54話-2、稀なトラブルと地雷の言葉

 駅事務室へ向かう途中、座敷童子のまといと別れた三人は、改めて目的地に向かう為に地下鉄の電車に乗り、振動で体を揺らしながら到着するのを待っていた。

 等間隔に心地よく揺れるせいか、花梨に抱っこされていたゴーニャは眠りに落ちてしまい、静かに寝息を立て始める。

 その寝息に気がついた花梨は、ゴーニャの寝顔をそっと覗き、口元をにんまりと緩ませた。


「ははっ、寝ちゃったや。よく寝るなぁ」


「可愛い寝顔やのお、ゆっくり寝かしとき」


「そうですね、起こすのも可哀想ですし。そういえば流蔵りゅうぞうさん、駅事務室では何をすればいいんですかね?」


「んー、そうやなあ。駅事務室に入ってきた奴に「どこまで?」と、言えばいいだけやな」


 簡素で曖昧な説明では、イマイチ理解できなかった花梨は、首をかしげながら話を続ける。


「それだけでいいんですか?」


「せや、秋国に行く為の共通の合言葉みたいなもんや。「秋国まで〜」とか、「温泉に入ります〜」と返事が来れば、そいつは妖怪。それ以外の返事は、人間だと判断すればええ」


「へぇ〜。そう言えば、ゴーニャもそんな事を聞かれてたっけなぁ。人間はよく入ってくるんですか?」


 花梨の更なる質問に対し、流蔵は視線を天井に向け、手で顎を擦りつつ「う〜ん……」と唸り、目を半周泳がせた。


「ワシがやった時は無いなあ。他の奴からも聞いた事無いし……。人間が入って来ることなんか稀や稀、気楽にいこうや」


「そうですか、分かりました!」


 今日の仕事が楽だと分かった花梨は、胸を撫で下ろしてから再びゴーニャの寝顔を見て、ふわっとほくそ笑む。

 しばらくすると、走っていた電車のスピードが徐々に落ちていき、黒く染まっていた窓が、地下鉄のホームが流れている景色へと変わる。


 そして電車が完全に停止すると、アナウンスも無く扉が開き、二人は肌寒く感じるホームへ降りていく。

 そのまま石の壁で作られた通路を進み、突き当たりにある古びた木の扉を開けると、今日の目的地である駅事務室に到着した。


 ホコリの匂いが漂う駅事務室内は、床や天井、壁が全て木で覆われており、広さは六畳あるかないかぐらいで、多少の圧迫感がある。

 部屋の中央片隅には、年季が入ってる木で作られたテーブルがあり、その周りをパイプ椅子が六脚、グルリと囲むように置かれていた。


 これといった目立った機材は見当たらず、資料らしき物が雑に置かれている棚。壁に貼られたカレンダーやエアコン。寂しそうに動いている掛け時計。この駅の案内図ぐらいしか目に入らない。

