53話-1、化け狸の茶道教室
紅葉とした山々から流れてくる秋の風が、昼食の匂いを残さず遠くへ運び去っていく、午後一時頃。
定食屋
永秋の前にある丁字路まで来て、中に入ろうとした矢先。右側から「あらっ、二人共。ちょうどよかった~」と、おっとりした声が耳に入り、二人は足を止める。
声がした方に振り向いてみると、そこにはふくよかな笑顔で手を振っている、化け狸の
「
「お疲れ様、花梨ちゃん。ゴーニャちゃんもこんにちは~」
「こんにちはっ、釜巳っ」
ゴーニャにも挨拶を済ませた釜巳は、母性のある笑みを浮かべてコクンと
「二人共、午後は暇かしら?」
「はい、暇ですよ」
花梨の返答に釜巳は、満面の笑みで手をパンッと叩き、「あらぁ~、それならよかった」と声を弾ませ、背後から見え隠れしている狸の尻尾を揺らす。
「三時から、私が不定期で開いている茶道をやるんだけど、二人もどうかしら~?」
「茶道、ですか。いいですねぇ」
「さどう?」
初めて耳にする単語に反応したゴーニャが、唇に指を当て、不思議そうに首を
そして、説明を促すような上目遣いを花梨にやると、正確に伝えるのが難しいのか、花梨も視線を空へと逃がす。
「う~ん、どう説明すればいいかなぁ? 苦い抹茶を飲んで、すごく甘い和菓子を食べる事、かな?」
「甘い和菓子っ、じゃあ私も行く!」
「説明をはしょり過ぎよ、花梨ちゃん」
大雑把ながらも、
「それじゃあ決まりね。三時までに着物姿で『茶道場』に来てちょうだい」
「本格的ですねぇ、分かりました!」
釜巳と約束を交わして一旦別れた二人は、茶道場に向かう準備をする為、一度四階にある自室へ戻っていく。
自室に入るや否や花梨は、部屋の片隅に置いてある女天狗のクロから貰った桐箱を、
開けた瞬間に広がった清涼な匂いを感じつつ、桐箱の中から、
「これを着るのは久々だなぁ」
「その着物って、たまに干してた物よね」
「うん。定期的に干さないと、カビが生えたり虫に食われたりしちゃうからねぇ」
再び着物を着れる機会が訪れた花梨は、鼻歌を交えつつ全ての衣類を取り出していき、着付けを始める。
立ちながら
伊達締めを二回
シワになっている部分を伸ばし、自分の着物姿を確認してみると、気分が高まってきたのか、無邪気な笑みを零した。
「う~ん、やっぱり着物は特別感があっていいなぁ~」
「花梨っ、すごく綺麗!」
「ふふっ、ありがと」
着物が着れた事も相まって、ゴーニャの感想が身に沁みて嬉しくなり、満面の笑みで袖を大きく広げ、その場でクルッと回る。
そして何回転かすると、着物が着崩れしないよう身支度を整え、おもむろにゴーニャを優しく抱っこし、扉に向かっていった。
「それじゃあ次は、ゴーニャの番だよ」
「私の、番?」
「うん、着物を着て行かなくちゃいけないからね。これから『着物レンタルろくろ』に行って、ゴーニャに合った着物を探しに行くよ」
「私も着物を着れるのっ!? やったぁ!」
自分も艶やかな着物が着れると分かった途端。花梨以上に嬉しくなったゴーニャは、着物を乱さぬよう花梨の顔に頬ずりをした。
お互いに微笑みながら一階まで下り、列をなしている受付を通り過ぎて
久々に着物姿で歩いたせいか、ジーパンを履いている時に比べるとかなり動きづらく、慣れない歩幅に違和感を覚えつつ足を進めていく。
その間に、ゴーニャが終始顔に頬を寄せており、歩くたびに柔らかい頬がプルンッと揺れ、その感触を肌で感じ取ると、自然と口元が緩んでいった。
いつもより時間が掛かったものの、目的の店が見える程の距離まで来ると、その店の中に入っていく首雷の姿を捉え、花梨が「おっ、首雷さんだ」と声を漏らす。
「ゴーニャ、いまお店の中に入っていた人が首雷さんだけど、見えた?」
「……ふにゃっ? ……ごめんにゃさい、ちょっと寝てたかも……」
「えっ、今まで寝てたの? す、すごい体勢で寝てたねぇ……。まあいいや、お店に入ったら改めて紹介してあげるね」
「うんっ、ありがとっ」
花梨が苦笑いをしながら言葉を返すも、起きたばかりのゴーニャは頬を離さず、甘えるように頬ずりをする。
その温かくて柔らかい頬ずりを堪能しつつ、建物内が
「首雷さんの姿が見えないなぁ……、このまま入っても大丈夫だろうか?」
嫌な予感の正体は、この店で初めて働いた時、首雷に散々驚かされた苦い思い出によるもので、当時の記憶がフラッシュバックするように蘇る。
最終的には、とても頼れる最高の上司みたいな存在になったものの、やはり根本的な恐怖心は完全に抜け切っておらず、警戒しながら入口へ近づいていく。
入口を忍び足で通り過ぎ、左右をくまなくクリアリングした瞬間、何か小さい物が頭にコツンと当たり、畳の上に落ちていった。
頭に落ちてきた物を拾い上げ、裏表ひっくり返して眺めてみると、所々に赤い宝石が装飾されたかんざしのようで、一通り見終えた花梨が首を
「かんざし? なんで上から落ちて―――」
「こんにちはぁ、花梨ちゃん~」
不意の出来事に警戒を解いた花梨が、首雷の事を忘れて天井を見上げてみると、そこには目を限界まで見開き、ニタァと不気味な笑顔をしている首雷の顔が、目前で浮いていた。
「ンギャァァアアアーーーッッ!!」
「ギニャァァアアアーーーッッ!! ……きゅう」
天井にある蛍光灯の光を遮り、薄気味悪く妖しい笑顔を目にした二人が、同時に断末魔を上げる。
その反動で花梨は足を滑らせ、盛大に尻餅をつき。怖い物が心底苦手なゴーニャは、白目を剥いて気絶し、己の魂を口から吐き出した。
予想を遥かに上回る二人のリアクションに、満足した首雷が再び不気味な笑みを浮かべる。
「ああ~、良いリアクションだわぁ~。ゾクゾクしちゃう~」
「ひ、ひさびさ、だったから……、死ぬほど、ビックリ、したぁ……」
顔面蒼白になっている花梨が上体を起こすと、その体を囲むように長い首を二週回した首雷が、花梨の目の前まで迫り、口角を鋭く釣り上げる。
「私があげた着物を着てくれているようだけどぉ、今日はぁ何しに来たのかしらぁ~?」
「怖ぇっス、怖ぇっスよ首雷さん……。えと、今日はこの子の着物を借りに、あれ? き、気絶してる……?」
未だに動揺が隠せないでいる花梨は、抱っこしているゴーニャを紹介しようとするも、本人は首を後ろに垂らし、白目を剥いた悲惨な表情をしていた。
体を揺らして起こそうと試みるも、完全に気を失っているのか、「あぁ~……」と、掠れた声を漏らし続けている。
「うふふふ~、その子がゴーニャちゃんねぇ。花梨ちゃんと同じくぅ、驚かし甲斐がありそうだわぁ~」
「お、お手柔らかにお願いします……」
そう嘆いた花梨は、首雷の耳を這う笑い声を聞きながらゴーニャを起こそうとするも、しばらくの間、涙が滲んでいる白目が色付く事はなかった。
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