52話、落ち着きがない女天狗
厚くて薄暗い雲が空を覆っているせいか、秋の風がいつもより肌寒く感じる、午後二時頃。
『骨董店招き猫』の店内で眠っていた猫又の
覚醒していない頭をのそっと上げ、重い瞼をこじ開けて、牙を覗かせながらクワッとあくびをつく。
寝ぼけ眼を擦って立ち上がり、もう一度大きなあくびをつくと、後ろ足を引きずって歩き、店の
厚い雲を挟み、太陽の光が朧げに見えるものの、日差しが完全に遮られているせいか、外の気温は低く、冷気に煽られて再び「ブシュッ!」とクシャミを放つ。
「こんな天気では、日向ぼっこは出来ないニャ……。コタツの中で寝るかニャ」
鼻で小さくため息をつき、肩を落として店内へと戻り、少々カビ臭いコタツの中へ潜り込む。
淡いオレンジ色の温かな空間が莱鈴を包み込み、ゆっくりと迫ってきた眠気に身を委ねようとした瞬間、眠りを妨げるように、翼をはためかせている大きな音が外から聞こえてきた。
「莱鈴、おーいらいりーん、いるかー?」
「あの声は……、クロ?」
至福のひと時を邪魔してくる呼び声を耳にすると、コタツから顔だけ出し、扉が開いている縁側の方に顔を向ける。
そこには、そわそわした表情をしつつ腕を組み、縁側に腰をかけているクロの姿があった。莱鈴と目を合うや否や、クロが
「よう、莱鈴。寝ているところ悪いな」
「お前さんからここに来るニャんて珍しいニャー。何しに来たんだニャ?」
「まあー、大した用事じゃないんだがな……」
言葉を濁したクロが口を閉ざし、莱鈴から目を背け、薄暗い雲が支配している空を見上げる。
落ち着きが無い様子であり、クロは蓬鈴に顔を一切向けず、空を見据えたまま話を続けた。
「きょ、今日はいい天気だなー」
「お前さんの目は節穴か? どう見ても悪天候だニャ」
「ゔっ……」
特に話題が何も無く、言い放った途端に後悔した言葉を、莱鈴に鋭く指摘されてしまい、顔を歪めたクロの体に大きな波が打つ。
明らかに様子がおかしいクロに対し、嫌な予感がした莱鈴は、あえてクロにも聞こえるようなため息を、わざとらしくついた。
「クロらしくないニャー、いったいどうしたんだニャ?」
「あー、そのー……、なんだ」
赤く染まった頬をポリポリと掻いたクロが、莱鈴に顔を戻し、目を逸らしつつ本題に入る。
「
未だに遠回しで物を語るクロに、莱鈴の嫌な予感が確たるものへと変わる。クロがここに訪れた件について、ほぼ予想がついた莱鈴は、再び乾いたため息をつく。
「闇市ニャ。それまでの間、
「闇市っ。ほー……、闇市、ねぇ……」
闇市と聞き、よそよそしい態度で反応を示すも、全てを見透かしていた莱鈴にとって、今のクロの姿は滑稽に見え、愉快にすら感じていた。
こちらから話を切り出さないと、この会話に終わりが来ないだろうと察した莱鈴は、諦めのこもった口調で話の核心に迫る。
「なんニャ? 天狗に変化できる道具でも欲しいんかニャ?」
「ううんっ!? な、なぜそれを……?」
「雹華の話を持ち出した時点で、予想はついていたニャ。お前さんも、花梨を自分と同じ種族の妖怪にしたいんかニャ?」
「な、なんで、そこまで……」
話を振る前に核心を突かれたクロは、戦慄して体がわなわなと震え出し、
確信は出来ていたものの、その確信が見事に的中してしまい、心の中に面倒臭さが芽生えた莱鈴が、口元をヒクつかせる。
「クロもとうとうそこまで堕ちたかニャ……。『
「おい、もういいだろ。私の過去は忘れろ。……いや、花梨だけじゃないんだよ」
「はっ?」
「ご、ゴーニャの分も、欲しいんだが……」
「はあっ!?」
クロの予想を上回る斜め上の発言に、思わず叫んでしまった莱鈴は絶句し、叫び上げた口が塞がらず、言葉を失う。
全てを明かして後に戻れなくなったクロは、履いていた
「なあ、頼む。二つばかし用意できないか?」
「あ、あのニャア、クロよ……。変化できる道具は探せばすぐに見つかるが、大体の物は
「ふむ」
「身に付ければ外せなくなり、一生その姿で過ごす羽目になったり、正気を失って正真正銘の妖怪となり、人間を襲い始めたりする代物もあるニャ」
「ふむふむ……。なら、正気を失わず、いつでも取り外せる代物が欲しい」
説明は真面目に聞いていたものの、無理難題な返答をサラリと言い放ってきたクロに、やはりと思っていた莱鈴が、今日三度目の気疲れがこもったため息をつく。
「ノーリスクで変化できる道具は、妖怪の世界でも都市伝説的存在なんニャよ? それを二つも探すとなると、骨が折れるどころか粉々に砕け散るニャ」
「そ、そんなに大変なのか……? じゃあ、花梨がいま持っている道具って、全部すごいんだな」
クロの何気ない返答に対し、莱鈴はすぐさま妖狐になれる葉っぱの髪飾り、座敷童子になれる勾玉のネックレス、茨木童子になれる酒の、売買した際の金額計算を始める。
腕を組みつつ小さな唸りを上げ、今まで閉じていた目を開き、視線を上に向けて何度か泳がした後。ざっと計算を終えたのか、金色の瞳をクロにやった。
