を込めちまってるんだ」


 クロの説明に二人は理解が追いつかず、顔を見合わせてから同時に首をかしげた。


「要は、柔軟なイメージをしろって事だ。動かせないでいる翼も、今や立派な体の一部だぞ。動かせないハズがない。試しに背中にも手が生えてるイメージをして、それを動かしてみろ」


「イメージ……」


 クロの言葉を追って呟いた花梨がそっとまぶたを閉じると、頭の中で両手を開いている自分の姿をイメージし始める。

 ボヤけていたイメージが鮮明になってくると、次は背中にある翼を手に見立て、左右に広げる場面を浮かべていく。


 しかし、イメージ自体は出来たものの、翼を動かすという行為については初めての事で、イメージをしただけで終わってしまい、背中の翼は依然として沈黙を保ったままである。

 しばらくイメージを続けていくも、集中力が途切れてしまった花梨は、瞼を閉じたまま両手を開き、その簡単な動作を脳裏に焼き付けていく。


 今の動作を頭の中で反芻はんすうし、何度も繰り返していくと、徐々にではあるが、その動作の意識を背中へと移していけた。

 すると背後から、バサッという翼をはためかせたような音が聞こえてきたと同時に、「おおっ!」という、クロの嬉々とした声が上がる。


「おい花梨、翼が開いたぞ!」


「へっ?」


 クロにそう言われて瞼を開けた花梨は、ゆっくりと背中に視線を持っていくと、全長三メートル以上はあろう漆黒の翼が、悠々と開いていた。

 最初は、開いた翼を真顔で眺めていた花梨であったが、だんだんと自分の翼が開いたという事実を実感していくと、花梨の表情が驚愕したものへと変わっていく。


「……おおおっ!? 私の翼が開いてる!! え、ちょっ、どうやったのこれ!?」


「無理に理解しようとしなくてもいい。感覚を体で覚えろ。あとは翼を自由に動かせたり、はためかせる事が出来るようになれば、そこから早いだろう」


「ズルいわ花梨っ! どうやれば翼が開くのかしら?」


「えっ!? え~っとぉ……。その、私にもまだ分からないや……」


 一番困惑している花梨が、期待の眼差しを向けてきているゴーニャにそう伝えると、「ええ~っ」と不満気な声を漏らし、頬をプクッと膨らませる。

 なんとかしてゴーニャの期待に応えたかった花梨は、焦りを募らせながらも心を落ち着かせ、先ほどのイメージをしっかりと固めていく。


 そこから花梨の上達はいちじるしいもので、瞼を瞑らずとも翼を広げられるようになり、意識した片翼だけ動かせるまでになっていった。

 しかし、やはり口で説明するとなると難しく、手をあたふたさせてゴーニャに説明をするも、真剣に聞いていた本人は首をかしげるばかりで、翼が開く事はなかった。


 右往左往している二人をよそに、ずっと静かに見守っていたクロが、後頭部をポリポリと掻き、ゴーニャの元へ足を進める。


「仕方ない、ゴーニャは私が付きっきりで教えてやろう。花梨、お前は次の段階だ。翼を羽ばたかせる事はできるか?」


「えっ? 羽ばたかせるまでは、ちょっと……」


 花梨が自信無く返答すると、クロは花梨の目の前まで歩み寄り、花梨の肩を叩くように両手を置いた。


「お前はもう初めて乗った自転車を、バランスを崩さずに漕げてる状態だ。基本はもうしっかりと出来てる。あとは応用のみだ。両手を羽ばたかせるようなイメージをしてみろ」


「は、はいっ」


「翼を羽ばたけるようになったら地面に立ちながら羽ばたかせ、慣れたら力強く一気に連続で羽ばたけ。そうしたら飛べるようになるぞ」


「……分かりました、やってみます!」


 花梨の要領がいい事を知っているクロは、飛べるようになる道筋を近道で教えつつ激励を飛ばし、りんとした笑みを送ってからゴーニャの元に戻っていった。

 今の言葉で自信とやる気が湧いてきた花梨は、クロに言われた通りに両手を広げ、その両手を翼に見立てて羽ばたくイメージを重ねていく。


 言葉では言い表せないものの、確かなるコツを掴んでいくと、ぎこちないながらも翼を羽ばたかせるようになっていった。

 黒い羽を何枚も散らして翼を羽ばたかせていくと、だんだんとこの動作に慣れてきたのか、羽ばたく速度が格段に早まっていく。


 その内、恰好や見栄えだけを見れば、いつ飛べてもおかしくない状態にまで上達するも、足は地面から離れる事はなく、未だに着いたままであった。

 空を飛ぶコツをどうしても掴みたかった花梨は、ヒントを得るべくして、ゴーニャに付きっきりで相手をしているクロに目を向ける。