 他にあるとすれば、テーブルに置かれている雑誌類や、部屋の片隅にある冷蔵庫ぐらいで、必要最低限の物しか置かれていなかった。


 部屋を一通り見渡した花梨は、寝ているゴーニャをそっと椅子に降ろし、なるべく音を立てないように別の椅子に座る。

 駅の構内へ続く扉の鍵を開けた流蔵も、花梨の後を追って対面の椅子に腰を下ろした。


「さーて、夜までここで見張りや。何もする事がないから、一日がエラい長く感じるで」


「夜まで、ですか。じっとしているのは苦手なんですよねぇ……」


「ワシもや。ああ、相撲がしたい……」


 流蔵が気だるそうにボヤくと、不意に背後から扉の開く音が聞こえてきた。

 花梨はすぐに扉の方へ振り向いてみると、そこには老夫婦と思われる人間が二人、温かな笑みを浮かべつつ立っていた。

 駅事務室に入ってきた老夫婦を目にした花梨は、普通のおじいさんとおばあさんにしか見えないけど、この人達も妖怪さんなのかな? と、不安げに首をかしげる。


 声を掛けようか迷っている中。背後から「どこまで?」と尋ねる流蔵の問い掛けが耳に入り込む。


「秋国までです〜」


「せやか、ごゆっくり」


 流蔵がそう返答すると、優しく微笑んだ老婆がペコリと頭を下げ、老夫婦は駅事務室の奥へ進み、扉を開けて姿を消していった。

 呆気に取られてしまい、一連の流れをずっと眺めていた花梨が、キョトンとしている目を木の扉から流蔵に移す。


「今の人達……。普通の人間にしか見えませんでしたけど、本当に妖怪さんなんですか?」


「せや、今のは常連の化け狸夫婦やで」


「ああ、化け狸さんっ! 変化へんげする事ができるから、それなら納得です」


 説明を聞いて合点がいった花梨は、素直に感心していると、背後にある扉が再び開いたのか、背中に冷ややかな風が当たったの感じ、ゆっくりと振り返る。

 今度はサングラスをかけた壁のような大男が、黒光りしているサングラス越しから、見下げている二人を睨みつけていた。


 その巨体を見上げた花梨が、お、大きい……。と臆するも、例の合言葉を口にする。


「え、えと、どこまでですか?」


「え〜い〜しゅう〜ま〜で〜」


「そ、そうですか、ごゆっくりどうぞ」


 きごちない笑みで花梨がそう言うと、壁のような大男は、のそのそと奥へ進み、己の体より小さい扉を開け、無理やりに潜り抜けていった。

 黙って大男の姿を横目で追っていた流蔵が、大きなあくびをつき、涙が滲んだ目を擦る。


「今のは、ぬりかべやな」


「やっぱり! なんか、そんな風には思っていました。……でも、ぬりかべさんって人間に変化へんげできるんですか?」


「ああ、妖狐神社で葉っぱの髪飾りが売っとるやろ? あれを付けて人間に化けとるんや」


「そうなんですか!? へぇ〜。店に売ってる髪飾りも、そんな効力があるんですねぇ」


 暇そう顔を天井に向けている流蔵が、コクンとうなずく。


「せや。ちなみに、ワシもそれを付けて人間に化けとるで」


「あっ、そうだったんですか。便利だなぁ、葉っぱの髪飾り」


 そんな会話を続けている間にも、ぽつぽつと人間の姿をした妖怪が入り込んできては、例の合言葉を交わし合い、見送っていく作業が続いていく。

 合間合間に、流蔵に通り過ぎていった妖怪について説明され、時には聞いた事がない妖怪の名を耳にし、花梨がその妖怪について質問をすると、流蔵の曖昧なうんちくが入る。


 それでもなお、時間の流れが限りなく遅く感じる中。花梨は作業を繰り返していく内に、とある疑問が頭の中に浮かび始める。

 そして、五十人以上の妖怪を見送った後。次の妖怪が来ない事を確認すると、一つの質問を流蔵に投げかけた。


「そういえば、なんでこんな場所に秋国に続く道を作ったんですかね? 人里から離れた場所に作れば、こんな事をしなくてもよかったと思うんですけど」


「んっ? ああ、この入口は元々あったもんや。そんで、本来であれば人間も秋国に行けるようにと、作り直したんや」


「えっ、そうだったんですか?」


「せや。だが、プレオープン前日にトラブルがあって、その話は無くなったらしいんや。そのトラブルがなんなのかは、ワシは知らんがな。ちなみに、ここは妖怪の行き交いが多いから、なかなか閉鎖ができんらしいで」


