54話-1、駅事務室の見張り番

 夜が眠りに就き、眩しい朝焼けが温泉街を照らし始めた、朝六時半頃。


 今日は休日である花梨を起こしに、部屋に訪れていた女天狗のクロは、軽い罪悪感に囚われつつ、幸せそうな表情で寝ている花梨の寝顔を覗いていた。


「うぇっへへへへ……。この大きなゴマ饅頭、逃げ足が速いなぁ……」


「饅頭を追いかけてる夢を見てるのか……。食い物の夢しか見ないのか、こいつは? さてと、今日は休日だしそっと起こし―――」


「捕まえたぁ~……」


 せめてもの情けと思い、過激な起こし方はせず、優しく起こそうとした瞬間。寝ている花梨に顔をガッチリと両手で掴まれる。


「いただきまぁ~す……」


「……花梨? 花梨!? お、おい、やめろっ! 離せ! はな……、なんだこいつ!? 力がめちゃくちゃつよっ……!?」


 顔を掴まれたクロは、必死になり花梨の手を剥がそうとするも、食場の馬鹿力が発動している花梨の力は凄まじく、今のクロの力では、どう足掻いても引き剥がす事ができなかった。

 そのまま、大口を開けている花梨の顔が徐々に迫り、捕食されるという焦りを感じたクロが、目覚ましよりもけたたましい叫び声を上げる。


「花梨起きろ! かりーーんっ!! 私だ! ゴマ饅頭じゃなくて、お前の世話役を任されているクロだ!!」


「えへへっ、活きがいいゴマ饅頭だなぁ~。饅頭の踊り食いなんて初めてだぁ……」


「グッ……! このっ、ゴマ饅頭じゃないって言ってんだろうがぁ!」


 会話が一切成立しない寝言のせいと、追い詰められて怒りを覚えたクロは、一度頭を引いて勢いをつけ、花梨のひたいに向かい、体重の乗った重い頭突きを繰り出す。

 ズゴッと鈍い音を立たせると、花梨は「ぎにゃっ!」と悲痛な声を上げ、後頭部を思いっきり枕に叩きつけた。


 その衝撃でベッド全体に大きな波が立ち、一緒に寝ていたゴーニャと座敷童子のまといの体が、ふわっと宙に浮く。

 未だに寝ている二人がベッドに落ちると、クロの頭突きでゴマ饅頭に逃げられ、ワケの分からぬまま目を覚ました花梨が、全身を痙攣させながら口を開いた。


「く、クロ……、さん。今日の、起こし方は……、また一段と、はげ、しい……」


「いったたた……。誰のせいだと思ってんだ、アホンダラ」


「よ、よく分からない、ですけど……。す、すみま、せん、でした……」


 クロの強烈な一撃により、完全に眠気が吹き飛んだ花梨は、赤く腫れた額を摩りながら起き上がり、涙が滲んでいる瞳をクロに向ける。


「イテテテ……。休日に起こされたって事は、お仕事が入ったんですかね?」


「ああ、そうだ。すまんが、これを着てから支配人室に行ってくれ」


 罪悪感がすっかり薄れ、曖昧な返事をしたクロが、壁に掛けていた一着の服を手に取り、あくびをついている花梨に差し出した。

 寝ぼけ眼を擦りつつ服を受け取り、その場で広げてみると、サラリーマンが着ているような印象を受ける、深い紺色のスーツのようだった。

 しかし、スーツには似合わないワッペンが胸部分に付いており、帽子も一緒に渡された事から、花梨はとある予想をしながら口を開く。


「これは……、駅員の制服、ですか?」


「そうだ。駅事務室の見張り番をする予定だった酒天しゅてんが、急な予定が入って行けなくなっちまってな。他に手が空いてる奴がいないから、代理としてお前に行ってもらう事になったんだ」