 いつの間にかゴーニャも、翼を広げられるまでには上達しており、その上達ぶりを垣間見た花梨は温かな笑みを零し、合間を縫ってクロに声を掛けた。


「クロさーん。すみません、ちょっといいですか?」


「んっ、どうした?」


「すみませんが、一回だけ飛んでもらっても、いいですかね?」


「飛ぶ? ああ、いいぞ」


 両手を合わせている花梨にお願いをされたクロは、一旦ゴーニャから距離を取り、なんの苦労もなく翼を力強く羽ばたかせると、足が地面から離れて宙に浮き始める。

 その間に花梨は、クロの羽ばたかせている翼を凝視し、翼の精密な動作、力の加減、羽ばたかせている速度や回数などを頭の中に叩き込んでいく。


 そして大体のイメージが固まると、クロが飛んでいる内にと思い、花梨も目を瞑ってから翼を羽ばたかせ始める。

 すると、先ほどまでの苦労が嘘のように翼が滑らかに動き、力込めて羽ばたかせると、花梨の体がふわっと宙に浮いた。


 本人は翼を動かす事に集中し過ぎているせいか、己の体が浮いている事にはまったく気がついておらず、ゆっくりと高度を上げていく。

 そのままクロが滞空している高度まで上がるや否や。眉間に深いシワを寄せ、ぶつくさと呟き出す。


「う~ん……、なんかイメージと違う気がするなぁ……。クロさんの羽ばたき方はもっとこう、しなやかさがあると言うか……」


「おい花梨、おい。目を開けてみろ」


「へっ? はい、分かりま……」


 やたら近くで聞こえるクロの言葉を耳にし、目を開けた瞬間、花梨の口がピタリと止まる。

 少し前までは見上げていたクロが、いつの間にか目の前にいるも羽ばたいており、違和感を覚えた花梨が目線を下に向けた。


 その目線の先には、やや離れているススキ畑が映り込み、手をバンザイさせて飛び跳ねているゴーニャと、ひたいに手をかざしてこちらを眺めているまといの姿も同時に映り込んだ。

 呆然としながらススキ畑を見ていた花梨が、丸くしている黒い瞳をクロに戻し、まばたきを数回する。


「……私、いま、空を、飛んでます?」


「ああ、綺麗に飛んでるぞ。やったな」


 クロが自分のように嬉しそうでいる笑顔になると、自力で空を飛んでいるという実感が薄っすらと湧いてきて、真顔になっていた花梨の表情が、明るくて無邪気なものへと変わっていく。


「……飛んでる? 私、飛んでるっ!?」


「案外早く飛べるようになったじゃないか。おめでとう」


「……うぉぉおおおおおーーっ!! 飛んでるーーっ!! すごいすごいっ! 見て見てクロさんっ! 私飛んでるよ!!」


「はっはっはっ、すごいはしゃぎようだな。よし、あとは方向転換と飛行スピードの維持だけだな。ちょっと試しにやってみろ」


「はーいっ!」


 空を飛ぶコツを一気に掴んだ花梨は、目まぐるしい速さで上達していき、数分もしない内に空を自由に駆け巡れるようになっていた。

 飛ぶ行為を完全に己の物にした花梨は、興奮が最高潮に達したのか、だんだんと調子に乗り始める。


 高度二千メートル以上まで一気に上昇し、気ままに流れているひつじ雲をタッチしては、地面に急降下し、翼を羽ばたかせているゴーニャを驚かせ、また空の彼方へ飛んでいく。

 そして、興奮という名の天井を突き破ると、「ちょっと、木霊農園こだまのうえんまでひとっ飛びしてきます!」と言い残し、凄まじい速度で飛び去っていった。


 その間にも、ずっと花梨を羨ましそうに眺めていたゴーニャが、小さな指先をそっと咥える。


「いいなぁ花梨っ、空を自由に飛べて」


「ほんと、あいつの上達速度はバケモンだな。まあ、その内ゴーニャも飛べるようになるさ」


「うんっ。早く花梨達と一緒に飛んでみたいし、頑張るわっ」


 未だに飛べないでいるゴーニャを励ましていると、今までずっと黙っていた纏が、クロが着ている黄色の修験装束しゅげんしょうぞくを軽く引っ張り、二人の会話に割って入る。


「これが終わったら、みんなはどこかに行くの?」


「ああ。まだ言えないが、もう少ししたら良い所に行くんだ。纏も一緒に行くか?」


「いいの? じゃあ行く」


「分かった、楽しみにしてろよ」


 花梨の居ぬ間に旅の仲間が増えると、クロとゴーニャは空を飛ぶ訓練を再開し、新たなる仲間となった纏は、ゴーニャに向けて不器用なエールを送り続けた。

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