58話-2、暴走を始める女天狗一族の長

 女天狗のクロの提案でススキ畑に来た一行いっこうは、予想される暴風の被害が温泉街まで及ばぬよう遠くまで離れ、自分達の背丈よりも高いススキ畑に入り込んでいく。

 しばらくススキをかき分けながら進むと、急に開けた場所に出て、「ここなら大丈夫だろう」と口にしたクロが、弾けんばかりの笑みを浮かべている花梨に顔を向けた。


「よし、それじゃあ簡単に説明するから聞いてくれ」


「はーいっ!」


「その前にゴーニャ、お前が持ってるテングノウチワを貸してくれ」


 そう言われたゴーニャは、九股の黒い羽で作られたウチワをクロに手渡すと、クロがジェスチャーを交えて説明を始める。


「いいか? テングノウチワは振り方によって、風の種類、向き、威力、切れ味がまったく変わってくるんだ」


「ふむふむ」


「ボールを投げる要領で、斜め上から左斜め下に向かって振れば、右回転の突風が巻き起こる。逆もまた然りだ。真上から真下に叩きつけるように振り抜けば、上から押し潰すような風の塊が発生する。しなやかに素早く振れば、相手を切り裂く風が巻き起こる」

 

「はえ~、振り方次第でだいぶ変わってくるんですねぇ。なんか、物騒な単語も飛び交ってますが……」


 花梨がちゃんと説明を聞いていた事を確認したクロは、目を瞑りつつうなずく。


「例えだ例え。まあ、今回の相手はススキだ。思う存分やっちまえ」


「分かりました! でもその前に、クロさんの本気の風が見てみたいです!」

「あっ、私もっ!」

「私も」


 花梨のお願いにゴーニャと座敷童子のまといが続くも、クロは黙って首を横に振り、持っていたテングノウチワをゴーニャに返した。


「ダメだ。私が振ったら、六割ぐらいの力でも温泉街が跡形もなく吹き飛んじまう。本気で振ったら、魚市場難破船うおいちばなんぱせんまで被害が出るだろう」


「ほ、本当ですか……? えっ? く、クロ様?」


「ふっふーん、悪くない響きだ。もしお前が悪さをしたら、お前の部屋を突風で吹き飛ばしてやるからな~」


 悪どい笑みをしているクロが、冗談交じりでそう言うも、体を大きく波立たせた花梨は、く、クロさんの目がマジに見える……。気をつけねば……。と、心の中で一人静かに誓い、体をブルッと震わせる。

 そして、おののきながら体を広大なススキ畑に向けると、新鮮な空気を鼻から大きく吸い込み、吸った以上の空気を吐き出して、再びクロに顔をやった。


「あの~、クロさん。思いっきり振っちゃっていいんですよね?」


「ああ、いいぞ。目の前にあるススキを全部吹き飛ばしちまえ」


 いつの間にかビデオカメラを構えていたクロの許可が下りると、花梨は無邪気でワンパク小僧のような表情になり、顔をススキ畑に戻す。

 そのまま「よ~しっ!」と張り切った声を上げ、先ほどクロが説明した通り、テングノウチワを振りかぶり、全力で右斜め上から左斜め下に振り抜いた。

 しかし、風は起こるどころか辺りには何の変化も訪れず、黄金色に輝いているススキ畑の絨毯は、颯爽と流れる秋の風により右往左往していた。


「……あ、あれ? 何も起こらないや」


「いや、もう少しで凄いのが起きるぞ」


「へっ?」


 クロがいやらしく口角を上げた瞬間。辺りを穏やかに流れていた秋の風が、徐々にはであるが、思わず後退りするほどの強風に変わり始める。

 そして、花梨達の頭上にある白くて大きな雲が、だんだんと暗い灰色の暗雲に色を変え、その暗雲の中心が捻じれていき、じわじわと渦を巻いて地面に降りていった。


 暗雲の捻れが肥大化していくと共に、辺りの強風が荒れ狂う暴風に様変わりし、ススキを根っこから引き抜いては空中に放り飛ばしていく。

 最終的に暴風は巨大な竜巻に変貌し、群生しているススキを根こそぎ巻き込んでいるせいか、その竜巻はまたたく間に黄金色に染まっていった。


 何者も寄せ付けない巨大な竜巻を目の当たりにした花梨は、口をあんぐりと開けながら愕然と立ち尽くし、目をパチクリとさせる。


「……えっ? このバカでかい竜巻、私が起こしたの?」


「はっはっはっ、予想してたよりもずっとでけえなこりゃ。花梨、お前天狗の素質があるぞ」


「い、いやっ! 呑気に撮ってる場合じゃないですよ!? どんどん大きくなっていってますけど、これどうやって止めるんですか!?」


「なに、簡単だ。逆回転の竜巻を起こして相殺すればいい」


「私がやるんですかっ!? ムリムリムリムリッ!! く、クロさんお願いしまぁす!」


 目の前で暴れている巨大な黄金の竜巻に臆した花梨は、懇願するように無理やりテングノウチワをクロに渡すと、慌ててクロの背後に周り、すくんでいる体を隠した。

 呆れたクロは、鼻でため息をついてから「この程度の竜巻なら、叩き潰した方が早いか」と推測し、テングノウチワを真上に掲げ、ゆっくりと振り下ろす。


 すると、暗雲が立ち込めている空が楕円形に歪み、そのまま黄金の竜巻に向かい、圧縮された漆黒の風が黄金の竜巻を押し潰すが如く殴りつける。

 同時に、ススキ畑全体を揺るがす地響きと、耳をつんざく轟音が鳴り響き、目の前にあった巨大な竜巻が弾け飛ぶ。

 その余波が、花梨達を吹き飛ばす勢いの突風に変わると、鞭のようにしなっているススキを辺りにまき散らし、花梨とゴーニャの絶叫と共に、目の前にあった巨大な竜巻が消え去っていった。