「妖狐になれる髪飾り、茨木童子になれる酒は、やろうと思えば大量生産が可能だろうから、そんなに価値はないだろうニャ。しかし、座敷童子になれるネックレスは、今まで見た事も聞いた事もニャい。だから、それだけでも十億円、いや、五十億円以上はするだろうニャ」
「五十億円っ!? と、とんでもない額だな……。……ん、待てよ? そんな高価な物を持っている花梨は、それを狙っているヤツとかに襲われたりしないだろうな?」
値段を聞いた途端にクロの眼差しが鋭くなり、花梨の身を気にかけ始めるも、莱鈴は落ち着いた様子で話を続ける。
「お前さん、この前二人組の鬼を脅して帰したのを忘れたのかニャ? 裏の世界では既にその情報が広まっていって、花梨とゴーニャに手を出すのは、もはや禁忌扱いになっているニャ」
「ああ、相当脅したが……。まさか禁忌扱いにまでになっているとはな」
「最強の一角であるぬらりひょん様とお前さん、温泉街にいる妖怪達を全員敵に回す事になるからニャ。
「そうか……。なら、よかった」
心から安心できる説明を聞けたクロは、鋭い眼差しが和らいでいき、温かみのある安堵のこもった表情になり、そっと胸を撫で下ろした。
クロの過去を知っていて、珍しい表情を垣間見れた莱鈴は、無い情が湧いてきたのか、無意識に口元を緩ませていく。
「お前さん、花梨の事が本当に好きニャんだな」
「当たり前だ。花梨は十七年間、愛情を込めて育ててきたんだ。もう我が子当然さ」
「なるほどニャー……。しゃーない、ちょっとそこで待ってろ」
そう言いつつ重い体を起こした莱鈴は、店内にあるホコリをかぶった棚を漁り始める。数分して「お、あったっあった」と呟き、二つの古ぼけた桐箱を引っ張り出す。
二つの桐箱にもホコリが積み重なっており、息を吹きかけて吹き飛ばすと、鼻に入り込んだのか「ぶしゅん!」とクシャミを放つ。
そして、残ったホコリを丁寧に前足で払うと、その桐箱を脇に抱えてクロの元へ戻り、目の前に並べた。
莱鈴がその場で
「……これは?」
「お前さんが欲しがっている代物だニャ」
「なに? それじゃあ、もしかして……」
「闇市の値段は常に変動するもんなんだニャ。とある輩が大量にこいつを売りさばいてきて、値段が一気に下落してニャ。いつか値段が上がるだろうと踏んで、二つほど購入しといたんだニャ。開けてみろニャ」
話が急転し、頭の整理が追いついていなかったクロは、言われるがままに桐箱の蓋を開ける。
中にあった和紙を捲ると、クロもかぶっている
隣にあるもう一つの桐箱の蓋を開けてみるも、中には、同じ色をした
「これは、兜巾……、だな」
「そう。それを頭にかぶれば、ノーリスクで天狗になれるニャ」
「本当かっ!? ……いや、ちょっと待て! じゃあ、さっきの骨が砕ける
「あれは、探すとなるとそこまで苦労するという話だニャ。別に、ここには
おどけた笑いを飛ばした莱鈴がそう言うと、クロは狐につままれたように唖然とし、だらしなく口をポカンと開けた。
目の前に突然、喉から手が出るほど欲しかった代物が現れるも、当然莫大な金額になるだろうと予想したクロが、上目遣いを恐る恐る莱鈴に向ける。
「ね、ねっ……、値段は、いくら、なんだ?」
「あー、あの時は二つで百万円ぐらいで購入したから……。仲間の
「三十万円……? 三十万円? 三十万円っ!? か、買える、今すぐ買えるぞ! ちょ、ちょっと待っててくれ!!」
焦りで声を荒げたクロは、店内に突風を巻き起こす勢いで飛び去り、その拍子で抜け落ちた数枚の黒い翼が、宙をヒラヒラと舞う。
そして翼が畳に落ちる前に、一枚の茶封筒を握り締めたクロが店内へ戻ってきて、強く握り締めたせいかしわくちゃになっている茶封筒を莱鈴に差し出した。
「この中に三十万円が入っている、確認してみてくれ!」
肩で息をしているクロから茶封筒を受け取ると、莱鈴は前足をペロッと舐め、慣れた手つきで札束を数え始める。
「ひー、ふー、みー、やー……。うむ、確かに。それじゃあそれはもう、お前さんの物だニャ。持って帰れ」
「お、おおっ! ありがとよ莱鈴っ! 恩に着る!!」
クロがとびきりの笑顔で感謝を述べると、自分の物になった桐箱を持ち上げ、デレデレした表情で桐箱に頬ずりをした。
そのまま、耳を這いずり回るような不気味な笑い声を発すると、
「すまんな、寝ているところを邪魔して。本当にありがとよ!」
「本当ニャ、さっさと帰れ」
莱鈴に捨て台詞を吐かれたクロは、もう一度お礼の言葉を掛けてから、満面の笑みで
その嬉々としている背中を見送った莱鈴が、薄暗い空に向け、クアッと大きなあくびを一つつく。
「実は、二つで一千万円で購入したんだがニャ。まあ、クロの珍しい姿が見れた事だし、よしとするかニャ。さーて、寝直すか……」
そうボヤいた莱鈴は、もう一度長いあくびをついてから店内へ戻り、温かな空間が出迎えてくれるコタツの中に潜っていった。
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