「そうだったんだ。いったいなんのトラブルが―――」


 初めて耳にする出来事に、花梨がトラブルについて話を膨らませようとすると、それを遮るように背後から、思わず身震いをする凍てついた風を感じ取る。

 扉の開く音はしなかったものの、妖怪が入ってきたと直感した花梨が振り返ってみると、そこにはうつむいている一人の少女が、ポツンと扉の前に立っていた。


 黒の長髪をなびかせ、桃色のジャンパーを着ている少女の様子をうかがってみると、どうやらすすり泣いているようで、両手で溢れて出している涙をぬぐっている。

 様子がおかしいと思った花梨は、その少女の前まで歩みより、目の前まで来てしゃがみ込むと、とりあえず例の合言葉を口にしてみた。


「あの〜、どこまで?」


「……ヒック、ヒック」


 俯いている少女に問い掛けてみるも、返ってくるのはすすり泣く声だけで、困った花梨が流蔵に顔を向け、首をかしげる。

 流蔵も釣られて首を傾げるも、一旦咳払いし、改めて少女に向かって合言葉を口にした。


「嬢ちゃん、どこまで?」


「……ヒック。あのね、ママとはぐれちゃったの……」


 少女は合言葉ではなく、自分が置かれている状況を打ち明けるや否や。二人の体が同時に大きな波を打ち、一斉に声のならない叫び声を上げる。

 稀のトラブル発生に顔が青ざめた二人は、この少女を普通の人間だと確信し、慌てて逃げるように部屋の奥へと走り、困惑している花梨が小声で叫び始めた。


「ど、どどどっ、どうするんですか!? あ、あの子、普通の人間の子供ですよ!?」


「ど、どうするって、ワシもこんな事初めてや!」


「そうだった! ……なんかこう、緊急事態のマニュアル的な物はないんですか?」


 切羽詰まっている花梨が、なんとか打開策がないか流蔵に求めるも、同じく戸惑いが隠せないでいる流蔵は、何か無いかと思い出そうとして腕を組む。

 顔を歪ませ、小さく唸りを上げ、目を必死に泳がせて考えるも、何も思い付かなかったのか、ため息をついてから肩を落とした。


「……無いなあ」


「そんなぁ〜……。……むう、放っておくワケにもいかないしなぁ」


 そう呟きながら花梨は、すすり泣いている少女に向かい、心配と不安を含んだ横目を送る。

 そのまま体を向けて見つめていると、ええいっ、悩んでいても仕方ない! と覚悟を決め、少女の元に歩み出した。


「流蔵さん、あの子の母親を探してきますね」


「ま、待てお前さん! 行くなら後ろから出とるポニーテールを、帽子の中に隠してから行きい!」


 流蔵の慌てふためく声に花梨は、足を止め、キョトンとしている表情を流蔵に向ける。


「へっ? なんでですか?」


「この駅には、女性の駅員がほとんどおらんのや。そのままで行ったら、本物の駅員に怪しまれるで」


「ええ〜。髪の毛を隠したぐらいで、バレないもんですかね?」


「お前さんは、どっちかと言うと男寄りの面立ちや。それに、胸が全然無いからバレへんやろ」


「あ?」


 流蔵がサラッと禁忌の単語を言い放つと、花梨の顔が瞬間的に形容し難い禍々しいものへと変貌し、光さえも飲み込んでしまいそうな程の、深くて黒い闇を纏い始める。

 そして、流蔵の胸ぐらを両手で鷲掴んだ花梨は、終末を呼び起こすような表情を詰め寄らせながら、ゆっくりと口を開く。


「流蔵さぁ〜ん……。今からここで、相撲を取らないですかぁ? 今なら、本気を出さずとも勝てる気がするんですよぉ……」


「い、いやっ……、止めとくわ。なんか、死ぬ気がしてならんし……。あ、あとお前さん……。謝るから、その顔、やめてくれへんか……? ほ、本気で怖いんやが……」


「ルールはぁ、お互いの甲羅と頭の皿が割れたら終わりのぉ、サドンデス方式にしましょう……」


「……す、すまんお前さん、マジですまん……。あと、お前さん……、甲羅も皿も、な、無いやんけ……」


 修羅と化した花梨はしばらくの間、怯えて体を小刻みに震わせている流蔵を、口を開かぬまま睨み続ける。

 流蔵の精神力が削れていき、涙目になると、花梨の気持ちが落ち着いてきたのか、掴んでいた胸ぐらをパッと離し、少女に歩み寄っていった。


「まったくもう! 次言ったら、タダじゃおきませんからねっ」


 いつもの穏やかな表情に戻った花梨が文句を垂れると、泣いている少女の前まで行き、手を差し伸べる。


「さっ、一緒にお母さんを探しに行こ。だから、泣くのはもうやめな、ねっ?」


「……グスッ。あ、ありがとう、お兄さん」


「おにっ……。ま、まあいいや。流蔵さん、ゴーニャの事をよろしく頼みますね」


「ぬおっ!? お、おお、おうっ! ま、まか、任せときい!」


 お兄さんと言われ、多少のショックを受けた花梨は、泣くのを止めた少女の手をしっかりと握り、優しく微笑んでから扉を開け、人の波が流れている駅の構内へ出ていった。

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