 ススキ畑に先ほどの穏やかな風が戻ると、クロの背後で呆然として目を丸くしていた花梨が、「すごっ……」と掠れた声を漏らす。


「も、目視できるほど圧縮された黒い風の塊が、大きな竜巻を、押し潰した……?」


「相当手加減して振ったつもりだったが、まだ強かったようだな。未だに力加減が上手くいかん」


「こ、これでも手加減していたのか……。クロさんの本気って、いったい……」


 クロの実力の底を計り知れないでいる花梨は、おののきながら竜巻が押し潰された現場に目を向ける。

 そこには、群生していたススキの姿はどこにも無く、圧倒的な力を誇る黒い風により、無残にも深く地盤沈下している剥き出しの土だけが残されていた。


「うわぁ~、ススキが跡形もなく消滅しちゃってるや」


「一割も力を出してないのに、五メートル以上は沈んでるな。ちなみに、普通の天狗だったらこうはならんからな。あまり勘違いするなよ?」

 

「く、クロさんが強すぎるんですね……」


 震えた花梨の言葉がやや気に食わなかったのか、クロは素っ気ない態度で「まあな」とだけ、感情がこもっていない空返事をする。

 今の言葉を忘れるように、再びビデオカメラで天狗姿の花梨達を撮り始めると、ふと本来の目的を思い出し、「あっ、そうだ」と声を出し、持っていたビデオカメラを首にぶら下げた。


「ちょっと道草を食っちまったが、そろそろ目的の店に行くか」


「クロさんが言っていた、良い所ってヤツですね。どうやって行くんですか?」


 花梨の質問に対してクロは、「無論、空を飛んで行くぞ」と、当たり前のように返答する。


「ああ、飛んで行くんですね。……へっ? 飛んで、行く?」


「ああ、せっかくお前達も天狗になったんだ。一緒に空の旅を楽しんで行こうぜ」


 そう言ったクロが無垢な笑みを向けると、困惑している花梨が恐る恐る手を挙げた。


「あの、クロさん。すみません、飛び方が分からない、です」


「はっ? そんなバカな。天狗になったんだから飛び方ぐらい分かるだろ?」


「いやっ。さっきまで人間だった天狗初心者なので、まったくもって分からないです……」

「私もっ」


 横に居たゴーニャも手を挙げてそう告げると、クロは酷く落胆した表情を二人に見せつけ、手で顔を抑えつけた。


「はあ~……。ったく、しっかりしろよお前ら。花梨は私の後継者なんだぞ? 少しは自覚を持て自覚を」


「はえっ? 後継者?」


 クロの唐突な発言により、いきなり話が見えなくなった花梨が首をかしげると、ため息をついていたクロが「あっ、そうか」と声を漏らす。


「そういや言ってなかったな。私は女天狗一族のおさをやってるんだ。それで私が引退したら、次の長は花梨がやってくれ」


「えっ!? クロさん、長なんですか!? ……じゃなくって! さり気なく人間である私を、長に抜擢しないでくださいよ!」


「いやいや、なに言ってんだ。お前には天賦の才がある。ちゃんと訓練を積めば、私を超す存在になるかもしれんぞ?」


 話をまったく聞かないクロに花梨は、な、なんでみんな、私を同じ種族の妖怪にすると、こうも変貌するんだ……? と、顔中を引きつらせる。

 妖狐の時は、純粋な妖狐にならないかと勧められ。座敷童子の時は、非公認の姉妹となり。雪女の時は、ビデオカメラに向かってお母さんと呼ばされ。そして、女天狗の時は長にされかけている花梨。


 時折、完全に乗り気だった時もあるが、やはり人間として譲れない部分もあるのか、既に花梨を次の長にしようと決めつけているクロを睨みつけ、無言の訴えを投げつける。

 その刺すような視線に気がついたクロが、花梨の方に黒い瞳を向けると、不満そうに口を開いた。


「なんだその目は? 長になりたくないのか?」


「いや、すみません。私は人間なので、ちょっと荷が重いというか、種族が違うと言うか……」


 花梨の濁った遠回しでいるお断りの発言に、クロは残念そうに肩を落としため息をつくも、まだ諦めていない横目を花梨にチラッと送る。


「やっぱり……、ダメか?」


「……ですねぇ~、私には無理ですよ」


「だよなあー。ノリで行けると思ってたんだが、やはりダメかー」


 諦めたクロが、後頭部に手を回して地面を軽く蹴ると、花梨は、の、ノリで私を長にする気だったのか……。危ないなこの人も……。と呆気に取られ、口元をヒクつかせる。

 不貞腐れていたクロが、引っ掻き回していた場の空気を変えるように、いつものりんとした表情に戻ると、持っていたテングノウチワを花梨に返しつつ話を続ける。 


「さて、冗談はここまでにしておいてだ。飛べないなら仕方ない。少し飛行訓練でもするか」


「あっ、冗談だったんですね。よかったぁ~……」


 普段通りの頼れる存在へと戻ったクロの姿を見て、花梨は安堵のこもった大きなため息を漏らし、そっと胸を撫で下ろした。

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