「はえ~、私がですか。分かりました!」


「休日に何度もすまんな。急な事だったから、朝飯は私の私物とフルーツで勘弁してくれ」


 大雑把に説明を終えたクロが、額を摩りつつ部屋を後にすると、痛がっている後ろ姿を見送った花梨が二人を起こし、ベッドから抜け出す。

 花梨は制服を汚さない為にパジャマ姿で歯を磨き、夢現ゆめうつつから抜け出せていないゴーニャと纏は、私服に着替えてから歯を磨く。


 そして、歯を磨き終えてテーブルに目をやると、そこにはクロの私物だと思われるコーンフレーク。大皿に注がれている真っ白な牛乳。

 更に別の皿には、輪切りにされたバナナやキウイ。一口大にカットされたリンゴやメロンなど、様々なフルーツが盛られていた。


「おお、コーンフレークだ。クロさん、色んな物を持っているんだなぁ。いただきまーす!」


「いただきますっ!」

「いただきます」


 早めの朝食の号令を唱えると、花梨は早速コーンフレークの封を開け、牛乳がたっぷり注がれている皿に、山ができるほど大量に入れた。

 その花梨を眺めていた二人も、真似をして初めて見るコーンフレークを、牛乳が注がれている皿の中に入れていく。


 準備が整うと、スプーンを手に取った花梨は、まだ牛乳と馴染んでいないコーンフレークをすくい、口の中へと入れる。

 固いコーンフレークを噛み砕いていくと、独特の甘さが口の中に広がり、牛乳の濃厚な甘さと混ざり合っていく。

 細かく噛み砕いて飲み込んだ後に、コーンフレークの甘さが移った牛乳を少しだけ飲み、ふわっとほくそ笑んだ。


「う~ん。このコーンフレークでしか味わえない、なんとも言えない甘さよ。んまいっ」


「花梨っ。この小さくて固いのが牛乳を吸っちゃって、ふにゃふにゃになっちゃったわっ」


「これはコーンフレークって言うんだ。柔らかくなっても美味しいよ~。あっ、フルーツを入れると更に美味しくなるよ」


「そうなの? それじゃあ早速っ」


 いい事を教えてもらったゴーニャは、別皿に盛られている各フルーツを、牛乳が飛び散らないようそっと移し、コーンフレークとバナナを一緒に口の中へ運んだ。


「ふあっ。バナナと牛乳って、とっても合うのね! おいひい~っ」

「キウイも甘くなってる」


 横で聞いていた纏も、こっそりと真似をして口に入れており、ほがらかな表情を浮かべつつ、コーンフレークとフルーツを食べ進めていった。

 そして、三人同時にいつもと雰囲気が異なる朝食を完食し、皿を水で洗い流した後。花梨は駅員の制服に着替え始める。


 薄いTシャツを着てから、その上にパリッとしているシャツに腕を通し、下から順番にボタンをしていく。

 丁寧にアイロンが掛けられている紺色のズボンを履き、黒色のベルトをしっかりと締める。次に、赤いネクタイを綺麗に締め、最後に紺色で厚手の制服を身に纏った。

 オレンジ色の長髪を、慣れた手つきでポニーテールにわき、金色の翼が刺繍されている帽子を深くかぶると、右手で敬礼しながら笑みを浮かべる。


「花梨っ、すごくカッコイイっ!」

「似合ってる」


「ふふっ、ありがとう二人共。駅員の制服を着るなんて、何年ぶりだろう?」


 気分が高まってきた花梨は、制服にシワが無いか念入りにチェックをすると、身支度を整えて部屋を後にする。

 そのまま三人で支配人室に向かい、三回ノックしてから中に入ると、ぬらりひょんよりも先に、花梨と同じ制服を着た男性らしき人物が目に映り込んだ。

 その男性は書斎机に寄りかかっており、花梨の制服姿を目にするや否や。眠たそうでいる瞼を軽く見開いた。


「なんや、酒天の代理はお前さんやったんか」


「あれっ? その声は、流蔵りゅうぞうさん?」


「せやせや、よう分かったな。今日一日よろしく頼むで」


 若干の面影を残しつつ人間の姿に化けている流蔵が、今日一日お供になる相手が分かると、眠たげな表情をニッと緩ませる。

 普段は全身が緑色で、重厚感のある甲羅を背負っている河童の姿なのに対し、今はどこからどう見ても人間の姿をしており、その新鮮味溢れる姿に花梨は、多少の違和感を覚えた。

 

 書斎机の椅子に座り、会話を静かに聞いていたぬらりひょんが、キセルの煙をふかしてから鼻で笑う。


「そういう事だ花梨よ。毎度休日にすまんが、よろしく頼むぞ」


「お疲れ様です、ぬらりひょん様。それは全然大丈夫ですが、私は何をすればいいんですかね?」


 今日の仕事内容をまったく把握していない花梨が、首をかしげながら質問をすると、書斎机に寄りかかっていた流蔵が、扉に向かって歩み出す。


「それは、向こうに行ってる途中にワシが説明するわ。時間も押しとるし、はよ行くで」


「えっ? あっ、はい! それじゃあぬらりひょん様、行ってきます!」


「うむ、色々と急かしてすまんな。気をつけて行って来いよ」


 説明をされないまま花梨達は支配人室を後にし、目的地である駅事務室を目指す為に、静寂が佇んでいる永秋えいしゅうを出て、地下鉄のホームへと向かっていった。

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